細い目のレビュー・感想・評価
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監督のお祖母さんは、日本人とか。
何の予備知識もなく観た。
多民族国家として知られているマレーシアで、マレー系の可愛い女の子オーキッドと、華人系の英語の上手な少年、自称ジェイソン(本当はAh Loong)が織り成す清新な物語。
この映画は、きっと作られた当時のマレーシアに戻って考える必要があるのだろう。
2005年頃のマレーシアでは、民族も言葉も宗教も異なるマレー系と華人系の若い二人が付き合うことなんて、なかったみたいだ。細い目というのは、あの国で6割くらいを占めるマレー系が、3割の華人系の容貌を揶揄していう言葉。華人系は、商売に長けているので、「こすっからい」とも言われたようだ。一方、華人系は、マレー系のことを、「のんびりしている怠け者」と言う。そんな二人が、周囲の怪訝な目にも関わらず惹かれてゆき、心から付き合う姿を描いたこの映画は、きっとマレーシア人の意識をも変えたのだろう。
それでは、15年近く経って、2019年日本でも公開された、この映画の普遍的な価値とは何だろう。
オーキッドとジェイソンは、育った環境もかなり異なる。オーキッドの家は庭付きの邸宅で、父も引退したようだが資産家であるのに対し、ジェイソンは、家族皆が狭いアパートで貧しく暮らす。車椅子の父親は母親との口論が絶えず、ジェイソンも露店で闇のVCDを売ることを生業にしている。その背景には、オーキッドが好きだと言っていた「男たちの挽歌」を思わせる香港ノワールのような世界が広がっていた。そんなに違う二人が、まるで「ロミオとジュリエット」のような物語を繰り広げたところに、観客は惹かれたのだろう。
私はと言えば、カクヤムというオーキッドの家のメイドを務める太った女性が、家族と全く対等に語り合い、むしろクイーンのように、君臨しているところがよかった。オーキッドの父親も、口ではジェイソンを認めないが、本当は母親と共に、彼を受け入れる用意があるように見えた。
監督のヤスミン・アフマドは、タゴールの詩を引用し(マレーシアの人々の残り1割はインド系)、音楽にもドヴォルザークのルサルカから、あの「月に寄せる歌」を使い、マレー語、広東語、英語の飛び交う映画を見事に作り上げた。きっと、留学経験もあるのだろうが、何と日本人の血も引いているらしい。是非、他の作品も見てみたい。
マレーシアとシンガポール
の区別もつかない状態だったので、複雑な人口構成やマレー人と華僑の対立など、初めて知ることばかりだった。
私自身の映画としての評価は今一つだったが、最後の主役二人のインタビューがよかった。
主人公はちょこっとだけ長渕剛に似ていた。
真っ直ぐで複雑で微笑ましく羨ましい映画。
マレー系のムスリムの女の子と中国系の男の子の真っ直ぐなラブストーリーでした。
女の子は監督自身の分身なのかな?初期のジョン・ウーと金城武のファンでマレーシア国家の成り立ちや多民族国家の差別や偏見等に一家言持つ賢く複雑で純真な人で好きにならずにいられるもんかって感じ。男の子はまあ普通に突っ張った良い子です(ちと浅いか?)
異なる民族のラブストーリーなので障害となる家族とか出て来そうなものだが、両家族共に知性で偏見差別の歴史をはね除けられる賢くて良い人達。偏見を持った人も出てくるが人数も少なく直ぐに偏見を捨てるなど深刻な描かれ方はしない。まあ当事国に住んでいる監督がそう撮ると決めたのだから、なんの文句があるものか!中国系に偏見を持ったイギリス系マレー人の男の子を主人公の女の子がケチョンケチョンにやり込めて、おまけにバスケット?ボールを蹴り飛ばす痛快さは本当にこの監督さん大好きって感じ。生きている姿を拝見したかった。
ラストシーンは観た人に解釈を任せるタイプのラストです、この監督が作る映画は現実と地続きだからだと思う。私にも私なりの解釈があります。
結構ごちゃごちゃした若い作品ではありますが、誠実に真っ直ぐに作られた映画です気分良し!観て良かったです。
初恋のひとに
やっと再開したのに…
閉店まで話しても話しても話し足りないあの感じ
二人が愛おしてくて
アフマド監督作品はタレンタイムしかみたことがなくて
今回ヤスミン・アフマド没後15年記念アンコール上映でやっと見られた
主演二人のメッセージ付き上映だった
オーキットがすっかりお母さんの顔になっていた
アフマド監督の穏やかな心と優しい目で見た世界をもっと知りたい
他の作品も見られる機会がありますように
ジョン・ウーと李小龍、そして『恋する惑星』
クローゼットを開けると金城武の写真がいっぱい貼ってある。金城といえば日本語、台湾語、北京語、広東語、英語を駆使するマルチリンガルな俳優だ。そんな少女オーキッドはマレー系で、マレー語、英語が堪能だし、北京語も勉強中。とにかくマレーシアではバイリンガルが当たり前の社会なのです。“プラナカン”という言葉も登場し、多民族国家となった経緯を軽く学ばせてもらいました。
