リリーのすべてのレビュー・感想・評価
全267件中、141~160件目を表示
愛と官能の映画
少なくとも、この映画が「世界で初めて性転換手術を受けた女性(男性)の伝記」ではないことは確かだろう。映画の最後に「多くの史実に基づいてはいるものの、フィクションである」という注釈をつけているからという理由だけでなく、作品を見ればそう確信する。この映画が描こうとしたのは、つまりは女へと変わっていく夫と、それを支えながらも心が複雑に揺れる妻の夫婦愛の物語であり、それと同時に自らの肉体と精神とから薫り立つ「官能」の物語でるからだ。別段、ヌードシーンやラブシーンが多いということではない(主演の二人は脱ぎっぷりの良さを見せてはいるが)。それよりも、夫婦の間に流れる「性」の色、そして自らが他者に対して感じる「性」の匂い、また他者から浴びせられる「性」の求め・・・そういったものが作品全体にわたって霧のように立ち込めているのだ。
アイナーの「女性性の目覚め」を、映画は「官能」に結びつけて描いていく。アイナーが女性性に目覚めれば目覚めるほどに、映画は官能性を増すようだ。ストッキングを滑らせる指の感触、ドレスを撫でる衣擦れの音、目元をなぞるアイラインの筆・・・。すべてが官能的であり、それはそのままアイナーからリリーへの移ろいに直結する。僕はこの映画をLGBT映画としてではなく、官能性をテーマにした映画として、実に愛おしくセクシーだと感じた。その上で、夫婦の深い愛の美しさに感動する。夫が女になっていく様子を、苦しみながら支えようとする妻の苦悩と葛藤。「死が二人別つまで」と誓った愛とはこういうことだ、と言わんばかりに二人の間には常に愛が横たわっている。「性」ももちろん「愛」だが、愛にも様々な形があり、もはや性別さえも関係なく、アイナーとリリーの二人を最後まで愛し続けたゲルダの凛々しさに目を見張る。そしてそれを演じるアリシア・ヴィキャンデルの凛々しさ。「苦悩する妻」という枠で役を捉えることを拒否し、もっと逞しく勇ましく向き合う妻の姿が描かれる。彼女が演じたゲルダは悩むだけの女ではないところが素晴らしい。彼女自身も物語の中心に立ち、自分の人生を動かす人物として役柄が捉えられている。男が自由にふるまい、女が耐える映画だと思ったら大間違い。女はきちんと自分の決断と意志で物語を動かしている。そしてその説得力を裏付けたのがヴィキャンデルの演技であることに他ならないだろう。
エディ・レッドメインの女性性の表現も実に素晴らしい。内から湧き上がる女性としての官能を表現したのはヴィキャンデルではなくレッドメインだ(逆に男性性をヴィキャンデルが表現していた)。見た目の美しさもあるが、所作やその佇まいから官能を表現し、その上で少しも下品さが出ないのはレッドメイン自体の気品と風格の成す業だろう。彼がフルヌードになるシーンがあるが、なぜか実に爽やかだった。
実際のアイナーとゲルダがどうであったかは、映画だけでは知りえない。しかしそれは構わないことだ。この映画は決して伝記映画ではなく、愛と官能の物語だから。当時同性愛が「病気」で「精神疾患」だった時代に、それでも夫の嗜好を信じ、それすらも愛した女の偉大さを見て、思わず涙が出る。空を自由に舞うスカーフの美しさが映画の美しさをそのまま象徴していた。
感情移入しまくり
愛した人の望みを叶える事が果たして自分を幸せにするのか?
この映画は今から80年前の1930年に世界で最初に女性性転換手術を行ったアイナー・ヴェイナー(リリー)の生涯をモチーフにした物語です。
恋愛ストーリーには『難病もの』というジャンルがあります。
恋愛を阻む障壁として重い病気を設定することで、愛し合う2人の間に障害を作り、その困難を克服する為に努力する姿がドラマを生み出す恋愛ストーリーの定番と言えるジャンルですね。
例えば『セカチュー』や『余命1ヶ月花嫁』とか『電車男』なんかも『オタク』を『病気』として捉えると難病ものの1バリエーションと言うことができますよね。
そういう意味でいうとこの『リリーのすべて』は難病物ジャンルの作品にして、最大最強級の逆境、超ハードモードの作品だと思います。
画家同士の夫婦であるアイナーとゲルダ、
夫アイナーはある出来事を切っ掛けに自分の中にある『女性』に目覚め、実際の自分の性別との違和感に悩む、いわゆる『トランスジェンダー』として、自分の性別の『間違いを正す』ことにその生涯の全てを賭ける事になります。
つまり自分の心(女性)に対して間違っている肉体の器(男性)を正そうとする(性転換手術)ことが、この映画の大きなテーマとなるわけですが…
この肉体的『間違い』を是正する行為が、配偶者ゲルダから見て他の難病(癌や白血病)を克服する事と大きく異なるのは、
その手術に成功する事 = 自分の夫を失う事
になるという、行くも地獄、行かぬも地獄という、葛藤を産むわけです…
劇中でも最初は遠慮がちに女装をしていたアイナー(リリー)も、その本心をオープンにしてからは立ち振る舞いがどんどんと女性化してゆき(エディ・レッドメインの演技が素晴らしい!)
