劇場公開日 2015年12月12日

「ファンタジーの悪用」母と暮せば エイブルさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0ファンタジーの悪用

2016年2月14日
PCから投稿

泣ける

笑える

怖い

娯楽作家・山田洋次の悪いところが凝縮されて膿のように出された作品。

映画は演出で、演技であり、演技は嘘つき行為であり、嘘つきを何度もなぞることで監督には文体のようなもの、とくに大ベテランである山田洋次には、演技を見てその人の演出と分かるほどの文体、あるいは癖ができてあり、それはすでに実生活の自然体では有りえない、お遊戯・くるい、いわばファンタジーを内包しつつ創出しているのだから、映画は有り体を再現しようとするだけで、やっぱりすでにファンタジー内包して、ファンタジック表現としては必要十分なのに、そこへきてまたわざわざとファンタジー話をもってくるのは、これは、少し考えてもくどいことだ。本作品も言わずと知れたファンタジーだろうか、そうと思って観に行くものだ。なら、それなりの工夫が求められるはずだから、老巨匠によるそれの作用をたのしみにした。お家芸の娯楽作風に、「楢山節考」のような芸術性は求められないから、ならば、できれば、粋のような印象であってほしいと願った。

しかし、本作は、子供だまし的幼稚工夫による悪趣味方面からの矮小観点からの庶民礼賛・宗教勧誘話、でしかない。是枝監督の「空気人形」と酷似している。各々の生活で行われているのだろうか、日常的で個人的な鎮魂の儀式を、ベタベタの大衆ファンタジー・場末スナックのママの観点から、共通化し、救済せしめようという、あくどい勧誘みたいなエンディングで幕を閉じるのだから、最後まで救いようがない。この憎っくきスクリーンを前にしてこの私の、感動を表現する方法として最適な、涙を流す、打ち震える、嗚咽を漏らす、といった実にわかりやすい生理現象が引き起こされた、他人でも眼を覆いたくなるほどのおぞましい、まさかの我が大失態を、そのゲス極みっぷりを、否み尽くしたい。

エイブル