湯を沸かすほどの熱い愛のレビュー・感想・評価
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ガツン!とくるファミリードラマ
原作モノや続編があふれる今、オリジナルでもこれほど胸にガツンとくる映画を作れるのだと証明する力作。奇をてらわず、どっしりとした王道のファミリー・ドラマを描き上げている点、スタッフもキャストも実に肝が据わっている。
“大衆浴場”という絶滅危惧の文化は本作の象徴ともいえよう。多くが「しょうがない」と簡単に諦めてしまうところを、本作のお母ちゃんは絶対に諦めない。自らの死期を悟るや否や、自分の望むことすべてを、がむしゃらなまでに成し遂げようとする。その意地と根性が伝播し、人の心を裸にさせる。そうやって裸になった心と心をしっかりと繋いでいく。ある意味この人は“歩く大衆浴場”だ。
見方によっては死にゆく者のエゴかもしれないが、周囲が「彼女に賭けてみたい」と思うのは、この歌舞伎の人情物から飛び出してきたようなヒロインのなせるわざ。宮沢の熱演、お見事。肌にジンジンくるほどの湯加減が、観る者の心をいつまでも心をポカポカと冷まさせない。
自分を捨てた親に会いたいですか?
主人公の双葉(宮沢りえ)は一人で娘の安澄を育てている
夫は蒸発し、家業の銭湯も休業している
ある日、パート先で倒れ
ステージ4の癌であることが分かる
残された時間は2~3か月
それまでにやらなければならないことは・・・・
という物語
ここまでの設定は良いのだが
この後の話が全く共感できない
私は10歳の時に母と別れて育った
映画の双葉とほぼ同じ状況だが
自分を捨てた母親に会いたいと思ったことは無い
でも、映画やドラマの登場人物は
自分を捨てた親に「会いたい」と願う
何を根拠に脚本を書いてるのか質問したいくらいだ
普通に両親に育てられた人たちは
離れ離れになった親子の再開は100%ハッピーだと思ってるのだろうか?
そんなのは戦争の混乱期の話だろ
この作品の母親は、自分の価値観を娘に押し付けすぎ
安澄を生んだ母親が別にいるとしても
会うか会わないかは本院が決める事
自分は母に会いたいのに、
なぜ子供たちを母親から引き離したのか
家族を捨てて女のところへ行った父親を連れ戻すことが
娘のためになると思えない
日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞は理解できるが
世間の評価が高かった分、期待外れだった
湯を沸かすほどかは微妙
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宮沢がガン宣告され、別居中の夫とよりを戻し銭湯経営する。
娘はいじめられてたが、無理やり学校に行かせ、強く生きることを教える。
高校生の娘は夫の連れ子で、本人に初めてそれを明かし、本当の親に会わせる。
そんな中、死亡。葬式で人々に偲ばれる。
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ただ時系列的に淡々と話が進んでいく感じ。
実の娘ではないにしては強い愛情があるとは思ったけど、
でも普通の親ならそう動くんじゃないの?って思った。
死んだ後に実は何かを残してて、それを知った遺族が感動・・・・
的な何かもなく、ホンマに淡々と時間が進む感じやったかな。
嫌がる娘を無理やり学校に行かせたり、無理やり実の母に会わせたり、
実の母には問答無用の不意打ちビンタ食らわせたり、宮沢が怖い。
正直、こんな母親は嫌だ。でも教育としてはそれが正しいのかも知れない。
泣けるけれど、やり過ぎ感
実話に基づいていないオリジナル作品。「万引き家族」と似ているなあって思った。妻の双葉と夫の一浩は、本当の夫婦関係だけれど、夫が失踪していた設定。娘の安澄は夫の元妻の連れ子、夫が失踪中に面倒見ていた鮎子は、夫と血がつながっているかもわからない。つまり、母と娘二人は血が繋がっていない。双葉自体が、実の母に捨てられた育ちだったが故に、家族と子どもたちには愛情を注いでいるということか。双葉の愛の原動力は、愛に飢えていたからなのだろう。ヒッチハイクの松坂桃李含め、訳アリを克服することで、血が繋がっていない者同士でも、家族のような濃い関係になれるっていうのがテーマか。逆に家族という関係に甘えてはいけないよってメッセージ性を感じる。
