シン・ゴジラのレビュー・感想・評価
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庵野氏にもゴジラにも思い入れのない映画バカのおっさんは「シン・ゴジラ」をこう見た。
東宝の12年ぶりのゴジラ映画を「エヴァンゲリオン」の庵野監督で、という話題作。
ただしその発表からずいぶん経つこと、昨年の、不評の実写版「進撃の巨人」の樋口監督が絡むということ、公開前の予告のチャチさやそこで行われている雰囲気から、何となく「うそ予告」な空気も感じつつも。
公開初日のレイトショーは超満員。男女比は9:1といった「特撮ファン」「庵野ファン」といったところか。
「シン・ゴジラ」
劇場では「スター・ウォーズ フォースの覚醒」以上のお祭り感があり、ここのレビューも気合の入ったものも多い。
だが、映画自体は、なにも「難しくない」映画。
本作、庵野監督自身の、その人脈、東宝の力によって、「都心の災害対策シミュレーション」および「『日本』への希望」のいうシンプルなテーマの中に、「アニメオタ」「軍事オタ」「特撮オタ」「政治オタ」が集結し、各分野こだわりぬいた作品となった。
ただし、そのアニメ的な「カット割り、カメラワーク、セリフの応酬」のこだわりが特に映画に深みを与えているわけでもなく、それが「らしさ」と言えばそうだし、画面的な賑やかもあるにはあるが、、普通の映画ファンにはこの程度のストーリーにわざわざ「めんどくさい装飾をどっぷり添加しているだけ」に見え、ただ無用に疲れる映画でもあることは確かだ。
なので、そこはやはり「庵野氏の映画」として、深く考える必要はなく、「やっぱりそういう画になるんだね」という程度に軽く付き合うのがいい。
出演陣については、石原さとみの起用の失敗は言うまでもなく、いくらエヴァの登場人物的なサービスとしても、「キャバ嬢」メイクでの登場はいただけない。なにより年齢が若すぎ。
豪華なゲストスター総出で、「探せ」的な楽しさもあるが、豪華さを持たせるなら、海外の要人、例えば米大統領や仏首相に海外の超有名人一人を引っ張ってくるぐらいの気概は欲しい気もした。「立ち上げれ、日本」とでも言うのなら、超有名外国人俳優を呼んで、その人物を唸らせることが、作品の豪華さ、真剣度を上げることにもなろう。
そう、石原さとみの役を、ハリウッド女優にさせるのが良かったかもしれない。
だが「核の使用を絶対に否定し、日本の力だけで立ち上がる」、あるいは「ハリウッド製ゴジラ」に対抗してやる、という思いから、という意味では、そのへんは「国産」にこだわったのかもしれない。
CGの出来については、特に気にもならず、むしろ「特撮」感が出るようになっているのは良いところ。
ほかに本作の欠点として、ロケーション撮影の、臨場感、緊張感のなさがあげられるが、それ含めての「レトロ感」「特撮感」であるならば、まあ、そこもむしろ楽しむべきなのかもしれない。
ゴジラについては、「無機質感」があるのがよい。
退治方法にカタルシスがないという意見もあるが、「災害対策」にカタルシスは必要ない、ということでその点は問題ない。
追記
役者陣でも、柄本氏、余氏、國村氏が楽しいが、ラーメン伸びたことに嘆く平泉氏が特に素晴らしい。
日本人の精神性を見事に活写
高密度の情報量と、311後の日本社会への目配せも見事だが、個人的な本作の最大の注目点は、日本人の長所と短所が表裏一体である点を的確に捉えたところだ。
前半、一人の人間の避難遅れを発見したためにゴジラへの攻撃を決定できず、ズルズルと被害が拡大してしまう点は、普段から問題だと叫ばれる、大事なところで決められない日本人のメンタリティの弱点だ。だが、危機が拡大するにつれ、残った人間たちは何も言わずとも黙々と己の仕事をこなし続け、気がついたら一丸となっている。日本人は何も変わっていないが、未曾有の危機を前に突然目を覚ましたかのように結束し、高パフォーマンスを発揮し始める。
危機にも自分の仕事に没頭する様はサラリーマン根性のようでもあるが、最終的にゴジラを倒すのは、特別な平気ではなくその愚直な奉仕精神だった。
日本人以外には説明のしづらい魅力だが、ここまで的確に日本人の不思議な精神性を描いた作品は少ない。非常に貴重な傑作となった。
個人の感想を超える圧倒的な密度の塊。
『シン・ゴジラ』のスタッフルームには、庵野総監督からの参考作品として『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 沖縄決戦』『ブルークリスマス』と3本の岡本喜八作品と、シドニー・ルメット監督『未知への飛行』のDVDが置いてあったらしい。
『シン・ゴジラ』における引用については喜八作品のスタイルの踏襲や『未知への飛行』の政治会話劇に留まらず、正直追い切れないくらいの要素があるわけだが、引用をただのオマージュでなく、ちゃんと表現の手段にしていて、作品単体として輝くように作られているのはタランティーノにも似ているかも知れない。
また現実の世界の綿密な取材などディテールが濃密な一方で、「在来線爆弾」のような面白い跳ねたアイデアがフィクションとしての強度を確保する。
目に見える圧倒的な情報量以上の氷山の本体の存在が感じられる本作は、娯楽映画の水準を押し上げるみごとな仕事ではないだろうか。
“初代の呪縛”から解き放たれた、新時代のゴジラ!!
