たかが世界の終わり(2016)のレビュー・感想・評価
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家族の愛
マリオン・コティヤール見たさに観ました。
しかし実際にこの映画を観るとマリオン演じるカトリーヌよりも、マルティーヌとアントワーヌの高い演技力に目が引き付けられっぱなしでした。主役のルイも良かったですが、この二人の強さに少し霞んでしまった印象です。
ストーリーは、12年間帰省しなかったルイが直に死んでしまうことを家族に告げる為に帰省するというもの。
既に家の中に居場所がなくなってしまったルイの孤独さを、自分と重ね合わせて感じてしまい、ただただ観ていて辛かったです。
何も知らず、ひたすら明るく喋り立てる母マルティーヌがたまに見せる愛情深い母の部分に涙せずにはいられませんでした。「あなたのことが理解できない。でも愛してる。この愛は誰にも奪えない。」名台詞だと思います。この香りどう?と、ルイに対して明るく自然にハグを誘う姿にも母の深い愛を感じ泣けました。
そして、終始憎まれ口を叩く兄のアントワーヌ。その憎まれ口も結局は愛情の裏返しだと後々に気付かされます。彼も家族のことを心から愛しているのだと思います。それ故に、家族全員で過ごした、この日曜日を素晴らしい一日で終わらせようとする。ラストシーンで憎まれ役を買って出てまでもルイを帰そうとしたのはそういう意図があってのことでしょう。
壮絶な終盤の大喧嘩の後の、マルティーヌの「次は大丈夫だから」という台詞と優しい表情に涙が止まりませんでした。マルティーヌもシュザンヌもどこかでこれが最後だと感じ取っていたのでしょう。
全員が部屋を出て行った後、ルイはそっと一人で家を去る。非常に美しいラストでした。
大変素晴らしい映画でしたが、途中に挿入されている歌が浮いていて耳障りな印象を受けました。また、カトリーヌの役は、外側の人間という心理的にルイと近い存在としての意味があったのかなとは思いますが、あまり必要性を感じませんでした。マリオン・コティヤール見たさに観たので少し残念な気持ちはありましたが、この映画自体は家族について、愛について考えさせられる素晴らしい映画です。
やられた
感情の濁流の中にいるようだった。
家族だからこそのむき出しの感情のぶつけ合いは正直見ていて辛かった
時計から出て来て家の中を荒らしまわって息絶えるあの小鳥がルイから見た自分だったんだろう
思ったけど「たかが世界の終わり」って結局どういう意味だったんだろうと思って
(実際It's only the end of the worldの訳は'まさに世界の終わり'だと思っていたくらいだし)
ずっと考えていたらフライヤーの裏にもうそれはそれはストーンと落ちるフレーズが
「愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて」
12年ぶりの帰郷でどこかぎこちないルイと家族
分かり合えない恐怖から様々な反応をする兄妹母義妹
それでも根底にあるのは他でもない愛でありどれだけムカつく兄でも喧嘩ばかりの母と妹でも絶対に他人にはなれないものだと
そういう描写だと思った
ルイの人生は終わってしまうけれど、残された家族の愛はきっと終わりが来ない
ルイは到着後は電話口で「話したら帰る」「誰も涙を流さないかも」と言っていたけれど 過ごした短い週末で根底にある愛を悟った
だからそれが途絶えてしまわないように自分の人生が終わってしまうことを伝えなかった
家族の愛がなくなってしまうことに比べたらルイの世界が終わるのは「たかが」の出来事だったのだと
以上が私の見解です
フライヤーに完敗しました
ドラン監督の作品全て見ようと思います
とても良い作品でした
伝えられない
主人公はもう生きられないことを家族に伝える為に
久しぶりに会いに行く。
しかし、家族それぞれの想いがあり
自分が帰ることで崩壊し、伝えられるまま
最後の時を迎える。
音楽、映像とともにグザビエドランの世界感が凄く見えた映画だ!
