劇場公開日 2015年11月14日

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ラスト・ナイツ : インタビュー

2015年11月11日更新
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紀里谷和明「ラスト・ナイツ」で提示する物づくりの可能性と使命

CASSHERN」「GOEMON」と独特の映像美で、既成概念にとらわれない世界を構築してきた紀里谷和明。名優クライブ・オーウェンモーガン・フリーマンらを迎え、5年を費やし完成させたハリウッドデビュー作「ラスト・ナイツ」を語る言葉には、「可能性」「自由」というキーワードがちりばめられていた。紀里谷監督が今、世界に向け発信するものとは。(取材・文・写真/編集部)

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「情報についていくのに精一杯で、多くの人が大事なものを忘れている時代だと思うんです」。そんな思いを抱く紀里谷監督のもとに本作の脚本が届き、「忠臣蔵」をモチーフに「正義とは何か」を描いたドラマが響いた。「今の世の中は不条理の固まりで、いろいろなところで不平等がある。それに対し自分たちが何をするのか、どう向き合うのかということはすごく重要だと思うんです。この映画の主人公たちは不条理、不平等に対し、自分たちの心の声を聞いて、正義とは何かを考え、行動に移しています。武士道や騎士道は言い方が違っても世界共通の考え方で、すべてを失ってでも正義とは何かを問い続ける行為なのだと思います。とても重要なことだし、今とても求められていることなのではないでしょうか」

そんな紀里谷監督のもとオーウェン、フリーマンをはじめ伊原剛志ペイマン・モアディアン・ソンギら各国から実力派が結集。「人間はそもそも違いなんてなく、国や人種は存在しなかったのに、自分たちで分けてしまった。その不条理に違和感を覚えるんです。それをこういうキャストで表現したかった」と国境を超えたキャスティングが実現した。

「邦画・洋画というカテゴリーも関係ない。カテゴリー分けを打破したい」と熱を込め、「『ラスト・ナイツ』では、こういうことができるんじゃないかということを見せたかったんです。中国の役者がリア王を演じたり、イギリス人が織田信長として日本映画に出られる可能性もある。物作りをしている人間からするとその自由さが非常に重要で、同時にその壁を突破したところを提示できるんです」。常識という枠に縛られている現代では、「可能性を提示していかないから作り手も悪いと思うんです。そこを打破していくのが芸術家の使命で、新しい可能性をどんどん提示していかなければいけないと思います」

アクションスタントを監修したチョン・ドゥホン率いる韓国チーム、スタントを担当したチェコ勢など、製作陣も国際色豊かだ。「同じ映画を作るという意識で参加すれば、言葉の壁も問題ない」という紀里谷監督は、「外の人を受け入れること」の必要性を説く。

「壁がないところで生きているつもりなので、『なぜ壁を作ってしまうのか』『カテゴリー・ジャンル分けしてしまうのか』ということに対する疑問が大きいんです。子どもの頃は人種に関わらず仲良く遊んでいたのに、いつからか線引きしてしまう。僕の場合、20代は成功しないといけない、こういう服を着ていないといけないというあこがれはあったけれど、それくらいかな。今地球の裏側で起こっていることを見たら、なぜこんなことで争っているのか、差別しているのかと思うはずなんです。争いとか過去の出来事は終わったのではなく、全部つながっている。同じようなことが形を変えて行われているだけのこと。そこに目を向ければ、不思議でしょうがないはずなんです」

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物語は、架空の封建社会を舞台に、権力に執心する悪徳大臣、主君に忠誠を誓った高潔な騎士らがぶつかり合う。「今まで作った3作品すべて、国も時代も特定していません。この仕事をする最大の武器は、自由であることだと思っています。作り手として自由でいられる立ち位置をもらっているので、作品によって見る人が人種差別や偏見から自由になってほしい。偏見は他人の自由も奪ってしまいます」

エネルギーに満ちた映像で見せた「CASSHERN」「GOEMON」から一変し、本作は自然光を重視した静謐で美しい絵画的表現で、騎士たちの魂を映し出す。しかし表現は違えど、紀里谷作品の根幹にあるものは「愛」だ。

