葛城事件のレビュー・感想・評価
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話はいたってシンプル
どーしよーもないやつはどーしよーもない環境で育っている。諸悪の根源はこの場合は父という事なのだろう。父親抜きの三人の語らいのシーンは、唯一ホッとできた瞬間だった。息子が自殺をしても、凶悪犯罪を犯しても、それでもまだ虚勢を張り続けている。最後死ねなかったのは、首をくくったのが自分が息子たちの願掛けに植えた蜜柑の木であるということから、家族に生きろと言われたのだろう。劇中の彼の言葉、生きて苦しめ。皮肉なことだ。
シンプルな話を特別にしているのが、葛城一家四人の役者の演技力。強いて言うなら田中麗奈の素性をもっと描いて欲しかった。平常心でないのは明らかなのだから。
とにかく始めから終わりまでずーーっと辛かった。分かってはいたけど。唯一和ませてくれたのはどこか優しい音楽か。目も当てられないシーンの後に限って流れる。救いだったような気がする。
家族という凶器。
山の日@渋谷アップリンク
またまた宇多丸の影響で鑑賞。
池田小事件の知識はほとんどなかったが、一見普通にも見える家族。
ほんの少しのボタンのかけ違いから、あれよあれよと言う間に崩れ落ちていく。
というか、もっと前から本当は崩れかけていたけれど気付かないふりをしていた?ものが一気に崩壊する。
宇多丸はちょっと大袈裟に表現しすぎていたのでは、と指摘していた
「食育」を無視したコンビニ飯や出前料理
とか
妊娠中の女性がいるのにたばこを吸うシーンとか
一国一城の主として建てた、大事な自宅の思い出の木で首吊って自殺しようとするとか
「家族」として表すには、辛すぎる、不快すぎるシーンの連続で…
かなりざわざわした…
父親としての像
として、しかもありそうな像でもあったからこそ、
家族って何が正しいんだ?!!と考えさせられる(安易な言葉で好きでは無いが と宇多丸は言っていた)
ことに…
とりあえず、婚活 が、頑張ろう…汗
『価値観』という病巣
日本人特有のものなのか、それとも人類の業なのか、哀しくもあり情けなくもあるが我々は常に『価値観』に縛られる。『こうあるべきだ、こうでなければならない』。本来、結果に導くプロセスが目的化してしまう現象。もう定理といっても良いくらい枚挙に暇がない。
そしてその『価値観』が結局、張りぼてでできた偽物だととっくに気づいているのに捨てられない臆病さ。いじらしいほどしがみつき、しかし砂の城の如くサラサラと崩れ落ちていく現実。或る家族が、自分達でこしらえた虚空に飲み込まれていく様をドラマティックに披露する作品である。
観ていて常に感じること、それは、紛れもなく自分の人生に酷似しているということ。痛々しい位に各シーンが胸を抉り、掻き回す。締め付け、押しつぶす。感情移入の度合いが半端無くこの登場人物の兄弟に注ぎ込まれる。しかし、もう自分はすっかり歳を取り、頭頂部も禿げ散らかしてきた。そうなると表層の原因である父親でさえ、憐れでならない気持ちを禁じ得ない。この父親も又悲劇なのは、自分の父親を悲しい位重ね合わせているから。。。
今年は邦画の当たり年。このような重くのし掛るテーマの作品がきちんと商業ベースで上映続けることを願って止まない。
最後に、父親が部屋内を滅茶滅茶に壊した後、子供の成長を願った庭のミカンの木に掃除機の電源コードを括り付け、吊ろう戸実行に移すが弱い枝のせいで自殺が失敗に終わり、何事もなかったかのように、コンビニ蕎麦を啜るラストシーン、自ら命を絶った長男、罪の報いで国家に殺された弟、精神的に破壊された母親等々のように逃げることも又許されない現世に、やりきれない無常観を目一杯吸収し、映画館を後にした。
良質なフィクションは、今更ながら影響力の計り知れない強さを感じさせられる、自分にとって忘れられない印象であり、自分を構成する部品の一つになってしまうことが苦しい。
(もっと自分の人生を赤裸々に詳らかにしながら、作品との対比をしようと思ったのだが、まだもう少し熟成が必要と、エクスキューズしてみる 多分巧く文章を残せない・・・)
どうしてここまで来ちゃったんだろう
どうしたら良かったのかは答えは出てる。
でも、その原因を改善したところで防げたのかは正直分からない。
悲劇の始まりは、この父。
映画を観ながら、フライヤーの「俺が一体、何をした。」の文言が頭をよぎり、ふざけんなと思う。
でも、こういうお父さんって案外多い気がしてならない。
口調だったり、とある発言は、誰でも当てはまりそうなことばかり。
家族、取り巻く環境がいかに大事かを感じさせられる映画。
役者がとにかく凄かった。かなり凄かった。
南果歩演じるお母さんは特に凄かった。
南果歩を舐めていたと思うほど度肝を抜かれた。
誰にも共感は出来ないけど、そうなってしまった理由や背景は理解できる。
ただ獄中結婚した死刑反対派の田中麗奈演じる星野順子には全く共感が出来なかった。
--以下ネタバレ--
ラストのシーン。
息子の成長を願って植えたみかんの樹。
父は死のうとしたものの枝が折れ、死に損なう。
そしてリビングに戻りコンビニの蕎麦をまたすする。
死ぬ覚悟すらない腰抜けにも見えれば、
皮肉にも息子に助けられた父にも見えた。
か弱きものに押しつぶされた者たち
清から逃れた妻である伸子が稔(彼が父である清の性格を受け継いでいる)とアパートでインスタント麺を食べるのがこの映画で唯一、ホッとするシーンだ。
それで「父性」こそが、“この元凶の中心”である事は分かる。何故ならその後に清がやってきて元に戻るのだから。
それではその父性は強いものなのか?
