溺れるナイフ

劇場公開日:

溺れるナイフ

解説

映画化された「ピース オブ ケイク」でも知られる漫画家・ジョージ朝倉の同名少女コミックを実写映画化した青春ラブストーリー。東京で雑誌モデルをしていた少女・夏芽は、父親の故郷である田舎町・浮雲町に引っ越すことに。自分が求めていたものと大きくかけ離れた田舎での生活にがっかりする夏芽だったが、地元一帯を取り仕切る神主一族の跡取り息子コウと出会い、彼の持つ不思議な魅力に心を奪われる。そしてコウもまた、この町では異質な夏芽の美しさに次第に惹かれていく。「あの娘が海辺で踊ってる」「5つ数えれば君の夢」など少女の過剰な自意識を描いた作品で注目を集めてきた新鋭女性監督・山戸結希がメガホンをとり、「MOON CHILD」の井土紀州が共同脚本。キャストには夏芽役に小松菜奈、コウ役に菅田将暉と旬の若手俳優が揃った。

2016年製作/111分/G/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2016年11月5日

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(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

映画レビュー

3.0出演陣は悪くないのだが……

2016年11月7日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

悲しい

単純

小松菜奈、菅田将暉はどちらも好きな俳優。重岡大毅の演技は今回初めて見たが、良い意味でジャニーズらしくないルックや佇まいが好ましいと思った。

でも、これはこの作品に限った問題ではないけど、もう二十代半ばにもなろうかという菅田君が冒頭で中三を演じる時点で、「ああ……(嘆息)」となってしまった。せめてハイティーンの俳優を使うとか、十代の頃と大人になってからを別の俳優にするとか、ほかに選択肢はなかったのか。

映像的にも、いくつか印象的なショットもあるのに、編集のリズムが良くない。音楽も、統一感のない選曲で、四六時中鳴っている感じがしたし、PVみたいな演出のシークエンスも個人的には響かなかった。

全体的に、個々の豊かな資質や価値のあるリソースがうまく連動せず、ちぐはぐなままで、もったいない。山戸結希監督のオリジナル脚本で次回作を観たい。

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高森 郁哉

5.0夏芽が試写会で見たもの

2024年6月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

この作品に仕込ませてある「神」という概念は場所を示し、コウの宿命を示している。
コウは神を感じることができる。現代でいうスピリチュアルな感覚を持つ。その感覚に従い、研ぎ澄まそうとする。それは、この地の神に選ばれたことを意味している。
そこに現れた夏芽
海から出て夏芽に駆け寄る。
「会ってしまったのう」
この言葉は後半の回想場面で明らかになる。コウには夏芽が「光って見えた」
「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」
コウの形容しがたい雰囲気と立ち居振る舞い そして突然海の中に突き落とされる。
このことが夏芽の中の何かを刺激し始め、気づけばいつもコウの背中を追いかけていた。
「私、あの子に勝ちたくて、この仕事受けた」
撮影中のカメラマンに石をぶつけるコウ 逃げたコウを夏芽は追いかけるが、決して掴まえられない。悔しさが全身を覆うとき、カメラマンが夢中でシャッターを切った。
「もっと遠くに行ける」
コウも夏芽に言う。
「遠くに行けるのがお前の力じゃ」
もしかしたらコウは、早くから夏芽の光輝く場所に気づいていて、異常者との出来事は夏芽に出された試練ではなく、コウに出された試練だったのかもしれない。
コウは夏芽といる時間が長くなればなるほど、その研ぎ澄まされた神の声によって、彼女を解放しなければならないと指示され続けていたのかもしれない。
コウにとってナイフは、守ることができなかった悔しさと無力感の裏返しだと思っていた。不良グループとの付き合いや喧嘩に明け暮れる毎日によって、研ぎ澄ました感覚を消したかったのかもしれないと思っていた。しかしコウは神に選ばれし者、消すことなどできないこともわかっていた。
「また(もう)顔見せんといてくれ」と言って投げたナイフには、自分自身の宿命を受け入れるしかないという意味があったのだろう。
夏芽にとってそのナイフは、「遠くに行く」自分の力を信じて突き進めという意味があったのだろう。
コウにとって自分の宿命を切りたかった象徴がナイフだ。
夏芽がナイフを受取ったことで、このナイフは事実上使用済みになったと考える。
夏芽は予定通り上京しなければならないのだ。