その時にはわからない
ストーリー★☆☆☆☆→★★★★★
演出 ★★★★★
最初くそダルかった!後に…
とりあえず"実家あるある"が続きます。
何がキツイって、
とにかく顔のドアップで、会話、会話、回想、罵倒、笑顔、罵倒、回想、会話、罵倒。顔が近すぎて途中本当に気持ち悪くなったσ^_^;。
内容も何を怒っているのか、わけわからんどうでもいいのが延々と続きますσ^_^;途中から、僕は初めて映画館で座ったまま足を上げ下げして筋トレに集中する時間を設けました。
最初はほんとつまんねー映画だなーと思いました。
(ネタバレします)
しかし奥さんと一緒にずっと考えて気付きました。
主人公はゲイで、12年家に帰らなかった。"田舎町"というのもあって、受け入れられない存在。家族も同僚や仲間達にゲイネタをイジられることもあるだろう。
主人公の昔の"相方"が死んだと兄から告げられる。みんなうすうす病気のことも分かってる。
しかし主人公を否定できない。家族、愛する存在がゲイで否定なんかできるか?しかし家族の気持ちの置き所は?兄の拳の傷の意味は?自分の存在のせい?
とまではいかないにしても確実に彼等の人生に影響はあるはずだ。
最後に悟ります
自分の死なんて自分にとっては"たかが世界の終わり"なんだと
自分自身に"存在の意味"はない、しかし、他人、家族にとっては自分の存在に意味があるんだと。
残される方が厳しいということもある。
自分という存在を抱え続けて生きる家族。
最後のシーンで溢れたのは、いや、最初から溢れていたのは"愛"
良いとか悪いとかじゃなくて、自分の存在が確実にそこにあった!
最後は明るい光の中に出ていく主人公。
実際多くの人はそうだろうと思う。家族がうるさかったり、面倒くさいんだけど、それってその時は気づかないんだよ。無くす時に、離れる時に、ようやく家族という絆を認識できる。
映画館ではわからなかったが、時が経ってようやくわかった結果。怒りの意味が180度全く違うものに変わる、これ人生そのものじゃん!!
最高じゃん。となった。"実家あるある"じゃねーよ。アホか俺。
演出面
やたらと延々とドアップなんだ、ほんとスクリーンに顔だけ!
なんで全員がドアップになるのか、やっぱり12年分の感情を映画的に表現するってことですね。ドアップになることで、しゃべる人の顔以外は映らない。
"周りが見えない"ので映るのは気持ちのみ!ガツんとくる。
そしてアップによる主観的感情移入、圧迫感、切迫感をとことんやることで、彼等の身動きが取れない感じをきわめて映画的表現で観客に伝える。
なんせ12年分の想いをたった99分で魅せるわけです!!
それで僕は気持ち悪くなり、途中から筋トレを始めた。。と
考えれば考えるほど、意味のわからなかった罵倒が、中身のないような怒りが、主人公への"想いの深さ"を感じられる。
手際が良すぎてわからなかった。過去作品も絶対みる。
映画館で泣いてる人、正直バカにしたけど、お母さんからしたら、この息子愛おしいだろうな。。すいません。リテラシー足りませんでした。振り返ってようやくたどりついた。
素晴らしい作品です。
奥さん評価
点数のつけようがない。1回でわからせない。さすがフランス。アップに耐えられる役者ばっかり。
「家族」にしがみつく弱きもの。
弱いから家族に縋るんじゃないか?
