「惑わす、惑わされる」哭声 コクソン スズーキィさんの映画レビュー(感想・評価)
惑わす、惑わされる
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聖書のイエス・キリスト生涯の最終の部分がモチーフとなっていて、事前情報が「國村準が怖い」位しかなかったので、ここまで悩ましい結末だと思っていなかった。
映画の冒頭にマタイによる福音書の引用があり、この言葉がそっくりそのままラストシーンに使われる。このシーンを見て「200%...!!!」と思ってしまった。
ナ・ホンジン監督の「チェイサー」を見た時、私はこの監督の倫理観や正義感がとても好きだと確信した。罪と贖いとのバランスがエンターテイメントとして絶妙だったからだ。女性の立場としてのカタルシスも感じた。復讐ではなく、罪を感じるという点において。
次作の「哀しき獣」に関しても、同族のマイノリティの話だった。決して政治的な主張を出している訳ではないが、辛辣な世の中に対して一石を投じたと思った。
コクソンは、聖書をモチーフに、主観がいかに偏見に満ち溢れ、信じたいものを信じる危険性を感じた。その部分はクリスチャンの眼を通して冒頭の聖書の引用へと続く。
謎の日本人に対しての、政治的な言葉はないが、隣国として感じるものはある。わざわざ言語化しない。だからこそ、この大きな惑いが活かされていると感じた。
という訳で、最の高の映画ですた!!!
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