家族を新たに迎えるシーンでは、しゃぶしゃぶを皆で囲むのは、幸野家の儀式に見えた。新婚旅行でエジプト旅行をする約束は、みんなで組体操のピラミッドを作ること、銭湯を改修するという約束は銭湯の風呂場を葬儀場にして花で飾ることで回収されている。
宮沢りえと杉咲花は熱演。子役鮎子の伊東蒼が子どもらしく表情豊かになっていく様、オダギリジョーのタメ夫ぶりも良かった。
安澄の実の母に会いに行くところでの手話を習わせていた理由がわかるシーンが、一番の泣かせどころであった。
娘の安澄のいじめの解決する際の下着になるシーン、鮎子の誕生日に母が迎えに来るかと思い、待ちぼうけを食って、双葉らと抱き合って失禁するシーンなど、自分の裸を晒すっていうのは、かなり攻めた脚本だった。(クラスメイトの前で下着になるって、さすがにない)ヒッチハイクの松坂が、ラブホテルに連れていかれたシーンも然り。裸の付き合いをするための儀式という狙いなのだろうが、他の方法はないのか。また、最後の葬儀は、家族だけという設定にし、霊柩車で遺体を運んだふりをし、実際は銭湯の風呂焚き場で火葬して、皆で一緒に風呂に入るっていうのは、さすがにどうかと。双葉自体の愛の熱さと題名を回収するためとは思うが、やりすぎの感があって、本当に?と思ってしまった。
骨子となるストーリーと俳優陣の熱演で、感動できる作品に仕上がっているが、攻めた脚本の部分部分が過激すぎて、(狙いはわかるが)しっくりしない感じが残った。
胸にくる。
ずっと気になっていたので鑑賞
感想書くのが日が空いてるので残っているものだけ。
自分がガンで身内を亡くしてるせいか、ラストの弱り方がめちゃくちゃ胸にくる。
どうにもならない現実の不条理さもあって、母とは会えず。
でも、自分が残せるものを精一杯残したんだなーって。
ラストの火葬はびっくりした。
とりあえず、母が偉大すぎた。
あと、やっぱり松坂桃李が上手いねぇ。
86/100
ラストはどうなの??
全体的に面白いんだけど、
ラストが突然ぶっ飛んでるので「???」ってなる。
もちろんフィクションだし、演出だし、こんなこと言うのは野暮なのだけど。。。
ラストまでは割とまぁありえるよね、というリアルさがあっただけに、
違和感がすごくて、ネットで解説とか感想とかつい調べてしまった笑
現実的な事と非現実的な事を都合よく使っている印象。
例えば、「母親の居所は分かった。けれど、彼女に拒否されて会うことは出来なかった」という現実的な展開がある。
一方で、「娘がいじめを克服する為に教室で自ら下着姿になる」「(主人公の)遺体を銭湯のかまどで焼却して供養する」みたいな非現実的な展開もある。
現実的な展開で解決できなかった部分を非現実的な展開で逃げている(または、その逆かもしれない)ように感じる。
宮沢りえに説教し続けられる2時間。この銭湯、そのうち都市伝説として語り継がれそう。
余命宣告を受けたことをきっかけに、家族の再生に挑もうとする銭湯の女主人の姿を描いたヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『チチを撮りに』の中野量太。
主人公である幸野双葉を演じるのは『紙の月』『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』の、名優宮沢りえ。
双葉の娘である幸野安澄を演じるのは『トイレのピエタ』『MOZU』シリーズの杉咲花。
ヒッチハイク旅行中の青年、向井拓海を演じるのは『エイプリルフールズ』『ピースオブケイク』の松坂桃李。
双葉の夫、幸野一浩を演じるのは『舟を編む』『渇き。』のオダギリジョー。
いわゆる「安心して泣ける」系の映画(クライマックスまで観れば、単純にそうとは言えないことはわかるのだが…)。
①不死の病の主人公。
②登場人物は全員家庭環境に問題がある。
③登場人物がとにかく心境を吐露して泣きまくる。
④ここぞというところでポロロンとピアノで感動系BGMが流れる。
⑤「血は繋がっていないけど、俺たちKAZOKU👩👩👦👦」
これぞTHE・邦画の満漢全席や〜♪
世間の評価の高さは分かっています。そして自分がマイノリティであることも分かっている。これに感動する人がいるのも十分わかる…。