夫の幸せを思って支えていた筈の行いが、どんどんゲルダから夫を遠ざけてゆく辛さ…
だって彼女の愛した「夫』の存在が 彼にとっては唾棄すべき『間違い』なのですから…
自分の望みを叶えるべく、どんどん女と化してゆくアイナー(リリー)の身勝手さと、愛する夫の思いを叶える事が自分から夫を遠ざけてゆくゲルダの葛藤
2人の思いのすれ違いがもう、見てて辛い…辛い…
かって2人が愛し合ったベッドの上で交わされる会話
リリー『 いずれ結婚したい 』
ゲルダ『 私達、ついこの間まで結婚していたのよ 』
2人の間に引かれたカーテンがアイナーとゲルダが既に夫婦として愛し合う事ができなくなってしまっている事を象徴していてもの凄く悲しいシーンでした。
前しか向いていないリリー
諦めとも後悔とも言えない表情のケイト
2人の対比に胸が締め付けられます。
そして、すれ違いながら
たどり着いた2人の物語の終幕…
リリーの望みは叶えられたのか?
その結果、ケイトは何を得たのか?
答えは風の中…
空に舞うスカーフのように
地に落ちることもなく
誰にもとらえることなどできない…
そんな
美しく悲しいラブストーリーでした。
美しい映画
A man suffering gender identity disorder
Eddie Redmayne is one of my favourite actors and Congrats Alicia Vikander for the Academy Awards Best Actress in Leading Role this year ! I should've watched this at the cinema although I really considered if I should go to the cinema to see it or not but just didn't have enough time to go unluckily ... finally watched it on the Internet , we'll both of cast are beautiful Eddie is like a real beautiful woman and Alicia really deserves the Oscar ! I thought that it would be a little similar to Carol but completely different . Enjoy ( Based on a true story )
強い
実際の人物をモデルにしてるって知らなかった。今でも偏見の残るトランスジェンダーの人が、80年も前に自分を貫き通すってすごい強さだなと思った。
心情とリンクしてる音楽もとてもよかった。引き込まれっぱなし
実際は、二人は結婚を無効にされて、お互い再婚するって話らしいけど、妻の立場が切ない。切なすぎる。愛してる夫が女性になっちゃった、、いや、元々本当は女性なのに男性の体で苦しんでましたって、妻のほうも救われない。
これを理解して、尚且つ愛するって、、カーテンで仕切ったベッドの上で会話するシーン、重たい。
こないだまで私と結婚してたのよ。。って、そーだよ!って誰を攻める訳じゃないけど、誰も攻められないけど、切ない。切なすぎる。
美しかった
美しさ、儚さ、苛立ち
終始、儚さだけで泣くほどではなかった。
ただ表情、背景がすごく綺麗だった。
主人公のエルベとリリーは
最近いろんな映画に出演してる
エディ・レッドメインが演じている。
段々女になっていき、艶めいていく
彼の表情や仕草がとても美しい。
初めてゲルダの絵のモデルになった時の
ドキドキワクワクする表情や
自分がおかしいんじゃないかと葛藤する表情。
それらが芸術作品のようであった。
しかし、ゲルダも主人公だと思う。
ゲルダはただエルベを愛しているだけで
変わっていく彼を受け止めようと頑張るのに
結局エルベはリリーへの変化が止まらず、
リリーが手術を決める時ですら一緒にいようと、
見守ろうとする彼女の愛には感動した。
ゲルダの健気さとは逆に
リリーは女になりたくてなりたくて、、
ゲルダの気持ちはどうなってしまうの?