それが最後に願掛けで植えた蜜柑の木が首吊りで折れたときに分かる。“実は対して強いモノではなかった”と。
彼らを縛っていたモノはか弱く、取るに足りない存在だったことに気がつくとき“この元凶”が特殊なケースではなく、実は誰にでも起こりえることに観ている者には気がつく。この映画の奥深さはここにあるといってもよい。
ときおりある“空間の狭さ”が葛城家の“狭さ”でもあり、それは我々の狭さかもしれないのだ。
個人的には、主演の三浦友和は甘いマスクも相まって器用貧乏な俳優と思われがちだが、実はこんな「激しい」役が一番の得意なのだと再確認した映画でもあった。
よかった
三浦友和の一挙手一投足が全て居たたまれない気分にさせる。あんな性格でよくそこまで家族が持ったものだとむしろ不思議になるし、結婚すら普通無理なのではないだろうか。実際は寂しがり屋で優しい側面もあるだろうし、そういったところも少し描いて欲しかった。
実際にあんなお父さんはいるだけでパワハラだし、児童虐待だ。でも、今時珍しい頑固オヤジでもあり、居たたまれない気分が心地いいような安心感が逆にあるような変な気分もある。洗脳なのかもしれない。
田中麗奈にキスをせがむ場面は見ていてつらかったが、死刑囚と結婚するような変な女ならもしかしたらと思わなくもないので、三浦友和を一方的に否定できない。
、
新井さんの舞台挨拶に行きました。一家の家族の物語、破滅に向かっていくんだけど、誰が悪いのか分からない、正義と悪が混沌としている感じがした。たまたまひとりひとりの悪い所がぶつかってこうなったのかなって思った。新井さん演じる保はサラリーマンだったけどある時に職を失い、転落していく人生。最終的に自殺をしたんだけど、面白い話を新井さんに聞いた。【①保の子供を演じる子役は保に似たような子を抜擢した②子役に上手く演技させることが出来ず監督が子供にち○こを触らせてた(笑)③新井さんは自殺の時日本刀で首を切るというシーンを入れたかった④煙草を踏み消すシーンは2パターン撮って、ひとつは映画のカスを拾いに戻るもの、そして拾わないで立ち去るという設定も考えられていた(ちなみに新井さんだったら消した煙草をそのままポッケに突っ込むな、と言っていた)】人によって違う解釈をしてもらって構わないとの事です。重い内容ではあったがその他の要素も多く非常に楽しめる映画だと思う。演技を演技と思わせない彼らの演技力に圧倒されました。
見るべき作品
無差別通り魔事件
犯人が悪い
父親が悪い
母親が悪い
兄が悪い
誰が悪いかわからなくなる
皆が皆、少しずつ狂っていく
亭主関白(自己中心的)な父親
何も言えない母親
優等生から転落していく兄
劣等感を抱える弟
見事なまでに人間が少しずつおかしくなっていく様子が描かれていて、じわじわ怖いと思った
とてもリアルでどこにでもありそうな家庭
父親は過激だが
すごく嫌な父親だが、見栄やプライドを持っているのが透けて見えたり、実は誰かいないと壊れてしまったり、昔の写真を眺める所に、何故か切なくて涙がでる
そして蜜柑の木でまた涙
もう一度見たい作品
出ている俳優陣が本当によかった
違和感を一度も感じなかった
うまい脚本、突き刺さるセリフ
ひたすら暗い。重圧感はひどくないが、どこにでもありそうな家庭崩壊ドラマとは大きく違う深度がある。
脚本うまい。セリフが発言者自身を告発しているあたりがいいねん。
三浦友和さんがいい。
昭和と平成の溝が深い。
南果歩さん、切ない。
Sad映画
すごく悲しい映画でした。
清には明らかに家族愛があるんだよね。しかし、それは空回ってばかり。理想を掲げて支配し抑圧するしかやり方を知らない。不器用というより愛するスキルが欠如している。そんな夫を嫌っているくせにノーと主張できず、「ここまで来てしまった」と嘆く伸子。父親の理想に殉じる良い子の保と、否定されて腐るしかない稔。
