「闇夜に浮かぶ白い月はいったいどれほどの光なのだろうか」光(大森立嗣監督) 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
闇夜に浮かぶ白い月はいったいどれほどの光なのだろうか
『あの夜から何も感じないんだから』
ラスト近くで美花が信之に放った言葉。
原作も映画もこの物語が伝えたいことについては、敢えて明確には示さず、読んだ者、観た者それぞれの解釈に委ねています。
この美花の台詞についても、決して単純な用いられ方はしていませんでした。おそらく、性的に不感症になった、ということだけでなく、美花にとっては、相手が誰であろうと性行為自体に〝愛〟は存在しないし、求めてもいない、ということなのだと思います。
少なくとも、お互いの心を通じ合わせる類いの特別な感情を通わせるための行為、という位置付けはなされていません。
見晴らし台にいた信之、美花、輔。
船に乗っていた洋一と灯台守の爺さん。
この5人以外の島民すべての命を奪った大津波という最大級に理不尽な暴力。あまりに巨大な暴力に対して〝諦める〟ことしかできないことが、その後の美花の生き方に影響したのだと私は解釈しました。
生き残ったこと、生かされた自分の使命、などという健気とも言える前向きな影響は見出せません。
男が何か利害に絡むことをチラつかせて自分に求めるのはSEXという見返りであり、そういう関係の性行為には何も感じないということなのだと思います。すべてを諦めるということはすべてにおいて何も期待しないということでもあります。一般的には求め求められるのが恋愛関係だと思うのですが、美花の場合、求められることに関して強い拒絶感があり、見返りを得るためには不感症でいることでしか、対応することができないのでしょう。
信之の最初の殺しは、本人にとっては、〝美花を守るため〟であり、映画において描かれた長い間は、逡巡というよりは、美花が本当に望むことであることを自分で納得するための時間であり、決して怒りに任せた衝動的な行為ではなかったことを示しています。その後の人生において、あの殺人を罪悪感や咎として抱えないためには、美花を襲う暴力に対抗するには暴力しかない、という理屈を正当化するしかなかったのだと思います。ただ、本人もそもそも自分には、理性で抑えきれない獣性があることも薄々気付いており、そのことが、夫婦生活における不気味に抑制の効いた日常の言動に繋がっているのではないでしょうか。
卑屈に保護を求めることしかできない輔の精神構造は想像するだけで気が滅入ります。他作品からも窺えるように、三浦しをんさんは、キチンと題材を取材されるので、児童虐待を受けた方の精神的なダメージについても、専門家の方から聞いた実例に基づいていると思います。
〝光〟に辿り着けないまま、何かの呪縛に囚われて生きていくしかない人たちに光を当てた作品なのかもしれません。
三浦さん、この原作の次に書いたのが、『舟を編む』のようです。なんだか凄いですね。