映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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まあいい話
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小学生の時に耳の聞こえないショウコが転校して来た。
しかし主人公とその女友達から虐められることになりまた転校。
主人公も女友達もその件でモメて友人との仲に亀裂が入った。
因果応報というか主人公は中学で虐めにあい、高校でも孤立。
自殺しようと思い、その前に心残りであったショウコを訪ねる。
それをきっかけに、上記のメンバー達に改めて交流が生まれる。
孤立する中で学校に友人が2人出来て、彼らも含めて交流する。
しかし主人公の女友達はショウコのことを今もどこか嫌ってた。
ショウコのせいでみんなが築いてきた人間関係が崩れたから。
そういうのを知ってかショウコは自殺を図り、主人公が助ける。
身代わりとなった形で主人公は意識不明となる。
ある夜ショウコは悪夢を見て、主人公が急に心配になり思い出の場所へ。
同じように夢を見た主人公も目を覚まし、病院を抜け出てそこへ。
こうしてお互いの大切さを知ることが出来た。
それを機に主人公らのコミュニティは復活する。
そして長年人の顔を見られなかった主人公は、それを克服する。
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劇場で見ようと思ってて見られなかった作品。
当時からものすごく高い評価だった。
ジーンと来るシーンはあったが、TVやとやっぱり感動が減ってしまうなあ。
最後の偶然2人が再会するシーンとかはやり過ぎな気もする・・・。
障碍者を扱う現実的な映画にしては、安っぽい恋愛映画チックかなと。
ジェットコースター
イジメの描写が痛々しかった。子供時代のエピソードは観ていて苦しくなる。
背景がやけに美しい。
美しい世界に生きている。
BGMがピアノで♪ポロン、ポロン。と、悲しげなメロディ。この先、とてつもない悲劇になるような予感が漂う。
主人公の父親が登場しないことが氣になった。
他の子の父親も同様。
なぜか母親は頻繁に登場。
思春期の話は家族構成が謎の作品が多い。
本作は家族ぐるみで登場するから、なおさら氣になった。
美しくて繊細で真面目で暗くて残酷な儚い世界。
癒やされるような、落ちていくような、楽しみなような、怖いような、そんな不安な氣分の状態から、ジェットコースターのように一気にゴールにたどり着いたような映画だった。
絵のクオリティが高い。
単焦点レンズで撮影したような味わい深さがある。
ジェットコースターのシーンも迫力満点だった。
ラストは色々報われて良かった。
爽やかな氣持ちで終われて満足だったが、やはり氣になるポイントがある。
引っかかるポイントは、主人公がイジメる動機。納得出来るエピソードが欲しかった。
それと、ケータイのメッセージのシーンが短いために、読みきれず一時停止した。
話がダーク過ぎて集中力が続かず、二日に分け更に細かく小分けにして視聴した。
私はつくづくピンク色の髪の女性キャラに目がない。ツンデレの植野も悪くないが西宮硝子さんを応援してた。
本作は好みの絵だった。エンドクレジットで山田尚子監督作品と知って納得した。
聞こえていても見えない世界がある。見えていても聞こえない世界がある。
人間が相手と深く知り合い仲良くする。
その関係を続けて行くには、見ないふりをしたり、
聞かないふりをしたり、
言わずに胸にしまったりして、自然と互いの距離を測っている。
それがバランスを保ち、立ち入らない部分を持つことで
仲良くを持続できる。
小学生にそんな芸当(計算や処世術)が出来るだろうか?
出来る訳がない。
石田将也(しょうや)は人一倍元気でお調子者で天真爛漫な少年だった。
人気者の将也の立場が変わったのは、
耳の聞こえない少女・西宮硝子(しようこ)が転勤してきたことに始まる。
将也には硝子が、ただただ珍しかった。
筆談する硝子も、硝子の耳に嵌めてる補聴器も、
何もかもが、もの珍しく新鮮だった。
補聴器を取り上げて窓から捨てたのはやり過ぎ!!
