海上自衛隊が全面協力した東日本大震災での救援活動と、その活動で助けた側・助けられた側のその後を描くドキュメンタリー。
東日本大震災当時の映像は海上自衛隊が撮影した映像を使用している。
哨戒機からの被災状況を捉えた映像は、撮影し報告している隊員たちの自制した声が、かえってそのすさまじさを物語っている。
屋根に乗って2日間漂流した中年男性を救出するシーンも、ほんの数メートルのところから撮影されている。
この救難救出に携わった隊員たちが当時の様子を振り返って語る。
先の中年男性を救出した隊員たちは、瓦礫や流木が多数漂うなか、救出に向かったことを振り返るが、あまりの集中力のため、どのような状況だったかは思い出せない。
船を衝突させずに、男性のもとに向かうために、それ以外のことがが見えなかったという。
救難ヘリの操縦士は、ヘリの定員があるため、乗せることができなかったひとびとが多数おり、無念だったと語る。
機雷掃海が主たる任務の隊員。
彼らの任務は行方不明者の捜索。
視界ゼロの濁った海中を手探り状態で捜索する。
捜索するのは、ご遺体。
新しい結婚指輪がはまった女性のご遺体のことがずっと頭に残っているという。
音楽隊に所属する女性隊員は、輸送艦内での被災者支援が任務。
そこで、ひとりの女子中学生と出逢う。
その中学生は、このときのことがキッカケで自衛官を目さしていると語る・・・
と、当時のことを振り返るだけならば、このドキュメンタリー映画は特筆ものではない。
しかし、この映画は、振り返りだけにとどまらない。
助けた隊員と助けられた被災者、助けられなかった隊員とご遺族が2年半を経て、再会をする。
特に印象的なのは、先の女子中学生。
若いということは、なんという生命力だろうかと感じる。
津波に遭い、流されてしまった自宅跡にたっても、ただ悲しむだけでない。
彼女には、生きる目的がある。
この生命力。
そして、結婚指輪をはめたご遺体を発見した隊員の無念さ。
遺された夫の打ちひしがれた様子はやはり痛々しい。
集団的自衛権行使容認を認める法案が通ってしまったいま、あのときの隊員たちの献身的な活動を改めて振り返るこの映画、非常に複雑な思いで観ました。