「人間みんな、愛が命題だと思うんです。一生懸命仕事をしてお金を稼ぐことは家族に対する愛かもしれないし、結婚も愛がほしいし与えたいということかもしれない。愛がテーマだということは、大昔から変わらないんですよね。ただ、どうしてもみんな愛情表現の形にとらわれてしまう。でも、そうじゃないと思う。僕はそういうことを表現できる立ち位置にいさせてもらっているので、しっかりやらないといけないと感じます」

本作では、愛を描くため「自分に正直になること」がポイントとなった。「みんな不安や恐怖でにごしてしまうけれど、愛は誰もが持っているもの。それに正直になって、役者やスタッフと対話をして向き合って、感じることが重要なんです。芝居ではリアルな感情、その人自身がそこにあるのかということがすごく大事。だから、悲しいシーンでは本当に悲しいと感じないとOKは出しません。映画の現場は制約があって難しいこともあるけれど、同じ次元でつながっていけたらいいなと常に思っています。つながった時に友だち、仲間になったりするんじゃないかな」と語る。

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「自分はなくていいと思うんです。相手さえそこにあいればいい。実際にやっていくことは難しいし、僕も映画を作っていて『どんな人が見るんだろう』とか思っちゃうけれど、すごくシンプルなことなんですよね。子どもの頃みたいに作りたいものを作って成立すれば、それに越したことはない。いずれは宣伝しないでもいいような映画が撮れるようになりたいです(笑)」

映像、写真と作品を残すだけでなく、ソーシャルネットワーク「FREEWORLD」を主催するなど、精力的に活動している。紀里谷監督の行動原理を紐解くキーワードは、ストレートに「つながりたい」。「子どもの頃からある欲求で、傷つくこともあるけれど、人間はそもそもがつながりたいと思う生き物なんです。きずなというような大層なものではなく、そこで理解が発生するかどうかも関係なく、ただつながるという行為なんだと思う。人間を突き動かしているものであって、僕はそこを研ぎ澄まして見つめているだけ。時々いやになることもありますよ(笑)。でも、TwitterやFacebookもつながりたいという衝動でやっているだけなんです」

「何かを感じてもらいたい」という思いを形にしている紀里谷監督。「この前、三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBEのPVを作りましたが、それを見た人が泣いたり何かを感じてくれればそれでハッピー。アングルや形はどうでもよくて、それは映画でも変わりません。若い頃はエゴもいっぱいあったけれど、やっていくうちに壁にぶつかってしまうんです。ある程度のところで自分で自分の作品を好きになれなくなって、苦しんでしまう。人生も同じで、『これを手に入れれば幸せになれる』『結婚したら幸せになれる』と追いかけてしまうけれど、『そもそも何がしたいのか』『どうありたいのか』という質問がぽっかり抜け落ちちゃっている。映画も写真も、『本当に好きなものはなんですか』『何を感じるんですか』『何を感じてもらいたいんですか』ということに正直でいることなんだと思います」

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紀里谷監督は、15歳で単身アメリカに渡り、手探りで道を切り開いてきた。「どこまで行っても何か違うなって思っちゃう自分がいた」と自ら苦しんだ体験を経て、自分と向き合うことにたどり着く。「今でもそういうところがあるし一瞬では変わらないけれど、それだったらどうするのか。もちろん100%にはできない。だからつらくて苦しい。でも、それが人生だと思います。『ラスト・ナイツ』の登場人物も同じで、誰かへの愛のため忠義を守るけれど、そこには苦しみがいっぱいある。みんなが理想を持っているけれど、その通りにはならない。その中で自分はどうするのか。復しゅう劇ではあるけれど、主人公の復しゅうというよりも自分との向き合い方、自分が自分を愛せるのかというシンプルな話なんです」

さまざまな活動を経て、映画に「多くの人とつながることができる可能性」を見出したという。「どちらが上か下かとかいう話ではなくて、映画は写真やPVよりも多くの人とつながれる可能性がある、1番届く媒体なんじゃないかな。すごくつらくて大変なこともあるけれど、素敵なことができる可能性があって、いろいろな人とつながっていける。国境もセールスも何もかも超えていけると思います」

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