葛城事件のレビュー・感想・評価
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他人事である。参考にできる事は無し。
この主人公達が何に怒っているのか全く理解不能。
さて、なぜこの主人公達が鬼気迫る迫力ある演技が出来るのか?
答えは全く簡単。
脚本が全くめちゃくちゃ。
出鱈目、ミスキャスト、突っ込み所満載、時間の流れがめちゃくちゃ。
もはや、評価する範疇ではない。
我が亡父もかなり嫌な奴だったが、こんな切れ方はしない。また、この親父と決定的に違うのは自殺を絶対に認めていない事だった。
バラバラな家族ゆえ、事件が起こる前に離散する。それを脚本で無理やり繋ぎ止めるから、事件が起こる。兎に角、これは偏見を生む。
煽りすぎるが、模倣犯がでたらどうするんだ。
つまり、この制作側は『死刑制度賛成』と見た。
真面目に死刑制度を反対する人達に対する侮辱でしかない。
全員変人
全員どこか変わっていて、
どこか欠落しているように思う。
だけども他人事に思えないのは、
結局自分も普通の家族だと思っていても他人から見たら
変わっていて、家族のバランスと言うのはどこもギリギリで保っているのではないか?と思えました。
一つ何かが崩れると一気に家族って崩壊する気がします。
お父さんが強烈ではあるけど、
昭和の時代にはこう言う人たくさんいたし、
自分は40代なんで、僕からするとまぁまぁで収まる
けどよくよく考えるとダメな親父で、
何が一番ダメと言うと自分はいつも正しくて、
被害者で間違った事を何一つやってないと思っている
ところ。
全てこの親父さんが悪いでは片付けられないけど、
なかなか見ててきつく息苦しい家族でした。
次男を擁護する事は出来ないけど、
母親との生活があのまま続いていれば、
と思わざるを得ません。
重苦しい映画
全ての歯車が音を立てて噛み合わなくなる様なそんな映画でした。
作中のモチーフは昨今の様々な事件を参考にしたとの事でしたが、獄中結婚は宅間守ですかね?
家庭環境的には秋葉原無差別殺傷事件なのかしら
あらすじはほかの方が述べているので省略しますが、全体的に重々しく暗い映画です。
実際にあった事件をモチーフにした映画は好きでよく見ますが、今までにない構成で最初は中弛みするかもしれません。
登場人物全てがどこか狂っていて壊れていて。
父親演じる三浦友和は、父親としての威厳や一城の主としての責任故によく出来た長男には甘くよく出来ていない次男には厳しくといった昭和の親父あるあるみたいな役どころで、でも自殺した長男を自殺と認められなかったこと。
死刑になった次男の嫁に俺が3人殺したら結婚してくれるのかと迫るシーンでは、家族というものにこだわりが強く最後家を建てた時に子供と同じように成長するみかんの木で自殺を測ったが死にきれず、蕎麦をすすりながら終わっていく後味の悪さが際立ちます。
長男役の新井浩文は、優しくて少し自己主張が出来ない平和主義者。
営業として就職したが、成績が悪くリストラされそれを妻に言えずに自責の念を持ち自殺を計ってしまう。
元々新井浩文さんを知ったのが隣人13号で、あの役柄のイメージが強かったのですがあんなに弱々しい演技も出来るのですね。
三浦友和の嫁役に南果歩。
旦那と居る時は、優しくそして弱々しくハッキリと言えなかった人が三浦友和から離れるために家を出て次男と一緒に住み始めた頃から心が壊れて行って饒舌になる。
最終的には精神病院に入院されてまさに堕ちてしまった人。
次男役に若葉竜也さん
この方は存じ上げなかったのですが、子役から活躍している方なのですね!