【歴代の監督達が縛られ続けてきた“初代の呪縛”を解き放ち、新時代の新たなゴジラ像を提示してみせた快作にして怪作!】
4DXで1回、IMAXにて4回、計5回鑑賞。
監督は、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督。アニメ畑出身ながら、過去に数作実写作品も手掛けている事は知っていた。
当時は『エヴァ』の新劇場版シリーズが未完状態であり、物議を醸していた『Q』の後という事もあり、不安と期待が入り混じりつつ、鷺巣詩郎さんによる音楽と映像のみという、邦画の予告としては中々に攻めた予告編を観ては、今か今かと公開を心待ちにしていた。
❶ゴジラのビジュアル
公開されたゴジラのグロテスクなビジュアルに、最初こそ不安になった。「初代よりグロテスクじゃないか?」と。だが、初代をオマージュし、“核の被害者”としての側面をより強調した点や、一切の感情が読み取れず、意思疎通が困難であろう極端に小さな眼球のゴジラに、次第に愛着が湧いていった。
実際に本編を鑑賞すると、ゴジラの形態変化を段階的に表現するという、【大戸島に生息する太古から生存していた恐竜が、米国の水爆実験によって巨大化し、放射能を纏う怪獣へと変貌を遂げた】というファンにはお馴染み過ぎて実は今まで描かれてこなかった、恐竜→ゴジラへの“変貌”部分にフォーカスを当てた演出に、「そうきたか!」と唸った(正確には、今作のゴジラの元となったのは“核物質を摂取する水棲生物”と説明されているので、恐竜ではないが)。
この形態変化という設定こそ、今作の白眉であると同時に最大の汚点でもあると思うので、形態毎に当時の印象を綴っていこうと思う。
・第一形態
冒頭から早々に登場するこの姿は、最初は既に公開されていた第四形態の尻尾であると思っていた。焦らしとして観客の期待感を煽る物だと思っていたので、まんまとテンションは上がった。
・第二形態(通称:蒲田くん)
逃げ惑う群衆の背後に突如として映し出されたこの姿に、最初は訳が分からず混乱した。何せ、先程の第一形態を完全に第四形態の尻尾だと勘違いしていたので、ギョロっとした眼と首元のエラ、未発達故に手が無いという強烈なビジュアルは完全に予想外だった。
だからこそ、「実は映画館で怪獣映画を観ている観客達の元に、直後ゴジラがやって来る」という仕掛けかとも思った。そうなる気配が無いのを観てようやく、「あ!コイツがこれからゴジラになるのか!面白い!」と気付いた。
・第三形態(通称:品川くん)
ようやく姿形がよく知るゴジラに近付いてきて、初代ゴジラの咆哮までかましてくれるから、ここからの更なる進化に大いに期待した。だが、アパッチで撃つ・撃たないの一悶着の末、背後の背鰭からの排熱では肉体の冷却が追いつかないと悟った事で、形態を一段階戻して海へと逃亡。
監督曰く、「この時点で撃っていれば殺せていた」との事だが、個人的にこの設定は無粋だなと思う。また、この姿を見た途端に、私の中では「絶えず形態変化し続け、巨大化しながら日本を蹂躙するゴジラに、人々がどう立ち向かうのか?」という擬似リアルタイムドラマを期待してしまったので、この後物語が人間側にパスされてしまったのは若干の肩透かしであった。
・第四形態(通称:鎌倉さん)
伊福部昭さんの音楽と共に鎌倉に再上陸したこの姿を観て、ある意味ようやく「ゴジラが始まった!」という感慨深さがあった。
着ぐるみ感を残す為にあえてダボっとした下半身のフォルムに対し、物を掴む必要が無い為(人が入る必要が無い為)、未だ小さく上向きの両腕がCGならではといったところ。
モーションキャプチャーを野村萬斎さんが担当した事で、「能」を意識した独特でスローモーションな動きのゴジラは、まるで巨大な黒い岩が都市を突き進むかのようで新鮮味があった。
ただし、第三形態から第四形態までの変化が急過ぎる印象はあったので、「ここに至るまでの変化も映像で見せてほしかったな」とは思った。
そして、いよいよ必殺の放射熱線を放つという瞬間に、私は驚愕し、落胆した。
あろう事か、ゴジラの下顎が裂けたのだ。あの瞬間、私の頭の中には『プレデター』が過ぎっていた。後にネットで“内閣総辞職ビーム”と呼ばれる事になるビーム状の熱線とそれを表現する効果音を目にした瞬間、私は確信した。
