映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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肌に合わなかった
【”ディスコミュニケーションから、届けコミュニケーションへ・・。”聾唖者への悪戯により疎外された少年の聾唖者への理解の過程を切ない描写を含めて描いた作品。作中の斬新な心理描写が素晴しき作品。】
ー 今作を鑑賞したのは、2018年頃であったかと思う。
作品が発信するメッセージ”友達って何だ”が強く心に響いた。
その後、京都アニメーションを襲った忌まわしき出来事に呆然とし、京都に行った際には自分なりに出来る事をした事を思い出す・・。ー
◆感想
ー 多くの方がレビューを挙げられているので、久方振りに鑑賞した感想のみをシンプルに記す。ー
・主人公の石田が、小学生時代に、引っ越して来た聴覚障碍者の西宮に対する悪戯。だが、彼のみがやっている訳ではないのに、いつの間にか、彼が一人で責任を負う姿。
だが、彼はその罪を一人被る。
ー これは、今でも年代を問わず行われている事ではないか・・。だが、石田は西宮を苛めているようであるが、彼女を大切に思っているシーンが随所で描かれている。濡れたノート・・。-
・中学時代の石田は暗黒の生活を送る。一人も友達が居ない日々の生活・・。
西宮を苛めた故の自身の境遇を甘受する姿は、初見時にはやや苛立ったモノである。
苛めに加担していた生徒達の言い逃れする姿。
ー これは、現代でもあるのではないか・・。-
■この作品の価値を高めているのは、石田とディスコミュニケーション状態にある生徒たちの顔に”×”が付いている描写であろう。
そんな中、ナガツカが彼の友となり、”×”が消え去る描写。
そして、高校に進学した石田の境遇は余り変わらないが、徐々に”×”の数が少なくなっていく。
石田は、自らが過去に犯した(と言っても、小学生である。)過ちを悔い、西宮とコミュニケーションを取るために手話を密やかに学ぶ姿。
彼が、人としてキチンとした人物になっている事が、容易に伺える。
・高校になって、久しぶりに出会った石田と西宮。彼らはぎこちないながらも再び関係性を築いていく。だが、自分の存在が石田を傷つけていると勘違いした西宮の哀しき行動。
ー 美しい花火大会を、石田と一緒に観た西宮は”自分の想いが聾唖者故、伝わらなかった事で・・。
”好きと月・・。”
命を断とうと思ったのであろう。
だが、それをいち早く察した石田の身を呈して、西宮を助けようとした崇高な姿。ー
・そして、学校に復帰した石田の学友たちの顔から、”×”が次々に落ちて行くシーンは、可なり沁みる。
<初見時に、”こんなにすごいアニメーション映画を作る集団って、どんな人たちなんだ!”と思い、その後「リズと青い鳥」「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」を見て、その感を強くした。
哀しすぎる出来事の後、京都に行った際に陰ながらお参りをした。
だが、この素晴らしき映画製作会社は、亡き人たちの想いを込めて、素晴らしき映画を届けてくれる筈、と信じている遅れてきた京都アニメーションの作品に魅了された男の一人ごとである。>
人が人である限り、健常者、障がい者問わず他者を理解するのは難しい
オープニングがとてもカッコよく
一気に引き込まれました
そして
エンディングのaikoさんの歌まで
あっという間に時間が過ぎました
本作品
西宮さん以外の健常者がたくさん出てきますが
皆それぞれが衝突し合います
健常者同士でもコミュニケーションが難しいのに
ましてや障がい者となると
接し方が難しいのは必然…
実生活でも
障がい者だから優しくしてあげるべきなのか
障がい者だけど健常者と同等に接してあげるべきなのか
考えさせられる場面たくさんあります
やはり
その人の障がいの有無は関係なく
人が人である限り個性は十人十色であり
その人に合わせた対応の仕方が求められるのではないか…
この映画はその感覚を見事に映画化してくれてる作品と感じました
心を抉る。とにかく「生々しい」
公開からしばらく、強烈に賛否両論があったと記憶しています。
特に「(いじめ)加害者を美化してる」といったマイナス批評が多く目に付きましたが、トラウマを喚起されてしまった当事者でないならば、表層的でもったいない見方だと思います。
物語の軸は、完全に硝子と将也の関係性に置かれています。
一見主題にも思える「いじめ問題」や「聴覚障害」は全く主題ではなく、大きめの舞台装置に過ぎません。
この作品が描く主題は、「人間の不完全さ」「コミュニケーションの難しさ」だと思います。