しかし!申し訳ないがまっっったく感動できなかった。
というか、所々結構大笑いしてしまった🤣
まず凄く笑ってしまったのは、双葉が安澄に対して、実の娘ではないことを告白。動揺する安澄に向かって、実の母親である酒巻君江へ挨拶をしにいきなさい、と諭す場面。
嫌や嫌や、早よ行け早よ行け、というやりとりがまるでコントのようだった。
いや、そんな大事なこと直前で言うなよ💦
旅行の前にちゃんと説明して、安澄に心の準備をさせてあげるのだって大切なことだと思うんだけど。
次に大笑いしたのは、病状の双葉の為に一浩たちがKAZOKUピラミッドをしてあげたところ。
そこで、何故か参加している探偵のおっさんが、「私は人数合わせの助っ人です!」と言ったとき、「確かにそうだよな。このおっさんただのクライアントの為に体張るなぁ。」と思ってしまい、笑いをこられられなかった🤣
これらのシーン、監督がコメディとして描いているのであれば、凄く成功していると思う。緊張と緩和のツボを押さえた、ついついツッコミを入れたくなる名ギャグシーンだと思う。
しかし、多分監督はここで感動させようとしていますよね。
この監督、本作のクライマックスもそうなんだけど、恐ろしくぶっ飛んだ行動を良い話風に、バカ正直に描きすぎていて、感動すればいいんだか笑えばいいんだか分からんようになる。感情が迷子。
これって中野作品の特徴なんだろうか?ちょっと他の作品も観てみたくなった。
「心の強さと家族の絆」。
これこそ、監督の描きたかったものだったのだと思う。
とはいえ、正直言って主人公の幸野双葉に全く共感出来ず、終始「タラタラ生きてんじゃねえ!」と説教をされ続けている気分になってしまった。
タラタラ生きてすみませんでした〜😭
「昭和の肝っ玉母ちゃん」みたいなものを描きたかった、というのは凄くよくわかる。
しかし、子供のイジメに対して「逃げるな!」っていうメッセージ、それって本当に正しいの?
明らかにイジメを隠蔽している学校の態度はクソだし、実態もわからないのにただただ「逃げんじゃねぇよ!」という態度を取り続ける双葉もクソだと思う。
親として取るべき態度は、イジメの加害者やそれを隠蔽する学校に対して頑として立ち向うことなんじゃないの?
イジメを苦にして子供が自殺した、というニュースが毎日のように報道される現代で、よくこんな無神経なイジメ描写を描いたな、と逆に感心した。
大体、「下着姿になってゲロ吐いたらイジメられなくなりました」という帰着、全く意味わからん。
もっと学校に居場所なくなるでこんなん。
出会ってせいぜい2〜3時間のヒッチハイク青年があんなに懐くのもよくわからんし、仕事の上での繋がりに過ぎない探偵のおっさんが「この人にはなんでもしてあげたくなる。」とか言い出すのもさっぱりわからんかった。
本当に、この映画一から十まで自分とは感性が違う。
基本的に全く裏切りのない、「安心して泣ける」映画なんだけど、君江さんに突然ビンタをかましたあたりからちょっと面白くなる。
特に、双葉の生き別れになった母親の居場所がわかり、彼女に会いに行こうとする場面。
ここはめっちゃドキドキした!
というのも、その前に双葉が「お母ちゃんはもうこの世にはいない気がする」と発言しており、さらに安澄に向かって「お母ちゃん、ちゃんとした人に見える?」といって身嗜みを整えるという場面があったから。
自分を捨てた母親と再会。
身嗜みを整え、綺麗な姿になった双葉が、母親と数十年ぶりに顔を合わせる。
感動の再会…、かと思いきや、いきなり双葉が包丁を取り出して母親をぶっ刺す!🔪🩸
…みたいな、とんでもない展開になるんじゃないかと勝手に想像してしまった。
だって「お母ちゃんはもうこの世にいない」とか思わせぶりなことを言うんだもん。「まだやり残したことがある」とか言ってたし。
恨んでいた親をぶっ殺す伏線かと思うじゃん。
噴き出る鮮血をバックに「湯を沸かすほどの熱い愛」というタイトルが画面にバーンっ!と大写しになって、そこできのこ帝国のED曲が流れる…!というクライマックスなら、★★★★以上は確実でしたね。
自分が妄想していたEDとは全く異なっていたが、本作のラストも自分の妄想と負けず劣らずな、めちゃくちゃ気持ち悪いものだった💀
こういうインモラルな展開、個人的にはめっちゃ好きなんだけど、感動は全然しないですよね?他の人はするのかな?
