劇場公開日 2016年11月5日

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溺れるナイフ : インタビュー

2016年11月4日更新
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小松菜奈×菅田将暉 鋭さと痛みを抱えた若者を鮮やかに体現

否応なしに「愛し合う」と「傷つけ合う」が同義となってしまう10代の2人。小松菜奈菅田将暉は文字通り、傷だらけになりながら17日間の撮影を駆け抜け、作り上げた「溺れるナイフ」を特別な作品だと自負する。いや、もちろん俳優にとって1本1本の作品が特別であり、ましてや小松も菅田も次々と新たな作品が公開される人気俳優。繊細さや残酷さ、爆発しそうな激情を内包した若者たちはこれまでも幾度も演じてきた。それでもやはり、この「溺れるナイフ」は他とは違う“何か”を彼らの中にはっきりと焼き付けた。(取材・文・写真/黒豆直樹)

原作は10代のリアルな心情を洗練された世界観の中に描き、熱烈な支持を集めるジョージ朝倉による人気漫画。15歳の夏、モデルの仕事をやめ、東京から地方へと移ってきた夏芽とその街の神主一族の息子で、強烈なオーラを放つ少年・コウが反発し合い、ひかれ合い、過酷な運命を背負いつつも成長していくさまを鮮やかに描き出す。

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タイトル通り、ナイフのような鋭さと痛みを抱え、己の内に秘めた感情や巨大すぎるエネルギーをコントロールできず、周囲をも傷つけながら青春を疾走する夏芽とコウ。そんな彼らを小松と菅田はどう捉えたのか? 理解や共感を抱く部分はあったのだろうか? 小松は言う。

「その場になじもうとするけど、なじめない。若さゆえの葛藤や新たな環境に飛び込む不安は、私自身も感じたことはあります。夏芽はその表現が大きすぎるけど、根本にあるものは、多くの人が抱いてるものなのかなと思います」

一方で、そのエネルギーの輝きが抑制できないほど強過ぎる夏芽に対し、完全な共感を抱くのではなく、客観的な視点で距離を持っていたのも事実。

「10代でモデルや女優をやっていて、という点で共通点はあるんですけど、私はあんなにも感情を丸出しにはできないですね。私自身の話で言うと、12歳からこの仕事を始めてずっと学業と両立していました。、仕事だけでなく普通に女子高生でもありたいなと高校も地元の共学の高校を選んだんです。東京に来ると仕事モードで、刺激的な大人たちの中で、先に進もうとするところ、まだ気持ちの準備ができてないのに行かなきゃっていう焦りを覚えた時期もありました。一方で学校に行けば何気ないみんなとの会話で何でもないことで笑って過ごしていて、そのギャップが当時の自分にとっていい意味でのスイッチにもなっていたし、いまでもそれでよかったなと思うんです。だから、そこまで夏芽のような行き場のない感情のはけ口を求めて……ということはなかったですね」

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一方の菅田はコウや夏芽の抱える感情について「もちろん、自分にもそういう時期はありました」と語る。

「危険な方へ危険な方へ、制限されればされるほどそっちへ。ダメだと言われるものを求めてしまう。ただ、この作品に関しては、そういう強過ぎる衝動を持っている2人が出会ってしまったというところが全てなんだと思います。それまではまあ多少の不良っぽさを持った少年で済んでたけど、夏芽と出会ったことがリミッターを外すきっかけにもなったし、自分も彼女の中の“何か”を解放させたくなっただろうし。ひとりでは起こりえない、より強い衝動なんだなと思います」