家族なんだから、助けてくれる。
家族なんだから、私の望みを掬い取ってくれる。
そんなのは幻想ですよ。
人が自分の望みなんてかなえてくれないよ。
そんな風に思いました。
でもそれを夢見るから閉塞した毎日がどうにか生きられる。
母と妹と兄はそんな感じの人。
外の世界を求めて家を飛び出たルイを
どこかで憎みながら、望みをかなえる救世主として希う。
なんと愚かなことよ。でも、それが人というものかもしれない。
鳩時計がルイの来訪と退散の比喩なんだと思う。
午後1時に訪れ、午後4時に去る。
去る前に時計から1匹の鳥が飛び出る。
苦しそうにもがきながら飛ぶ鳥は、飛びたいように飛ぶ事ができず、
やがてルイの足元にふらふらと落ち、死にます。
それはまるで母や妹や兄の末路のように思えました。
恐らくルイは二度と戻らず、家族には知らせずに最後を迎える決意をしてしまったのでしょう。
だって、家族はルイから欲しいものを取り出そうとするだけで、
彼に与える事はしないわけですから。
なので、彼は自分を見せることを、あらためてやめたということです。
ルイは殆ど自分から喋りません。
周りの人が喋ることに翻弄され、発言を遮られ、あきらめる。
そして、母も妹も兄も、直接はルイに自分に対してこうして欲しいとはいわない。
言わない代わりに、他の家族をいたわるようルイに強いる。
本当は自分をいたわって欲しいのに。一番。
その辺のずるいというか、回りくどさが、しんどい家庭のそれらしく、うげーと思いながら、万国共通だなとか。思いました。
時々実家や家族の思い出に浸りつつ進みます。
思い出シーンで「恋のマイアヒ」が大音量で流れ、なんつーダサ懐かしい曲・・・。でもドランが使うとなんかおシャンティ・・・とか思いました。
マイアヒの間にちゅっちゅしてた女の子みたいなかわいい男の子が、
兄の言う「お前のピエール」でしょうね。
若い頃はマリファナっぽいのや、白い粉や、悪さしてたのね、ルイ。
お兄ちゃんに肩車してもらっている海辺のシーンなどもあり、幸せだった時もあったのだな、でも、ルイは家族の中でどうにもならない孤独を抱えて大きくなって、出て行ったのじゃないかなと想像しました。
冒頭の歌の歌詞、エンドロールの歌の歌詞。
それぞれ、家族にまつわる悲哀を歌っています。だよねって感じ。
もうね、家族に意味やら絆を求めちゃだめって思います私は。
結果的にあったならばいいけれど、なければならないっていう呪縛が生き辛さになってるんじゃん?もうやめたら?
血縁で嫌が応もなく、つなげられた人と人なんだから、一旦捨てて、互いが欲した時に改めて構築したらどうよ。そのほうが自由じゃん?
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どアップの多用、その中での各人へのフォーカスの移動、ちょっとした目線の移動なんかで登場人物の気持ちが表現されていたと思います。
マリオンコティヤールが平凡でやぼったい兄の妻役でしたが、うまいなあとおもいました。ちょっと切ないけど、ちょっといらっとするラインでした(褒めてます)。
ヴァンサンカッセルはうざくてうざくて嫌いになりそうでした(褒めてます)。
ギャスパーウリエルは久しぶりに見たなー(ロングエンゲージメント以来?)
大人になったなー、相変わらず片えくぼちゃんやー、と思いました。
レアセドゥの妹も、引きこもりチックなマイルドヤンキーニートが、似合っていて(褒めてます)よかったです。
観やすい類の映画ではないです。結構気合が入ります。アクが強いです。が、いいたい事はよく分かるなと思いました。
にしてもグザヴィエドランは、まさに時代の寵児ですね。
Mommyとは比にならないお客さんの入りでした。
シアターも大きい部屋になっていたしね。すごいね。
上質な戯曲を鑑賞したようなドラン演出の罠!
空白の家族の12年を数時間で再生させる、ドラン演出の妙。冒頭からありえないテンションのキャラクター達!そして、兄の暴君ぶり!!