そのうち、「死体を燃やした熱で風呂を沸かす銭湯」という、街の都市伝説の一つになりそう。
ここは感動シーンとして描いたのか、それとも観客を怖がらせようとして描いたのか、本気で監督に聞いてみたい。
良かった点としては、宮沢りえのガリガリさ。
彼女の痩躯は確かに末期癌の患者にみえ、双葉のキャラクターにリアリティを生み出していた。
双葉の「真っ赤な花が好き」という設定は、ブルーハーツのファンである宮沢りえが彼女を演じたからこそだろう。同じブルハ信者としては嬉しいところ😆
エンディングのキレの良さも光る。
「湯を沸かすほどの熱い愛」が画面にバーンっ!からの「きのこ帝国」のエンディング曲♪
このスッパリしたエンディングはかなり気持ち良い。
双葉のことを全く好きになれなかったので、かなりシンドい観賞体験となった。
今の邦画界で、最注目人物の1人である中野量太。
一作くらいは観ておかなくてはいけないだろうと思い本作を観賞したが、とんでもなく珍奇な作家性を持った監督であることは理解できました。
いやぁ、やっぱり邦画って苦手かも…😅
作られた感、演じている感
正直に言うと、作られた感や演じている感が至る所に見えてしまって少し興醒めしたところはある。
具体的には、いじめの場面や、松坂桃李とのやり取りの場面はどうも演技している感じ、非現実な感じがあってのめり込めない。最後の火葬の場面も、常識的にそれはないだろうと思ったが、フィクションだからと割り切った。
とは言っても、特に下の子が、ここにいさせてください、と泣きながら話す場面は、なかなかの演技で胸を打つものがあった。
しかし、全般的に見る人を感動させようと上手くない小細工が散りばめられている印象で、アカデミー賞ですか、、、というのが正直な感想。
誰しも母性を求めている。
ラストシーンでお母ちゃんを燃やした熱で沸かしたお湯に包み込まれる登場人物達。誰しも母性を求めてる。
観終わった後にタイトルを見ると、そのとおりの表現。
良い人ほど早く死んでしまう。
脚本そのものは、フィクション。よその子を勝手に育て始めて役所手続きはどうなるの?と気になるし、出棺すると見せかけるために、遺体を銭湯に放置してみんなで喪服に霊柩車でピクニックに出かけ、戻ってから自宅で火葬?!びっくり仰天プラン。お骨はどうしたのだろう、お墓はどうするのだろう?疑問は尽きない。
でも描かれているのはそこではなく、強くて愛情深いひとりの女性幸野双葉と彼女の母性を求め救われる人達。
途中までは、オダギリジョー扮する夫が蒸発しても気丈に振る舞い、子供がいじめられていても逃げずに立ち向かうよう明るく諭す優しく元気なおかあちゃんなのだが、徐々に相関図の複雑さが見えて来る。
余命を知り探偵を使って連れ返した夫が、自分はもちろん夫の血する流れているか怪しい浮気相手の子供、鮎子を連れて来た時も、すんなり受け入れ我が子のように接する。
良くできた人だなぁとは思うが、我が子の安曇すらも、夫の前妻の子供だったとは。
実はおかあちゃん自身が、安曇や鮎子のように、母が帰って来なかった過去を持つ。夫の前妻が聾唖者で子供の声が聞こえず出て行った時も、子供側の気持ちが痛いほどよくわかるから、安曇を我が子のように育てられたのだろう。
虐められている我が子を無理矢理にでも学校に行かせるのは今の世の中だと最適ではないのかもしれないが、親が育ての親だった事実、親が末期癌で死ぬ悲しみに今後安曇は立ち向かわなければならないのだから、強く育てなければならないと思ったのだろう。
「おかあちゃんとは違う最下層の人間だから」
「安曇とおかあちゃんは何も変わらないよ」
この返答の意味が、後々よくわかる。
刻々と命の最期が迫る中でも、自分の事ではなく、安曇を実の母に合わせに行くために鮎子も連れて旅行に出るおかあちゃん。
旅行中に出会うヒッチハイクの青年拓海くん。彼もまた、父親がころころ母親を変え、転々としながら生きていた。
彼に運転手を頼めば良いのにとも思うが、自力で頑張るおかあちゃん。末期癌のことを子供達に隠して、宿のお手洗いで吐血に苦しむところは見ていられない。