と少しリリーに苛立ちを覚えるし、
トランスジェンダーだから仕方ないって
そんな感じで済ませられる問題なのかな。
最初からゲルダ側からこの作品をみていたので
リリーの自分勝手さに退屈になってしまった。
綺麗な街並みと服装は好きだった。
リリーがいた
エディ、凄すぎ…
タイトルなし(ネタバレ)
苦悩するのも葛藤するのもよくわかるけど、でもリリーの行動は人間としてかなり身勝手で、あんなにあんなに尽くしてくれるゲルダに甘えて寄りかかって、ゲルダはなんとか理解しようとしてずっと側で支えてるのに、仮にも元奥さんの前で別の男と歩いたり結婚したいとか言ってみたり、そんなのってあんまりじゃないか。なんでそんなことができるんだ。
ゲルダに対してリリーはなんて残酷な人間なんだと思ったのに、同じ意見の人が少ないことに驚いた。
性同一性障害だからなにしても許してあげなきゃね、みたいな、勝手なことしても仕方ないよね、みたいな、性同一性障害に理解のない時代から一変して変なところで寛容になりすぎている感じ。配慮の仕方を履き違えてないか。それって逆に失礼じゃないか。性同一性障害者だって同じ人間なのに。
誰にも渡したくない、この余韻を
2016年春、早くも今年ナンバーワン!、と思える作品に出会えました。
「リリーのすべて」
私はとても良い作品だと思いました。
エンドロールでは不覚にも涙してしまいました。
世界で初めて「性別適合手術」を行った人の話です。
物語の舞台はデンマークの首都ロッテルダムです。
1,926年。第一次大戦の傷も癒え、束の間の平和が訪れたヨーロッパ。
人々は平和な時代を、おおいに楽しみました。
さて本作の主人公アイナー・ヴェイナーは、芸術家です。
主に風景画を描いている絵描きさん。
奥さんゲルダも画家です。彼女は肖像画を描いている。
ただ、画商さんからは
「奥さんの絵は……ちょっとねぇ」と渋い顔をされています。
なかなか売れそうもない。
でも奥さんゲルダは、肖像画家として、なんとしても成功したいと願っています。
今、手がけているのは、大きなバレリーナの絵。
ぼくは絵画の知識、まるでないんけど、たぶんサイズは150号近いんじゃないですかね。
2m×1,8mはラクにありそうな超大作です。
モデルさんが、たまたまいなかったので、ゲルダは旦那さんに
「ちょっとアンタ、手伝って」
といきなり、バレエのチュチュとタイツ、トゥシューズを押し付けます。
ご主人のアイナーは、やせ形で、いわゆる草食系男子。かなりイケメンです。
美男子は、女装させると、本物の女には出せない”怪しいまでの”「女子力」がある事は、結構知られていますね。
「しょうがないなぁ」とご主人、しぶしぶ靴を脱ぎ、ズボンを下ろして、白いバレエタイツに脚を通してみました。そのときです。
「えっ……」
なんだろう、この感覚は?
彼はドキリとします。
-どういうこと?-
自分でも分かりません。
なぜか胸が苦しい。でもちょっと嬉しい。
この白いタイツの心地良い肌触り。
「まさかこれが自分の脚?」
彼が見つめるその先には、白いタイツに覆われた、均整のとれた、無駄のない脚がありました。
それは、まさしくバレリーナの脚そのもの。
続いてバレエのチュチュも体に当ててみる。
「オッケー! ハイ、そのまま、じっとしててね」
奥さん、旦那にポーズを取らせ、描き始めます。
全てはここから始まってしまいました。
女装させると「うちの旦那、結構いけるじゃない!」
と奥さんゲルダも、ゲームを楽しむように、旦那を着せ替え人形みたいに取り扱います。
ついでに「メイクもやっちゃえ!」
その勢いで奥さんは、女装した旦那を伴ってパーティーへ繰り出します。
会場に着くなり
「まぁ~、素敵なお友達ねぇ~、どちらのお嬢さん?」
と、女友達からも尋ねられます。
フフフ。
こんなに「綺麗な女」に変身させたのは、自分のアイデアとメイクの実力。
奥さんの思惑は大成功。アーティストとしての面目躍如、といったところでしょうか。
パーティーは盛り上がります。
やがて旦那のアイナーは、あることに気づきます。
パーティー会場の男性の視線です。男たちは自分に向かって微笑みかけてきます。その快感。
ちょっとの間だけ「女の子ごっこ」をするつもりだったご主人。
しかし、これが、ご主人アイナーの中に眠っていた「女である私」を目覚めさせてしまったのです。
やがて彼は、普段から女性の姿で生活を始めます。
もう後戻りできない。
「やっぱり自分はどこかおかしいのか?」
夫婦は病院に行きました。
このお話、今から90年ほど前のことですよ。
当時、男が女の格好するのは「ホモ」「変態」「異常者」扱いされていた時代です。
21世紀の今でさえ、いわゆる「LGBT」への偏見の目が、根強く残っている現実があります。
それが90年前の世の中では、それこそ、もう、人間としての市民権さえ剥奪されかねない。
当初、夫婦は精神科へ通いますが、やがてドイツに「性」に関する名医がいるとの噂を聞きつけます。そこで夫婦はドイツのドレスデンへ直行。
そこで医師から提案されたのは外科的な治療でした。
「手術は二度に分けて行います。まず、ご主人の男性器を切除し……」
名医は偏見の目を持たず、丁寧に丁寧に説明してくれました。
ついにアイナーは、本当の女となるために決意します。
「私は、もうアイナーじゃない。リリーです。女性として生きていきます」
本作は、たいへん格調高い、気品溢れる作品です。
変なエロさや、いやらしさはなどは全く感じないんですね。
これはきっと原作の良さ(ちなみに本作は実話です)そして丁寧な脚本の仕上げ。
作品を作る視線、主人公たちを温かく見守るスタッフたち。
更には、映画全てをまとめあげた、アカデミー賞監督トム・フーパーさんの手腕。人格者としての品性の良さ。
それら全てが相まって、こんな素晴らしい作品にしあがったのでしょうね。
時折、風景画のように挟まれる、デンマークの街並み。
朝の日差しの清々しさ、あるいは夕暮れ時、セピア色に染まるロッテルダムの風景。
ただ、もう、ずっと、鑑賞していたくなるような味わい。
まさしく絵画そのものです。
また、画家のアトリエの中での「ほんのり」「ふぅわり」とした明るさ。
照明スタッフがこういうところ、実にいい仕事してますねぇ~!