このエキセントリックな演出にウンザリしてしまう人も多いかと思いますが… しかしこれがドランの“罠”。
普通に描いてしまえばなんてことのない家族の物語を、演劇的にエキセントリックに描くことで、表面的な狂気をあおりその本質を見えにくくする。
その最たる人物が 兄夫婦!この二人の揺るがない夫婦の絆は伏線のみで、あえて描かず兄を狂気のモンスターに仕立て上げる。
これがドラン“才能”と言うか… 確信犯なのか? 鳥肌が立ちました。
そして今まで家族を守って来た家長である兄だけが、弟ルイの帰省のわけを察し、ルイを心の支えとして生きる母と妹をその宣告から遠ざけようとするが…
それがやがてラストの兄の暴走と涙の意味となり、テーブルの下で結ばれていた妻の手により夫婦の絆を確信させる事で、観客は初めて今まで思い込んでいたキャラクターたちの性格がエキセントリックな演出によりすり込まれていたことに気付かされる。
ここで凄いのが、主人公ルイの目線と観客目線が同化させてあり、兄の言動の真意を観客と共に理解する…
鳩時計《家》から飛び出した小鳥《ルイ》は壁《世間》に打つかり、打つかりして… やがてリビングのカーペットの上《家族元で》で力尽き静かに息を引き取る。
わずか1日足らずの物語で家族の空白の12年を再生させ、ルイに自身の死に場所を確信?願望?させ成長させる、ドランの愛に溢れた演出、映画というより上質な戯曲を鑑賞した後のような心地良さの残る作品でした。
言うまでもなくビジュアルと音楽センスは◎。
グザヴィエ・ドラン、これからもますます目の離せない監督であり俳優です。
エグッてくるね、震えが来て堪らない。
冒頭、ルイが実家へ帰る道すじ、情熱的なメロディに乗って歌が流れる。
「家は・・・、
なに?
「家は・・・、救いの港ではない。」
えええ~!
そして「ふかくえぐられた傷痕~」と続く。
もう、このあとの家族の再会が修羅場になるんだろうなという想像しかできない。
出迎えた四人の家族。会話から徐々に関係と感情が明らかになってく興奮は、まるで四段重ねのおせち料理の蓋を一枚ずつ開いていくような驚きの連続。(おせちはどうかは置いといて)
家族じゃなかったら誰かが誰かを殺しちゃうんじゃないかって緊張のまま、「食べかけなんだけど!!」って叫んでも否応なしに蓋をされた気分で終幕。
食べ足りなさと、素潜りして顔を上げた後のような呼吸の窮屈さを感じながら、胸がエグられてしまっていることだけは気づいている。
隣家の家族喧嘩を節穴から覗き見して、「え?あの子、何したの?そういえば、泣いて帰ってきたことあったわね。」と、わずかに知っている事情から類推し、当事者でもないのに勝手に想像を膨らませながら、「やだやだ、お隣さん何があったっていうのよ!」と核心のところは何も知らない。もう、そんな気分。
うすく笑いながら、「こわ、こわ、こわ」と心の中でつぶやいた。
書いてる意味が分からない?
いいんだよ、映画自体がそうなんだから。小鳥の暗示は、むしろ親切なくらいだ。
ルイおまえよぉ。。。
ドランは大好きなのでこれからも次回作が楽しみですが、今回は分からなかった。ルイを通して自分を顧みるような感覚で観ていたので、兄貴に対してよりルイに対してイライラしてました。「おまえは何も分かってねーな!おまえが相手を受け入れることも相手に与えることもしてなけりゃ、相手もお前を受け入れられないし与えられないんだよ!」と始終思っていました。最後もルイが何も言わないから、むしろ兄貴はルイを救おうとしたんじゃないかとさえ思います。妹との会話で「もう終わりだ」と言ったり、最後の涙があったり、そういうところからは兄貴分かってんじゃないのかな?とさえ思いますが、考えすぎなのかな。
それでも始終不器用さ全開で雰囲気自体にイライラしてたので、おもしろかったとか良かったとかいう感想は持てませんでした。なので星3つ。でも皆さん書かれてるように、余韻や観終わってからの膨らみ方は自分でもこっから楽しみです。イライラはしたんですが、そのぎこちなさ不器用さはこの映画が表現しているものの一つだと思うので、それによってイライラさせられたなら作品として質が高いということなんだと思います。マイマザーを観た時から思ってるんですが、ドランは登場人物の屈折した気持ちや消化出来ていない気持ちをそのまま出してきますよね。そうやって生のままぶつけてくれるところ、そしてそれがアバンギャルドなやったもん勝ち的手法ではなく作品としてまとめてくれるところが好きです。この作品はストーリーがこれなので、それを小綺麗でつまらないものにせずに出すとこうなのかな、と思いました。
初めて観たドラン作品がこれやったら絶対イヤになりますよね笑。自分がそうやったのもあるけど、ロランスから入ってみてはどうですか?
