沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
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日本人とは…
あらすじに書いてあるような、棄教させられる司祭がいかにして心を踏みにじられていくかを、ゆっくり描かれていた。全編拷問といってもいい。
この物語をみて思ったことは、信じているものを捨てるような、捨てざるを得ないような現象は誰にもある。それは往々にして、リスクを伴うしかもほとんど0%にすがる時につきまとうのではないか。それを自分の力を過信して「できる」と信じた時に大概無理が生じるように出来ている。
とはいえ、大名の井上や役人には心底胸くそ悪かった。いかに、仕事とはいえあそこまでする必要はないと思う。史実通りであるなら、同じ日本人の血が流れている身としては恥ずかしいと感じた。中学生や高校生に観てもらい歴史から迫害とイジメを関連付けて学んでもらいたい作品。
スコセッシの魂
スコセッシの魂を受け止めた。スクリーンに映るものとスピーカーから聴こえるものの全てがスコセッシの魂の発露だ(と勝手に信じている)。これほどまでに作り手の魂を感じた作品は無い。まさに集大成というべき傑作。スコセッシ信者の俺にとっても大切な作品になった
スコセッシのフィルモグラフィでいうと『最後の誘惑』『クンドゥン』に近い作品になるのかなと思ったら実は『ミーン・ストリート』に一番近いのかもしれん。ロドリゴはハーヴェイ・カイテルでキチジローはデ・ニーロ。あと『レイジング・ブル』のラストのヨハネ福音書の一節が本作にも呼応するなあ
スコセッシは『沈黙』を読んで「自分が映画にしなければならない」と思ったらしいけどまさに。この原作は暴力と信仰の映画作家であるスコセッシにしか映画に出来なかった(と勝手に信じている)
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では狂騒を描き『沈黙』では静寂の中で物語る。対照的なスタイルでどちらもキャリア最高級の傑作にしてしまうスコセッシの老練ぶりここに極まれりという感じやな
窪塚洋介も言ってたように『タクシードライバー』『レイジング・ブル』『沈黙』を「スコセッシ魂の三部作」としよう。「すこせっしだましい」じゃなくて「すこせっし・たましい」
『沈黙』は『最後の誘惑』でパウロが言う「私のイエス」を巡る物語と捉えた。「信じるとは何か?」という根源的な問いとそれ対する答えは「自らで見つけるしかない」ということ。そして遠藤周作は同伴者たる「私のイエス」と出会ったんやな
『沈黙』で描かれているキリスト教は「信条」に置き換えてもいい。自分の信条が他者からの暴力などによって挫かれようとした時あなたならどうする…と本作は問いかける。ただ『沈黙』が素晴らしいのは挫けた人をこそ救う作品であること。遠藤周作の原作もスコセッシの映画も。ありがとうございます…
日本人でありながら、当時の歴史をよく理解していませんでした。教科書...
んー
●赤字覚悟で制作した映画だね。最後のシーンに賛否が?