そこで硝子が泣き叫び騒げば良かった。
我慢したのが結果的に良くなかった。
補聴器を盗られる・・・それがどれほどの酷いことか?
誰も教えてくれない。
硝子の母親が職員室に電話してきて、先生に訴える。
その結果として、将也の母親は大金を銀行から降ろして
弁償する。
将也の虐めは、皆に知られて「いじめっ子」の烙印を押される。
ここで加害者が将也1人とは考え難いです。
囃し立てた者、止めなかった者、知らんぷりした者、
本気で抵抗しなかった硝子。
ひとりで虐めは成り立たない!!
しかし将也は結果的にたった一人で硝子イジメの責任を負います。
女子だって陰湿だった。
「あなたが来てからクラスが変わった。もとに戻して!!」とまで言われる。
言葉の暴力が酷い。
中学生になる。
将也は入学早々にA君から、「石田は小学校の時、いじめっ子だったから、
気をつけろよ!!」
名指しされて中学生活は灰色の暗闇になる。
《友達の顔にバッテン印が付いている》
このシーンは強烈だ。
友達の顔も表情も読み取れない。
知らない人ばかりの中で、ひとりぼっちの将也。
しかし将也の後悔は、手話の勉強をする・・・
そんな形でいつか硝子に謝るために意志を伝えるために手話を
勉強する。
そして高校生になった将也は硝子に会いに行くのだ。
鯉にフランスパンを千切って餌にする庭園。
少しづつ声を出して話す硝子。
次第に心の通う2人。
いつしか無くてはならないかけがえのない人になって行く。
将也にもバッテンの取れた友達が増える。
そして小学校の友達との再会。
会話→ディスカッション→話せば話すほど遠くなる。
コミュニケーションの難しさ。
耳が聞こえても聞こえなくても、人と人が分かり合える事は難しい。
話せば話すほど傷つけてしまう。
自分は加害者だとは思いもしない者。
自分を正当化して理論武装して、他を攻める論客(女に多い)
ある言い争いから喧嘩になった日。
硝子は「自分のせいで喧嘩になる。悪いのは私が存在するから」
思い詰めた硝子は、花火を途中で切り上げた留守宅で、
ベランダから飛び降りて死のうとする。
それがとんでもない結果を招く。
それにしても丁寧に丁寧に会話を重ねて思考して塗り上げた映画でした。
心を閉ざしたのは将也。
孤独だったのは将也。
不甲斐ない自分を消そうとする硝子。
思春期の青少年の心のひだを丹念に細やかに描く名作です。
制作した京都アニメーションの代表作。
世界37の言語に翻訳されて輸出や配信されています。
2019年7月。
放火による火災で社員の多くが犠牲になる事件が起こりました。
本当に痛ましいです。
でも制作を再開して次々と新しい作品が生まれています。
亡くなった人たちの仕事は受け継がれ「京都アニメーションの魂」は
私たちの中に生きていきます。
肌に合わなかった
Talkin’ ‘bout all generations. これは、新しい青春映画の形。
過去の過ちに苛まれる青年・将也と、酷いいじめを受けていた聾者の少女・硝子。5年ぶりに再会した2人の交流と救済を描いた青春アニメーション。
監督は『けいおん!』シリーズや『たまこまーけっと』シリーズの山田尚子。
小学生時代の将也を演じるのは『桐島、部活やめるってよ』『悪の教典』の松岡茉優。
原作は「週刊少年マガジン」に連載されていた同名漫画らしいのだが、これは未読。
まず一つだけ言わせてくれ!
OPにTHE WHOの「マイ・ジェネレーション」を使うのであれば、EDは「俺達はしないよ(シー・ミー・フィール・ミー)」だろぉ〜〜っ!!
