愚行録 : インタビュー
人間は「儚い生き物」 妻夫木聡があぶり出す人間の愚かさ
心優しい青年から悲しみを抱えた同性愛者、猟奇殺人鬼まで、どんな役も“ハマリ役”にしてしまう俳優・妻夫木聡が、映画「愚行録」で“役”を観客の創造性に委ねる決断をした。役が持つ感情をあえて抑えることで、観客に思いを込めさせる絶妙な存在感を放つ。役者として新たな領域に踏み込んだ妻夫木が、他者を語り、自らの愚かさを露呈していく人々の真の姿を浮き彫りにする。(取材・文/編集部、写真/江藤海彦)
映画は、貫井徳郎氏の直木賞候補小説を映画化したミステリー。雑誌記者・田中武志(妻夫木)は、エリートサラリーマンと美しい妻、かわいいひとり娘という“理想の家族” を襲った一家惨殺事件を追う。すると、夫婦の思いがけない実像と事件の真相が明らかになっていく。その一方で田中は、シングルマザーの妹・光子(満島ひかり)が育児放棄の疑いで逮捕されたことに頭を悩ませていた。
原作ではインタビュアーである田中にセリフはなく、読者はインタビュイーの雰囲気や会話の仕方で、田中という人物を想像することになる。妻夫木は「最近は、追い込まれて、役に近づいて、自分が役のなかで生きるということばかりを考えていた」というが、田中という人物を演じるにあたっては「具体的に考えることは止めた」という。
「読んでいる人のなかに、うっすらと田中の感じが勝手に作り上げられているんですよね。それが小説の面白いところ。違う人たちの造形をやっているのに、こっちも考える視点がある。それが人間の創造性の面白いところ。小説と同じような視点で僕を見てもらえたら嬉しいなと思ったんです。だからはっきり(キャラクターを)提示しないほうがいいんだろうなと。印象が残りすぎても残らなすぎてもよくない、微妙な立ち位置でした」
そんな田中が持つ唯一の明確なアイデンティティは、“記者”という職業。妻夫木はそこに目を付け、新聞社の事件記者を実際に取材することでリアリティを追求した。劇中で田中は、話す相手によって声や表情のトーンを微妙に変え、話を引き出していく。
「根本的に記者ってどういう風に捉えて物事を考えているのかなということにすごく興味がありました。どういうモチベーションで取材に挑むのか。(記者に話を聞かれて)ノリノリで話したい人もいれば、警戒する人もいるし、相手によって自分が合わせていくというのが勉強になりました。記者のあり方についていろいろ考えていましたね」
妹を演じた満島とは、映画「悪人」(2010)、「スマグラー おまえの未来を運べ」(11)、ドラマ「若者たち2014」などで共演し、信頼関係を築き上げてきた旧知の仲。今回では、強い絆で結ばれている複雑な兄妹関係を演じたが、「打ち合わせはまったくなかった」と振り返る。田中兄妹の言葉が必要ないほどの強固なつながりが、妻夫木と満島との間にも存在している。
「話さないことが良いことにつながるという匂いがあったから、現場でもそんなに話していないんです。(今作では)お互いを分かっているなかで発するひと言ひと言がすごく重要だったりする。距離がすごく近いんだけれど遠いみたいな」
メガホンをとったのは、今作が長編デビューとなる石川慶監督。ポーランド国立映画大学で演出を学んだのち、短編映画で国内外の映画祭などで実績を積み上げてきた実力派だ。そんな石川監督に妻夫木は、「石川さんの名前を聞いて『愚行録』という企画書をもらった時点で、面白そうだなと思って直ぐやりたいって言っちゃったんです」と全幅の信頼を寄せる。
撮影現場の雰囲気を聞くと「数学の授業をやってる感じですかね!」と笑顔を見せ、石川監督の手腕を絶賛する。「すごく頭の良い方なので、ひとつひとつのシーンの重要性だとか、人の話し方や話す言葉、仕草とかちょっとのことでニュアンスがすごく変わることを十分に理解されている。向井(康介)さんの脚本がよかったのもあるんですけれど、入念に話しながら積み上げていったという感じがあります」
登場人物が発する些細なひと言、無意識に見える振る舞いすべてに明確な意味と答えがある。細部まで計算し尽くされた演出に応えた日々を振り返り、「本当に気が抜けなかった。1日撮影が終わって、しっかり疲れて帰っていた印象です」と率直な感想を述べる。その瞳に宿っているのは達成感だ。
「みんなで考えて作るということが久しぶりだったんですよね。たぶん(『マイ・バック・ページ』でタッグを組んだ)山下(敦弘)監督以来だったのかな」と述壊。「すごく面白かったし、出来上がりを見て、やっぱりこの人天才だなと思うくらい、編集も素晴らしい。隙がないんです。無駄がないというか。でも良い意味の隙はちゃんと作ってくれるから、見てる人が油断するんですよ。ああいうことをちゃんとやれる監督は、なかなかいないと思います」
読者の想像でしかなかった田中が具現化していくことによって、映画オリジナルのシーンが生まれることは必然だが、石川監督はそれを冒頭に持ってくるという勝負に出た。田中がバスで老女に席を譲るという何気ない場面だが、今作の深意を悟らせるような演出に、一気に胸を掴まれる。ともすれば原作ファンから批判を受けそうなものだが、妻夫木が「かなり挑戦的」「掴みはオッケー、みたいな感じがありました」と熱っぽく語るのも頷ける、印象的なシーンに仕上がった。
「あざとく見えちゃったら、いきなりこの映画がストップしちゃうんですよね。カメラワークとかすべてを含めて、このシーンの意味をちゃんと分かり合いながらやっている感じが、映画的というよりも舞台的。スタッフも監督も役者もみんなで話し合いながらひとつのものを作り上げていく、舞台的な構築の仕方が新鮮だったんです。ちゃんとあそこ(冒頭)でエンジンをかけられた感じになりました」
人間のあらゆる愚行が収められている今作で、最大の“罪”を問われるのであれば、間違いなく殺人だが、最大の“愚行”を問われれば、即答できなくなってしまう。観客にそう思わせる巧妙な見せ方について、妻夫木と石川監督は初めから同じ意見を持っていた。
「人間が、『1番それは愚行でしょ』と思うことを、1番あっさりと描く。例えば人を殺す場面があったとして、意外と見ている人は、『え! 殺しちゃったの!?』と思うよりも、『ああ……殺しちゃったか』という風に見る人の方が多い気がするんです。そう思わせるまでの積み重ねがすごく重要だった。いろんな愚行を見せているなかで、殺人が1番の愚行ではないというところにまで行き着いている。勝手にルールができているじゃないですか、人間界のなかで。そういう人間の本質的な考え方を揺さぶるんです」
観客に人間の弱さ、非情さ、身勝手さ、狡猾さを突きつけ、自身の生き方に疑問すら抱かせる。そのリアルすぎる虚構の世界に身を任せた妻夫木が、最後につぶやいた。
「人間の見方が変わってくるかも知れないですよね。知らない間に人って人を傷つけている。そういう愚かさは直せない。儚い生き物ですよね。人間って」