・作品は全般的にはよく出来ているね。残虐、血、男女の絡み、下劣さなどはあまりなく。苦悩や苦痛や苦難を自然環境の美と同化させて、気品よく描いてるね。 内容も小説とほぼ同じで、それぞれの俳優の演技もよく出来ているね。
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●最後の方のシーンに賛否が多くあるようだね。あれは米国で上映して、一般客や批評家たちの多くのキリスト教徒へ受け入れてもらうためには、どうしても明確にする必要があったんだろうね。
しかし、あそこには監督自身の隠されたメッセージがあるように思えたけどね。監督がインタビューで何度も述べている事だね。
つまり・・・
この映画の主題は、多くの批評家たちが述べているような「信仰とは?神とは?」はあくまで表向き一般向きで、作品の根底は、人生とは自分の意思と行動で変えられるはずだ、ただし適時に自然や他の環境へ適応しながらバランスを取ることも不可欠だ、現世は神の社会ではなく自然の中にある人間の社会だからだ、と言う古来からの観念、つまり仏教などが不毛の地(米国)で、仏教的な哲学を無言(沈黙)で表現したように思えたけどね。
メインターゲットはあくまで米国のお客さん(大多数はキリスト教徒)だからね。スタンリーキューブリックやイングマール・ベルイマンのように本題以外に間違いなく知識人だけがわかるような当社会に公言できないメッセージをひそかに入れているはずだよ。
PS
制作費はおおよそ40億円公表されているけど、実費は20億円ぐらいだったみたいだね。なんと「沈黙」の映画権利等の獲得よる裁判沙汰で20億円ほど費やしたと監督が言ってたね。どおりで、かなりコンパクトだったわけだね。
転んでもいい
学生時代、僕が読んだ小説のうちもっとも印象に残っているのがこの「沈黙」だ。
遠藤周作が書いたこの小説はキリスト教の神父が転向、棄教したあと、俗世に入り、日本人妻と結婚したという。棄教した元神父のあごは“つる”としていたと文章がすごく衝撃だった。その“つる”とした描写が実にリアルに感じられたからだ。その「沈黙」をマーチン・スコセッシ監督が撮ると言われていた。それから、何十年経ったろう。ようやく実現したこの作品は思い入れが強い。
予想はしていたが、実に重い映画だった。160分はちょっと長かったと思う。これでもか、これでもか、と過酷な拷問が行われる。スコセッシ監督だから、リアルに緻密に描こうとしたことはわかった。しかし、それでも長いと感じてしまったのだ。
そのなかで、キャストは秀逸だと思った。とくに日本人俳優。
裏切りと信仰を繰り返すキチジローの窪塚洋介、信仰に準じる農夫に塚本信也、信仰にこだわるなという通訳の浅野忠信、特に主人公ロドリゴに棄教を必要にせまる大名に
イッセー尾形がすごい。ひとくせ、ふたくせもある大名に表情、仕草、雰囲気で答えた。
さすがは本業の一人芝居で、鍛え上げた演技だと思った。eiga.comによるとアメリカで多いに評価されアカデミー賞にノミネートされるのではないかといわれているそうだ。
この映画のテーマは「転ぶ(棄教)」である。どんなに過酷なことがあっても「転んではならない」とするひと、いや、「転ぶということはもっと大きな信仰につながる」というひと。そして、そんな大きな選択のとき、なぜ沈黙しているのだ、神は、ということだろう。
僕は特別な宗教を信奉しているわけでもないので、「転ぶ」ことにこだわりはないのだが。
僕は「宗教」よりも「宗教的」であることを大切にしたいと思う。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教。いろんな宗教があるが、それぞれの教祖、はじめにその教えを伝えようとした最初のひとたち。イエスだったり、モハメッドだったり、仏陀に関して疑いを持っていない。純粋に与えられた教えを純粋に伝えようと努力した人たちなのだろうと思う。だた、その教えも何年も経って、人が介在してくると変容する。
「宗教的」というのは、宗教そのものよりも、その原初的なことばを聴こうとする、内なることばを聴くことが大切だと思っている。
少しでも多くの人に
原作を裏切らない
期待外れ
神様やかましい
心に響きました…
片側から見ているようで
心に感じるものがあった
窪塚やイッセーなど日本人俳優が特に良い
興味深い
余計な結末部分。
原作を読んだのが、30年以上前の高校時代、(その頃、「沈黙」は文庫本化されていませんでした。従って、ハードカバーの本を買って、読みました)篠田正浩監督の映画を観たのが、10年程前です。もう、殆ど、話の筋も忘れていたのですが、映画を観ている間、ずっと気になっていたのが、何故、ポルトガル語ではなく、英語なのでしょう、ということです。興行的なことを考えると、ポルトガル語よりも英語、という判断が働いたのでしょうか。英語圏に住んでいない私にとっては、大変、奇異に感じられました。☆をひとつ減らしていますが、その理由は最後の一場面は不要であろう、と思ったからです。荼毘に付される場面を溶暗にして、それで終わりにすれば良かったのです。クローズアップされる最後の一場面にはキリスト教に対する信仰は揺るがなかった、とするキリスト教信者、スコセッシの主張が見て取れます。このような記述は原作にはありません。キリスト教を「是」とするヨーロッパ人の押しつけがましい主張にはいい加減、うんざりします。この場面がなければ☆5個だったのに・・・。個人的にはちょっと残念な作品でした。
沈黙
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