民族の違いはあるけど、差別の描写はほとんどない。オーキッドと中国系ジェイソンはデートするものの、ファストフードばかり。イスラム教で禁止されている肉という障害もあるが、ジェイソンは魚肉の方が好きだというから、宗教上の問題も解決か・・・
ジェイソンの友人キョンも映画好きで、なにかとオーキッドと気が合いそうだった。しかし、ジェイソンには“初恋”だという絶対的自信もあり、キョンはフォローに回るのです。そんなジェイソンとキョンは裏稼業でやばい立場にあったので、やがて彼らには暗い展開も訪れる。
なんだか日本映画でも似たようなプロットがある気もしたのですが、他民族、異文化・異言語という独特な背景はマレーシアならではのもの。純愛かと思えば、ジミーの妹との関係を断ち切れない弱さも見せるし、すべて寛容の精神がなす愛なのか。雰囲気に飲み込まれそうになってしまいました・・・
環境最悪
アップリンクで鑑賞
オリジナルはフィルムで撮影してるのに、デジタルになってるせいで、映像の情感が全部消されてる
英語、日本語のダブルの字幕がついてるのはしょーがないとして、
日本語の字幕が、明るい映像に重なった時に何も見えなくなるのが致命的
ずっと我慢してたけど、最後の大事なシーンで内容を知りたい時にそうなって、発狂しそうになった
見終わったあと、クレームを言おうとしたが劇場のせいでは無いと思い、とどまった
そんなこんなで終始映画に集中できなかった
そんなイライラで見てると映画も良くないように思えてくる
使い古されたストーリーで、一昔前の日本のテレビドラマに、国籍、宗教、貧富の差を入れてるだけ
フィルムで、あるいはちゃんとフィルムの良さが反映されたデジタル映像で見れたらもっと高評価です
これで、1800円はあまりにも高すぎる
家で見る方がまし
あと、劇場内寒すぎる
普遍的ドラマinマレーシア
対立する家やグループ、階級を超えた恋愛ほど描かれ続けてきたテーマもないでしょう。
ロミオとジュリエット、ウェストサイドストーリーもそうですね。
さて、本作も正統を受け継ぐ作品です。
それだけでなく、過去の名作の影響が、明示的にも、暗示的にも見てとれます。
本作は、言ってしまえば、ザ・王道ドラマを多民族国家であるマレーシアを舞台に描いた、という映画です。
レビューの評価は高いし、受賞もしてるし、悪い作品ではもちろんないのですが、脚本、演出ともに未熟さや甘さが目につきました。早世したために、残された作品も少ない、日本の血もひくムスリムの女性監督の作品、色々な要素があって、2019年の東京でも、観客は入ってました。でも、ごめんなさい、平凡な作品だと感じました。
唯一、主演のシャリファ・アマニは可憐だし、ラストの演技は神がかっています。
人が恋に落ちる瞬間
ヤクザの下でコピー映画ソフトの露店をしている中国系青年リーは、裕福な家庭で育った金城武ファンのマレーシア人少女オーキッドに一目惚れして、恋に落ちる。
オープニングのクレジットやタイトルなどが手書きのアニメーション風に始まるところから引き込まれる。
民族と宗教の違いを感じさせる過程やお互いの家族の描写、複数の言語での会話などのマレーシア独特の雰囲気も興味深い。
初のヤスミン・アマドフ監督てあるが、独特のテンポ感に最初は途惑うが、全体に明るいユーモアを交えて進む演出も上手い。しかも普遍的な暴力の影もきちんと感じさせるところなども巧みである。
劇中で交わされる映画話にジョン・ウーの「男たちの挽歌」や「ブロークン・アロー」などの映画秘宝的タイトルが並び親近感。
少しカラーバランスを崩した色調と淡い彩度の映像から見えるマレーシアの日常描写も美しい。
悲劇のラストだか、なんとも云えぬ余韻もありとても心に残る。おススメです。
監督のやさしいまなざし。
マレー語、福建語、英語、北京語が乱れ飛ぶ多文化社会の複雑さ。おっとりと暮らすマレー系のオーキッド一家。緊張感のある環境のジェイソン。ペラナカンの流れをくむ彼は普通の中国系とも違うメンタリティを持つ。それらを温かく描く監督の目線が最後のアクシデントまでやさしく包む。
マレーシアっていい所だと思わせてくれる良い映画だった。
映画(2004年)では髪を覆うトドンを見なかったがイポーではあんな環境だったのでしょうか。
アジアの風景と街並、そして家族の描写
イメージフォーラムのヤスミン・アフマド特集にて観賞、
「ムクシン」「細い目」の順に観られて良かった。
アジアの風景と街並、そして家族の描写が素晴らしいですね。
ただどうしても頭の中で田村淳が浮かんで、、
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