「獄中結婚しても離婚できてしまっては。」葛城事件 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
獄中結婚しても離婚できてしまっては。
『葛城事件』(2016)
息子が殺人をして死刑判決が出た。男親の視点からの映画らしい。家にペンキで人殺しと書かれた壁を男親は消している。男親を演じている三浦友和は若い頃の二枚目から既に完全に演技派の重鎮になっている。そこに、獄中結婚をした女(演者は田中麗奈)が訪ねてくる。私は死刑賛同だが、映画の女は、死刑に反対している。凶悪犯人の心も変えられると女は信じている。獄中結婚したことで、女は実の家族と別れてしまったという。私はこうした女に賛同できない。女が犯人と接見すると、花や菓子なんかいらないから現金をくれというが、なんだ愛情のないと思うと、男は、
家族なんだから正直な会話が必要だ。6万円もってきてくれという。それはそうかも知れないとお思わせる。獄中結婚した女にガラスの後ろで罵声を浴びせる犯人。冷静に応じる女。「ちょっとずつでもいいので、本当の家族になれたらいいと本気で思っている」と話すと、犯人は不信な顔をしてなにか言い残し、獄に戻る。そしてこれは時間が行きつ戻りつするタイプの映画のようだ。四人暮らしである。男親と犯人(若葉竜也)のほかに妻(南果歩)と長男(新井浩文)がいた。居酒屋でカラオケを歌う男親とそれをみる獄中結婚の義理の娘のシーン。男親はかなり酔っぱらっている。
男親は義理の娘を非難しまくる。娘は息子の話が聞きたいという。この映画では人殺しの親でも相手にしてくれる居酒屋の存在があるとみえる。他の客も眉をひそめるが、男親は一緒に飲もうという。とうとう自分の立場ってものをわきまえろよと言われてしまい、早くこの街から出てけと言われると男親はグラスを床に投げつけ、義理の娘と居酒屋を出る。歩きながら娘に話す。長男は良くできた子だったが、弟の犯人はへらへら遊んでいる。同じ兄弟でこうも違うかと愕然としたが、俺はやるべきことはやってきたんだと語る。時間が戻り、長男は会社を解雇される。相談するのが遅かったという先輩がいいことを言っていた。営業とは買ってくれるお客のところに行き、買ってくれないお客さんへは行かないことだが、熱意で買ってくれるものだと。家庭のトラブルのエピソードの後に、また接見のシーン。犯人は女に打ち解けない。女は「私はあなたを愛します」というが、無言で獄に戻る。犯人は無職のコンプレックスがあった。夫婦仲は冷え、妻は失踪したらしい。長男は解雇されたのを告げずに、勤めている振りをしているらしい。男親は工具を店で売る経営をしているらしい。長男は再就職の面接に行くが、冷や汗をかき、精神的になにか出てしまうようだった。アパートを借りて、妻と犯人の次男が隠れていて、長男が見つけて男親に連絡する。長男がどうするのと心配する。妻は時給850円のスーパーで働き、次男とコンビニのナポリタンを食べている。
それを見つめる失業を隠し営業をしている振りをする長男。やがて父親が入ってくるが、次男を足蹴にする。なぜ次男に父親は暴行したのだろう。包丁を次男に向けた途端に、妻が家に帰るからもうやめてと泣いて頼む。だが凄まじいシーンだが、本当に次男を刺すわけもなく、「とりあえずおうちへ帰ろう」と言って、そのシーンは終える。長男が死ぬ。遺書はレシートの裏に「申し訳ない」。
葬儀での嫁と姑の大きく重い確執の対話。愛憎。そして<普通の>街の描写へと転換する。獄中結婚の妻が歩いている。精神病院に車いすでいる女親の姿があり、語り掛ける。人間に絶望したくない。死刑は人間絶望の制度だ。彼には私みたいな人間がそばにいれば心を改めるのだ。今までそういう人に出会えなかっただけだからと女親に向けて叫ぶ。また時間がさかのぼり、長男の遺影に向かって一発逆転してみせると語った次男だが、なぜかナイフを手にする。そして、駅の中で、無差別通り魔を起こしだす次男。叫びながら、ナイフで何人もの通人を切りつける。これも凄惨なシーンである。なぜか逃げずに茫然と立ちすくんでしまう人たち。その頃、男親は家族四人の昔の写真。子供たちがまだ少年だった頃のにこやかな写真をみていた。カラオケスナックのシーンに戻る。男親は客に叫ぶ。「俺が一体何をした」。「奴を裁けるのは国だけだ。そういう仕組みを容認しているあんたらが国民が俺の息子を殺すんだ。それで勘弁してくれねえか。私は息子の血や肉体を差し上げます。奴の脳みそを分析し、今後の犯罪の軽減に協力できるならば、どうかこの変でご容赦できないだろうか」と言った後で土下座する。みんな帰ってしまう。スナックの老いた女主人は、あの家はどこか売り払って他にいったほうがいいよと諭す。みている獄中結婚の妻。そしてずっと昔の子供たちが少年時代のシーンになる。男親は「自分の城ですから」と仲間に
語っていたシーンが対比される。男親は決して異常な人ではなかった。精一杯やってきた人だったのに。6人も7人も殺しても、男親は獄中結婚の妻に、犯人の息子を死刑にしないでくれと頼む。
息子は獄中結婚の妻に、ずるずる死刑執行を伸ばすようなことはしないでくれと怒鳴る。すると、獄中結婚の妻は安い冷房のない部屋でも当時の交際相手と性行為してしまうという話を犯人に聞かせる。こういう面を良い思い出にしてしまうような感覚や、凶悪犯人に獄中結婚して立ち向かおうとする女の存在も変人なのだが、どうした考え方でそうした女が現実にもいるのだろうか。この異常な男女の関係の、ガラス越しの言い合いのシーンも凄惨である。男は軽く礼をして獄に入るようになっていた。涙を流す女。だが現実はこうしたケースもあるとしても、もっと修復不可能なサイコパスはいるはずである。本当はこう書くことが良心的である。これはフィクションだ。「葛城金物店」が閉店しているのが映し出される。男親は獄中結婚の妻に、死刑執行前に犯人は両親のことを何か言ったかと聞くが、別になかったが、死ぬ前に炭酸を飲みたいといったという。男が死刑執行をされて、獄中結婚の妻は、犯人の男親に別れの挨拶にきたのだ。「もうこれで息子との関係はおしまいか」と聞く男親。そして、男親は獄中結婚の妻をレイプしようとする。「唇くらいいいじゃねえの」「失礼じゃないですか。大きな声を出しますよ」「今度は俺の家族になってくれないか」「はい?」「俺が三人殺したら、おまえは俺と結婚してくれるのか」「ふざけないでよ。あなた、それでも人間ですか」驚いたような顔をみせたが、女は出ていく。残された男親は、妻と二人の息子の名前を呼ぶように叫ぶ。獄中結婚の妻は犯人には確かに向かい合えたかも知れないが、犯人が死ぬと関係を清算できた。交際相手とも性行為して別れられた女。しかし男親は。家の中のものをみんなぶちまける。壊す。家の中を滅茶苦茶にする。城だったのに。そして掃除機のコードを伸ばす。庭に出る。イスを持ち出す。木にかけたコードを首にかける。しかし、木が折れる。一瞬正座して立ち上がりまた部屋に戻る。滅茶苦茶な部屋の中で、食べかけていた蕎麦をまたすすりだす。