観た直後はポカーンやったけど
1日置いてゆっくり考えてたら、なんとなくわかってきた。
家族って近すぎたら傷付けるし遠すぎたら気まずいし、でも近いとそれだけ思いやり合えるし遠いとそれだけ自分ひとりで気楽やし、距離感が難しい。思い知らされる映画。
ルイの 結局告げない って決断の理由は、傷つけまいという思いやりなのか?でも有名人なら家族は記事か何かで死んだ後に知ることになると思うねんけど…
最後の小鳥の死、鳩時計(実家)から飛び出して好きなように足掻いてみたけど結局死ぬ自分を皮肉ってるのかな…
そして、それぞれの出番は短いけどさすがの演技力を披露する豪華俳優たち。確かにあの短い上映時間内で全て表現するには、あれぐらいの面子でないと役不足やわ。
特にヴァンサンカッセルがあんなに演技できるとは。空気を乱す嫌なやつやなあと思ってたら、最後わめきながら泣きながら感情が爆発するシーン、観てるこっちまで泣きたくなった。
あとレアセドゥーの愛らしさ。精一杯受け入れようとするけどヴァンサンカッセルに邪魔されて怒るのがもう、愛らしい。
ギャスパーウリエルの役は無口な分難しかったやろうな…と思う。ただ彼が何故家を出たのかわかる気がする。
思い出したらもっぺん観たくなってきた〜
マイアヒが頭から離れません。
余白のない映像と物語。
余白のない映像と物語。12年ぶりに実家へ帰宅した青年は、ある事実を家族に告げようと思っている。しかし、実際に顔を合わせた家族のやり切れないほどに不器用なやりとりが、この映画で描かれている。ほとんどのシーンが役者のアップで撮られており、物語もほぼセリフで構築された作品。余白のない画面作りと、同じように余白のない物語は、シチュエーションを限定した舞台的な作風だと好意的に解釈することに限界を覚えるほどに閉塞的で、個人的にはやや苦痛に感じられてしまった。その家族が住む家が、例えばどんな家具を配置して、どんな思い出の品を飾り、どんなカーペットを敷き、どんな靴を履き、どうやって生活しているか、などということも、人物を知るうえでまた物語を語る上で重要な要素だとは思うのだけれど、いっそそれらをすべて排除したような演出スタイルを撮ったのは、おそらくはドランの強い意志や意図があってのことだったとしても、私は好みではなかった。物語にも、あえて説明しない部分はあれども、セリフの応酬にも余白の部分がなく、とても窮屈で仕方がなかった。
セリフの多くは主人公のルイ以外の人間が発するように出来ている。ルイは自分のことを話しに来たはずなのに、いつも相手の話を聞く側に回る。「あぁきっと12年前も、こうして相手の言うことを聞くことしかできずに、家を飛び出したのだろうなぁ」と思うような、そんな時間が流れていく。家族だからと言って、分かり合えることばかりではないし、言葉を尽くして尚一層分かり合えなくなってしまうということはあるわけで、そういったもどかしさや、やりきれなさを感じるという意味では、確かに良かったし、そういう意味で内容やテーマが悪いとはまったく思わないのだけれど、ただあまりにも閉塞的な演出と、あまりにも喧々としたセリフの応酬は、聊か疲れを起こさせるものだった(まぁ、それこそがルイがずっと感じていた「疲れ」であり、それを追体験するという意味合いはあるにせよ)。
辛うじて、少しオドオドしたようなマリオン・コティヤールの存在に救いを感じながら、見終わって深い深いため息が出るような作品だった。