それでも、安曇を実の母に合わせるまでは頑張るおかあちゃん。翌日タカアシガニのお店でも食欲はなくぐったりしているのに、食後子供と揉みあいになってでも実母に合わせる使命を果たす。
ひとりになって、「疲れた」と言葉を吐き出すお母ちゃん。19歳で安曇を産んだ母親が会ってみたら若くて綺麗で、後からオダギリジョーに出会ったけれどそのオダギリジョーには蒸発された事もあり、病身で疲労した「疲れた」に追い討ちをかける心のダメージの「疲れた」、更には、生い立ちも合わせての「疲れた」。
いつも人の気持ちがわかるから人のために生きて。
疲れたよね。
どうしてそんなに頑張れるのか。きっと心のどこかでは、迎えに来ると言って消えた母をずっと待っていたからなのかも。その期待すらも打ち砕く、実母が都内で大きな家を構え別の家庭で孫までいて幸せいっぱいだった残酷な事実。鮎子の母の書き置き同様、新しい幸せな暮らしを、母親だけが掴んでいたなんて。天国ではやっと親が迎えにきてくれると夢にまで見ていたのに。
それだけ、人間が母親からの愛を求める気持ちは大きいのだなと気付かされる。
途中出てくる探偵父女も妻を亡くして男手1人で子を育てているが、双葉の優しさを求めている。
父親が連れてきた子供、鮎子も。誕生日までに必ず迎えに来ると話した母の言葉を信じ誕生日には元の家に戻るが、母は来てはくれなかった。待ち続け期待を裏切られたどん底の絶望感から一転、知り合ってわずかのお母ちゃんが気付いて迎えに来てくれた。冷えと安堵のおしっこは、1人で抱えてきた寂しさをも放出しているよう。
心細かったね、いい子でいたら帰ってくるかなと頑張っていたんだよね、寂しかったね。と無言でも気持ちを全てわかってくれるおかあちゃんにやっと出会えたのに、鮎子は再び母を亡くす。でも鮎子には父親がわりと母親がわりの姉ができたのが救い。鮎子もいつか双葉みたいになるのかな?
印象に残ったのが制服を返してと訴えるシーン。
制服を隠した子達は成敗されないし、かなり奇特な方法のだが、虐めた子が教室で下着を晒してまで訴えたのなら、普通は2度とやろうとは思えなくなるはず。水色が好きと言ったらおかあちゃんが用意してくれた水色の下着で、彼氏なんかより全然大事な時に勇気を出せたんだね。男性監督がやらせているシーンと思うとちょっと気色悪さを感じるのだが、みんなの前で脱ぐという辱められた気持ちを観ている側も味わわせる演出であり、杉咲花ちゃんは月齢以上のポルノ感は感じさせていない。
作中に、小学生の鮎子がお漏らしをしてしまうシーンもある。でも女の子が足を出してトイレにも行かず長時間外にいたら、冷えるし、幼少期には安堵の瞬間おしっこなんてよくある。あのシーンで、小学生の鮎子がそういう子供らしい反応すら我慢してきた気持ちを、母親のように来てくれたおかあちゃんに対して一気に放出させる描写にもなっている。
牛乳を吐くのも、安曇が言い返せず心に溜まっていたものを、ワーっと言い返すのではなく、吐き出せたあらわれにもなっていて。
おかあちゃんの吐血も、いつも平気な顔でも、血が出るくらい、心が傷ついてきたのを視覚的に見せられていると感じた。
監督が変態だのというレビューも見かけるが、女性を性の対象としてしか見られない視点に、女性こそ男性や子供を産み出す存在であり、誰しもが求める母性を持つ存在なんだという視点を加えたいように感じる。男性同様パンツも干す。漏らして不要になったパンツをびしょびしょで持ち歩くのを避けて、捨てて帰っただけ。そこにポルノ要素は何もない。
花ちゃんが成長に合わせブラジャーを変えたのは、子供から、母性を持つ女性に成長した描写でもあり、実際鮎子の姉がわりとして変わっていくと予見される。
観客の見方を想定してかのように、ヒッチハイク青年拓海が、出会ってすぐは「50代女性の車に乗ったらホテルに連れて行かれて綺麗でないこともなかったけど逃げ出した」などと女性を性対象として見ている24歳男性の視点を話すが、おかあちゃんに抱きしめられた後、もう一度自分から抱きしめられにいく頭は、ずっと母親にそうされるのを求めていた男の子そのものである。
