グローリー 明日への行進 : 映画評論・批評
2015年6月9日更新
2015年6月19日よりTOHOシネマズシャンテにてロードショー
ドキュメンタリーのような迫真性と共に描かれる、キング牧師の〈言葉の力〉
アメリカ現代史において、公民権運動を推進し、1964年ノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング牧師は、ある意味ではジョン・F・ケネディよりもはるかに重要な存在であるが、これまでその生涯が一度も映画化されなかったのは、ちょっと意外な気がする。一方で、〈人種差別〉というアメリカが建国以来抱えるスティグマに真っ向から対峙したこの稀有な人物を描くことは、アメリカ自身の恥部を凝視するような骨太の覚悟を強いられ、長い間、タブー視されてきたことも一面の真実ではある。今回、白羽の矢が立ったインディーズの黒人女性監督エバ・デュバーネイは、自らのアイデンティティを賭して、この困難な主題に果敢に挑んでいる。
映画は、ありきたりな偉人伝に特有の年代記風の語り口を避け、1963年にバーギンガムで起こった教会爆破事件から65年8月の投票権法成立までの時代に限定し、キング牧師(デビッド・オイェロウォ)の苦悩と葛藤を浮き彫りにしていく。セルマ(映画の原題)という町で起こった選挙権を求めてデモ行進する群衆を、警官隊が警棒でめった打ちにし、催涙ガスや高圧ホースで水を容赦なく浴びせかける光景などは酸鼻をきわめる。本作では実際に悲劇的な事件が起きたアラバマでほぼ撮影されており、そのざらついた荒涼たる映像は当時のドキュメンタリーを見ているような迫真性が感じられる。
愚鈍な差別主義者であるアラバマ州知事ジョージ・ウォレス(ティム・ロス)や狡猾な南部人たるリンドン・B・ジョンソン大統領(トム・ウィルキンソン)と堂々と渡り合う局面において際立つのはキング牧師の〈言葉の力〉である。時おり、私的生活での人間的な脆さをスケッチしながらも、あまねく聴く者の肺腑(はいふ)をつく、キング牧師の言葉の異様なリアリティこそ、この映画がとらえようとしたものにほかならない。
(高崎俊夫)