"I hope I die before I get old"というフレーズがあるからマイジェネを採用したのかも知れないけど、この曲だけだと正直映画の内容とはマッチしていない。
オチに「シー・ミー・フィール・ミー」を配置すれば、クソガキ時代から孤独と贖罪の時代、そして苦難を乗り越えた末の救済までの道程をTHE WHOによって表現することが出来たのに…。
ロックンロールファンとして、そこは残念に思います🌀
エンドロールで"See me〜,Feel me〜,Touch me〜,Heal me〜♪"なんて流れたら号泣必至だったね。
と、余談(しかし一番言いたかったこと)はここまでにして。ここから本題。
鑑賞前は「高校生のキラキラ恋愛もの〜?興味ねぇ〜…。しかも障害者を売り物にした感動ポルノっぽいし。なんか絵柄もオタクっぽいし〜。興味ねぇ〜…。」なんて思っていたが、やはり先入観はよくない!
いざ鑑賞してみると、そういう映画では全くなかった。
物語の主題となるのはディスコミュニケーション。
過去の出来事により心を閉ざした青年と、発話でのやりとりをする事が出来ない聾者の少女。
これだけでも十分に物語を膨らませる事ができそうなものなのだが、本作ではここにさらにいじめの加害者/被害者という要素をも盛り込むことによって、観る者の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜる一筋縄ではいかないハードなものへと作品を昇華している。
物語は将也の主観に沿って紡がれていく。
そのため、作中で描かれる硝子の人物像は、あくまでも将也を立脚点にして作り上げられたものでしかない。
そのことで観客はついつい油断してしまい、「あぁ、硝子ちゃんって素直で健気な強い女の子なんだな😌」と思い込んでしまう。
観客に硝子を天使の様な少女だと思い込ませる。このミスリードが、中盤の展開の衝撃度を格段に高めている。
硝子の自殺未遂により、将也は自分の考えの甘さを文字通り痛感し、硝子もまた、将也を巻き込んでしまったことを契機にして、本当の意味で他人と向き合うようになる。
最後の最後、クライマックスになって初めて、人と人とが分かり合える可能性のようなものが提示されるという、ただのゲロ甘青春ラブストーリーとは明らかに一線を画す、実にウェルメイドな筋立てである。
本当にこれほどレベルの高い文学的作品が少年マガジンに載ってたの?今の少年漫画って、自分が思っている以上に進んでいるのかも。
原作の単行本は全7巻。本作はその内容を2時間強にまとめたものである。
こういう場合、物語を詰め込みすぎてごちゃごちゃした映画になってしまうか、エピソードをすっ飛ばし過ぎたせいで意味不明なストーリーの映画になってしまうか、このどちらかになりがち。
しかし、本作は長編映画用に書かれたオリジナル脚本と言われても信じてしまいそうなほどに綺麗にまとまっている。
これは、元々の原作の構成が巧みだというのもあるのだろうが、やはり脚本家・吉田玲子さんと山田尚子監督の力が確かだということなんだろう。
吉田玲子さんはアニメファンならその名を知らぬ者はいないベテラン脚本家だが、山田尚子監督と原作者・大今良時先生はいずれも1980年代生まれ。
新たなジェネレーションが確実に業界の中心に踊り出ようとしており、その溢れる若さの脈動にこちらの心まで奮い立ちそうですっ!
…いやしかし、本作の雛形になった読み切り漫画を大今良時先生が執筆したのはなんと19歳の時らしいじゃないですか。マジかよっ💦
これだけの才能を見せつけられたら、自分が同世代の漫画家志望だったら確実に筆を折ってるわね。うーん、紛れもない天才だ。
とまぁ作劇的には絶賛せざるを得ないクオリティだったんですけど、気になるところがないわけではない。
まず、全体のテンポ感が均一すぎる。硝子の自殺未遂シーンをグッと山場にするため、あえてそれまでを平坦にしたのかも知れんけど、ずっーーとリズムがおんなじ感じなので結構退屈してしまった。
橋の上での公開裁判とか、結構あっさりしていて拍子抜け。耳を塞ぎたくなるようなイヤ〜〜な見せ場を期待したのだが…。もっと人間の暗部をドロドロと描いても良かったのでは?