その拓海が「あんなお母ちゃんの血が流れてる君達羨ましい」と言った時の、鮎子の顔。嬉しそうな安曇もまた、お母ちゃんの血ではないのを翌日に知るのだが。その事実を知らされた時の、車内から安曇を泣いて見つめる鮎子の表情も印象的だった。たとえ小学生でも感受性は強くあって、気持ちそのものを理解しているからこそ演技でも表現できるのだと思うと人間の深みを感じずにはいられない。
どんな人間も女性から。自分の子でもまともに育てない女性もいる一方で、自分が産んだ存在にでなくても、母性を注げる人もいる。その母性は、男性も女性も子供も、誰しもが求めているもの。
これが監督の真意ではないかなと感じた。
問題点の方が苦しく感じた。
辛い映画だった。 もちろん涙は出たし皆さんのいうように 良い映画って思ったりもしたけれど、あれ??なんか変じゃない?が多かった。
辛い気持ちを煮詰めて、それでジャムにしてパンに塗って食べたような気持ち。
どうして採点が低いかというと、いじめられて絵の具まみれになっても告げ口せず耐える様子。
制服を盗られて 男子生徒がいる前で下着姿になった様子。
あれが勇敢にいじめと立ち向かう姿なら、誰もいじめに立ち向かえられない。非現実すぎる。
夫が蒸発、新しい子供を連れてきて、それもサクッと耐えている姿を美徳としている感じ?「どれだけ女が耐えること設定ですすむねん!」とツッコミをいれずにはいられない。それが愛??。
そして連れてきたその子は実のお母さんを待ちおもらしをする。もう小学校2年生くらいと思う。その映像 宮沢りえパンツ脱がす。姉がそれをドアノブにかける。 妹の存在をここにあり??? えっとそれは、「いつか漏らして乾いた後のパンツを母親が見つけて心を痛めたらいいさ」くらいの 小さな仕返し?
あの子役は役を演じていたけれど、辛かったのではないだろうか。
あんな辱めは、映画という芸術の中でも子供にさせるべきことではないと思う。
例え実際には違う液体を使ったとしてもあれって必要???
ヒッチハイクにきて乗ってきた松坂桃李のおばさんにホテルに連れて行かれて逃げた話は 思春期の娘たちに聞かせたらはっきりいいって気持ち悪くて笑えないし 例え乗せた子が心が壊れていると悟っても、娘を守るために危険なことって母親はしない。非現実すぎて、ハテナ。
どこか無責任で なんでも受け入れる大きな愛 と勘違いさせられて見ていたらなんとなくクスッと笑ってしまう下りが怖い。自分とは違いすぎて、「こんな境遇なのに愛を与えてすごい」みたいな感動をうっかり与えてくれるけれど、あれれ? おかしくないかな?って。 疑問の方が勝ちました。
大人の無責任で、子どもが痛々しい。その子どもが大人になった姿で湯を沸かすほどの熱い愛を注いでいる話ということでまとまっていて 泣いて感動して、いい映画ーー!とはなりませんでしたが、子役たち、素晴らしい演技でした。
もちろん 母と再開して手話で会話するところとかは、なんとも感傷的になったけれど、何かがおかしいなっていう映画でした。
全く感情移入出来ない。
自分自身いじめられた経験があるのと医療従事者である立場として全く感情移入出来なかった。何もかも浅い。虐められいるこどもの思いを傾聴しない上に自身は延命治療をしないという選択をしながらこどもには自分の考えを強要する。なんならその延命治療をしないという考えに至る心理描写もない。神経症状が出ている人間がドライブするなんていうエピソードも理解出来ない。加えて当方道民ですが北海道はほば標準語です。余命数ヶ月という設定を利用して家族愛?で涙を誘っているだけ。高評価の意味が分からない。
強い愛と優しさ
今までこの映画の存在を知らなかったが、口コミ等の評価が高く、おすすめとの事で鑑賞。
冒頭からいじめ被害やがん宣告とシリアスな場面が続いたが、その後は双葉のパワフルさや一浩のコミカルさが随所に見られ、ほのぼのした日常を楽しめた。各登場人物が複雑な人間関係を抱えていたが、それでも家族がバラバラにならないのは、やはり双葉の強い愛と優しさのおかげだと感じた。
それもあって、後半に双葉がどんどん身体が弱っていく姿に心が苦しくなった。
惜しいポイントとしては、双葉のお母さんとの関係がやるせなく、その描写は必要であったか疑問だった。
最後は幸せに逝ってほしいと思いながら見てたので、必要以上に印象的に映ってしまったのかもしれない。
