映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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想像をしていく
これを一つの恋愛ものとしてジャンルがおかれてることに違和感がある。
時代関係なく、いつ、どんな身近なところでも言えることなんじゃないかと思う。
差別ってどこから始まる? 言ったから悪くなる?言わないでいたから私は悪くない?
何が正しくて誰が悪いとか、このコロナ下でも日常でもあったなぁと少し感じた。
視点がそれるかもだけど、他人の家にビラを張って、まるでパトロールをした気分でいる当の本人はいいことをしたつもりでいる。
もちろん、この聲の形の主人公がした補聴器を壊す行為はいけないことだが、それを周りで見ていた同級生はじゃぁ悪くないと言えるのか、
これといって大きく対策にでなかった担任の先生は?
親たちは?
川井さんが視聴者からかなり嫌われているけど、同じクラスにいたら、家族にいたら、自分が川井さんだったら、、、
もしも、"ワタシ"がこの世界の中の登場人物だったら、どの立ち位置で物語をすすめられるだろう、
そんなことを考えてしまった作品でした。
聞こえない。それだけではない。
この素晴らしい作品に「意味不明」というレビューが散見されているのはとても残念です。でも聴力障害について全く知らないひとが見たら、大事な部分が理解出来ないと思います。
これは冒頭5分でいい。聴力障害について説明があったら、全く評価は変わっていたと思います。
単に音が聞こえない。それだけではないのです。
大変失礼な言い方になりますが、視力を失った不便さは目を塞げば理解出来ます。でも聴力障害は耳を塞いでもわからないのです。どうして硝子は話せないのか、補聴器は何のためなのか、途中で片方だけになったのは何故か・・一番この作品の鍵となる「どうして空気を読めないのか」・・それがわからないと、観ていても理解なんかできるわけがないと思います。説明を端折って単なるいじめに見せてしまったのはスタッフの失敗だと思います。
将也が硝子の耳元で大声で叫ぶ場面にはゾッとしました。彼女にとってそれがいかに強い衝撃で「苦痛」なのか。
普通級に入れたことがそもそもの事件の発端であるのは、誰が見てもわかります。無気力で身勝手な先生も不快ですが、なぜ硝子は「ごめんなさい」と言い続けなければならなかったのか。それは「普通の子」として育てたいという母親のエゴが生んだ悲劇という一面も忘れてはいけません。硝子を追い詰めて行ったのは他の誰でもない、母親の愛なのです。
でも、母親も含めて、決して誰も悪くない。全ては「誤解」。なのにどうして傷つけあわなくてはならないのか・・それがこの作品のメッセージです。
素晴らしい作品です。スタッフには感謝の気持を伝えたいです。
追伸:TV放映では30分ほどカットされていたようです。この素晴らしい作品のどこを切り捨てられたのか、気になるところですが、TV版で「見たような」気分にならないでほしいと思います。
見終わった後の不快感の理由
(Netflixで視聴、原作漫画未読)
ストーリーは、主人公の石田くんが小学校時代のいじめの加害と被害を経験し以降他者との関わりを絶ってきたが、過去と徐々に向き合い、自分自信の弱さに気づき他者を認め生きていこうとする。
いいストーリーだと思う。
アニメーションも美しく、十分世界観に没入することができる。キャラクターも魅力的で感情移入できる部分もたくさんあった。
だが、これは何がテーマか?何を言いたのか?となると途端によくわからない。理由はテーマと内容に一貫性がないからである。
この映画の一番の問題はこれがコミュニケーションがテーマであるということだ。ストーリーは魅力的なのに、それを動かすテーマの掘り下げが浅く、むしろ偏見を助長するのではではないかと思う。
コミュニケーションの齟齬によるいじめ、いがみ合い、誤解という問題をストーリー上では解決したように見えるが、根本的な問題は一切解決してないし、しようとしていない。
登場人物は「良い人」ばかりではない。実際に偏見を持った人間は多く存在するのでそれは良いのだが、劇中の植野さんが発する「あんたがいなければ、こんな事にはならなかった」というセリフを誰も否定できていないのはかなり問題である。
植野さんの言うように西宮さんはろう学校に行けば良かったのか?この答えは劇中にはないが、もちろんそれは間違っている。
じゃあ何が悪かったのか。
西宮さんが空気を読まないからか?植野さんが発しているサインを西宮さんが無視したことか?いじめられる子供に原因があるのか?