もう一個気になるのは、ところどころに挿入されるザ・ラブコメ漫画的なやり取り。
「スキ」と「月」を聞き間違えたりね。そんな訳あるかい。こういう難聴系すれ違いって、いかにも作り物って感じがして萎えちゃう。
思わせぶりに顔を隠し続ける将也の姉とか、あれになんの意味があんの?お姉さんの旦那さんが黒人だったことをあんなに引っ張って隠し続けた意味は?
心理描写にリアリティを追求した作品であるからこそ、こういう普通のアニメならあまり気にならないような点が無性に気になる。
あと個人的に嫌なのは昏睡状態から目覚めた将也が、管とかを取っ払ってすぐさま硝子に会いにいくとこ。こういうのはアニメにありがちなんだけどすっごく嫌い。怪我を舐めんじゃねえ!『カリオストロ』のルパンだって、ドカ食い&爆睡で怪我を治したんだぞっ!!
こういう細かいところのリアリティラインは、もっと詰めて描いてほしかったなぁ😮💨
まぁ色々書いたけど、一番気になることはやっぱり将也&硝子以外の同級生たちの描き方。
原作ではどうなのか知らないけど、この映画を観ただけだと植野とか川井はただのクズにしかみえない。特に川井!!この…クソメガネは本当にどうしようもねぇな💢
川井の横にいる真柴とかいうニヤケ面も何のためにいるのかよくわかんなかった。
元いじめっ子の島田も、あれだけの出番じゃこいつがなんなのかよくわかんない。
2時間強のランタイムでは、これだけのサブキャラたちを捌くことは不可能。原作を改変してでも、もう少し登場人物は厳選した方が良かったのではないだろうか?
永束と佐原以外の同級生がクズにしか見えないせいで、ハッピーエンド的な終わり方が全然ハッピーに見えない。少なくともあのクソメガネにはグーパンした方が良い👊💥
全て丸く収まりました、的な物語の収束には不満が残るものの、映画としての完成度はやはり高い。
本作の公開年は2016年。この年は新海誠の『君の名は。』、庵野秀明の『シン・ゴジラ』、片渕須直の『この世界の片隅に』といったアニメ(特撮)作品の傑作が公開されているが、本作はこの並びに加えてもなんら遜色のない名作だと思う。やっぱり2016年はアニメ界奇跡の一年だ!
30代前半でこれだけの作品を作り上げた山田尚子監督の才能は素晴らしい✨山田監督の今後の作品にも期待したい。
マイ・ジェネレーションと言わず、オール・ジェネレーションズに鑑賞して貰いたい、新時代の青春映画です!
【”ディスコミュニケーションから、届けコミュニケーションへ・・。”聾唖者への悪戯により疎外された少年の聾唖者への理解の過程を切ない描写を含めて描いた作品。作中の斬新な心理描写が素晴しき作品。】
ー 今作を鑑賞したのは、2018年頃であったかと思う。
作品が発信するメッセージ”友達って何だ”が強く心に響いた。
その後、京都アニメーションを襲った忌まわしき出来事に呆然とし、京都に行った際には自分なりに出来る事をした事を思い出す・・。ー
◆感想
ー 多くの方がレビューを挙げられているので、久方振りに鑑賞した感想のみをシンプルに記す。ー
・主人公の石田が、小学生時代に、引っ越して来た聴覚障碍者の西宮に対する悪戯。だが、彼のみがやっている訳ではないのに、いつの間にか、彼が一人で責任を負う姿。
だが、彼はその罪を一人被る。
ー これは、今でも年代を問わず行われている事ではないか・・。だが、石田は西宮を苛めているようであるが、彼女を大切に思っているシーンが随所で描かれている。濡れたノート・・。-
・中学時代の石田は暗黒の生活を送る。一人も友達が居ない日々の生活・・。
西宮を苛めた故の自身の境遇を甘受する姿は、初見時にはやや苛立ったモノである。
苛めに加担していた生徒達の言い逃れする姿。
ー これは、現代でもあるのではないか・・。-
■この作品の価値を高めているのは、石田とディスコミュニケーション状態にある生徒たちの顔に”×”が付いている描写であろう。
そんな中、ナガツカが彼の友となり、”×”が消え去る描写。
そして、高校に進学した石田の境遇は余り変わらないが、徐々に”×”の数が少なくなっていく。
