映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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鑑賞時間を感じさせない深~い映画
今から数十年前ですが、小学校6年の時代に、一般のクラスを体験させたいとの親御さんの願いで担任先生が受け入れ、わがクラスに1ケ月だったかな?来た聴覚障害の娘さんがいました。軽い陰口をすることはあっても、映画のようなイジメもなく、仲良くしていたように記憶していますが、そのことを思い出しました。さて、映画は3度〇マ〇ンプ〇イムで鑑賞、見ていて理不尽な扱いにつらい場面がいくつかあったけど、最後に各キャラクターともども救いがあり、見て良かった鑑賞時間を感じさせない深~い内容の映画でした。感動!
聴覚障害を扱った名作では「名もなく貧しく美しく」という古い映画がありましたが、こちらはアニメながら、それを超える名作だと思います。
私は私が嫌いです
『ショーシャンクの空に』を星4とし評価しています。
ストーリー ★★
演出 ★★★
映像 ★★★★★
音楽 ★★
総合 ★3.5
漫画既読。
8巻の漫画を1本の映画にまとめようと思うとある程度のシーンを省略するのは致し方ない。
しかし映画製作編がないことでしょーやと竹内先生との関係や佐原さんと植野さんの関係が深掘りされなかったのは残念であった。
更に真柴くんの印象も薄く映画しか見ていない人からすれば「あいつは必要なのか」と思われても仕方ない。
映像はさすが京アニと言ったところで教室の質感などは大変クオリティが高いと感じた。
映画で物足りなかった人には漫画をおすすめする。ただ序盤のイジメのシーンが1.2割り増し位で胸糞なので注意すること
期待の京アニ映画だったが、好みからは外れ、自分には不思議な物語展開
山田尚子監督による2016年製作(129分/G)日本映画。配給:松竹、劇場公開日:2016年9月17日。
面白くて全部を見てしまったテレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の京都アニメーションの有名作品ということで、大きな期待を持って視聴。聴覚障害を題材として丁寧に作られた映画には思えたが、あまり自分の好みのものでは無かった。
小学校時のいじめっ子がいじめれっ子になってしまうという展開は、身近に実例も覚えており、悪く無いアイデアとは思った。しかし自分は、因果応報と思ってしまい主人公石田将也(声は松岡茉優→入野自由)に共感することはできなかった。まあ主人公のデザインが、好みから大きく外れていたこともあるかもしれない。何より、過去いじめられてた主人公を異性として好きになってしまうというストーリー展開に、説得力を感じなかった。何時から何故なのか、明示する様なエピソードが欲しかったとも。
聴覚障害というハンディの存在には同情でき、可愛いいとも思えたが、ヒロイン西宮硝子(声早見沙織)の謝ってばかりの性格設定も好みでは無かった。周りの女子のイライラに、すっかり共感を覚えてしまった。
一方、障害者のお姉ちゃんを守ろうと健気に男の子の様に振る舞うヒロインの妹、西宮結弦(声悠木碧)のキャラクター設定には好感を覚えた。主人公と家族の様な関係性を構築していく展開も、ナカナカに良かった。主人公の中学での唯一の友人永束友宏(声小野賢章)には、どこまでもいい奴すぎて、違和感とつまらなさを覚えてしまった。どこかで激しく争う様なとこが欲しかった。
結局主人公は何故硝子をいじめていたのか?好きで関心が欲しくてとも思えなく、その過去のことに直接的に向き合っていない様にも思えなかった。それなのにハッピーエンドで終わってしまい、障害者へのいじめを扱った映画として、本当にそれで良いのか?と思ってしまった。