無職で気力もなく何を目指しているか何を考えているか分からない役を演じたのは素晴らしいと思います。
この方が演じた稔が無差別殺傷事件を起こし、死刑と判決されてしまう犯人役。
難しい役どころだったでしょうに、中々見せてくれるシーンが沢山ありました。
そして犯人役の嫁さんに田中麗奈
彼女は死刑反対派の人物で、殺人を犯した稔と獄中結婚しています。
彼女の狙いは結婚をして話し合えば何か変わるかもしれない。役に立てるかもしれないと考えている、ちょっとネジの外れた女性です。
獄中結婚してしまえば、嫁としていくらでも面会に行けるのでそうしたのかと。。
全体的に現在と過去を行き来する作品で、それも作中の流れが分かりやすくなっているのでどうか最初の30分は見て頂ければと
【”そしてもう誰も帰って来ない家、葛城家。”鑑賞中、鑑賞後の嫌な気持ちが尋常でない作品。”ある意味凄いな、赤堀雅秋監督。”と思った作品でもある。】
ー 赤堀雅秋監督作品は、「その夜の侍」を観て、堺雅人さんのそれまで観たことが無い笑顔を封印した演技と、山田孝之の狂気の演技に驚いたモノである。
だが、流石にこの作品は劇場で鑑賞するのを辞めた記憶がある。
しかし、矛盾するがずっと気になっていた映画でもある。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、葛城家の長、清を演じた三浦友和氏の狂気性を帯びた、暴力的で、相手を恫喝する、自らの所業を全く反省しない姿が矢張り印象的である。
・そして、妻の伸子(南果歩)が、家庭が崩壊しつつある中で、コンビニ弁当を独りで食べる姿や、引きこもりの二男の稔(若葉竜也)もコンビニで弁当を食べる精気の無い表情が、実に不気味である。
・冴えない営業マンである保(新井浩文)は、成績が上がらないために会社を馘首されつつも、それを妻(内田慈)に言い出せずに、毎日”行ってきます。”と家を出ても、公園で一人過ごす姿や、再就職の面接で自分の名前も言えない所などは、清の悪影響を明らかに受けていると思う。
そして、飛び降り自殺した保の葬儀で、酒に酔った伸子が保の妻に言った言葉。”何で気が付かなかったの。貴女が殺したのよ。”
伸子も、この時点で壊れている事が分かるのである。
■一番、気持ち悪かったのは死刑制度反対論者の田中麗奈が演じた星野順子である。
私が死刑制度賛成論者であるからかもしれないが、多数の無実の人を殺傷し、死刑を言い渡された二男の稔と獄中結婚する考えが、全く理解不可能である。
これが、無実の罪を訴えている人であれば別であるが、稔は生きる意味を失っている愚かしき男である。
最近はこのような犯罪は減っているが、世の中に不満があるからと言って、無辜なる人を巻き添えにする輩は、速攻で断頭台の露にすべきと私は思っているからである。
多分、この一連のシーンは赤堀雅秋監督の、実際に起こった事件への強烈な怒りを逆説的に描いているのだと思う。と言うか、思いたい。
<ラストも、又シニカルである。清がマイホームを建てた時に植えたミカンの木で首を吊ろうとするも、綱が切れ、清は又一人で家に戻り飯を食い、稔が処刑された事を伝えに来た星野順子に抱き着く姿は、最早人間ではないであろう。
今作は、ある意味凄いな、赤堀雅秋監督・・、と思った作品である。>
ずっと修羅場のターン
私にしてはかなり珍しく、登場人物になにひとつ共感ができなかった。
毒親、ネグレクト、人々への理不尽な扱いなどたくさんの胸糞映画は存在する。
もちろん実話をモチーフにした犯罪の作品など多くある。
ただ、涙でも嗚咽でもなく吐き気だけ。
無感情に食べられるコンビニのスパゲティくらいが可哀想に思うくらい。
たんたんと、観続ける。
ただそれだけ。
父親にも母親にも2人の息子にも兄の奥さんにも子供にも近所の噂話をする人にも殺傷された人々にすら何も共感できない。
獄中結婚をする女性にも。
ただ吐き気
人生最後に食べたいもの
それは叶わない
バラは咲いても散るものである。
実話を作品
こんな家族、実際にあるんでしょうね
人格否定されて生きていくのは辛いし、ねじ曲がりながら生きて行くのは仕方ないのかも
何かスッキリしない作品でした
しかし、三浦友和さん南果歩さん、上手いですね〜
ひたすら救いがない
登場人物、誰に対しても共感できない。
先日観たアイアンクローもそうやけど、この作品も諸悪の根源は結局父親。事件が起こった後も、現実から目を背けている。被害者のかたへの謝罪の気持ちは感じられず結局は夫婦ともに自分のことしか考えていない。自己中心的。家は唯一の自分が幸せだった頃のステータス。その家で自殺をしようとしたのもなんとも自己中心的。もちろん、周りから孤立し、責められ苦しいという気持ちもあったんやろうけど、手放すくらいなら死んでやるという思いなのかなと解釈した。全く同情できない。