室内で繰り広げられる地獄と現実
劇中に流れる音楽の歌詞が字幕で表示される。
この映画が音楽を重視しているのが分かる。
グザヴィエ・ドランの世界観の溢れる映画。
特に大量のハガキをめくるスピードだけ上げているところ。
ゾクゾクした。
そして音楽の使い方と映像美がとにかく印象的。
3つのシーンで音楽メインのシーン有り。
全てを見せず、カーテンの隙間から、ドアの隙間から奥を見せる様がとても美しい。
こんな狭い世界(ほぼ家の室内)で約100分。圧巻です。
最後、時間となり鳥が室内に入り暴れて倒れるまでの1分ちょい?は、
正に主人公ルイそのもの。
80分程地獄を見せられて、ラスト呆気ない演出(鳥)がまたお見事。
正直に言うと、よくわからない
公式サイトや映画.comのストーリー紹介を読むと、───「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ───と書かれてあるので、知らされた家族の愁嘆場があるんだろうなとなんとなく予測しながら観ていたが、そんな場面はついぞ出てこなかった。
観終った感想は、よくわからないというのが正直なところだ。この監督は何のためにこの映画を作ったのか、理解しづらい。ひとつの映画を作るのは大変なエネルギーを要するから、それなりの動機があるのは間違いないが、この映画の監督は、テーマを絞るでもなく、誰に焦点を当てるでもなく、ただ家族それぞれの思惑と感情を、表情と会話、それに音楽で淡々と表現しようとする。わかりやすい映画に慣れてしまった観客は戸惑うばかりだ。
母親は、どうやら理想の家族像みたいなものがあって、美化された思い出とともに、今回の息子の帰郷を楽しく思い出深いものにしたいと思っているようだ。
兄は、人の会話には茶々を入れるくせに、少しでも自分のことに踏みこんで来られると、怒りの感情を爆発させて、あることないこと怒鳴り散らす。何を言っても同じ反応をするので、この男とコミュニケーションをとるのは至難の業であることがわかる。
妹は、自分が好きで、他人の気持ちはお構いなし。タトゥーを入れているのはこの女性が自分を飾り、実物以上に見せたい性格であることを表現しているのかもしれない。
兄嫁はおとなしく、自己主張よりも家族の和を望んでいる女性だが、夫が孤立するのを悲しんでいる。その割に、皆と同じように夫とはまともなコミュニケーションがとれていないようだ。
そして主人公だ。ゲイの住む地区から引っ越したようだが、若い頃は故郷にホモ相手がいたらしきシーンがある。その相手が死んだと聞かされて、庭に立ち尽して泣く。主人公が感情を見せるのは唯一、そのシーンだけだ。
結局、家族の会話は少しも噛みあわず、主人公も言いたいことを伝えられないまま、物語は終了する。家を出て行く前のシーンでは、時間を象徴する鳩時計から鳥が飛び出し、壁にぶつかって死ぬが、これを何かの比喩と考えるべきなのかは微妙なところだ。
時間については、兄嫁が主人公に「いつ?」と聞くシーンがある。フランス語は得意ではないが、多分「Combien temps?」と言っているように聞こえた。「temps」は時間だ。兄嫁が訊きたかったのはデザートを食べにいつ下に降りてくるかということだが、主人公は「いつ?」に反応する。自分はいつ死ぬのか?
