映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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またもう少しアニメ耐性が付いたおっさんは「映画 聲の形」をこう見た!
「けいおん!」「たまこラブストーリー」などで知られる京都アニメーションと山田尚子監督によりアニメーション映画化。脚本を「たまこラブストーリー」や「ガールズ&パンツァー」を手がけた吉田玲子が担当した。(映画.com解説より)
といっても、どれだけすごいのか、まるで分からないおっさんが、先日の「君の名は。」をなんとか観れてちょっと調子に乗ったのか、よせばいいのに、ここ数日の世間のアニメ映画熱に打たれて鑑賞。
ただ、これは先日鑑賞した「君の名は。」とある意味よく似ているも、ある意味正反対の映画だった。
「映画 聲の形」
よく似ていると思ったのは、絵柄には好き好きあろうが、人物の動きがとても丁寧で滑らかで、背景画も川などの水、花火、木洩れ日などとても美しいといった「絵的」な要素。
だが正反対だと思ったのは、「君の名は。」が場面場面、シーンで物語をつづってきたことに対して、こちらは「心情描写」のみで物語をつづっていることが決定的に違う。
この絵的な要素がみごとに登場人物の揺れを表現している。ストーリー自体に大きなドラマは小学生時代の序盤のみで、あとは高校生に育った主人公はじめ、登場人物の、「心模様」だけで構成されているといってもよい。
もちろん、中二的なシーンがいくつかあるにはある。
例えば主人公の女の子が川に飛び込むシーン。はっきり言って序盤の「いじめ」の陰鬱な展開から、突拍子もないこのシーンにしらけたことは事実。だが、これはそのこと自体の行為より、「ずぶぬれた小学生時代のあのシーン」の再現を自分の意志で「一歩前に出る」という表現であろうと、こちらとしてはひとつの映画的表現として理解できる。
それよりも引っかかるのは、聴覚障害の女の子が絵的にキラキラし過ぎて、いじめられっ子と化した主人公が、のちに彼女に近づいた理由が、ただ単に「超カワイイ」とか「こいつならオレの地獄を救ってくれる、相手をしてくれる」という、結局小学生時代のあの行為も「興味があったから、好きだったから」に起因するので、主人公の身勝手さは中盤から後半まではずっと変わらない。
そもそもあの子がブサイクだったら、主人公は立ち直るきっかけすらないわけで、この辺りはまあ、アニメとしてしょうがないかな、とは思う。
まあ、つまりは本作のいじめの原因は「好きの裏返し」もあるわけで、本作はいじめのこととか、もっというと聴覚障害の女の子との触れ合いも実はテーマ的にはそんなに重要ではないように思える。
「好きの裏返し」でいじめをするようになった主人公将也。「聞こえない」ゆえ嫌われないようにふるまって自分を押し殺してきて、後半身勝手な行為に及ぶ硝子。「女の子故に将也の行為が分かってしまう」が自分の気持ちを隠して逆に硝子やみよこに嫉妬する直花。「あえて渦中」でイイコ、正しいコでいたがるみき(この子は傍観者ではないと思う)。
みんな正しくそしてみんな嘘つきで勇気がない。
だが、これこそが人間。
将也は簡単に自分の言葉で他人を傷つけ、自分を傷つけてきた。そんな彼が立ち直るきっかけは、「前を見て、他人の話を真っ正面から聞く」ことだった。
そこに至るラストに大きなドラマは実はない。
だが彼はそんな「些細なこと」が分かったことで、とめどない大粒の涙を流し続けるのである。
「聲の形」とは「発せられないもの」、「図らずとも発してしまったこと」、「意思をもって発したもの」をもって、その過程や結果に振り回される、人間という「弱い」生き物を描き、またこんなにも「簡単に取り戻せることができる」という人間賛歌。
いじめや聴覚障害というセンセーショナルな事柄を扱ってはいるが、キラキラな女の子が出ては来るが、おっさんとしては、そっちより、そんな本作の「残酷さ」と「やさしさ」が好きだったりする。