登場人物が全て見事に欠点を晒していて、通常のドラマ作品には必要ないまでに「脚色され尽くした生々しさ」があります。
虚勢から手痛い失敗をする繊細な小心者。
真っ直ぐ過ぎる故、不器用に周囲を傷つける者。
強烈な自己愛と、自覚すらない歪んだ邪悪。
未熟で無責任な教職者…
遠慮なく言ってしまえば、「○○性人格障害」のテンプレートのような登場人物の群像劇に仕上がっている。
そういった不快感が漂う世界観と相関関係の中で、硝子と将也の関係性が絶妙に付いては離れてはで転がる。
不完全な人たちの不完全なコミュニケーションは少しずつ噛み合い、最後には小さな希望を感じさせながら、深い余韻が残る。
「重苦しい恋愛映画」のようでもあって、やはりそうではない。
「こんな関係もある」という、そんな一例を描いた作品だと思います。
心理をゲームや記号などの独特の映像で表現したり、硝子視点での聾唖者の音のこもる表現など、京都アニメーションが放つ圧倒的なクオリティも最大のポイントです。
最高のアニメーション映画
非常に静かな映画
心の声が聞こえる
×点さん、ごめんなさい
「しょうこ」と打つと一発で変換できないので「ガラス」と打ちながら、硝子の心の奥底を感じ取ろうと努力してみました。だけど、やっぱり将也の心の方が痛いほど伝わってくる。高3で心を解き放ったのは本当に良かった。
いじめっ子が逆に孤立していじめられる側になるのはよくあること。周囲の子どもたちだって、良くないことだとわかりながらも同調してしまう社会の構図。子どもは大人の鏡とはよく言ったもので、成長する彼らの変化が面白いほどに胸に突き刺さってくる作品でした。
誰が悪い、誰が嫌い・・・そんな気持ちを払拭させてくれる高校時代。闇を抱えて一人悩むよりも人と話し合ったほうがいいに決まってる。素直にならなければ老人になるまでずっとしこりとなって残るはずだ。ろうあ者を中心に添えた設定も、心がうまく伝えられないもどかしさをも端的に表すことのモチーフだろう。
自分の気持ちが伝わった瞬間。至高の喜び。“ともだち”になったと思えるときなど、幼き頃を思い出しても世界が変わったひとときだった気がします。というか、この映画がそうだったんだよと教えてくれたのかもしれません。
登場人物のそれぞれの性格が見事に描かれ、嫌な奴だと思っていても次第に優しさがにじみ出てくるストーリー。みんな人付き合いが苦手なんだよ!声が届いた瞬間は絶妙だったし、心が伝わったことに涙した。あぁ、高校時代に戻りたい・・・
人と・自分と向き合うという事
原作未読です。中高生向けのアニメかと思って軽い気持ちで観ていたのですが、泣けました。こんなに感動するとは思っていませんでした。
人の心ってこんなにも柔らかくて繊細で、危うくて残酷でもあるのだなと改めて思いました。
小学生の硝子が将也に馬乗りになって掴みかかり喚く場面が印象的でした。何をされても静かに笑ったり、自分は悪くないのにごめんねと謝るばかりだった硝子が、ある意味初めて自分の感情を人にぶつけた瞬間だと思いました。
将也に酷い事をされても‘友達だよ’と伝えていたのは硝子が将也の中にある優しさを感じ取っていたからだと思います。だから周囲から孤立し、いじめられても何もしないでいる将也を見ているのが辛かったし悔しかったし、自分の姿と重なるようでもあり、腹が立ったのかなと思いました。
‘周りの人を不幸にしている’、‘自分が嫌い’。命まで絶とうとした硝子の気持ちを簡単にわかるとは言えませんが、重みは伝わってきます。硝子の心はまだ癒えていませんが、将也と共にこれから時間をかけてゆっくりと前に進んでいくのだと思います。
ラスト、文化祭で将也が大粒の涙を流す場面も感動しました。
やんちゃ坊主だった将也が、一瞬で周囲から孤立するあの感じ、怖かったです。子供だからすぐに仲直りするという事も無く、それはその後の中学高校生活でもずっと続きます。
‘自分への罰なのだ’と将也はそれを受け入れますが、周囲の目に常に怯えています。
心を閉ざす事でしか自分も守れなくなった将也。それは辛すぎます。命を絶とうとする前に硝子に会いに行きますが、彼女との再会がきっかけで、彼の心の中で何かが動き始めます。自ら人と関わり、少しずつ向き合えるようになっていきます。でも、上手くいかなくなるとまたすぐに心を閉ざします。まだ完全には心を開けていない将也ですが、ベランダから落ちていく硝子の手を掴んだ時、彼は自分が今まで心を閉ざす事で色々な事から逃げていた事に気付きました。
文化祭の人混みの中で涙を流す将也。自分の殻から完全に外に出て一歩を踏み出した瞬間の喜び・不安・勇気、、、色々な感情が伝わってきて感動しました。
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