自己中心的というのは息子にも言えることなんやろうな。親への復讐のために犯罪を犯したという面ももちろんあるんやろう。定職につき、父親とは違う人生を歩む。真っ当に生きるという選択肢があったにも関わらず人を殺すという選択肢をとった。ほんまに救いようがない。毅然とした態度で接することなく甘やかした母親も同罪。
保は、結局はこの家族の負のループから抜け出せないと察して自殺したんやろうなあ。日本やと完全に親子やきょうだいの縁を切るって難しいもんね。自分の息子が暴力を振るわれた時にきちんと意見を言えない時点で普通ではないよね。
支配的な父、目を背ける母という構図はアイアンクローと一緒やけど、その後どう生きるかは結局自分の意思で決めていかなあかんのよね。アイアンクローの主人公のようにある意味逃げるという選択肢をとらなかったのが悲劇の元やったんやろうなあ。
心が無になっています
若葉竜也さんの出演作品を順番に観ています。サスペンスなのかと思ったら、実際にあった事件を元にしているとのことで、順子は必要なの?と思ったら実際に獄中結婚している方がいるんですね。
この父親は私の父親とよく似た感じで。殴るける。罵る。怒鳴る。誰にメシ食わせてもらってるとおもってるんだ!が捨て台詞の人で。お前がちゃんとしないからだ!と母にいつも言っていて。意見をしない子供時代を過ごした引きこもりの弟たちもいて。私は唯一父に反発をしていて。だからこその虚無感かもしれません。
「ケーキの切れない非行少年たち」の漫画を読んだ時と同じ気持ちです。こんな家族ばかりでした。
期待したほどではなかった。
評判が良かったが自分には刺さらなかった。エンタメ系じゃないのはわかってたけど。最近見た「市子」の方が、邦画鬱系では良かった。
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ラストは父が無期懲役の苦しみを天から与えられたのかな?って解釈した。
じつは、田中麗奈が一番コワい。
理想を夢見た父親と、その家族の最悪の崩壊。
この一家の一人一人に『なんでそんな事を』という気持ちにさせられるが、しかし彼らの行動は悲惨ではあるが理解できる。
だが、突然現れて自分の思想・理想のために面識のない殺人犯と獄中結婚して『貴方と家族になりたい』『自分が愛すれば改心する』と言い続ける田中麗奈演じるジュンコが一番コワい。
この葛城家の有り様は決して珍しいものではないが、ジュンコのような理解不能なエネルギーを持った人物が一番異様であり、不気味である。
どのようなモンスターや悪魔、霊や呪いなんかよりもこういう人間が一番恐ろしい。
若葉竜也の作品を片っ端から観てる所です
高圧的で昭和な父親
そんな夫に逆らえない、精神不安定な母親
毒親に育てられた典型的な兄弟
新井浩文さんと若葉竜也さんは他人なのに兄弟って感じがハマってましたね
若葉竜也上手い、あの頃。見た後の振り幅凄すぎ、脱力感半端なくって怖かったし哀しい稔の目が焼き付く
威張り散らす父親がいる家あるある
恐怖は日常のすぐ隣
だいたいどんな時も旦那と一緒に晩御飯を食べながら、やいのやいのと楽しく映画を観ているのだが、「葛城事件」は違った。
画面に映し出される葛城家の不気味な不協和音に、心の底からこみ上げてくる言い様のない不安。
ついさっき食べ終わった今日のご飯。なんてことのない野菜炒め、ご飯、味噌汁、昨日の残りの煮物。そういうありふれた「普通のご飯」はただの一度も登場しなかった。
それだけで、この家庭が「普通なんかじゃ決してないんだ」と雄弁に物語っている。
その一方で、彼ら個人は世間からそこまで逸脱したような人物でもない。よくいる偉そうな親父、よくいる天然ボケなオカン、よくいる気弱な兄貴、よくいる引きこもりの弟。
その「大したことない人々」感が、いつか自分の家族も葛城家のようになるのではないか?と思わせる。
怖すぎて思わず旦那にすり寄りたくなるほどに。
「俺が一体、何をした」というコピーに対して、むしろ親父は「何をしなかったのか」を描いているようだ。
それは「相手を思いやること」だったんじゃないかと思う。いつでも自分のベストを重んじて、嫁が、息子がどう感じるかは二の次。
それは血縁の上に胡座をかいた怠慢であり、甘えなんじゃないだろうか。
彼の罪は彼が精算するしかない。彼が考える、最も厳しい方法で。
とりあえず、葛城家のようにならないように、まずは旦那を思いやろう。
