湯を沸かすほどの熱い愛のレビュー・感想・評価
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女性の友情物語
ファミリーものではないと思う。宮沢りえさんの娘達への向き合い方は家族愛というより1人の女性として1人の女性に接していたよう感じます。そこに女性同士だから共感、共有している何かを見た気がします。男にない論理的に言語化してしまえない感傷的な何か。それを宮沢りえさんは見事に表現されており、この映画を観る価値のあるものに引き上げているのでは無いでしょうか。
作中では男性の出演者も彼女を支える為や計画を実行する為に奔走しているのですが、結局、登場する女性たちの心の葛藤や現実と向き合う姿に比べると霞んでしまいます。そういったところでも、男には立ち入れない女性の友情を見事に演出されています。
涙
偉大な母の愛の物語ではない!子から母への切実な愛の物語です。
『湯を沸かすほどの熱い愛』
(あらすじ)
夫が一年前に蒸発して、娘と2人で暮らしている双葉(宮沢りえ)。
そんな双葉が体調不良で病院に行くと、末期癌で手の施しようがないと告知を受けます。
そこから双葉は、「死ぬ前にやるべきこと」を実行していきます。
1)蒸発した夫(オダジョー)を連れ戻して銭湯再開。
2)弱く優しい娘:安澄(杉咲花)を自立させる。
などなど、確実に近づいてくる死を目の前にしても、深い愛情と思いやりをもって生きる双葉が、周りの人達を変えていく。
先月、やっとみました。
※むっちゃネタバレあります。
本作の感想で多く見られるのが、「母の愛は偉大」です。
どっかのキャッチコピーにも、そうあったかも?
実は終盤になって、安澄は実の娘ではないと分かるんですが、「なるほどな」と思いました。
最初から、双葉の子供との距離に違和感を感じていました。
なんというか、一歩引いてるというか。
その感覚って、母というかカウンセラー的だなと感じてたんです。
また双葉は、幼少期に母親に捨てられています。
で、同じ状態の子供達に、自分が得られなかった愛(して欲しかったこと)を注ぐことで、また捨てた母と安澄とを和解させることで、自分の傷を癒やしている。
これは、母の愛とはちょっと違うと思いました。
母親に捨てられた子供は、自分が価値のない人間だと思うんです。
双葉は、死を目の前にして漸く自分の価値を見出し、必要とされ、得られなかった深い愛を知る。
これは母の愛の物語ではなく、子がどれだけ母を愛し、必要としているのか。
母からの愛ではなく、子の「母への切実な愛」を描いた作品だと思いました。
もっと言うなら、中野監督も映画制作を通して、幼少期に得られなかった愛を求めているのではないでしょうか?
過去作からも、それが窺えます。
映画館は、どころどころで嗚咽が聞こえていましたが、私には妙な気持ち悪さが残りました。
これは同じく、実際の家庭が双方ともに上手くいかないから、仮想父親にイーストウッドがなって、仮想娘にヒラリー・スワンクがなって、2人で生活して、最終的に仮想父親が仮想娘の人生を決めるという、父親の歪んだ夢が透けて見える恐ろしい映画、「ミリオンダラー・ベイビー」を観た時と同じ感覚でした。
また、過剰な演出が多々あり(特に子役ちゃん、あざとすぎる)、私は始終ぽかーんとしていました。
個人的には、子役に対する演出が悪趣味過ぎると思う。
あと、無理矢理なストーリー展開も、気になります。
伏線の置き方がいかにもすぎて、びっくりしました。
匂わす程度でお願いします。
しかしながら一点だけ、宮沢りえさんは良かったです。
宮沢りえさんって、もの凄いノイズ女優だと思うんです。
今までの人生が波瀾万丈過ぎて、どんな役をやってもそれががノイズとなって邪魔をする。
けれど本作に至っては、そのノイズが逆に良い作用をしている。
双葉の「訳あり感」は、宮沢りえさんだからこそ出せたんだと思う。
世界一中華を美味そうに食べる杉咲花ちゃん(CM)も、良かったですよ
まっすぐな愛
まさか2回も観るとは思わなかった、、
1回目を見終わって、あそこのシーンはあそこと関係があって繋がっていたんだと感動の連続でした。
何日か経って、もう映画館の上映が終わってしまうと思うと、もう一回映画館で観ておきたいと思い駆け込みました。
映画始まってすぐに涙が出ます。
多くを語らずともお互いの気持ちがしっかり分かり、通じ合ってる親子の姿が素敵です。
お母ちゃんが娘を想うまっすぐな愛に胸が熱くなり、涙がぼろぼろと。
ただ優しく見守るのではなく、一緒に向き合い、背中を押す。そんなパワフルなお母ちゃんだから、あずみもあそこまでの行動を起こせたんだろうな〜。
一人一人の役が個性的で、それぞれ前に向かって生きていく姿がキラキラしています。それも双葉の愛の力で周りを動かしてるんだろうなと見終わった後にまた感動。
*私の一番好きなシーン*
双葉があずみに、本当のお母さんのために手話を勉強させていた所にグッときました。
思い出すだけで泣けてくる、、
DVDが出たらすぐ借りて、見ようと思います♪
おかしい?
