消えた声が、その名を呼ぶのレビュー・感想・評価
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大いなる旅に思うこと
私は映画の主人公に感情移入するタイプだ。どこか他人事として事象をとらえる一方で、無意識に近い状態で人物の感情に寄り添って観ている。
こればっかりは癖のようなもので、どうしようもない。
「消えた声が、その名を呼ぶ」は、終始ナザレットの視点で物語が進み、感情の拠り所がとても明白な作品、だと思った。の、だが。
アルメニア人虐殺、という未だ総括されない出来事を出発点として動いていくナザレットの物語に、少しずつのめり込んでいく感情に急ブレーキがかかっている。映画の至るところで。
ナザレットの行いがキリスト教的な背景を必要としているから、かもしれない。
ナザレット自身が時にあまりにも卑劣な行為に手を染めるから、かもしれない。
しかし、私自身は監督からのドクターストップならぬディレクターストップであるように感じた。
「これ以上彼に寄り添ってはダメだよ」と言われているような、急に突き放された感じがあるのだ。
当事者としてそこにいる感覚がなく、ナザレットを通して出来事を観てはいるのだが、一歩遠ざかった視点に強制的に戻される。
彼の身に起こった出来事は恐ろしく残酷で、それでいて時に思いがけない親切に助けられ、その心の動きは余すところなく伝わってくるのに、とても遠い。
思えば、私たちは誰かの私見に基づいた物語に慣れすぎているのかもしれない。この映画には絶対的な悪も善もない。痛ましい出来事があり、それを生き抜いた人がいて、そしてその人は普通の人だ。アルメニア人もトルコ人もアラブ人もイスラム教徒もキリスト教徒も、時に良心に従い、時に利己的である普通の人だ。
一面的な立場に依らず、淡々とナザレットの「事実」を見せられる。可哀想でしょう、みたいなお仕着せは全くない。
きっとこの映画は全員が一方向を向く事を拒んでいる。「私」の数だけナザレットがいて、「私」の数だけ想いがある。
私が思うのは、極限の状況下で偶然出会った多くの人に「善いこと」をしよう、という思いがなければナザレットは旅すら出来なかっただろう、ということだ。
彼を助けたのはほんの少しの勇気と善意で、どんなに厳しい時でもそれはもたらされる。
世界を変えられなくても、目の前の誰かを助けることが出来るなら、人はまた旅立つ事が出来るのだから。
慈悲と無慈悲
娘を探す旅
憲兵隊は怖い
道路工事をさせられていたが、男たちはいきなり切り捨てられるかのように処刑される。兵士たちではなく監獄から釈放された者たちによってであり、ナザレット(ラヒム)を殺そうとしたメフメトは手が震えて切りきれなかったのだ。罪の意識によりメフメトはナザレットの逃亡に手を貸し、やがて脱走兵たちと行動を共にする。そして、その隊からも離れ、一人故郷を目指すナザレットであったが、難民キャンプで瀕死の義姉と出会い、家族は全員死んだと伝えられる。失意の下、放浪するナザレットはナスレディン(フーリ)という石鹸工場の社長に助けられ、工場で働くこととなり、やがて戦争が終結すると、その工場が難民キャンプとなる。
チャップリンの映画なんかも上映され、ひとときの幸せを味わってたナザレット。そこで鍛冶屋の弟子だった男に再会し、双子の娘が生きていると告げられる。もう生きる希望は娘たちを探し出すことだけと感じた彼は国中の孤児院を探して娘たちの行方を追う。ようやく手がかりを与えてくれた孤児院では、彼女たちが結婚を世話され、今はキューバにいると言う。船で働きながらキューバへと渡り、教えられた住所の床屋を探し当てるが、娘ルシネは足を悪くしていたせいで結婚を断られて、今はミネアポリスの工場にいると聞かされる。
もう、とにかくナザレットの大冒険。結婚を断った男を殴り倒し財布を盗んだり、フロリダでは銃で脅す男と戦ったり、鉄道会社では逆に殴り倒される始末。アメリカを彷徨い、次なる行先はサウスダコタ。ようやくルシネを見つけたナザレットは声が出るようになっていた。そしてアルシネが感染症で死んだと伝えられるが、彼女とともに生きて行こうと決意するのであった。
なかなかの大作
なかなかの「ロード・ムーヴィー」
オスマン
たった100年前の話
たった100年前、オスマン帝国で起こったアルメニア人ジェノサイド。まず男性が連れ出されて苦役の後に殺され、その後、女性や子供が死ぬまで働かされた。主人公が助かったのは処刑した男が躊躇したためで、それでも喉を切ったため声が出なくなってしまい、処刑人は彼を助ける。その後も彼は行く先々で、ジェノサイドさえなければ出会わなかった心優しい人達に助けられる。
非常に重い内容だけど、ストーリーはわかりやすく、筋を追いやすい。後半は行く先々で娘とすれ違う「母をたずねて三千里」みたいなロードムービーの趣きだが、それでも観ている側がテーマ(背景)を見失うことはない。
少数派はつらいよ
葛藤がないと物語にはならない
オスマン帝国によるアルメニア人の虐殺によって、家族と離散してしまった男の娘探しの旅である。
非人道的な目に繰り返し合うあまり、主人公の男はキリスト教の信仰を捨てる。確かにどれほど悲惨な事件だったのかはよく伝わってくる。
しかし、信仰を捨てることへの葛藤、義姉の死を幇助することへの葛藤、人のものを盗むことへの葛藤がこの映画にはない。
娘の居所を探し求める男にとっては、もはやそれ以外に生きている理由などなく、様々な葛藤の入り込む余地などないことを描いているのかも知れない。神を裏切ることへの迷い、人としての道を外れることへの逡巡がスクリーンに映りこんでいないために、物語が直進的になってしまっているのだ。
長い、エンドロールも
なかなか邦題を覚えられない
原題はThe Cut 故に敢えて日本語タイトルを付けたかった気持ちはよくわかるが、覚えづらいんだよね。
さておきー
衝撃の歴史と壮大な舞台に圧倒された。凄い話なんだけど、展開云々よりも、映像の力強さが際だっていたように思う。非常に絵画的。
内容があまりにワールドワイドに展開し過ぎて、138分という長尺であったものの、それでもなおこれじゃあ足りないのでは?と思ってしまう。正直、これ以上長くなると見ているこちらが辛いし、かといって今の描き方だと意外と楽に落ち着いちゃったねという印象も否めない。壮絶だということが概念的には理解できるけれど、見た感じがそう思えないのが残念なところ。
あまりに自然に展開し過ぎている為なのか…あらゆるロケーションにもかかわらず、ひとつの世界観を構築しきっていているところに、この映画の凄みを感じる。
音楽も非常にはまっていた。
遠景も近景も見事な絵づくり。
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