違う、最も大きな原因は大人が子どもを軽視したことだ。このいじめは担任と担任の存在を許す他の大人たちの責任である。確かに担任の無関心や無理解な態度は描かれるが、大人の責任を十分言及していないために問題がいじめられた子やいじめてしまった子の責任のようになっている。
西宮さんという存在は他の生徒にとって今までのコミュニケーションでは上手くいかないという混乱とストレスを招く。それに対応するために必要なのは知識と理解である。手話の授業の場面で、植野さんが「なんで筆談じゃダメなんですか」と先生に質問したときの答えが「その方が西宮さんが楽だから」というセリフには呆れ返った。これがこの映画を作った人間の理解なのか。
高校生になった子供たちが再会した時もこの知識による成長は描かれなかった。最も描かれるべきは再会ではなく、石田くんが手話を勉強して知識を得て西宮さんを理解しようとしたことだったのではないか。なぜ鯉に餌をあげたり、遊園地に行くことで打ち解けるような表面的なことで問題を解決しようとするのだろう。
登場人物の「良い人」ではない人を否定することは容易いが、なぜ彼らが誤解や偏見を捨てられなかったか考えて欲しい。
良い映画は他にもたくさんある。
だが、もしこの作品を大人が子供に見て欲しいと思うなら、この映画に登場する大人同様に子どもを軽視していると私は思う。
(コメントを受けて補足)
私は聴覚障害について知識不足なので「空気を読まないのではなく、読めない」という事がどういうことなのか正確には分かりませんが、聴覚という健常者が当たり前に使用している機能は、他者との距離感や気持ちを読み取る事などの聴覚以外の能力にも貢献しているのかもしれません。だから西宮さんのコミュニケーション方法がクラスの中で違和感を周りに抱かせるのだろうか思いました。
コメントを書いて頂いた方が指摘しているように、映画には説明不足な部分があるのは理解できます。その説明を省いてまで既存のシーンを入れた製作者の意図はなんだったのでしょうか。その意図の予想はレビューに書いた通りです。
私たちがこの映画を見ることによる聴覚障害や手話の理解は、西宮さんの周囲の人たち、つまり石田くんや植野さんが西宮さんを理解する過程と同じはずです。そこが省略されてただ青春ぽいことをする若者たちが描かれて、みんながなんとなく打ち解けて、おしまい!なんてのは論理的にも倫理的にも私は納得出来ません。
イジメや障害は商売ではない こんな意味分からん夢物語にすな なんじ...
イジメや障害は商売ではない
こんな意味分からん夢物語にすな
なんじゃこりゃ
何に寄り添った題材?
ただアニメーションはすごいな
めちゃくちゃ躍動感があって輝いてる
ぶっちゃけ泣きすぎた。
この漫画は初期だけチラッと観たことがあって、かなり尖ったテーマ感を題材にしたなとか思ってた。
いじめっこといじめられっ子の良いコントラストや、グラデーション。そして、因果応報や人間のカルマが色濃く出ている。
人として大切なことが存分に描かれていて、漫画では表現できないまさに、
「音声」の部分が映画ならではの特徴として物語の特異性を際立たせている。
当たり前のことが当たり前じゃない。そんな事を物凄く感じたし、
この映画の作り込み、ひいては漫画作成自体のマーケティングはビジネスマンとしても
凄いし、驚嘆だわと思う。
ちょっと期待値を…
2ヶ月前に「愛していると言ってくれ」を毎回号泣しながら見たから、てっきり健常者と聾唖者の恋物語的なものを想像していたけど、まるで違ったwww
職場に難聴の子がいるので、今マスクで顔が覆われて口元が読めない昨今は、相当ストレス溜まっているよう。私は透明のマウスシールドを使って、なるべく意志が疎通できるように努力しているつもりですが、なかなか伝わらないことも多く、ご家族の苦労を察しています。
だから、西宮さんがこの世に絶望したり、家族が必死で守ろうとしたり、コミュニケーションの取れなさに友達が離れたり、気を遣ってとりあえず謝っておいたりするのも、本当によくわかります。
ただ、やっぱり死のうとするのはダメだよね。生きる希望とか、死んだら終わり的なメッセージを込めたんだろうけど、ますます聾唖者が健常者と離れて生きざるを得ない感じになってないですか?