監督山田尚子、原作大今良時、脚本吉田玲子、製作八田英明、吉村隆 、沖中進 、加藤雅己 、高橋敏弘 、吉羽治、企画八田陽子、古川陽子 、西出将之、 中嶋嘉美、 黒田康太、 松下卓也、プロデューサー大橋永晴 、中村伸一、 植月幹夫 、飯塚寿雄、 立石謙介、アシスタントプロデューサー瀬波里梨、鎗水善史、長谷川百合、 高橋祥 、奥長祥正、 伊藤洋平、キャラクターデザイン西屋太志、総作画監督西屋太志、絵コンテ山田尚子、 三好一郎 、山村卓也、演出小川太一、 河浪栄作 、山村卓也、 北之原孝將 、石立太一、設定秋竹斉一、作画監督
門脇未来 、丸木宣明 、明見裕子 、植野千世子 、角田有希 、岡村公平 、池田和美 、西屋太志、原画チーフ北之原孝將 、石立太一 、佐藤達也、色彩設計石田奈央美、色指定石田奈央美 、宮田佳奈、特殊効果、三浦理奈、美術監督篠原睦雄、3D美術鵜ノ口穣二、撮影監督高尾一也、3D監督冨板紀宏、音響監督鶴岡陽太、録音名倉靖、音響効果倉橋裕宗、音楽プロデューサー中村伸一、音楽牛尾憲輔、主題歌aiko、編集重村健吾、アニメーション制作京都アニメーション、制作協力アニメーションDo。
声優
石田将也入野自由、西宮硝子早見沙織、西宮結弦悠木碧、永束友宏小野賢章、植野直花金子有希、佐原みよこ石川由依、川井みき潘めぐみ、真柴智豊永利行、石田将也(小学生)松岡茉優、島田一旗(小学生)小島幸子、広瀬啓祐(小学生)武田華、竹内先生小松史法、西宮いと谷育子、マリア鎌田英怜奈、将也の姉濱口綾乃、ペドロ綿貫竜之介、島田一旗西谷亮、
広瀬啓祐増元拓也、石田美也子ゆきのさつき、西宮八重子平松晶子。
ひどいことばかり言って…
Netflixで2回目鑑賞
いじめの問題から、聾の少女に対する差別。
劇場で観た時は手話に興味なかったけど
手話講習会終了した後の鑑賞はまた違う。ウジウジとするシーンはイライラしたが、なかなかすんなりは、いかないやろな。京都アニメーションなんだね。
オタクぽい映像は少し恥ずかしい。
2度目となるとまた違う。
目と耳が聞こえていても聴いていない、見ていないのが全て。ラストは、皆んなのバッテンが外れて良かったな。
分かりあうことを諦めない
序盤は学生生活特有の息苦しさが臨場感ありすぎて、胸が痛すぎる!
私も小学校にはあまりいい思い出はないので、本当に嫌な気分になりました。
昨日まで仲良くしてた人たちが急に手のひらを返す。
いつも地雷の上を歩いているような感覚。
そんなイメージが小学校生活にはあります。
まだ子どもだから、嫌なもの、未知なものにストレートで純粋な反応をしめす。
だからこその残酷。
主人公の石田くん。序盤でやったことは酷いけど、彼だけが悪いのではない。
一番酷いのは担任の先生に見えた。
あいつマジ最悪。
出てくる子どもたちはみんな、お互いに分かりあうことを諦めなかった。だからこそのあの結末なのだと思う。
どんな時も、分かりあう努力をしたなら、苦手な人も受け入れられるようになるのだろうか。
この作品は、大丈夫。どんな人とも諦めなければ分かり合えるし、受け入れられるよ。
と教えてくれている気がした。
あとね、永束くん。
彼がこの作品のヒーローです。
間違いない。
石田君は『チュキ』の意味が理解できなかった。更なる石田君の成長を望む
『偽善者なの?』そもそも、贖罪は安易に罪滅ぼし出来るものではない
このク●ガキのやっている事はもはや犯罪。
一番悪いのは先生。
また、
こう言ったストーリーを作っていながら『真白の恋』の様な話がある。
『かわいそう。切ない。』と思われるのも差別だと僕は感じる。
差別を駆逐するには、障害を持った者が障害を感じない世界が訪れない限り、残念ながら差別は淘汰されないと僕は想う。また、
この石田も差別される側であると理解すべきだ。
しかし、
『ろうあ』の人達が『普通に』健常者といっしょに教育を受けられる環境は、現在は整っているのだろうか?