この作品を考察するにあたり、2つの観点があるように思った。
日本神話と単なる物語だ。
しかしこの作品がモチーフにしているのは、夏芽とコウだけだろう。カナには明確な役割が与えられているので、もしかしたら神話の中に登場しているのかもしれない。
さて、
この二人の神が浮雲の地に降り立った。
まるでケミカルリアクションを見ているようだった。
菅田将暉くんと小松菜奈ちゃんの演技の根幹にある感覚の根源が反応している風にしか思えなかった。
これが芸術的爆発なのかもしれない。
Wikiで見れば原作は漫画のようで、つまりこの二人は漫画を地でやってのけたということだろう。
漫画は漫画だが、漫画を作るものはそもそもそこに情熱の存在を確信している。二人はその世界観を自分自身の根源から表現したのだろう。
この二人と比較すると、もちろんそれもまた演技だが、夏芽と大友のカップルが普通にしか見えない。
逆に言えばその使い分けもまたすごい。
夏芽がコウと一緒にいる時に見せるケミカルリアクションと大友といる時に見せる普通の女子高生。
この女子高生のときの夏芽は、コウと別れていたので普通だったのだろう。中学の時、魚を届けに来た大友との会話では、夏芽はそばにコウがいるようにフワフワとしている。この掴まえようのないフワフワ感が本来の夏芽の通常モードなのだろう。今の状況にとても満足している。
中学の大友はその感性に引き寄せられるように動いているものの、フワフワと動く彼女に付いて行けない。
「浮雲」という地名にある神事と火祭りと「神」
この地に生まれ、それを守る責務を負うコウは、物理的移動のできない宿命。 変えられない「運命」
それに対し、
有名写真家に「夏芽ちゃんはもっと遠くに行ける」と教えられた彼女は、この地で「何か」を掴み、そしてこの地から出ていかなければならない運命、宿命を担う。
15歳の二人は、
若さゆえ、自分自身をさらけ出して叫ぶことができるし、全力で輝きたい衝動がある。しかし彼らはそのままで「誇り高かった」のだ。
自分をさらけ出すことができ、自分に嘘をつかないこと これができるものは極めて稀だろう。
夏芽は東京でモデルをした経験で、嘘だらけの芸能界にある本当の芸の光の存在を垣間見た。または感じ取ったのかもしれない。極々稀にいる有名カメラマンのような人の言う嘘のない言葉。
「それ」になれば、そこに嘘がないことがわかる。作為で作ることのできない「作品」が生まれる。でもどうしたらいいのかわからないまま、親に言われるがまま浮雲へと移住した。
夏芽は、浮雲の地で立ち入り禁止区域の中の海に身を委ねているコウと出会う。
神聖な場所 立入禁止 神のいる場所 夏芽の心の芯を見抜いたコウ 見抜かれた夏芽は言葉も出ない
「神は普通にいる 人生は暇つぶし この町のものは全部俺の好きにしていい」
彼の言葉に夏芽は唯一この町で心を惹かれるものに出会った。
それがコウという人物
夏芽は自分の感情を口に出す。
「私が欲しているのは、この体を貫く閃光」
この閃光の正体を見極め、その力でさらに輝ける存在になる実感を掴むことが夏芽がこの地ですべきことなのだろう。
さて、
カナとはいったい何者だろう?
カナはちょくちょく夏芽に話しかけるが、その多くはコウについてだ。
カナは「噓つき」だ。カナはずっと以前からコウのことが好きだ。
しかし、そのコウとピッタリなのは誰が見ても夏芽。
カナは二人を取り持ちながら、隙を窺っている。絶えず様子を見ているのだ。
そして、
コウに与えられた使命は、夏芽が自分の力を見出し、それを信じ、もっと遠くに行く後押しをすること。
そのために、
物語には事件が起きる。
異常者の登場 「お爺さんが倒れた」
カナは目撃者 コウは車を追いかけ夏芽を助けようとするが、石で打たれ倒れる。駆け付けた仲間らが異常者を取り押さえるが、コウの中には自分で助けることができなかった悔しさと無力さでいっぱいになる。
自分自身が許せないコウは夏芽と別れた。そして同時にこれが神からの指示だということを理解する。
この時もうほぼ夏芽の機は熟していた。
それを受け入れられないでいるのは、コウだった。
抜け殻のように高校生活を過ごす夏芽。夏芽がカナの言葉を生理的に嫌うのは、カナが持っている使命に対する嫌悪感だろうか。
やがて夏芽は大友と付き合い始めるが、有名カメラマンが「君ならもっと遠くに行けると思ったけど。もう二度とこないよ」
夏芽にとってSNSの誹謗中傷などさほど気にならないが、自分自身の感性を否定されるのは我慢できなかった。しかしそれは当たっているのだ。自分の中に光を失ってしまったことを完全に見透かされた。
夏芽は川岸まで走って転げ落ちながら泣き、神社に行って祈った。
「普通の幸せ」 「私の神様、もう一度会えませんか?」
神が差し出したものは「コウ」だった。あの事件の意味はコウには理解されたが、夏芽には大きな喪失以外何もなかった。
神様は面倒くさい。
神はもう一押しをコウに託すのだ。
さて、
溺れるナイフ
この意味は何だろう?
何度も登場する海のシーンも川のシーンも、溺れる気配すらない。
異常者が自殺するときに使ったナイフ。
異常者は二人を引き裂いた象徴。
ナイフはコウから夏芽に渡された時すでに役割を終えている。
しかし夏芽とコウの中にある「あいつの呪い」は消さなければならない。
このシーンは非常に幻想的に描かれている。おそらくこのシーンには「神」が介入している。
時間差はあるが、コウの舞う日の神神楽によって既に呪いなど解かれている。
また、神の視座から見れば、呪いなどなく、すでにすべてが解決しているが、二人の中に取り残された澱のような「アイツ」の感覚は取り除かなければならない。
夏芽は「殺して」と叫び、コウは無言でそれに答える。
そこに割って入ったのが「カナ」だ。彼女は最初から神によって仕込まれていたのかもしれない。
二人は、アイツを殺してしまわなければ呪いは残ってしまうと思い込んでいるが、カナによってその罪の意識は最小限となる。
ナイフは自決に使われたが、人を殺傷するものの存在こそ人を溺れさせるものだと作者は言いたいのかもしれない。
自分の力を信用せず、武器などのアイテムによって目的を達成しようとする人間社会。それを使い不良たちに偉ぶって見せても、虚しいだけだ。
自分自身を受け入れ、心の方位磁針に従って歩くだけでいいのだ。
受賞後の試写会で、夏芽の目に見えたのは、コウと一緒に過ごしたことだった。それは彼女にとって永遠に心に残る出来事で、この場に立てた原動力だ。そこにあるのはどこまでも伸びやかな自分自身の体を貫く閃光そのものだった。

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R41

0.5溺れる恋と怪しい主人公たち

2024年5月4日
iPhoneアプリから投稿

悲しい

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Rocky.

3.0昭和??

2024年4月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

なんとなく昭和の匂いがするのは何故だろう

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babydoll