僕と世界の方程式のレビュー・感想・評価
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なかなか素晴らしい作品
原作はない。
この作品の原題「X₊Y」
とてもシンプルで、この作品の上手に表現している。
しかし、日本では「売れない」感じがする。
邦題は主人公ネイサンが母や他人、そして社会などと関わろうともがく雰囲気が伝わってくる。
そして、ここがこの物語の着地点だったのだろう。
先天性である発達障害のひとつ、自閉症スペクトラムは、遺伝に関することなので、ネイサンの「それ」を治療することはできない。
しかし、健康であっても自分自身の性質や性格を修正するのは非常に困難なことだろう。
それは単に個人的特徴として受け入れられることが多い。
その枠を超えると、このような名前が付けられる。
つまり、「お前は病気」だとレッテルが張られる。
逆に言えば、病気であるがゆえに社会的に許される特権が与えられることになる。
このような人たちの中には、一般的にサヴァン症候群と呼ばれる特殊能力を持つ人たちがいる。
あのモーツァルトもそうだと言わている。
しかしこの物語のサヴァンという言葉は登場しない。
それは、映画の主題が「ラベル」ではなく「理解」にあるからだろう。
ネイサンを「サヴァン」として描くことで彼を特別視するのではなく、彼の視点から世界をどう感じているかを観客に体験させることが目的なのだと思われる。
ネイサンの人間的な成長や他者との関係性を描くことに重点が置かれており、診断名よりも個人としての彼の内面や経験が中心としたい制作側の強い意志を感じた。
レッテルトラベル付けされたネイサン
彼はしょっちゅう父を思い出す。
まだ5歳くらいの時期に感じた父と母
母に感じた「世話役」に対し、父から流れてくる温かみのある何かを感じていたのだろう。
それがケチャップを鼻血に見立てててポテトを鼻に突っ込んだことだった。
彼の「列車」も父からのプレゼントだったのだろう。
それをお祝いとしてでも、無断利用されたことに怒りを覚える。
ネイサンは絶えず自分とそれ以外とを区別したいのかもしれない。
食への拘り
エビボールの数 素数
おそらくそれは父が店側に依頼したものだったのだろう。
母がそれを依頼するとき発生した店側とのギクシャク感は、そのまま母とネイサンとの関係を表現している。
ネイサンは絶えず「選択」している。
そこに妥協がないので他人とはうまくコミュできない。
そしてネイサンにとって一番わからないのが自分の気持ちなのかもしれない。
さて、
映画にありがちな設定
この数学が得意な集団は、他人から見ればそれだけで「変」だ。
そこに各々の性格が加えられると、おかしな連中に見えるのは間違いない。
そして自閉症スペクトラムと診断されたネイサンもまた変な人だが、何故かモテてしまう。
この部分には村上春樹さんの世界観を感じてしまう。
自分を卑下する主人公が何故かモテてしまう。
合宿に参加したメンバーの中で最も一般的だったのがチャン・メイ
同様にレベッカも一般的に見える。
レベッカの嫉妬 引率係の叔父に二人のことを密告した。
チャン・メイは叔父と喧嘩して大会に出場しなかった。
レベッカは自分がしてしまったことを後悔し、その事をネイサンに話した。
物語としては良くまとまっていた。
そうして集中できなくなってしまったネイサンは会場から出て行ってしまう。
ネイサンは、出された問題の「列車」から父を回想し、当時の事故まではっきりと思い出した。
ネイサンの頭にあったのは父で、父の葬儀の時も反対方向に走り出してしまうほど、本当はそれ自体を受け入れられなかったのだろう。
それを彼はしょっちゅう思いだしていた。
ただ彼には、父の事故が自分にとってどういったものなのかが理解できなかった。
喪失
おそらくネイサンは、父の死を自分自身の心の喪失だったことがようやくわかった。
会場を出て中華料理屋に入ったネイサンを母が追いかけてきた。