家制度の呪縛。
あまりに悲しく可笑しいとてもよくできたホームドラマ。こんなことを言うと語弊があるかもしれないけど、すごくおもしろかった。三浦友和氏の演技を筆頭に役者さんたちの演技は皆さん素晴らしかったし、演出も全く違和感なくてお見事な作品。結構笑えた。
凄惨な無差別殺人が起きる土壌は日本にどこにでもある普通の家庭だった。
葛城家の主である清はいわゆる昭和の頑固おやじ、横柄で無神経なところがある。長男の結婚祝いの食事の席では店員への執拗なクレームで場の空気を気まずくさせて、あげくに妊婦の前で平気でタバコを吸う。
息子のしつけは妻にまかせっきりで、息子がふがいないと妻を殴りつける。お前が甘やかすからだと。けして息子を直接𠮟ろうとはしない。本当は自信がないのだ。所詮親の金物店を継いだだけの甲斐性なし、しかし自分は一家の大黒柱。だから父親としての威厳を守りたい。万が一にも息子から反論されたらと恐れている。横柄な態度もすべては虚勢でしかなかった。自分は一国一城の主なのだ、だからそんな自分が妻や子供たちに弱いところは見せられないと。
昭和の男たちはたいていこうではなかったか。この映画を見てドキッとする人間も多いのでは。
妻の伸子もある意味典型的な昭和の女性。適齢期になり、世間体を気にして好きでもない男と結婚する。人生の選択肢が限られたこの頃の女性にはこんなことがよくあったはずだ。そしてある時気付く、こんな男、初めから好きじゃなかった。なんでここまで来てしまったのかと。ある意味この二人は犠牲者といえるかもしれない。
家父長制的な意識がまだ色濃く残る時代、男とはこうあるべきだ、父親とは威厳を保ってなければいけない。そして女性は多くが主婦になるしか選択の余地がない。そんな人間同士が結婚して、大半は妥協して何とかやってはいけるのだろうが、最悪この家族のような末路を迎えることもある。
稔の死刑を知らされた清は順子にとびかかる。俺が死刑囚になったら家族になってくれるのかと。家族をすべて失い、一国一城の主でなくなった清。父親としての威厳を保つ必要がなくなった彼がただのオスに豹変した姿がとても無様で滑稽だった。それでも人間ですかと順子は清をなじる。
子供たちの成長を願い植えたミカンの木で清は首を吊ろうとするが、死なせてはもらえない。なぜこうなったのか、生き続けて考えろということだろう。
本作は一見どこにでもあるような家庭を舞台にその家族が崩壊してゆく様をみせることで観ている自分たちの家族もこうなっていたかもしれないと感じさせるのが実にうまい。
かつて日本は欧米列強に対抗するため、天皇制の国家体制を敷いてそれを支えるために家制度を導入した。しかし無謀な戦争に突入し、かかる国家体制は崩壊。民主化により家制度は廃止されたが、それ以降も男系の氏の継承という形で家制度の名残は残った。
この家族に訪れた不幸はそんな名残が引き起こしたともいえるだろう。「家」、「主人」、「嫁」、そういった型に個人をはめ込み、個々の人間の個性を尊重せず、その人らしく生きる権利を奪ってきた。国家統一の名目で個々の人間の尊厳を奪った家制度はいまの日本でもその意識が色濃く残っている。
子供は同じ家に生まれてもその個性はそれぞれ異なる。手のかかる子、かからない子、その子の個性に応じた教育なり、接し方をしなければならない。
葛城家はどうすればよかったのか。清はどうすればあんなことにはならなかったのだろうか。次男の稔は子供の頃から手のかかる子だった。しかし躾は妻に任せっぱなしで、子供との会話はほとんどなかった。
もし清が父親としての威厳などかなぐり捨てて、腹を割って一人の人間として息子と向き合い、息子の個性を認めて尊重してやればあんなことにはならなかったのではないか、そう思えてならない。
いまやLGBT、夫婦別姓など多様性が求められる時代。にもかかわらず、相変わらず家制度にこだわる為政者たちはそんな個人の生き方の尊重などできない。家制度が失われれば国家が滅びると本気で思ってるようだ。
さすがに一般人の間では徐々に意識も変わり、最近では友達親子なんて言葉がはやるように人々も家父長制的な家族運営には無理があると気づいたんだろう。天皇を国家元首とした国家運営に無理があったように。
民主化され個人の人権意識が高まった現代においては一方的な家長による支配では家族はやっていけない。人間は弱いものだ、父親であってもその自身の弱さを認めて互いのその弱さを補い合って支え合う、家族が共に生きる意味はもはやそこにしかないのではないか。
ちなみにこの作品のモデルとなった小学校襲撃事件の加害者は下級武士の家系の生まれで、その父親は教育勅語を重んじていて、自分の子供たちへの暴力が絶えなかったそうだ。