石田は、自らが過去に犯した(と言っても、小学生である。)過ちを悔い、西宮とコミュニケーションを取るために手話を密やかに学ぶ姿。
彼が、人としてキチンとした人物になっている事が、容易に伺える。
・高校になって、久しぶりに出会った石田と西宮。彼らはぎこちないながらも再び関係性を築いていく。だが、自分の存在が石田を傷つけていると勘違いした西宮の哀しき行動。
ー 美しい花火大会を、石田と一緒に観た西宮は”自分の想いが聾唖者故、伝わらなかった事で・・。
”好きと月・・。”
命を断とうと思ったのであろう。
だが、それをいち早く察した石田の身を呈して、西宮を助けようとした崇高な姿。ー
・そして、学校に復帰した石田の学友たちの顔から、”×”が次々に落ちて行くシーンは、可なり沁みる。
<初見時に、”こんなにすごいアニメーション映画を作る集団って、どんな人たちなんだ!”と思い、その後「リズと青い鳥」「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」を見て、その感を強くした。
哀しすぎる出来事の後、京都に行った際に陰ながらお参りをした。
だが、この素晴らしき映画製作会社は、亡き人たちの想いを込めて、素晴らしき映画を届けてくれる筈、と信じている遅れてきた京都アニメーションの作品に魅了された男の一人ごとである。>
人が人である限り、健常者、障がい者問わず他者を理解するのは難しい
オープニングがとてもカッコよく
一気に引き込まれました
そして
エンディングのaikoさんの歌まで
あっという間に時間が過ぎました
本作品
西宮さん以外の健常者がたくさん出てきますが
皆それぞれが衝突し合います
健常者同士でもコミュニケーションが難しいのに
ましてや障がい者となると
接し方が難しいのは必然…
実生活でも
障がい者だから優しくしてあげるべきなのか
障がい者だけど健常者と同等に接してあげるべきなのか
考えさせられる場面たくさんあります
やはり
その人の障がいの有無は関係なく
人が人である限り個性は十人十色であり
その人に合わせた対応の仕方が求められるのではないか…
この映画はその感覚を見事に映画化してくれてる作品と感じました
心を抉る。とにかく「生々しい」
公開からしばらく、強烈に賛否両論があったと記憶しています。
特に「(いじめ)加害者を美化してる」といったマイナス批評が多く目に付きましたが、トラウマを喚起されてしまった当事者でないならば、表層的でもったいない見方だと思います。
物語の軸は、完全に硝子と将也の関係性に置かれています。
一見主題にも思える「いじめ問題」や「聴覚障害」は全く主題ではなく、大きめの舞台装置に過ぎません。
この作品が描く主題は、「人間の不完全さ」「コミュニケーションの難しさ」だと思います。
登場人物が全て見事に欠点を晒していて、通常のドラマ作品には必要ないまでに「脚色され尽くした生々しさ」があります。
虚勢から手痛い失敗をする繊細な小心者。
真っ直ぐ過ぎる故、不器用に周囲を傷つける者。
強烈な自己愛と、自覚すらない歪んだ邪悪。
未熟で無責任な教職者…
遠慮なく言ってしまえば、「○○性人格障害」のテンプレートのような登場人物の群像劇に仕上がっている。
そういった不快感が漂う世界観と相関関係の中で、硝子と将也の関係性が絶妙に付いては離れてはで転がる。
不完全な人たちの不完全なコミュニケーションは少しずつ噛み合い、最後には小さな希望を感じさせながら、深い余韻が残る。
「重苦しい恋愛映画」のようでもあって、やはりそうではない。
「こんな関係もある」という、そんな一例を描いた作品だと思います。
心理をゲームや記号などの独特の映像で表現したり、硝子視点での聾唖者の音のこもる表現など、京都アニメーションが放つ圧倒的なクオリティも最大のポイントです。
最高のアニメーション映画
非常に静かな映画
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