母はネイサンの気持ちにようやく寄り添うことができたのだろう。
ネイサンも父の死が自分にとってどんなものだったのかを初めて言葉にできたことで、自分の中の心の壁を一つ乗り越えられた。
母は次にチャン・メイについて尋ねた。
ネイサンは「恋」についての方程式はわからないと答えるが、母は「理解できた人はいないわ」とニクい言葉を遣う。
人の心や気持ちは絶えず変化する。
まさに変数であり「X」であり「y」だ。
この無限の組み合わせとつながり
なかなか素敵な作品だった。
【自閉症スペクトラムの少年が、父を亡くした哀しみを抱えつつ国際数学オリンピックに出場する様を描いた物語。初めての恋に戸惑いながら、好きな女の子を追いかける姿は、沁みます。】
■大好きな父マイケルを事故で亡くした少年、ネイサン・エリス(エイサ・バターフィールド)は、自閉症スペクトラムの特徴である、他者とのコミュニケーションが苦手な反面、飛び抜けた数学の才能を持っていた。
国際数学オリンピックのイギリス代表チームに選ばれたネイサンは、ライバルの中国チームの少女、チャン・メイと出会い、今まで経験のない気持ちに驚いて行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・私は、バリバリの文系だが、何故か数学が好きである。今作でも台詞で出るが、二次方程式や因数分解の式は美しいと思うし、結構難しい問題が、上手く解けた時なんかは気持ちが良いからね。
・今作では、ネイサン・エリスを始め、国際数学オリンピックに出場する少年少女がドンドン出て来るから、言葉だけは知っているフィボナッチ数列を、一発で見抜くシーンなんか、感動しちゃうんだよね。
・ネイサンが、母(サリー・ホーキンス)と数学を教えてくれた自身も難病を抱えるハンフリーズ先生(レイフ・スポール)との間に芽生えた微かな恋心に敏感に気づき、反抗的な態度をとっても、母もハンフリーズ先生も、彼の事を考えてとても優しいんだよね。
この辺りは、名優の二人がとても自然に演じていて、素敵なんだよね。
・で、ネイサンが台湾での合宿で出会った、強豪中国のコーチの娘チャン・メイと、徐々に親しくなっていく様も良かったな。
それまで、経験した事のない気持ちに、自閉症スペクトラム故に、上手く対応できないんだけれども、そんな姿も何だか愛おしいんだよね。
<そして、二人はギコチナイキスをするのだが、チャン・メイは父に見つかって、レギュラーを外されてしまうんだよね。
けれども、ネイサンは会場を飛び出して、優しい母と話してから自分の気持ちを伝えるために、母の車でチャン・メイを追うんだよなあ。
そして、二人は列車の中で仲良く会話するんだよね。
今作は、自閉症スペクトラムの少年が、父を亡くした哀しみを抱えつつ国際数学オリンピックに出場する過程の中で、出会った女の子と恋するとても気持ちの良いラストが見れる逸品なんだよね。>
邦題からは想像できない繊細さ
インターステラの上位映画
僕と世界の方程式
癒されるお母さん
とても良かったんだけど…
文系な私でも、この式なら導けるかも。
まずこの撮影場所って、「奇蹟がくれた数式」(デヴ・パテル)と同じケンブリッジ大学ですね。うひょー。あの映画もよかったなあ。
この作品は一人の青年が、数学によってであった人々を通して成長していく様が、瑞々しく描かれてます。
それまでは自分の殻の中で、数式を解いているだけの少年が。
母・数学教師やオリンピック合宿中に仲良くなった少女によって、その殻が少しずつ破られて行くのがとてもいい。
話は数学のサクセスストーリーではなく、悩みぶつかりくじけている少年なのが見ごたえあります。
数学は落第点だった母親が、少年に「愛の方程式」を説く。少年よ、紙の上では解けない問題もあるのですよ。
原題は「X+Y」ふーん、邦題の方がいい味出てますね。
Σの文字が出てきたときは、さすがに「げ」って高校時代を思い出しちゃったけどね。
答えのない問題
自閉症と診断された天才的な数学センスを持つ主人公が、数学オリンピッ...