映画としてのセンスが抜群
京都アニメーションと山田尚子監督は、今日本で特に注目するべき存在だろうと思っている。いずれ日本映画をしょってたつ存在になるのではないか。
山田監督は、その映画視聴遍歴の分厚さからくる演出力は、どこか古今東西の名画の香りを漂わせる画作りを可能にし、アニメならではの柔らかさも見事に活かせてもいる。京都アニメーションの技術力の高さと監督の類まれなセンスが非常に高次元でマッチしている。
山田監督はカメラアイをとりわけ意識した画作りをするが、本作は主人公の一人称で構成された物語なので、特に一人称視点のカメラが効いている。
声優の芝居も素晴らしい。入野自由は、ナイーブな男子高校生の役が「あのはな」に続いてすごくハマっている。出色なのは、硝子の妹、結弦を演じた悠木碧。少年や少女、のような型を超えて地に足ついた人間の存在感が最も強いキャラクターに仕立て上げている。
平凡な一少年の視点に絞った脚色の妙。
原作未読で観た。主人公と結絃という2人のキャラを除き、ほかの登場人物の主観がほぼ排除されていることに感心した。
聾唖のヒロインとの恋物語と勘違いされがちだが、映画後半では明確に主人公が抱える「他者とのディスコミュニケーション問題」に焦点が絞られていく。本作では、長い原作から群像劇の側面を敢えて外すことで(原作は後から読んだ)、映画としてひとつの筋が通ったストーリーを紡ぎ出しているのだ。
川井さんがとんでもないモンスター女子なのは映画だけでもわかるが、確かに原作にはほかのキャラクターの内面も事細かに描写されている。どなたかが書いていた映画→原作→映画という流れで観ると二倍三倍楽しめるように思う。
原作の違いで印象的だったのは、主人公の「卑屈なのに他人をバカにしてしまう自己嫌悪」の描写が減っていること。これには賛否あるだろうが、映画では間口をより広く取るために「平凡な一少年」として描いたのだと理解した。
真実か否かは、アナタしだい…
ある映画評論家は言った
「映画の最大の魅力は『嘘』である…完全に騙せば『真実』になるから」
正に的を得ている
映画の様に、現実に宇宙空間で戦争をする英雄がいなければ
魔法学校に連れて行ってくれる列車も無い
氷と雪だけで作られた、お城なんかも無い
それで、これが重要なのだが「二人の真実の『愛』」なんて物も
この世には存在しないのだ…
ラブストーリーはリアティティが求められるから「真実」と勘違い
されやすいが、それも巧みな「嘘」なのである
現実に、男女二人だけの為にある「世界」なんてモノは、
何処にも存在しない…
さて…前置きが長過ぎたが、この作品も物の見事に「嘘」作品
一番にリアリティが無いのは、何故イジメられている女子が、
イジメ加害者の男子を恋愛感情で好きになったのか…?
そして、男子は何故に罪滅ぼしの行動に出たのか…?
最後に、なぜ「×」は全て外れたのか…?
多くの部分に「?」が多過ぎる…
…話を変えよう
「エヴァンゲリオン」という作品がある
俺はTVシリーズと初期の劇場版2本しか見ていないが、
はっきり言おう!俺は「エヴァ」に救われた事は、1度も無い!!
しかし、中には学校でイジメを受け、いつも自殺する事ばかりを
考えていた子供が「『エヴァンゲリオン』を見て、生きる勇気が
湧いた!!」と言う…
何が「生きる糧」になるかなど、人それぞれだ…
「エヴァンゲリオン」が作られたのが1995年…仮にその時の子供が
当時に自殺せず今日まで生きていれば、30年もの人生になる
たかがアニメだが、そのアニメで人一人の命が救われる
自殺せず長く生きるならば、その方が何万倍も何億倍も、マシか…
現在に自殺する子供が、年間に500人以上いるという
アニメを見ている奴は、仮想現実に逃げているダメな奴と言う
者が多い… しかし、その「アニメへの逃避」で、1年に自殺する
子供が501人から500人に減ったという、それだけで、
その「現実逃避アニメの1本」の存在が、どれだけ「かけがえの無い
存在」であるのか…?