観念論的に言えば、世界は認識している者の認識によって存在していることになる。世界の終わりとは認識の消滅に等しい。自分が死ねば、世界が終わるのだ。
この映画の世界の終わり(fin du monde)とは、そういう観念論的な考え方なんだろうなとは思う。哲学と世俗の架け橋を映画のシーンにしようとすると、どうしても噛み合わない会話になるのは避けられない。しかしそこまで考えても、やはりよくわからない映画だった。
フランス社会の奥深さへの敬意
フランス語が全く分からないので、字幕では伝わらないニュアンスがかなりあったのだろうと思います。特に会話の応酬の場面では、日本語字幕では伝えるのが難しい語感もあったはずです。漫才や落語に文法的に正しい外国語字幕を付けても伝えきれないものがあるように。
それでも凄かった。家族だろうが、学校だろうが、職場だろうが、絶望的に分かり合えない、絶対この人と二人きりになりたくない人っていますが(自分がそう思われることもあると思います)、これほど真正面から、救いようのない状況を描いた作品を初めて見ました。
過去の確執の原因や知らなかった事実が判明し、最後は理解し合えて和解に至るみたいな話はよくありますが、そもそも原因となる誤解や事件が有ろうが無かろうが、この人とは絶対ムリ、という人間関係がそのまま描かれている映画を見た記憶がありません。
シャルリー・エブド以来頻発するテロや難民問題、イギリスのEU離脱(ギリシャや南欧だってまだまだ安心できない)、極右政党の台頭等々、メチャクチャ大変な時でもなお、このような家族や人間の本質に迫る作品を、本気で作れるフランス社会の懐の深さを感じました。レア・セドゥ、カッセルの極限の苛立たしい演技だけでも見応えあります。
マリオン・コティヤール‥‥昨日マリアンヌを観たばかりですが、やはり只者ではないですね。微妙な立ち位置の義姉をほどほどの存在感に抑えながらも、鑑賞後の残像度は一番でした。
想像を膨らませ答えを出す、観客側が
間違っていなければ「トム・アット・ザ・ファーム」と本作「たかが世界の終わり」には原作があって映画の内容は二つともセリフでの説明が無く観客側が考え導き出すと言うか不親切に進む共通点がある。
主人公ルイは何故に家を飛び出し長い間、音信不通でいたのか?
家族に対してどんな気持ちでいるのか?
結局は何も言わないで終わる感情の意味は?
妹シュザンヌの幼き頃を知らずにシュザンヌも兄をよく知らない。
長男アントワーヌの感情剥き出しの態度はどうしてなんだろう。
終始、意味深な表情のカトリーヌの想いは?
母親の息子を愛する気持ちも案外アッサリしている。
「わたしはロランス」に「Mommy/マミー」の音楽と映像に特徴のあった演出は今回は控え目に家族の会話に表情や態度を焦点にカサヴェテス映画の雰囲気も!?
グザヴィエらしくオープニングの曲と中盤のマイアヒにエンディングの曲は上がる。
ルイの頬にある傷跡もある回想シーンに活かされているしアントワーヌの拳の傷も彼の性格と意味合いが。
母とは仲良しと語るシュザンヌの映像はずぶ濡れの中での口論が映し出される。
観ている側、それぞれが考えて想像し感じなければならない一つのオチや答えがある訳では無い映画。
原作の世界観を見事に描写した手腕に唸る
各俳優が繰り出す心情表現の演技が非常に細かく、映像班の作り出した世界観はぞっとするほど美しい。また、俳優が喜怒哀楽を表現した際にタイミングよく差し込まれる楽曲にも痺れました。
原作はジャンリュックラガルスの戯曲「まさに世界の終わり」で、日頃から戯曲に慣れ親しんでいる人でなければ展開を読みづらい感がある。そのため、興味がある方は映画を観た上で原作に触れるのが望ましい。ただ、普段から読み物や映画ドラマを鑑賞し、読解力のある方なら苦なくストーリーを追えるかと思う。
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