このアニメは二回目の鑑賞。
追記
友達の絆が回復したからと言って、差別は淘汰するわけではない。色々な性格の友達をデフォルメ的に物語に登場させて描いていると思う。そして、現在一番多いタイプは石田くんなんだろうなと思った。しかし、残念ながら、石田くんはまだ西宮さんの気持ちを理解する迄には至っていない。あり得ない石田くんの取った行動ではあるが、それでも、西宮さんの気持ちを完全に理解していない。その点が歯がゆい。
でも、僕はろうあ者ではない。だから、このアニメを評価出来ない。
余り背伸びすることはないと思う。せめて、植野さん見たいな人とウマシカな先生が駆逐されるべきなのだろう。
それはともかく、セーラー服ってやめるべきだね。女性がスカートを履くって誰が決めたのだろう。そこからこの社会は『普通じゃない』
まあいい話
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小学生の時に耳の聞こえないショウコが転校して来た。
しかし主人公とその女友達から虐められることになりまた転校。
主人公も女友達もその件でモメて友人との仲に亀裂が入った。
因果応報というか主人公は中学で虐めにあい、高校でも孤立。
自殺しようと思い、その前に心残りであったショウコを訪ねる。
それをきっかけに、上記のメンバー達に改めて交流が生まれる。
孤立する中で学校に友人が2人出来て、彼らも含めて交流する。
しかし主人公の女友達はショウコのことを今もどこか嫌ってた。
ショウコのせいでみんなが築いてきた人間関係が崩れたから。
そういうのを知ってかショウコは自殺を図り、主人公が助ける。
身代わりとなった形で主人公は意識不明となる。
ある夜ショウコは悪夢を見て、主人公が急に心配になり思い出の場所へ。
同じように夢を見た主人公も目を覚まし、病院を抜け出てそこへ。
こうしてお互いの大切さを知ることが出来た。
それを機に主人公らのコミュニティは復活する。
そして長年人の顔を見られなかった主人公は、それを克服する。
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劇場で見ようと思ってて見られなかった作品。
当時からものすごく高い評価だった。
ジーンと来るシーンはあったが、TVやとやっぱり感動が減ってしまうなあ。
最後の偶然2人が再会するシーンとかはやり過ぎな気もする・・・。
障碍者を扱う現実的な映画にしては、安っぽい恋愛映画チックかなと。
ジェットコースター
イジメの描写が痛々しかった。子供時代のエピソードは観ていて苦しくなる。
背景がやけに美しい。
美しい世界に生きている。
BGMがピアノで♪ポロン、ポロン。と、悲しげなメロディ。この先、とてつもない悲劇になるような予感が漂う。
主人公の父親が登場しないことが氣になった。
他の子の父親も同様。
なぜか母親は頻繁に登場。
思春期の話は家族構成が謎の作品が多い。
本作は家族ぐるみで登場するから、なおさら氣になった。
美しくて繊細で真面目で暗くて残酷な儚い世界。
癒やされるような、落ちていくような、楽しみなような、怖いような、そんな不安な氣分の状態から、ジェットコースターのように一気にゴールにたどり着いたような映画だった。
絵のクオリティが高い。
単焦点レンズで撮影したような味わい深さがある。
ジェットコースターのシーンも迫力満点だった。
ラストは色々報われて良かった。
爽やかな氣持ちで終われて満足だったが、やはり氣になるポイントがある。
引っかかるポイントは、主人公がイジメる動機。納得出来るエピソードが欲しかった。
それと、ケータイのメッセージのシーンが短いために、読みきれず一時停止した。
話がダーク過ぎて集中力が続かず、二日に分け更に細かく小分けにして視聴した。
私はつくづくピンク色の髪の女性キャラに目がない。ツンデレの植野も悪くないが西宮硝子さんを応援してた。
本作は好みの絵だった。エンドクレジットで山田尚子監督作品と知って納得した。
聞こえていても見えない世界がある。見えていても聞こえない世界がある。
人間が相手と深く知り合い仲良くする。
その関係を続けて行くには、見ないふりをしたり、
聞かないふりをしたり、
言わずに胸にしまったりして、自然と互いの距離を測っている。
それがバランスを保ち、立ち入らない部分を持つことで
仲良くを持続できる。
小学生にそんな芸当(計算や処世術)が出来るだろうか?
出来る訳がない。
石田将也(しょうや)は人一倍元気でお調子者で天真爛漫な少年だった。
人気者の将也の立場が変わったのは、
耳の聞こえない少女・西宮硝子(しようこ)が転勤してきたことに始まる。
将也には硝子が、ただただ珍しかった。
筆談する硝子も、硝子の耳に嵌めてる補聴器も、
何もかもが、もの珍しく新鮮だった。
補聴器を取り上げて窓から捨てたのはやり過ぎ!!
そこで硝子が泣き叫び騒げば良かった。
我慢したのが結果的に良くなかった。
補聴器を盗られる・・・それがどれほどの酷いことか?