俺には「聲の形」や「エヴァンゲリオン」といった作品を作る
能力が無い…
たががアニメ1本…されどアニメ1本…
地球上で、たった一つしかない独りの人間の命を
救えれば、どんなに素晴らしい事か…
…一番最後に、俺の強がりを言わせて下さい
「聲の形」の様な、人間一人の命を救う作品を、自分の残りの生涯の
中で、1本は作りたい!!
「作ってみたい」ではなく「作りたい」!!!
ピュアな人間ドラマ
リアル
理解ない担任、いじめっ子が結果いじめられっ子になる。小学生の障害者への理解のなさ。障害者の親の葛藤。。。
なんの前情報もなく観ました。大昔いじめられた経験があるものとすると、無駄にハッピーエンドにしないところ、イジメられている主人公は昔いじめられっ子だったところ。担任がクソなところ、などなど、すごく共感でき、リアルな映画と感じました。あまり響かない人はイジメとか、心に傷のある人にあまり関心無いのかな。特に昔虐められたのにすんなり石田を受け入れる西宮の事を言う人が多いけど、はて西宮は本当に石田を受け入れていたのかな?虐められてもそれは自分のせいだと蓋をしてその人と仲良くしないと社会に受け入れられない、そう信じていた彼女の気持ちこそが一番の問題点だった訳で、そこに思春期の気持ちが入り乱れて気持ちが破綻して自○しちゃったんじゃないかな。石田の気持ちもまだ全然解決していないように、実はまだ西宮も全然解決してない。。。逆にイジメシーンが刺さりすぎて酷評の人は、いつかまた時間が経ってから見て欲しい。コレで終わりじゃなくてここから考えさせられる、いい映画
想像していたのとは異なった作風だが、評価できる
【鑑賞のきっかけ】
しばらくアニメ映画を鑑賞していなかったので、評判のよい作品はないか、と探っていたら、本作品と出会い、動画配信で鑑賞してみることにしました。
【率直な感想】
何となく、爽やかな青春ドラマをイメージしていましたが、全く違う作風にまず驚かされました。
本作品のメインストーリーは、小学校6年生の教室に西宮硝子という聴覚障害のある少女が転校してくるところから、始まります。
彼女は、石田将也という少年から、何度も補聴器を壊されるなどのいじめを受け、最終的には、再び転校してしまう。
彼女は、一体、どこからやってきて、どこへ行ってしまったのか。
この点については、ネット上の記事を読んで納得しました。
障害のある子どもについては、特別支援学校を選択することが出来ます。ここでは、一人あたりの教師の数も多く、障害に配慮した教育を受けることが出来ます。
ところが、彼女の母親は、敢えて、普通学級を選んだようです。
想像するに、早いうちから、健常者とコミュニケーションを取れるようになってもらいたいという願いがあったのでしょう。
でも、そこには、「いじめ」への不安もあったはずです。
このため、補聴器の故障の頻発という事実から、母親は「いじめ」を察知し、彼女は、特別支援学校へ戻っていきました。
やはり、小学生では、まだ社会性が身についていないため、自分の感情がストレートに出てしまうのでしょう。
「いじめ」を行った将也は、その後の行動からも分かるとおり、決して意地悪な存在ではなく、障害者に初めて接し、どのように向き合うかが分からず、それが、「いじめ」という形で出てきてしまったと感じています。
さて、この「いじめ」を行った将也ですが、通常ですと、中学生になると、新しい友達が出来たりして、「いじめ」を行ったことも忘れてしまうのではないでしょうか。