職場の難聴の子も、やっぱりポツンとしてるのを見るし、わがまま言わないし、長い雑談はあんまりしないで聞いてるだけかなぁ。
聞こえないって、どんな気持ちなんだろ?同じ人間に生まれてきて、どんな風にすれば喜ぶのか、嬉しいのか、たくさん話してくれるのか…
ファックスやメールのない時代は、手話か筆談しかなかったんだろうか。私たちは色んな想像力を働かせて、望んでいることを聴かなきゃね。
つくづく、コロナが憎いな!しっかり向き合って、手を握ったり、肩を叩いて呼べる時が、早く来ますように。
テレビで鑑賞
耳の聞こえない生徒にいじめるってひでーなと思ったら、逆にいじめられてた奴がいじめられる残酷さ。
そこで、主人公が悟ったいじめられた人の気持ち。
それを取り戻そうとする努力と裏腹に取り戻せない過去がなんとも言えない気持ちにさせた。
話が変わるが、みんなかわいい。
京都アニメーション、幸あれ!
傍観者の作品
イジメや障害者差別を直接受けたことのない人の描いたファンタジー。
傍観者として関わった大多数の人は、共感できるかも知れない。
しかし、それはあくまで傍観者の感傷か願望であることを意識して欲しい。
「友の形」
人生は時として僥倖に巡り会う。
偶々テレビをつけたら、「聲の形」が始まった。私はこのアニメについて全く情報を知らず、まっさらな認識の中、ボォ~っと何気なく見ていたら、いつの間にか惹き込まれてしまい、最後までかじりつくように見てしまった。
(結絃って少年なのか?女の子に見えるぞ・・・これはどろろパターンじゃねぇのか・・・やっぱり!!)
(おい!将也!!ちがうだろ!!月じゃねぇ~って!!硝子の心の叫びを聞いてやれ!!)
・・・このような瞬間がたまらなかった!
キャラの個性が確立されており、良い奴だけど残念な所、クセのある奴だけど憎めない所・・・各々一長一短あるがバランスが保たれてあり、どのキャラも強烈に印象に残ります。
葛藤のはざまにある人生観、友情を考えさせられる素晴らしい作品です。
私の半世も振り返ってみると、友達とは意図的に作ったものではなく、自然に築き上げられていたものでした。
きっと将也たちもこれから先、さらなる良い「友の形」を築き上げていくのではないでしょうか。
最高
こういう人いる。あるある。を序盤に出すことによって共感性が非常に高まった。
そこからずっとストーリーに取り込まれていた。
ストーリー、絵の綺麗さ、キャラクター、人間という生き物、全てにおいてよく考えられた良い作品。
この作品を知れてよかった。
良い作品ではあるが、2回目を見ようとは思わない。
理由はメンタルがキツいから...
人を多面的に描くには実写より平面のアニメが適している良い例
この作品はアニメで制作され、二次元であることで、人を多面的に描くことに成功している。
三次元で実写化したら白々しいと思う。
障がいを持つ少女を取り巻く様々な人間関係を子供時代から青年期までそれぞれ描写するのは単純ではない。
各自の中にある悩みや葛藤は平面的に単純な性格や心理描写では描ききれない世界だ。
主人公から見た世界は人の顔にバッテンがついていて、それが、あるタイミングでぺろっと剥がれる。同時に異音が響く。
こういった描写もアニメだからこそすんなり受け入れられるし、面白い設定だと感じた。
実写でやると陳腐になることがすんなり受け入れられるし、最大限の効果をもたらしている。
手話がわかる人が観ても手話を見せず明かさないシーンを取り入れることでより、その時伝えようとした事が後からくっきりと浮かび上がってくる。
母親2人と少年みたいな妹のそれぞれの立場からの愛情も大変多面的だ。彼女たちは脇役でありながらもその辺の実写映画よりも深いところまで心のうちが描かれているのだ。独白も説明ゼリフも全くないというのに。
花火のシーンが美しくも悲しい。
生きることを手伝い合う事で生きていくことを選択し続けてほしい。
日本が世界に誇れるアニメの中でもかなりの良作だ。
子供の頃いじめに直面した人はたくさんいると思う。いじめた人、いじめ...