誰も教えてくれない。
硝子の母親が職員室に電話してきて、先生に訴える。
その結果として、将也の母親は大金を銀行から降ろして
弁償する。
将也の虐めは、皆に知られて「いじめっ子」の烙印を押される。
ここで加害者が将也1人とは考え難いです。
囃し立てた者、止めなかった者、知らんぷりした者、
本気で抵抗しなかった硝子。
ひとりで虐めは成り立たない!!
しかし将也は結果的にたった一人で硝子イジメの責任を負います。
女子だって陰湿だった。
「あなたが来てからクラスが変わった。もとに戻して!!」とまで言われる。
言葉の暴力が酷い。
中学生になる。
将也は入学早々にA君から、「石田は小学校の時、いじめっ子だったから、
気をつけろよ!!」
名指しされて中学生活は灰色の暗闇になる。
《友達の顔にバッテン印が付いている》
このシーンは強烈だ。
友達の顔も表情も読み取れない。
知らない人ばかりの中で、ひとりぼっちの将也。
しかし将也の後悔は、手話の勉強をする・・・
そんな形でいつか硝子に謝るために意志を伝えるために手話を
勉強する。
そして高校生になった将也は硝子に会いに行くのだ。
鯉にフランスパンを千切って餌にする庭園。
少しづつ声を出して話す硝子。
次第に心の通う2人。
いつしか無くてはならないかけがえのない人になって行く。
将也にもバッテンの取れた友達が増える。
そして小学校の友達との再会。
会話→ディスカッション→話せば話すほど遠くなる。
コミュニケーションの難しさ。
耳が聞こえても聞こえなくても、人と人が分かり合える事は難しい。
話せば話すほど傷つけてしまう。
自分は加害者だとは思いもしない者。
自分を正当化して理論武装して、他を攻める論客(女に多い)
ある言い争いから喧嘩になった日。
硝子は「自分のせいで喧嘩になる。悪いのは私が存在するから」
思い詰めた硝子は、花火を途中で切り上げた留守宅で、
ベランダから飛び降りて死のうとする。
それがとんでもない結果を招く。
それにしても丁寧に丁寧に会話を重ねて思考して塗り上げた映画でした。
心を閉ざしたのは将也。
孤独だったのは将也。
不甲斐ない自分を消そうとする硝子。
思春期の青少年の心のひだを丹念に細やかに描く名作です。
制作した京都アニメーションの代表作。
世界37の言語に翻訳されて輸出や配信されています。
2019年7月。
放火による火災で社員の多くが犠牲になる事件が起こりました。
本当に痛ましいです。
でも制作を再開して次々と新しい作品が生まれています。
亡くなった人たちの仕事は受け継がれ「京都アニメーションの魂」は
私たちの中に生きていきます。
肌に合わなかった
Talkin’ ‘bout all generations. これは、新しい青春映画の形。
過去の過ちに苛まれる青年・将也と、酷いいじめを受けていた聾者の少女・硝子。5年ぶりに再会した2人の交流と救済を描いた青春アニメーション。
監督は『けいおん!』シリーズや『たまこまーけっと』シリーズの山田尚子。
小学生時代の将也を演じるのは『桐島、部活やめるってよ』『悪の教典』の松岡茉優。
原作は「週刊少年マガジン」に連載されていた同名漫画らしいのだが、これは未読。
まず一つだけ言わせてくれ!
OPにTHE WHOの「マイ・ジェネレーション」を使うのであれば、EDは「俺達はしないよ(シー・ミー・フィール・ミー)」だろぉ〜〜っ!!
"I hope I die before I get old"というフレーズがあるからマイジェネを採用したのかも知れないけど、この曲だけだと正直映画の内容とはマッチしていない。
オチに「シー・ミー・フィール・ミー」を配置すれば、クソガキ時代から孤独と贖罪の時代、そして苦難を乗り越えた末の救済までの道程をTHE WHOによって表現することが出来たのに…。
ロックンロールファンとして、そこは残念に思います🌀
エンドロールで"See me〜,Feel me〜,Touch me〜,Heal me〜♪"なんて流れたら号泣必至だったね。
と、余談(しかし一番言いたかったこと)はここまでにして。ここから本題。
鑑賞前は「高校生のキラキラ恋愛もの〜?興味ねぇ〜…。しかも障害者を売り物にした感動ポルノっぽいし。なんか絵柄もオタクっぽいし〜。興味ねぇ〜…。」なんて思っていたが、やはり先入観はよくない!