本作品が巧みなのは、この「いじめ」を行っていたことが、多くの人に知れ渡ってしまい、中学校では、無視される存在となり、孤立。さらに、高校進学後も、孤立した状態で、人間不信に陥っているという設定にしていることです。
そのため、小学校の「いじめ」での犯人にされたことがトラウマとなっていて、再度、西宮硝子に会おうとすることで、物語は展開していきます。
その中で、小学校6年のあのクラスの面々が、再登場し、大人の一歩手前まで成長してきた登場人物たちのそれぞれの感情がぶつかり合うことで、緊張感のある物語展開となっていきます。
本作品の登場人物に共通して言えることは、自分の人生にとても真面目に向き合っていることです。
それゆえの悩みが、それぞれの登場人物のキャラクターにマッチした形で描かれており、深い感動を呼び起こすのではないでしょうか。
【全体評価】
障害者を主要な人物に据えて、じつに真面目に、若者の心情を描くという作品は、アニメ映画としては、大変に珍しいことだと思います。
しかも、そこに、「いじめ」や「自殺」という若者が遭遇しがちな要素を散りばめた点がかなり画期的で、評価できる作品と感じています。
いじめは暇つぶし
差別的
女性は弱く守られる存在、女性は男性を救い許容する存在。儚い美少女に、強気な女子、ぶりっ子、真面目な子、無邪気で可愛らしい幼女。悩んだら死を選ぶ。若者の死は最も悲劇的で美しい。そんな、よくある、男性誌の漫画でした。殴り合いとか暴力描写もね。
川井さんのキャラが酷評されているそうですが、あれより酷い女子なんてゴロゴロ居て、何なら色々な顔を皆使い分けてもっと狡猾に生きている。「漫画」だからキャラ設定から其々が抜け出せ無いのだろう。とにかく心理描写が浅い
それにしても、両母親の幼稚さは受け入れられませんでした。
難聴者からは不評だった、現実的ではないな
ある意味もう見たくないけど最高の作品
まず最高の作品であるということ。
ただ、序盤の小学生時代のシーンは見ていて辛くなってくる内容なのでとても悩ましい。
たまに出てくる意味深な描写や、話が飛ぶような描写に繋がるのはこの監督の特徴なのかな?
ぼやかしているのか簡略しているのかわからない感じのシーンは多々ある。
ネットやYouTubeなどの解説を見てからもう一度観るとしっくりくる感じはとても心地よい。
特に後半の主人公2人の立ち位置が入れ替わる伏線はとても見事だと感じた。
(ネタバレになるので内容は書きません)
石田の西宮へ対する罪ほろぼしと同じようにクラスメイトが石田に対しての罪ほろぼしをしているのを見ると皆同じ境遇に立っているのがしっくりとくる。
タイトルにはもう見たくないと書いたが、3回は観てしまっている、そんな映画です。
こんなに面白い作品があったことに8年間気づかなかったのは勿体なかったな。
最後に、マリアちゃん可愛すぎる。
大切な補聴器を奪い取って何回も捨てる主人公の
このド鬼畜は度厚かましく、補聴器の少女に友達になってくれないかとまあ、いけしゃあしゃあと言えたもんだわ。
やっていた事はイジメなんて生優しいものじゃなく刑事事件案件だろ?何で逮捕されなかったの?
自分が昔イジメをしていたせいで、進学した高校でハブにされていて非常にいい気味だったが、それだと物語が進まないので少しずつ友達が出来ていくのだが、過去にイジメをやっていた事がバレてまたハブになる。もう、ここで終わっていいじゃん?