また、安澄が制服を取り戻した以降、学校生活の描写が描かれてなかったので、その後どうなったのか少し気になった。
わからん
いい映画だと思うし、思いたいんですが、正直だいぶ違和感があって、でもそれ込み込みで、やっぱいい映画だったのかもしれないです。でも、やっぱりちょっとよくわかんないです。
他の人のレビューを読んで、違和感が私だけじゃなかったんだ〜と思いました。
安澄が教室で下着姿になるところ、鮎子が失禁したあとパンツをドアノブに引っ掛けるところ、拓海くんのラブホエピソード。
ちなみに私が感じたのは描写の性的な気持ち悪さというよりも、どちらかというと、この展開がべつに愛と正義に繋がらへんよな?という不可解さ。
私がもしいじめっ子だったら、あんなことされて怖くてもっとハブるし(笑)、
私がお姉ちゃんだったら、失禁して恥ずかしい気持ちの妹のパンツをドアノブにかけたりしないし(鮎子は嫌じゃなかったんか?)、
拓海くんとのシーンは単純に少なすぎてそこまでの距離の縮め方に観てるほうは追いつかなかった(嘘がバレたときの拓海くんの顔まじで犯罪者フラグくらい怖いからマジ見て)。
でも最後、お母ちゃんで湯を沸かして赤い煙が出て、キノコ帝国じゃないですか、めっちゃ衝撃的なラストですよね。
そしたらちょっとだけこの違和感にも合点がいくんです。
ただ泣かせるヒューマンドラマだと思って観ていたんですけど、実はこの映画はかなり挑戦的な、我々の価値観をぶん殴るような『愛の形』を提示したのかもしれないです。
正直、お母ちゃんで湯を沸かすって、え!?と思いましたよ、でも、それが故人への尊敬がないとか書いてる人もおるんですけど、その行為自体に尊敬がないかどうかって、べつに誰も決められないですよね(宗教のことはよく知らないし、関係ないので置いといて)。
他のシーンに性的な意図があるっていうのも、そう受け取る人にとってはそうなんでしょうけど、発信する側にそういう意図があるなんて決めつけられないし。
たしかによく考えたら、いじめから逃げるなってむりやり布団から引き剥がしたり、いきなりレジの店員の顔引っ叩いたり、戸惑う娘を車から引きずり下ろしたり、全部たしかに理由はあるんですけど、なんか変なんですよ。私たちに共感させないんですよ。
極め付けはお母ちゃんも実は捨てられた身だったという、あまりにも出来すぎたオチで、これが、全部まあるく収まる共感しまくりのお涙ホッコリ展開で進んでたら、相当こすられまくったありがち脚本になっちゃいますよね。
映像内の至る所で、色々と『あえて』なのかな、と思わせるような『切実さ』が、俳優陣の演技も含めて、垣間見えたんです。
そういう意味では、自分の持っていない感受性について考えるきっかけになったので、いい映画だなと思いました。
でも人にはなかなか勧めづらいです。
久しぶりにこんなに泣いた
久しぶりに翌日目が腫れそうなくらい泣いた。
誰と腹違いなわけでも親が再婚してるわけでもないから状況は全く違うが、「親の死に目にあう時、自分はどんな感情になるだろう、何をしてあげられるだろう」と考えさせられた。
杉咲花は純粋で芯のある素朴な役が似合うし、オダギリジョーはどこまでもクズ男の役が似合う。髪型とか髭のせいかもしれないが。
実際に身の回りにいたら腹が立ちそうだが、きっと映画の中だからあのヘラヘラしてて冴えない男な感じも許せちゃうんだよな〜
双葉が「いつか役に立つ日が来るから」って安澄に手話を勉強するように言ってたことを知るあのシーンが一番好きかもしれない。
「ああ、母ってこういうことなんだな」という感心のような感動のような感情。
ちょっと「え?」となったのは、最後の双葉を焼く火で沸かした銭湯に入るシーン。軽めのホラーみたいで怖かった。
良いところも悪いところも…
余命宣告された母親が娘たちに託しておきたいメッセージを伝えたり、自分の母に対する思いにケリをつけたりする下りはめちゃくちゃ良かった。泣きそうやった。宮沢りえも杉咲花もすごく上手やったし…
ただいくつかよくわからない点があって、まず酒巻君江さんがちょくちょく来るようになったのは何?元サヤに戻って残された家族をよろしくね、ってことなの?
