山河ノスタルジア

ALLTIME BEST

劇場公開日:2016年4月23日

解説・あらすじ

「罪の手ざわり」で第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門脚本賞を受賞した中国の名匠ジャ・ジャンクーが、1人の女性と彼女に思いを寄せる2人の男の人生を1999年、2014年、2025年という3つの時代と社会を通して描く人間ドラマ。99年、山西省・汾陽(フェンヤン)の小学校教師タオは炭鉱で働くリャンと恋愛関係にあった。しかし、タオはリャンの友人で実業家のジンシェンからプロポーズを受け、ジンシェンと結婚。リャンは故郷の街を離れることとなる。タオとジンシェンの間には男の子が誕生し、子どもはダラーと名づけられた。14年、タオはジンシェンと離婚し、ひとり汾陽で暮らしていた。タオの父親の葬儀に出席するため、数年ぶりに戻ってきたダラーからジンシェンとともにオーストラリアに移住することを知らされる。25年、オーストラリアの地で中国語をほとんど話さない生活を送っていたダラーは、母親と同世代の中国語教師ミアと出会う。

2015年製作/125分/PG12/中国・日本・フランス合作
原題または英題:山河故人 Mountains May Depart
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野
劇場公開日:2016年4月23日

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第68回 カンヌ国際映画祭(2015年)

出品

コンペティション部門
出品作品 ジャ・ジャンクー
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映画レビュー

3.5 『山河ノスタルジア』——時間の層と喪失の倫理

2025年11月25日
PCから投稿

ジャ・ジャンクーの『山河ノスタルジア』は、1999年・2014年・2025年という三つの時代を描きながら、変化する社会の中で人が何を失い、何を記憶に留めるのかを問いかける作品である。
映像的には、時代ごとにアスペクト比が変化し(1.33:1/16:9/2.39:1)、画面の形が社会の構造や人間関係の変容を映し出している。
スタンダードサイズでは、人物描写に重きを置き、人間関係の密度と奥行きを表現する。
FullHDの時代には、映画制作当時と同じリアルな画面比が選ばれ、タオとダオラーの「断絶した日常」を最も冷徹に、感情を抑制して記録するメディアの枠として機能する。
そしてシネスコの2025年は、空間的に最も広がりを持ちながらも、その広大さがむしろ孤立や空虚を強調する。
このアスペクトの変化自体が、過去・現在・未来における“心の距離”の可視化として作用している。
さらに、各章に施されたカラーグレーディングもまた時代の空気を伝える。
1999年の章は、ノイズを含む温かなトーンで人肌の記憶を呼び起こし、
2014年は冷たくクリアな映像で現代の都市的人工性を示し、
2025年では青みがかった乾いた色調が、未来の孤独と風化した記憶の匂いを漂わせている。
これらの映像操作によって、ジャ・ジャンクーは“時間そのものを撮る”ことに成功している。
第1章(1999年)は地方都市・汾陽を舞台に、女性タオをめぐる恋愛劇として始まる。
炭鉱労働者リャンは旧い価値観を、実業家ジンシェンは新しい資本主義の象徴として対置される。
タオが選ぶのは後者だが、その決断は愛情ではなく「時代に選ばされた選択」である。
彼女の微笑の奥に漂う不安や揺らぎには、世紀の転換期に立つ中国の民の心情が滲んでいる。
第2章(2014年)は、経済成長の裏側で生じた人々の分断を描く。
離婚し孤独に生きるタオが、父の死をきっかけに息子ダオラーと再会する場面には、親子の距離と時代の断絶が凝縮されている。
同時に、かつての恋人リャンが病に伏し、貧困に苦しむ姿も描かれる。
タオが彼に経済的援助を差し出す行為は、単なる善意ではなく、自身の記憶から喪失されつつある「古い情」への贖罪的執着を感じさせる。
近代化の波の中で、彼女は豊かさと引き換えに大切な何かを置き去りにしてきた。
その自覚が、リャンへの援助という行為に表れ、過去と倫理的に向き合おうとする静かな祈りとして映る。
ジャ・ジャンクーはこのわずかな挿話に、「過去との関係をいかに生きるか」という主題を凝縮している。
第3章(2025年)では舞台がオーストラリアへ移り、息子ダオラーの視点で物語が描かれる。
異国で育った彼は、言語も文化も母の記憶も失い、アイデンティティの空白を漂っている。
中国語教師ミアとの出会いは、母への郷愁と自己再生の契機となるが、完全な回復には至らない。
ここで描かれるのは、グローバル化の時代における「記憶の断絶」と「文化的帰属の迷い」である。
ラストシーン。荒野の風の中でタオが「Go West」に合わせてひとり踊る。
それは若き日の記憶の再演であり、同時に西方=資本主義への憧憬をめぐる皮肉な儀式でもある。
青く乾いた映像トーンの中で、その身体だけが過去のぬくもりを呼び戻す。
「山河ノスタルジア」という題名が示すように、離れてもなお心に残る故郷や時間への郷愁が、そのダンスに凝縮されている。
ジャ・ジャンクーはこの映画を通して、変わりゆく社会における**“記憶の倫理”と“映像の倫理”**を静かに問うている。
それは、過去に背を向けることなく、喪失の痛みを抱えながら未来を見つめるための祈りの映画である。