かつて伊丹十三監督が、ため息まじりにこう言いました。
「ヨーロッパの監督はいいよな。街を映すだけで映画になっちゃうんだからね」
ほんとにその通り。
街並み、それ自体が、ひとつの美術館とさえ言えるほどです。
歴史とその土地の文化を雄弁に物語っていますね。
さて本作では、衣装にも注目です。
1920年代の女性たちが身にまとう、当時最先端のファッション。
そのバリエーション、センスの良さは特筆すべきものです。
シックで気品があってお洒落なんですね。とっても素敵です。
20世紀に入って最初の世界大戦。
それは、人類が初めて体験した大量殺戮戦争でした。
そのあまりの凄まじさ、悲惨さ故に
「もう二度と世界は、あのような愚かな戦争は起こさないだろう」
当時を生きた人々は、皆そう思ったのでした。
「もう二度と、あんな馬鹿な戦争は無い」
その安堵感は、敗戦国ドイツ以外の国、特にフランスなどで、顕著だったように思われますね。
芸術家にとっては、まさに天国のような時代が訪れました。
パリでは芸術家たちが、生き生きと活動を始めます。
ちなみに、日本の「FOUJITA」藤田嗣治が脚光を浴びたのもこの頃。
狂乱の1,920年代と呼ばれた「エコール・ド・パリ」が花開いたのです。
文化、芸術の都「パリ」
その影響は、本作の舞台である、デンマークにも大きな影響を与えていたことが伺えます。
そういった意味で、本作は、アート系映画としての資質さえも兼ね備えております。
また、さりげない音楽も大変趣味がいいですね。
本作はこのように「欠点を探すことが難しい」ほどに、よく出来た作品なのです。
主人公リリーを演じた、エディ・レッドメイン
本当によく演じました。
才能ある画家でもあり、良き夫だった男性を演じます。
さらには、我が身の奥深くに閉じ込められていた「女性である自分」に気づく。
その控えめな演技。
これは監督の演出力と、役者の波長が共鳴した奇跡なのでしょうね。
いやぁ~、もっともっと語り尽くしたい。
そんなことよりも、早く本作を劇場で、ご覧になってみてください。
なお、私が見た劇場では、男性は私を含め、二、三人ほど。
あとは、全て女性でした。
私の前の席に、若い女の子たちが四人、連れ立って来ていました。
その娘たちは、エンドロールが終わり、劇場の照明がほのかに灯るまで、誰も席を立とうとはしませんでした。
ずっとこの作品の余韻に浸っていたようでした。
私も、この静かな余韻を誰にも渡したくない、とさえ思いました。
そして、ハンカチを取り出し、こっそり瞼を拭いました。
誰にも見つかりませんように、と願いながら。
ジェンダーを真正面から
深い愛
レッドメインは難解な役ばかりやってるイメージがある。
今作は性同一障害の男性の役。
予告を観た瞬間から、またえげつない役をチョイスしたなあと、震えた。
見事であった。
その表情や仕草を捉えた演出を賞賛せずにはおれないが、何よりも彼自身のオンとオフの境目はどうなっているのだろうと…。
なんというか、少しでも欲を出せば、もしくは盛りすぎれば、滑稽なピエロにも容易になり得るのだ。
どこでそのさじ加減の"さじ"を見つけたのか…恐ろしい程である。
そして、
そのパートナーである女性がこれまた素敵であった。
彼を写す鏡である彼女が、揺るぎない存在感であったからこそ、彼は自由になれたのかもと思う。
彼女が生涯を通して彼に注いだ愛情の大きさが、この映画の核であるとも思う。
繊細な指先、物憂げな視線…終始、主人公は気持ち悪かった!
綺麗かもと思った自分が怖いっ!
だからこその、好評価である!
ウェッ!
全267件中、141~160件目を表示