子供の頃いじめに直面した人はたくさんいると思う。いじめた人、いじめられた人、傍観者。登場するキャラクターの誰かに自分を投影するはずで、その全員が救われるような物語。
史上最高のアニメ作品かと。 ( 感動度で )
すべてのシーンが、詩的です。 繊細で、壊れやすくて、何より美しい。
とにかく、感動的です。 誰でも、引き込まれるのではないでしょうか。
自分は劇場で結局3回観て、何度涙を流したでしょう。 原作の漫画も当然ですが、俊逸。
いじめ、ハンディキャップ、贖罪、孤独、友情 ・・・これらのキーワードを並べてもこの映画の魅力はわからないでしょう。
今回TVでみなおして、確信しました。
「これがジャパニメーションの最高峰、ひとつの到達点だ」って。
小学生時代のいじめが見ててつらい
耳の聞こえない女の子の補聴器を何回も(170万分も)小学生が壊すとか😨
ノートを捨てたり机に落書きしたり、話し方をバカにしたり。そしてそれを見て見ぬふりをする、他の生徒たちとまさかの担任。
いじめがえぐくて見ててつらい。。。
そしていじめの犯人探しをしたときに、主人公の男の子石田が罪をなすりつけられ、(石田は主犯格だったが)それをきっかけに今度は自分がいじめられるようになってしまった。
これも、また切ない。自分がやられてみて気付くっていうのも。。
そしてお互い高校生になり、石田は罪を償うためか死のうとする、が母親に見つかり、生きることを約束する。
そして、耳の聞こえないしょうことたまたま再会し、恋に落ちるのだが…。
あんなことされたのに、好きになるのだろうか、
石田のいじめはひどい以上のものだった。
でもたしかに高校生になった石田は改心はしていて、いじめられている同級生の永束くんを助けたり、しょうこの妹の結絃を助けたり、更生はしている。
そしてみんな幸せになりかけていたそのとき、しょうこは自殺をし、それを助けた石田が変わりにビルから落ちてしまう。
結局いじめた方もいじめられた方もずっと死にたいと思っていたのだ。
障害といじめと生と死など複雑なテーマがからんだ作品。
ちょっと好きになれないキャラが多すぎて、しんどかったが、他の人のレビューを読むと、このひとすきじゃない!と思ったひとが(例えば川井さん)、過去にある経緯があってそういう生き方をしているとか、書いてあったので、映画では描かれなかった原作を読んでみようと思った。
すごいと思う
漫画読んで映画2回目。
この作品と会うたびに肯定的な事も批判的な事も思うし感動もするしで毎度自分から違った感想が出てくるので非常にまとめづらい。
ただ虐めに関わって悩んでいる人達や周りにいる人達に、背中を押したり支えたり目を向けてもらえないかと、この苦しい問題を変えていくためにどう発信するかを物凄く考えて作られてる事。作者や関わっている人達がこの作品が世に必要な作品だと意志をもって拡散力が確実に上がる映画化だからこそ慎重に心をくだいて作っている事はよくわかる。
気持ちは声として発した時に、向けた相手や投げた方向や投げ方で少なからず形を変えるし相手の受取り方や受取る時の体勢によっても形が変わる。
自分の受取り方の変化も追っていって発見していきたい作品。
恋の話ではなく、人との繋がりの話
原作既読、劇場にて三度鑑賞、ディスクも購入
今回初めて民放TV局で放送され、冒頭より胸に刺さるものがありながら、一つ一つ伏線を確認しながら再度視聴しました
京都アニメーションだからこそ美しい映像と原作の伝えたいことを上手く調理した表現方法は見事
時折主人公目線でカメラワークが映るのがとても独特で斬新、他のアニメとは違う魅力があります
様々な方に観て頂きたい作品だと改めて実感しました
対人恐怖症とは本当に難しい病気なんです、一生治らない人もいる、そしていじめの問題等
それをどう皆さんが感じ取ったかは、生まれや育ち、培われた思考に委ねる作風になっています
そして何よりも声優の皆さんが聲の形の世界観に力を注ぎ、受け手としては大満足のキャラクターを作り上げて下さったことに感動しました
欲を言えば映像にない大今先生の、もっと辛くて悲しくてでも素敵なお話はいくつもあるので、原作もお薦めしたい
何度観ても涙無しでは観れない映画です
繊細で美しい
京都アニメーションの作品はこれしか観てないです。映画館でも観ましたが、人の表情、動き、心の表現の仕方が素晴らしいです。今回TVで鑑賞し、途中で「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のCMが流れたので、本作の花火の作画の美しさが良くわかりました。声優の選び方も良いです。
自分と違う人(考え方も含めて)を理解しようとすること、想像力を持つこと、が大切ですね。想像力は、人間だけに与えられた能力ですから。
私も、人の声が聞こえづらくて、何度も聞き返して、「あっ、もういいや」と言われたことがしょっちゅう。それでも硝子の気持ちは解りづらかったので、私もまだまだ理解力が足りないです。
あと、先生の対応はダメですよね。
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