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KAPARAPA

3.0 go westは印象的に残ったが

2021年7月2日
iPhoneアプリから投稿
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ジョニーデブ

4.5 山河故人

2020年10月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

はっきりいって感情を移入することが難したかった。あらゆることが中途半端になっていて、一つのテーマを継続していないから、観終わった後、さあレビューを書こうという気になれなかった。

まず、これが中国の映画かもなにかも知らないで予約して、いざ、DVDを取りにいったら、
中国語で『山河故人』と書いてあった。監督や俳優の名前もまったく馴染みがなく、まあ、観てみるかと軽い気持ちでみ始めた。

個人的に、中国の文化大革命あたりの映画に感情移入ができるし、好みである。一般論だが、中国人の、特に女性の力強さは文革の歴史からきていると思っている。それに、四十年前に中国を訪問したことがあって、それに私の故郷ではないが郷愁のようなものを感じるし、批判を浴びるかもしれないが、批判承知で、日本人のルーツだと感じている。

この私にとって、文革時代の良さを1999年以降の文化のなかで見出すのが難しかった。この時代は監督の言うように中国の端境期で、モダン中国に変わっていった時代らしい。技術だけでなく、人間の心より、金を稼いでアメリカ流の、資本主義を好む時代に突入していった。この時代にタオは伴侶として、リャンを選ばなかった。タオが自分で選んだ道だが、山西大学の法律科を卒業して実業家になったジンシェンの富の魅力に勝てなかったのではないかと思う。しかし、愛するもの全てを失ったなかでタオが生きていくところは文革のなかで生きていった人を思い出した。

炭鉱夫のリャンは石炭のようにモダン中国から取り残されていく存在だった。かれの控えめな性格も。ここをもっと描いてくれたら、私好みの映画になったのにと思った。

山西省・汾陽(フェンヤン)は監督の故郷だそうだ。映画の始め『黄河』とサインが見えて、黄河の雪解けのとうとうと流れる河に引き込まれそうになるくらい美しかった。素晴らしくて、私の知っている中国が汾陽(フェンヤン)で見て、見つかるかなと期待した。

タオが餃子を作っている時、『タオ』と言う声で彼女は振り返った。このシーンが我々に、息子との巡り合いの希望を持たせた。
最後のシーンで、リャンがGo West を一人で踊る美しいシーンがあるが、いままでの人生を『故人』しているが、『山河』のように人生は続いていくと思わせた。

それに、この2曲の対比はwestに行くか、伝統に戻るかの端境期にぴったりの選択だと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=LNBjMRvOB5M Go West
https://www.youtube.com/watch?v=ZVeT_xoGm9Q サリー・イップ の珍重

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Socialjustice

5.0 群衆の物語

Jさん
2020年8月23日
iPhoneアプリから投稿

儚い無常な人生
生まれ出会い死んでいく
その過程に1つとして同じ物語は無い

人間関係や時代の背景、問題提起など
様々な要素を絡み合っている

全てを完結にしないのが
個人的にはこの映画の良い点に感じる

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J

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