稔と獄中結婚した順子のモデルとなった女性は死刑廃止活動家として非常にまじめに加害者を更生させようと努力していたそうだ。本作での彼女の立ち位置はいまだに解釈が難しい。愚かな女性として描いてるのか、あるいはこの家族とは対照的な存在として描いているのか。ただ実際の彼女に対して加害者の男は感謝の言葉を残している。これはやはり彼女が加害者の男を一人の人間として尊重して接した結果なのかなとも思う。謝罪の言葉は引き出せなかったが。もう少し時間が欲しかったと劇中同様この女性も述べていた。
どちらにしろ演じた田中麗奈さんは素晴らしかった。まったく興味ない俳優さんだったけどこんなに魅力的だったとは。
日本のには沢山あるような家庭
日本人には沢山あるような家庭。ひと昔前の日本の親父はこんなのが沢山いた気がする。それが大量の中年引きこもりを産み、家族に良さが見つけられない人を作り、少子化に繋がっていたりするのかなと思ったり。
家族全員おかしいのだが、一番怖いってかキモいのは田中麗奈の演じていた女が一番キモかった。
実際大阪の事件の犯人にも獄中結婚の話があって、それをモデルにしたのだろうが、ああいう人間がもっとも理解できない。
見てて一番気持ち悪かった。
鬱が好きな人に一番おすすめ
初めて見た日は数日間、やるせない暗い気持ちを引きずりました。
数日間引きずるほどのショックを与えてくる展開の映画が好きなので、以来定期的に見ています。(定期的に見るものではない気がしますが…笑)
葛城一家崩壊のすべての原因は、父が自分のもつ家族に対する理想や愛を押し付け続けたことにあります。
愛し方を間違え続けている、それに長いこと気づかなかったからこんな結末になってしまった。
抑圧され続けた家族達も、もはや反抗を諦めてしまっていましたことも原因ではありますが、やはり一番悪いのは父ですね。
でも、愛する息子たちの成長を願って植えたミカンの木を見る父のその目は、間違いなく家族への愛に満ちた優しい眼差し。それが本当に見ていて辛かった。
そしてこのシーンが映るタイミングも、家族崩壊の全てを見せられた後であったことも尚更辛い。
星野にも拒絶され、父が本当に一人ぼっちになった時。
家族一人一人の名前を呼ぶ父の姿も本当に苦しい。
もう誰も帰ってこない現実、絶望を思い知らされる場面でした。
葛城清を見ていると、私の父も、自分が気に食わないことがあると大声で怒鳴ることがあり、私や母がそれに萎縮してしまい自分の気持ちを言えず、ただ頷き続けるしかないことがあったことを思い出し、少しだけ近しいものを感じました。
父が家族を愛していることも分かっているし、正しいことを言っている時もありましたが、自分はそれでもこう思っていた、という気持ちを言えずただ怒鳴り続けられるのは辛かったです。
そんなことを思い出しながら映画を見ていました。
「愛がなんだ」で若葉竜也を知り、痛々しいぐらい真っ直ぐな仲原を演じていたのに、その印象を引きずらず今回は我儘で弱い稔をしっかり演じていて、改めて役者はすごいな…と感じました。
附属池田小事件を描くにはこれが限界
これをこの事件のノンフィクション映画として見始めないと、最後までしっくりこないでしょう。
なにかのパクリか、こういうストーリーあるある映画になり下がる。
とにかく三浦友和さんの好演が際立つ。
こんな家族が世の中にいるんだと怖さや悲しさが心の中を錯綜する。
この事件。
当時私の住んでいた隣の市で起こった。
それだけに同世代の子供を持つ親として震撼した記憶は残っている。
この事件の経緯はネットに散在しているので知りたい方はそれを読めば映画で描ききれなかった理由が分かります。
想像を超えた酷い人物像。
そこまで描くと上映出来なさそうです。
胸糞悪いとか暗いとか厳しいレビューが散見されますが、これ以上の事が実際に起こり、そういう家族がいたと言う事実。
もはや感想を述べると言うものではない気がしました。
被害に遭われた方々及び関係者の方々には心よりお悔やみを申し上げます。
附属池田小事件がモチーフとなっている割には連想できない
何かが元ネタなのだろうなとは思っていたが池田小事件は連想できない。
母親は加害者を生んだ時から嫌っていたはずだし、父が抑圧的という設定は、実際には警官の家系でそういう面もあったという点は似ている。
国内映画でこういうネタを扱う際にはなぜか朝鮮系の俳優がよく見られる。
あまり良い意図は感じない。
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