いざ鑑賞してみると、そういう映画では全くなかった。
物語の主題となるのはディスコミュニケーション。
過去の出来事により心を閉ざした青年と、発話でのやりとりをする事が出来ない聾者の少女。
これだけでも十分に物語を膨らませる事ができそうなものなのだが、本作ではここにさらにいじめの加害者/被害者という要素をも盛り込むことによって、観る者の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜる一筋縄ではいかないハードなものへと作品を昇華している。
物語は将也の主観に沿って紡がれていく。
そのため、作中で描かれる硝子の人物像は、あくまでも将也を立脚点にして作り上げられたものでしかない。
そのことで観客はついつい油断してしまい、「あぁ、硝子ちゃんって素直で健気な強い女の子なんだな😌」と思い込んでしまう。
観客に硝子を天使の様な少女だと思い込ませる。このミスリードが、中盤の展開の衝撃度を格段に高めている。
硝子の自殺未遂により、将也は自分の考えの甘さを文字通り痛感し、硝子もまた、将也を巻き込んでしまったことを契機にして、本当の意味で他人と向き合うようになる。
最後の最後、クライマックスになって初めて、人と人とが分かり合える可能性のようなものが提示されるという、ただのゲロ甘青春ラブストーリーとは明らかに一線を画す、実にウェルメイドな筋立てである。
本当にこれほどレベルの高い文学的作品が少年マガジンに載ってたの?今の少年漫画って、自分が思っている以上に進んでいるのかも。
原作の単行本は全7巻。本作はその内容を2時間強にまとめたものである。
こういう場合、物語を詰め込みすぎてごちゃごちゃした映画になってしまうか、エピソードをすっ飛ばし過ぎたせいで意味不明なストーリーの映画になってしまうか、このどちらかになりがち。
しかし、本作は長編映画用に書かれたオリジナル脚本と言われても信じてしまいそうなほどに綺麗にまとまっている。
これは、元々の原作の構成が巧みだというのもあるのだろうが、やはり脚本家・吉田玲子さんと山田尚子監督の力が確かだということなんだろう。
吉田玲子さんはアニメファンならその名を知らぬ者はいないベテラン脚本家だが、山田尚子監督と原作者・大今良時先生はいずれも1980年代生まれ。
新たなジェネレーションが確実に業界の中心に踊り出ようとしており、その溢れる若さの脈動にこちらの心まで奮い立ちそうですっ!
…いやしかし、本作の雛形になった読み切り漫画を大今良時先生が執筆したのはなんと19歳の時らしいじゃないですか。マジかよっ💦
これだけの才能を見せつけられたら、自分が同世代の漫画家志望だったら確実に筆を折ってるわね。うーん、紛れもない天才だ。
とまぁ作劇的には絶賛せざるを得ないクオリティだったんですけど、気になるところがないわけではない。
まず、全体のテンポ感が均一すぎる。硝子の自殺未遂シーンをグッと山場にするため、あえてそれまでを平坦にしたのかも知れんけど、ずっーーとリズムがおんなじ感じなので結構退屈してしまった。
橋の上での公開裁判とか、結構あっさりしていて拍子抜け。耳を塞ぎたくなるようなイヤ〜〜な見せ場を期待したのだが…。もっと人間の暗部をドロドロと描いても良かったのでは?
もう一個気になるのは、ところどころに挿入されるザ・ラブコメ漫画的なやり取り。
「スキ」と「月」を聞き間違えたりね。そんな訳あるかい。こういう難聴系すれ違いって、いかにも作り物って感じがして萎えちゃう。
思わせぶりに顔を隠し続ける将也の姉とか、あれになんの意味があんの?お姉さんの旦那さんが黒人だったことをあんなに引っ張って隠し続けた意味は?
心理描写にリアリティを追求した作品であるからこそ、こういう普通のアニメならあまり気にならないような点が無性に気になる。
あと個人的に嫌なのは昏睡状態から目覚めた将也が、管とかを取っ払ってすぐさま硝子に会いにいくとこ。こういうのはアニメにありがちなんだけどすっごく嫌い。怪我を舐めんじゃねえ!『カリオストロ』のルパンだって、ドカ食い&爆睡で怪我を治したんだぞっ!!