監督はわざと馬鹿にして造ってるのではないだろうか、観客に対して、こんなの好きだよね、泣くよね、を羅列して、泣かせどころを音楽で盛り上げて、と、造りのレベルが低すぎる。味の素たっぷり山盛りの映画。日本の古いお涙頂戴TVドラマの作り方の羅列。映画学校でて、このレベルか?わざと?馬鹿にしてる?とは言え、この映画を観て喜んでいる人達がいる。日本も日本の映画界もいまだに古い脳みそがカスのように残ってるのでは、と思ってしまう。さてさて、こちらの感受性のレベルが低すぎるのか?人生経験が足りないのか?いや、感覚世界が違うのだ。わざわざお金払って客観的に映画を観に来る人は居ない。そして、こんなことは書かない。只々、自分には合わなかったと言うだけで、観たことが失敗だったと思うことなのか。とにかく監督は映画界のラーメン二郎ではないだろうか?
あわない人も居るんです。。。
熱い愛が感じられる感動作
断トツで2016年邦画No.1はこの作品です。
余命を宣告され残り短い命を生きるお涙頂戴映画だと思ったら大間違いでした。設定だけ聞くとそんな凡庸映画に思えるけど、この作品の最大の魅力は悲くて泣けてしまうのではない点。もちろん悲しみは涙腺の緩みを増長させる一因ではあるが、人の持つ勇気や心の強さだったり、相手のことを考えて敢えて厳しい姿勢を見せ愛情をもって接することだったり、状況をすべて「受け入れる」ことに感銘を受けて泣けるという構造になっていて、もちろんそこには緻密な脚本が欠かせないんだけども、それに加えお母ちゃん演じる宮沢りえと娘役の杉咲花の演技力がこの作品の演出の期待値を上回っていることも大きな要素だと思います。特に杉咲花の海のシーンはこの映画の見どころの一つと言っていいと思います。
商業映画としてはデビュー作だという中野量太監督がこの映画に込めた想いが最もよくわかるセリフで「お母ちゃんの遺伝子がちょっとだけあった」というシーンがありましたが、ここに私は監督が見る者に対して受け取ってほしい本質的なものがあったように感じました。(ちなみにこのシーンは2度目の鑑賞でよくわかります)
そしてエンディングで「きのこ帝国」が流れて映画タイトルが出るんですが、そこでもう気持ちの良いぐらいズドーンと撃ち抜かれました。あんなにも心地良いくらい腑に落ちる感覚は、そこに至るまでの綿密な脚本や伏線の回収があってこそなんだなぁと感じさせ、そのラストで改めてこの作品の素晴らしさを気付かせてくれました。
秀作!!
seriousなだけの映画としてはみるとギャップにおそわれるかも
ラストはタイトルがどーん。
あ、こっちがメインだったんだと。
正直びっくり!
でもよく考えればそんな素振りがちらほら、真面目にツッコミを入れるほど、ラストまでのシーンは普通じゃなかったです。
でも私のような察しがわるい人間にはもっとぶっ飛んでてほしかった。
監督さん泣かせすぎです。
もう少し笑いたかったしジーンとした空白もほしかった。
泣いたことがこの映画の一番の印象になってしまったのは、豪華すぎる俳優のせいにします。
ただし、りえさんと花ちゃんには拍手しかありません。
桃李君は目立ちすぎる。
ジョーさんは色気がありすぎる。
みんな美人すぎる点。
でも久々にみた邦画はこの作品でよかったなと、アップリンクがBestでした。
女優さんの演技に脱帽
事前情報から賛否が分かれているな、と感じましたが、是非自分の目で確かめねばと思い鑑賞しました。
結果からすると女優さんの演技にやられたという印象です。蒸発した夫の妻でありといじめられている娘の母であり、末期ガンに立ち向かう女性と言う難しい役を見事演じきった宮沢りえさんは言うまでもなく、娘役の杉咲花さんも演技が素晴らしく脱帽の一言につきます。
主人公であるお母さんは時に強引に娘に「逃げてはだめ。立ち向かわないと」と言い強引に娘を引っ張りますが、その固くなまでの意思に1つの人間臭さを感じました。
制服を隠された娘は、翌日布団に入ってお母さんの、学校に行きなさい、という説得に抵抗します。その中で、「私はお母ちゃんと違って社会の最底辺なの」と言う言葉を母に言わなければいけない辛さを抱えながらの演技は見事でポテンシャルの高さを感じさせました。
女優さんの真に迫る演技と魅力的な脚本に支えられ、心の周波数にぴったり一致するような傑作であったと思います。
心を打たれるシーンが時折ある、人間関係が複雑すぎるコメディー
作り手の誠意についての疑問【反省文追記3.18】
芸術作品の表現において、『必然性』を論点にするのは公平公正な態度とは言えない、と反省しました。作者がこの物語には必要だと思ったものについて、また相応の覚悟を持って表現したことについて、受け手側はそれがどういう意味か、何が込められているか、肯定的に捉えるか、無意味だと捉えるか等を自由に考えればいいのであって、必然性の文脈で語るのは、大げさに言えば、表現の自由とか幅を狭めることに繋がるので、ある意味で危険な思想だと思い、大いに反省し、追記いたしました。その点以外の内容は不変です。【2017.3.18】
『死ぬまでにしたい10のこと』と同じ余命短い母親の最後の日々、ということで、りえママが健気で気丈に振る舞うだけで涙が溢れてきます。
で、鑑賞後ですが。予備知識や製作意図などの情報が全くないまま観たので、素朴な疑問が浮かびました。
えっ、あのラストのオチのために、2時間のドラマがあったの?