また、何であんな虐められ方をしていて、その加害者に惚れるの?全く理解できない。
小学生の頃、自分を執拗にイジメる奴がいて、先生がそいつを呼び出して、お前たち握手して仲直りしろ?と言われて握手させられた事が何回もあったけど、人をイジメるという鬼畜になんか汚らわしくて触りたいとは思わないよ。
謝ったって、過去の前科は一生残っているんだから人をイジメる事が出来ない山奥にでも潜んで一人で一生暮らしていけよ。補聴器強奪犯はさ。
京アニが作ったからファンが多いんだろうけど、原作の補聴器を何度も捨てるという鬼畜な設定はもう少し変えて、補聴器を取り上げるけどちゃんと返すくらいの脚本に変更してほしかったですね。
義足の人の義足をとるとか、松葉杖の人の松葉杖で遊ぶとか、車椅子の人の車椅子をとって遊ぶとかと同じくらい酷い事をやっているのと同じ事を主人公はやっています。
大体、何だ?補聴器を取って捨てる時のポップな音楽と映像は?お洒落にしてんなよ。
もっと、忌まわしい映像に出来なかったの?このシーンだけでも、何の障害も持っていない人が作った事が分かります。
あ、原作は最後まで読んでますんで。感動ポルノ、それ以外に例えようがありません。
⭐︎4.0 / 5.0
心の傷は思うほど消えない
9月2日に「きみの色」を観て、7日に今作を観た。
良い作品と書くと陳腐でしか無い。なかなか心のザワつきが治らない。
美しい背景に西屋太志さんの描いたキャラクター。絵として素晴らしい。そこに極めて重いテーマが乗っかってる。手話のシーン、雰囲気でわかる「ありがとう」も訳さないなど必要以上に意味をフォローしない。でも心の動きを含めて理解できる。音楽が補完補強する。脚本、演出を含めて凄い作品だと感じた。5日前に観た映画の比べようの無い程の良さだった。これをまとめ上げた山田尚子監督の素晴らしさを心底感じた。
(あれ?西谷さん以外ほぼ同じチームなのに?w)
聾者と書くとタイトルの意味とつながる。心に傷を与えた将也は逆に傷つく。硝子は自分に関わる人にネガティブな影響を与える事に傷を深くする。聾者をからかう小学生時代の過ちとすれ違いを高校まで引きずって2人とも自殺を考えてしまう。
他人が思うより心の傷は深い事がある。埋めようとしても埋まらない。埋まりかけてもまた深くなる。これを繰り返していく中での事件。雨降って地固まる。一応の解決を見て物語は終わるが、おそらくまた顔にバッテンが付くことも多いだろうな、植野のバッテンが外れたり付いたり繰り返してた様に。
けど、きっともう大丈夫。
舞台は大垣市。岐阜養老天命反転地も出てきて舞台を大事に描いたのも好感が持てる。行ってみたくなる良い描き方だと思った。岐阜は最近テレビシリーズでも、変人のサラダボウル、小市民シリーズでも描かれているので久しぶりに行ってみたい。
最後に観たのが、「人権を考える区民のつどい映画会」という催事だったのが心残りだった。サブスクだと雑念が多いのでそれを遮断出来たのは良かったが区民ホールの映写、音響では限界がある。どうせなら学生など若い人に見て欲しいです映画だったが高齢者がほとんど。無料事前申し込み指定席制、400人定員のところ150席足らずの用意、それでも多く見て7割の入り。挨拶した区長は「子供にも人権意識を持ってもらいたいのでアニメ」と。アニメは子供向きっていうのは偏見では?なんか色々うまく行ってなかった。
予想と違った展開
いわゆる弱者と連鎖的に起きるイジメに向き合っている題材
周りのクラス全員の顔が❌で表現されていて全く新しい物だったし視覚的に見て分かるからとてもこれからのマンガの表現方法としてみるとかなりイイと思う。また、❌は完全な記号だからこそモザイクとかより面白く、分かりやすいカットでいうと心を許した相手の目がはみ出して見えたりしたり使い勝手も良いし、見てる側も分かりやすいから表現技法の革命!!
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