菅田自身は、己のそうした感情が、この仕事を始めたことでいい意味で解放されるのを実感したという。

「やっぱりこの世界、いろんな感性があふれてて、地元では想像しえなかったことがたくさんありました。地元にいた頃、毎日、通っていた通学路が突然、つまらないものに見えてきたことがあって、ちょうどファッションであったり、自分の好きなものを共有できる友達がどんどん減っていき、自分が勝手に“枠”に閉じ込められて評価されているような感覚を覚えることがあったんです。自分の中で『なんか、そういうことじゃないんだよな』という感情があって。でも東京に来て仕事で様々な人と出会って、かつ自分のやったこと、表現が世の中に発信されるというのを経験して、その時にふっと自分の中の何かが解放され、楽になるような感覚を覚えたんですよね」

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本作でメガホンを握ったのは「5つ数えれば君の夢」「おとぎ話みたい」などがインディーズながらも絶賛され、世界進出をも期待される新鋭・山戸結希。山戸監督は全17巻におよぶ原作について「その中で描かれている感情でわからないものはひとつもなかった」と語っているが、小松も菅田も「わかる気がします(笑)」とうなずく。“映画は監督のもの”という言葉もあるが、まさに山戸監督は自分自身の物語として、そして声なき若者たちの代弁者として、この夏芽とコウの感情を映画で追体験し、解放させていると言える。

小松は「現場でやっていくうちに夏芽を知っていく感じでした」と語り、その指標として常に山戸監督を見ていたと明かす。

「監督自身が現場で、夏芽なんですよね(笑)。監督の言葉で『あぁ、夏芽ってそう感じてるのか』と知らされる部分もたくさんさんあったし、監督がコウちゃんを見ているのを見て『夏芽はこんな眼差しでコウちゃんを見てるんだな』と受け止めていました」

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「最初のうちはまず、演出を理解するという以前に監督とのコミュニケーションを図るという感じでした(笑)。あの撮影現場で誰よりも『溺れるナイフ』を愛し、理解しつくしているのが山戸監督であることは現場の誰が見ても間違いないんです。監督自身の中に、少女が少女漫画原作の映画を撮る喜びのようなものも強くあって、こちらもその思いをできる限り吸収したいと思っていました。たぶん、山戸監督にとって今回の演出って、自分の心の内側を渡すような作業なんでしょうね。だから、まずはコミュニケーションを取るところから始まって、内容もポエムのようで、すごく独特だったなと思います」

では改めて、冒頭の問いに戻ろう。小松も菅田も文芸作からエンタメ大作まで、いろいろな作品で時代に、大人に、常識に抗い、己の中に留め置けない感情を様々な形で発露する若者たちを演じてきた。そんな2人がなにゆえ、この「溺れるナイフ」を特別な作品だと感じているのか? 小松は「17日間の撮影が、1年くらいに感じました」と鮮烈な日々を懐かしそうに振り返る。

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「私は19歳で、あの瞬間にしか撮れなかった、といまになって思います。20歳を迎えて、何が具体的に変わるってわけじゃないけど、やっぱりどこかで気持ちは大人になっていて、そうなる前のあの瞬間を、あの場所で、撮ることにすごく意味があったんだなと。撮影中は毎日、泣いて、叫んで、海に入って、本当に大変で……(笑)。逃げ道のない、撮影中はリラックスして息をつくこともできない中で、いろんな奇跡と偶然が重なってできた作品だと感じています」

菅田は、小松の言葉にうなずき、劇中の写真を見ながら「若いよね。あとね、顔が青白い(笑)! (撮影が過酷で)覇気がないもん」と笑いつつ、「本当にこの現場のことは、一生忘れないと思います」としみじみと語る。

「肉体と精神、両方にこびりついてるものが大きすぎますね。この映画、いい意味で猫を被ってるなと思うんです(笑)。表面的には現代的で、少女漫画的な“胸キュン”や(パンフレットには)“神キャスティング”なんてイマドキの言葉が使われてるんですけど、内にあるものは、昔のロマンポルノや『仁義なき戦い』など、それこそ僕らが生まれるよりも前の時代の熱量や生々しさがある。人間と人間が、何かわかんないけど、こんなことになっちゃった……という熱。それがいまの時代の若い感性と共存しているのがこの作品なんだと思います」

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