ドラマや現実の火事のニュースでも分かる通り、お風呂を沸かす程度の火力では、黒焦げの遺体と異臭が残るだけで、たぶん遺灰や骨にまでなりません(火葬場の1000度以上の火力で1時間かかります)。死体遺棄の法律違反を犯してまで探偵さんが協力する動機‥‥生前、りえママから頼まれてもいないし‥‥も⁇⁇
あの愛するお母さんの黒焦げ遺体が風呂釜に残るような残忍な状況‥‥これってブラックジョークにもならないし、ドラマの流れからしても必然性がないですよね?
必然性があるとすれば、火葬費用を払えないという経済的な理由?
赤が好きだったというだけで、煙まで赤くなるのもよくわからないし、黒澤明監督の『天国と地獄』へのオマージュとも思えないし。
個人的な感覚では、きちんと遺灰と骨になったとしても燃料にしてしまう行為は、生みの親を知らされる以上の驚きであり、故人の尊厳性の冒瀆に思えたのですが、私の方が異常なのかな?
お涙頂戴の感動作なんて簡単に作れるんだよ、オチに爆弾を仕掛けたけど、さあどうする?
という、監督からの日本映画界に対する挑戦状なのでしょうか?
イジメという重いテーマについても、あの勝負下着をあの場面で使ってくるあたり、結構不誠実さを感じてしまいました。実際にイジメの状況に苦慮しているご家族の中には、立ち向かわずに逃げるしか選択肢がないかたもいらっしゃると思います。女の子の親としてあの裸は、みていられない人もいるのではないでしょうか?その辺の配慮にも欠けた脚本とも言えるのではないでしょうか?牛乳のゲロまでジョークの一種として扱ってたように見えました。そういった影響(深く傷つく人がいるかもしれない)への想像力とか配慮とかがなかったとしたら、それは製作者としての誠意ある態度とは言えないのではないか、ということです。
うーむ、神経質に考え過ぎだろうか?
終活
なのだろうな。
残していってしまう者たちへのエールが溢れんばかりであった。
余命を宣告された主人公。
まさに…燃え尽きる前の花火の例えがあるように、死ぬまでに、自分が居なくなった後、家族が家族であれるように、生きて、食べて、笑って生活できるよう、出来る限りの事をしてから死んでいきたいと、そんな覚悟に突き動かされてた。
立つ鳥後を濁さず…そんな死に方でもあった。
なんだか、生きてきた後始末をつけてるようでもあり、それまでの後悔を払拭するようでもあり…そんな崇高な意思とはかけ離れた卑怯な自分などは、己の生き方を見つめ直したりしてしまう。
映画的には地味な印象を拭いきれはしないが、それでも脚本的な仕掛けには驚きもあり、演者達の視線や、固く結んだ口元から言葉や台詞などでは語りきれない心情が雄弁に語りかけ、突き刺さる。
病床の主人公には戦慄すら覚えるし、それに立ち向かう娘の気丈な素振りに涙する。
無防備な演技とでも言うのだろうか…虚飾を一切排除したいかのようだった。
そして、物語の肝でもあろうラストシーンなのだが…ズッコケる人と唸る人と賛否が分かれそうである。
あのシーンだからこそ映画として成立してるとも言えるし、あのシーンさえ無ければと思う人もいるだろう。
かくゆう俺は、思い出し笑いをしながら映画館を後にした。
賛否を問われれば可と答えたい。
凄い重いテーマだった割には後味は悪くない。監督のバランス感覚の良さなのか、演者のファインプレー故なのか…その一端をあのラストシーンが担ってるような気もしてる。
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