葛城家に共通するのは主体性がないこと。家族の中に、自分の力と誇りで人生を切り開き、自分を勝ち取るという価値観がない。清も金物屋の二代目を主体的に選んだとは思えない。家族全員自信がなく、臆病なのだ。清のクレーマー気質とかは、弱い犬ほどなんとやらのよい見本だ。理想の家族像とかにすがるのは主体性がない、すなわち自分がなく臆病だからだ。
そして、主体を持っていないから、互いに個人を尊重できない。人間を尊敬することができないのだ。支配-服従とか、不自然な関係にならざるを得ない。家族とか言ってるけど互いに信頼できないからみな孤独だ。
おそらく、これまで清も伸子も主体性や愛するスキルを学べなかった。家族とはそういうものだと思っていたらあんな事になってしまったのだ。本当に悲しい。
葛城家以外の重要人物・順子も相当アレな人で、空念仏の愛を唱えるメサイアコンプレックスのクソバカ偽善者(狂信者?)だが、終盤の自分のセックスを語るシーンや、清にキレるシーンで、生々しく情けない人間の顔が現れ、なぜかニンマリしてしまった。守りが破け、新しい展開を示唆している。
ほっこりシーンはアパートの最後の晩餐シーン。唯一の家族団らんですね。ここで、清の呪縛から逃れて伸子と稔は自主性を獲得しかける。精神発達のチャンス獲得場面だ。少し光が見える、なんともあたたかい雰囲気でした。
あそこで元の木阿弥になっちゃうのがまた悲しいんだよなぁ。
どうでもいいけどDV被害者のシェルターの重要性を連想してしまいました。
同属嫌悪
観ていて、序盤から窒息しそうな緊迫感が嫌で嫌でたまりませんでした。
三浦友和さん演じる、清。
2人の息子たちの父親という点にシンパシーを感じながらも、思い通りにならないもどかしさに苛立ちを隠さず表す姿に、完全に自分を投影してました。
猛烈な嫌悪感は、彼の一面に自分の似た部分を感じるから。
私は清とシンクロしましたが、きっと人の親となっている方ならばどなたが見てもどこか似た点をこの夫婦に感じてしまうのかもしれません。
とにかく南果歩さん演じる妻と三浦友和さんの演技が鬼気迫っており、薄暗い背景にぼんやり浮かぶ姿には、徒労感と絶望感に満たされ、観ていて目を逸らしたくなりました。
が、評点4.5です。
壮絶、だけど普通の家庭の話
HPを見ると、「壮絶な、ある家族の物語」と書いてある。
確かに壮絶だ。
なにしろ2人の息子の長男は自殺、そして次男は無差別殺人事件の犯人だ。
だけどこの家庭、それほど特殊なんだろうか。
正直私は、何度も何度も「あるある!」と思った。
高圧的で自分を過信し、意見されることを嫌い、「これだから日本人は〜」みたいなことをすぐ言うオヤジ。
子供を溺愛し、家族の問題から目をそらし、「自分さえ我慢すればいいんだ」とヒロイックに耐える妻。
父親に気に入られようと「いい子」であることに必死で、身なりを気にし、一度しくじるとリカバリーが効かない男。
そして、きっと、多くの人が「あー、親戚の◯◯君っぽい」「近所の◯◯さん家の息子もこんな感じ」と近くの誰かを思い浮かべるであろう、大人になっても自分の人生を全く始められていない男。
「三浦友和演じる父親は最低の人間で、彼のせいで息子はあんな事件に至った」と思う人もいるだろう。それはある程度正しいと思う。
でも、あんなオヤジどこにでもいる。
最低だけど、普通だ。
リストラされた人も、バイトが続かない人も、引きこもりも、今の日本で全く特殊じゃない。普通だ。
今、この日本で、絵に描いたような幸せな家庭がどれだけあるだろう。
外から見れば幸せでも、世間体を気にして問題を隠していたりする。
「日本の家族あるある」だろう。
この映画は、壮絶だけど、普通の家族の話だ。
だから怖い。
本当にちょっとした歯車の狂いで、どの家庭にも、こんな事件は起こり得る。
特殊な事件の話ではなく、誰にとっても他人事ではない家族の話として、恐ろしくも興味深い映画だった。
家族がバラバラにコンビニ弁当を食べる画って、傍から見るとこんなにグロテスクなんだなぁ…。
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