すごくいい、でも最後は・・
ひさしぶりに映画に引き込まれた。
これはいい兆候だ。
それに「自然数」と「素数」の話って、ワケわかんないけどどこか神秘的で神の数式みたい。だから、平凡なぼくはどこかで愛を見失っているのかもしれない。
それって悲しいけど、ある人と話をしていて気づいたことがある。彼は、いちどリセットする人生でその時にすべてを失った。財産も家も奥さんも、そしてこどもも。それから彼は地道に生きて、最後は急激に成功する人生なんだ。その予言めいた話をしたのはぼくだ。彼は、なにかに生かされていると思う。ひとの力は限られているけど彼のちからは周りのひとが与えてくれる。ひとは、自分の力は小さいのだ。あらゆるものが自分の力では小さいのだ。
だから、ひとの力がいる。そうした素質を彼はもっている。そうぼくは思っている。
ちなみに、ぼくはちがうタイプだ。自分のチカラでやるタイプで、平凡なのだ。
パソコンを立ち上げたときのタクスマネージャーのグラフみたいな急激な上下が彼で、安定した後のグラフがぼくに近い。それに、ぼくはとても閉鎖的でひとが嫌いだ。技術的な思考の稚拙さにいらいらしすぎる。彼にはそこがない。でも、不思議だけどぼくらはウマが合うみたいだ。
話をもどそう。
すごくいい映画だと思う。
きっと、また観たいと思う。
残念ながら、最後は単なるラブストーリーにしてしまった。
こうした納め方ってちがうと思う。
ジン
青い瞳に引き込まれ
性の目覚めと人生の肯定
人間の精神面の発達障害については、いまだ解明途上である。発達障害のさまざまな特長に関する呼称は沢山ある。しかしなぜ障害が起きるのか、どのような過程で起きるのかなどは、よくわかっていない。そもそも生きている人間の脳内の話である。解明が困難であることだけはよくわかる。
自閉症の中にはコミュニケーション能力等の発達障害と同時に、特定の優れた能力を得る場合があるのは誰もが知っているところだ。サヴァン症候群などがその典型だろう。
本作は数学に抜きんでた才能を持つ自閉症の子供ネイサンの話であるが、テーマは数学でも数学オリンピックでもない。テーマを読み解くキーワードはいくつかの台詞として現われている。
一つ目は、子供の頃、落書きのように描いている図形や数式について尋ねた母親に向って「頭が悪いから理解できない」と言う。それはつまり、子供ながらに自分の数学の才能を自覚しているということだ。そして数学の才能があることだけが自分のレーゾンデートルであることも理解している。
二つ目のキーワードは数学オリンピックの合宿に向かう飛行機の中で同行の女の子に言われた、数学について地元でどれだけ優れていても、ここではただの人だという言葉。自分の唯一の取柄であった筈の数学の才能が、レベルの高い世界では決して抜きんでたものではないと認識させられる。その結果、生きていることが不安になる。
三つ目のキーワードはチャン・メイと交わす会話だ。こだわりをチャン・メイにいとも簡単に相対化され、シュリンプ・ボールと綽名までつけられる。
四つ目のキーワードは、合宿の引率者が帰国間近にネイサンに言う、きみの数学はとても美しいという言葉だ。哲学では真善美という概念がある。真は善であり美であるという考え方だ。ネイサンの数学が美しいのなら、ネイサンの数学は真実であり善である。引率者の言葉は、ネイサンの数学の将来は決して暗いものではないことを示している。
そして五つ目のキーワードが、チャン・メイといると心も体も変な感じになると、母に告白するネイサンの台詞である。性欲を感じ、恋をしたことで、母親に自分のことを伝えられるコミュニケーション能力を獲得したことがわかる。ネイサンは少し大人になったのだ。
救われるのはネイサンだけではない。夫を亡くした不幸な母親にも、数学の才能に恵まれながら世を僻んで不自由な生き方をしている足の悪い教師にも、それぞれの救いを与える。
つまりこの映画のテーマは、ネイサンが思春期の初恋をきっかけに人とのかかわりに喜びを見いだしていく話を軸にした、人生の全面的な肯定なのだ。
数学の難解な問題もところどころで登場する。20枚のカードを裏表にするゲームが必ず偶数回で終了することを証明する課題がある。指名されたネイサンは、二進法の論理を用いて見事に証明してみせる。実に胸のすく場面である。
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