こういう細かいところのリアリティラインは、もっと詰めて描いてほしかったなぁ😮💨
まぁ色々書いたけど、一番気になることはやっぱり将也&硝子以外の同級生たちの描き方。
原作ではどうなのか知らないけど、この映画を観ただけだと植野とか川井はただのクズにしかみえない。特に川井!!この…クソメガネは本当にどうしようもねぇな💢
川井の横にいる真柴とかいうニヤケ面も何のためにいるのかよくわかんなかった。
元いじめっ子の島田も、あれだけの出番じゃこいつがなんなのかよくわかんない。
2時間強のランタイムでは、これだけのサブキャラたちを捌くことは不可能。原作を改変してでも、もう少し登場人物は厳選した方が良かったのではないだろうか?
永束と佐原以外の同級生がクズにしか見えないせいで、ハッピーエンド的な終わり方が全然ハッピーに見えない。少なくともあのクソメガネにはグーパンした方が良い👊💥
全て丸く収まりました、的な物語の収束には不満が残るものの、映画としての完成度はやはり高い。
本作の公開年は2016年。この年は新海誠の『君の名は。』、庵野秀明の『シン・ゴジラ』、片渕須直の『この世界の片隅に』といったアニメ(特撮)作品の傑作が公開されているが、本作はこの並びに加えてもなんら遜色のない名作だと思う。やっぱり2016年はアニメ界奇跡の一年だ!
30代前半でこれだけの作品を作り上げた山田尚子監督の才能は素晴らしい✨山田監督の今後の作品にも期待したい。
マイ・ジェネレーションと言わず、オール・ジェネレーションズに鑑賞して貰いたい、新時代の青春映画です!
【”ディスコミュニケーションから、届けコミュニケーションへ・・。”聾唖者への悪戯により疎外された少年の聾唖者への理解の過程を切ない描写を含めて描いた作品。作中の斬新な心理描写が素晴しき作品。】
ー 今作を鑑賞したのは、2018年頃であったかと思う。
作品が発信するメッセージ”友達って何だ”が強く心に響いた。
その後、京都アニメーションを襲った忌まわしき出来事に呆然とし、京都に行った際には自分なりに出来る事をした事を思い出す・・。ー
◆感想
ー 多くの方がレビューを挙げられているので、久方振りに鑑賞した感想のみをシンプルに記す。ー
・主人公の石田が、小学生時代に、引っ越して来た聴覚障碍者の西宮に対する悪戯。だが、彼のみがやっている訳ではないのに、いつの間にか、彼が一人で責任を負う姿。
だが、彼はその罪を一人被る。
ー これは、今でも年代を問わず行われている事ではないか・・。だが、石田は西宮を苛めているようであるが、彼女を大切に思っているシーンが随所で描かれている。濡れたノート・・。-
・中学時代の石田は暗黒の生活を送る。一人も友達が居ない日々の生活・・。
西宮を苛めた故の自身の境遇を甘受する姿は、初見時にはやや苛立ったモノである。
苛めに加担していた生徒達の言い逃れする姿。
ー これは、現代でもあるのではないか・・。-
■この作品の価値を高めているのは、石田とディスコミュニケーション状態にある生徒たちの顔に”×”が付いている描写であろう。
そんな中、ナガツカが彼の友となり、”×”が消え去る描写。
そして、高校に進学した石田の境遇は余り変わらないが、徐々に”×”の数が少なくなっていく。
石田は、自らが過去に犯した(と言っても、小学生である。)過ちを悔い、西宮とコミュニケーションを取るために手話を密やかに学ぶ姿。
彼が、人としてキチンとした人物になっている事が、容易に伺える。
・高校になって、久しぶりに出会った石田と西宮。彼らはぎこちないながらも再び関係性を築いていく。だが、自分の存在が石田を傷つけていると勘違いした西宮の哀しき行動。
ー 美しい花火大会を、石田と一緒に観た西宮は”自分の想いが聾唖者故、伝わらなかった事で・・。
”好きと月・・。”
命を断とうと思ったのであろう。
だが、それをいち早く察した石田の身を呈して、西宮を助けようとした崇高な姿。ー
・そして、学校に復帰した石田の学友たちの顔から、”×”が次々に落ちて行くシーンは、可なり沁みる。
<初見時に、”こんなにすごいアニメーション映画を作る集団って、どんな人たちなんだ!”と思い、その後「リズと青い鳥」「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」を見て、その感を強くした。
哀しすぎる出来事の後、京都に行った際に陰ながらお参りをした。
だが、この素晴らしき映画製作会社は、亡き人たちの想いを込めて、素晴らしき映画を届けてくれる筈、と信じている遅れてきた京都アニメーションの作品に魅了された男の一人ごとである。>
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