「『価値観』という病巣」葛城事件 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『価値観』という病巣
日本人特有のものなのか、それとも人類の業なのか、哀しくもあり情けなくもあるが我々は常に『価値観』に縛られる。『こうあるべきだ、こうでなければならない』。本来、結果に導くプロセスが目的化してしまう現象。もう定理といっても良いくらい枚挙に暇がない。
そしてその『価値観』が結局、張りぼてでできた偽物だととっくに気づいているのに捨てられない臆病さ。いじらしいほどしがみつき、しかし砂の城の如くサラサラと崩れ落ちていく現実。或る家族が、自分達でこしらえた虚空に飲み込まれていく様をドラマティックに披露する作品である。
観ていて常に感じること、それは、紛れもなく自分の人生に酷似しているということ。痛々しい位に各シーンが胸を抉り、掻き回す。締め付け、押しつぶす。感情移入の度合いが半端無くこの登場人物の兄弟に注ぎ込まれる。しかし、もう自分はすっかり歳を取り、頭頂部も禿げ散らかしてきた。そうなると表層の原因である父親でさえ、憐れでならない気持ちを禁じ得ない。この父親も又悲劇なのは、自分の父親を悲しい位重ね合わせているから。。。
今年は邦画の当たり年。このような重くのし掛るテーマの作品がきちんと商業ベースで上映続けることを願って止まない。
最後に、父親が部屋内を滅茶滅茶に壊した後、子供の成長を願った庭のミカンの木に掃除機の電源コードを括り付け、吊ろう戸実行に移すが弱い枝のせいで自殺が失敗に終わり、何事もなかったかのように、コンビニ蕎麦を啜るラストシーン、自ら命を絶った長男、罪の報いで国家に殺された弟、精神的に破壊された母親等々のように逃げることも又許されない現世に、やりきれない無常観を目一杯吸収し、映画館を後にした。
良質なフィクションは、今更ながら影響力の計り知れない強さを感じさせられる、自分にとって忘れられない印象であり、自分を構成する部品の一つになってしまうことが苦しい。
(もっと自分の人生を赤裸々に詳らかにしながら、作品との対比をしようと思ったのだが、まだもう少し熟成が必要と、エクスキューズしてみる 多分巧く文章を残せない・・・)
共感とフォロー、コメントいただきましてありがとうございます。本作はやはり昭和生まれの人間には他人事でない部分が多々あって、自分も結構この家族と重なる部分がありました。
でも私もいい年になってある意味達観して物事を見られるようになったのか、不謹慎にも楽しんでみてしまいました。でもやはり深い作品であります。
アドバイスもありがとうございます。たまに変なコメントの書き込みがあったりするので、速攻でブロックしてます。ただ、ほかのレビュアーの方は見れたりするんですね。