チベット映画には、最後に「死」など重く暗く終わるのが多いように感じたが
それはチベット人の魂の叫びか? しかし色々勉強になった
・チベットの伝統的な暮らし ⇒ 大自然に寄り添い暮らす
・羊を解体して内臓を取り出す現場が映っている⇒ 今の人はできないだろう
・毛沢東語録の暗唱が必須であった世代があった事 ⇒ チベットが中国に征服された実感した
美女に騙される⇒ 身の丈をわきまえよ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(以下、チベットネタの世間話)
↑これで思い出したのが、「チベット仏教勉強中」というエロ尼僧の話だ。
数年前、北区臨済宗塔頭の不自由な老僧に、何度断られても懇願して
「修行」名目で寺に寝泊まりした。 が、すぐに
「修行」も
「寺の仕事」もしなくなって、外出ばかりになった。
和尚は出ていくように言ったが、チベット尼僧は無視し
本気の修行者でも数か月滞在が通常の所、その後も「無賃宿泊」の「不法滞在」を続け
挙句に
●老僧の食べ物を、冷蔵庫から盗み食い (窃盗)
●老僧へのお歳暮を、隣近所の寺へ、自分からの贈答品と言って、賄賂に渡す(横領)
も平気で行っていたと、和尚と、その御尊姉君が証言。
その寺には、京大の茶道部が内々に稽古に来ていたが
彼女はそれを見て、京大へ潜り込む事を考え、京大の宗教分野へ潜り込み
老僧が在家弟子に命じて、法的手段により追い出すと
留学生を利用し、学生の為の激安寮に住み込んだ。
老僧が生前、『やつはずる賢いから騙されるな!』と、いつも言っていた。
彼女は、数年間もの「盗み食い・無銭宿泊」の犯罪行為にも関わらず
「かわいそうな私」を演出して出ていった。
こういうやり方は、プロの工作員だ。
だから、日本を内部崩壊させるため、日本の重要な宗教に送り込んだ刺客とも考えられ
「チベット仏教」とは、なんと黒いのだろう と思っていた。
しかし黒いのは
「ダライラマの側近だった」とか、使える嘘は全部使い
高野山など宿坊にも潜り込む。 それが
チベット仏教を勉強中、とするokazaki初老の尼僧だ。
いや、尼僧が本当かどうかもわからない。
生き残るために京大のタイトルが欲しいか、スパイに入っているのだろう。
チベット仏教界が黒いかは解からないが
チベットの7映画は、ほぼ素晴らしかった。 ここからわかることは
チベット伝統生活の民は、敬虔な信仰心や良心を持ち、助け合う、「清らかで強い民」だ。
チベットと、仏教の名を踏み台にして様々な所に潜り込む、忌むべき存在を思い出した。
チベットが正しく認識されますように。
『ラサへの歩き方』は、ちびっこの皆に見てほしい。
覚醒体験できる。