あとタクミくんに喝を入れる下りは必要やったんかな…
1番よくわからなかったのは、イジメに立ち向かう手段がクラス全員の前で下着姿になること?????
リリィシュシュのすべて でクラスメイトにレイプされた女子中学生が翌日坊主頭で登校してくる場面を思い出した。かなり胸糞悪い。被害者が自分のさらに惨めな姿を加害者の前にさらけ出すことが、何故いじめの対抗手段になるの!?
ともあれ全体的にはすごく良かった。
虐められて制服を隠された娘が「学校行きたくない」と泣いたところ母親...
虐められて制服を隠された娘が「学校行きたくない」と泣いたところ母親に「私の娘なんだから強いはずだ」と鼓舞されたのでクラスの面前で代わりに着ていたジャージを脱いで下着姿になり、母親はそれについて「下着に色気がない」「彼氏ができてそういうことになったらあれでしょ」といった口出しをする。漏らした小学生女児のパンツを脱がしてアパートのドアに掛ける。
そういった描写が意味不明だし脚本も意味不明だしそのシーンの物語上の必要性も意味不明だし泣けもしないし本当に意味不明。しかもキャラの親に捨てられた率が高すぎて胸焼けしてくる。単純に気持ち悪い。
そもそも、根本的に愛というものを履き違えているのでは?あの母のしていることは愛ではなく自分の正義の押し付け。本当に強い人は自分の強さを押し付けるなんてしないはず。「母も実は弱かったんだ、葛藤しながら生きていたんだ」って描写もないし観客は「あれが強さなんだな」と捉えてしまう。毒親や虐めといった要素も泣かせるための道具としか思ってないのかな、と感じて腹が立った。
オチは秀逸だったがオチ目的で撮ったのかなあとも思うし薄いし粗が目立つ。俳優陣の演技力ありきで成り立っているようなものではないか。
単純に私と監督の価値観が合わなかった。
熱い愛でした。
宮沢りえ演じる双葉の強さに、心が打たれました。
我が娘がいじめに遭ったら、同じ事が出来るのか?いや、していいのか?自分の娘の性格、強さを信じれたからでしょうかね。
双葉亡き後、ダメパパが家族を纏められるのか!?映画のその後が心配になりますね笑
途中まで感動してたんだよな
劇場公開時には観ることができなかった本作。評判も良かったのでほぼ事前情報なしで鑑賞してみた。
余命宣告された母が残された家族に何を遺すのかってことなんだけど、これが結構いい。娘たちにイジメやネグレクトの問題もありながら、明るく元気に過ごす母親の姿は勇気をもらえる。そして娘の本当の母親との再会で明かされた手話の秘密。ビンタするくらいに腹を立てていたのにそんな気遣いができる双葉に感動してしまった。
でもでも、ある程度予定調和っぽい感じで彼女が亡くなって、さぁラストってところで強烈な違和感。えぇ!そんな結末なのと驚かされた。双葉の遺言で何か伝えていたシーンなんてなかった気がするけど。双葉の遺志みたな扱いだったのはどうなんだろ。全体的に感動の流れに飲み込まれていた身としては半ば強引に感動の結末として受け入れさせられた感じ。
そもそも遺体は銭湯の火だけで骨にできるんかいな。火事の現場でも残るのは黒焦げの遺体なんじゃないの?なんて現実的なことを後からいろいろ考えてしまった。
素直に人に勧めづらい映画になってしまったな。
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