「あぁ、庵野監督にとっては、ゴジラは『ナウシカ』の“巨神兵”なんだな…」と。
私にとって今作の最大のマイナスポイントが、この熱線描写だ。
宮﨑駿監督の『風の谷のナウシカ』で、庵野監督が巨神兵のシーンを担当した事は有名であるし、そこが監督のルーツでもあるから、この表現を採用した事自体は理解出来る。
しかし、「ゴジラはゴジラ、巨神兵は巨神兵」だと思うので、両者を安易に同一視して描いてほしくはなかった。
下顎が裂けるあの姿を観て以降、私の中で本作のゴジラは「ゴジラによく似た何か」でしかなくなってしまった。もしかすると、エメリッヒ版『GODZILLA(1998)』を当時劇場で鑑賞した観客達もこんな気持ちだったのかもしれないと、当時のゴジラファンの落胆に少し寄り添えた気がした(笑)
❷人間ドラマを拝して描かれる状況劇
庵野監督は、常々「人間ドラマが描けない」と言われ続けてきた。監督が手掛けてきた実写映画を観たことはないのだが、『エヴァ』シリーズからでもそれは伺えた(直近の監督作が『Q』であり、実際に劇場で鑑賞して観客全員で“シ〜ン”となっただけに余計に)。
だからこそ、今作ではゴジラを一種の“災害”に見立て、「ゴジラという災害に対処する人々」を描く事で、人間ドラマを描写する事を見事に回避した。実に見事に、自身の苦手分野を回避したと思える。
だからこそ、本作が海外興行で惨敗したのも頷ける。人間ドラマの無い本作は、3.11を経験していない海外の人々にとって退屈な物であるのは理解出来るし、それを抜きにしても、ゴジラが東京駅で活動を停止して休眠期間に入った事で、ゴジラのストーリーが完全に止まったのは脚本の都合を感じずにはいられなかっただろう。
もっと言えば、本作が日本であれだけの一大ムーブメントを見せた事だって、本来奇跡に近かったと思う。
初回の鑑賞直後は、ゴジラの解釈に対する個人的な思いを抜きにしても、矢継ぎ早に提示されるテロップ、アニメ的な顔のアップの連続と早口で会話する登場人物、人間ドラマを拝したストーリーと、あらゆる要素がおよそ万人受けには程遠いと思ったからだ。
個人的には、ゴジラの解釈に対する不満を除けば、かなり満足度の高い作品ではあったのだが、「好きな人は好きだよね」と爆発的なヒットは見込めないと思った。
また、これだけ人間ドラマを拝して尚、石原さとみ演じるカヨコの『エヴァ』のミサト+アスカ的な女性像や、高橋一生演じるオタク丸出しでオーバーリアクションの安田、市川実日子演じる早口で無表情な一匹狼の尾頭と、こういった登場人物の描写がいかにもアニメ的な点は、やはりアニメ畑の人なのだなと感じざるを得なかった。
❸“『エヴァ』の監督”という立場を最大限活かした演出
巨大不明生物特設災害対策本部(通称:巨災対)の作戦会議シーンで、恥ずかし気もなく堂々と『エヴァ』の楽曲を流した瞬間は、思わずニヤリとさせられた。思えば、先述したゴジラの解釈に関しても、監督の事を知る者への「使える物は全て使う」という決意の表れだったのかもしれない。何が何でも、東宝の大スターたるゴジラはヒットさせなければならないと。
❹楽曲の素晴らしさ
鷺巣詩郎さんによる今作の劇伴は、どれも出色の出来で、サントラまで買ったほど。
予告編と第二形態の蒲田襲撃時に流れた『Persecution of the masses』が特にお気に入り。
また、『キングコング対ゴジラ(1962)』や『メカゴジラの逆襲(1975)』等の伊福部昭さんの楽曲を、オリジナルのまま使用するのも個人的にポイントが高い。エンドクレジットで『ゴジラvsメカゴジラ(1993)』のオープニング楽曲まで飛び出したのには驚いた。間違いなく監督の趣味全開なのもアリ。
❺“初代の呪縛”からの解放
今作が果たした最も大きな役割は、これに尽きると思う。
歴代の監督達は、都度設定や舞台をリセットしつつも、初代ゴジラだけは決して無かったことにはしなかった。勿論、偉大なる初代への敬意からなのは言うまでもないが、だからこそ、そこに縛られてきた事もあったはずだ。
しかし、庵野監督は、その鎖を引きちぎり、新時代のゴジラを創造してみせた。厳密に言えば、今作も初代を意識したオマージュ等を盛り込んだ上での、【ゴジラという存在の再構築】なので、ある意味では初代に縛られてはいるのだが。
だが、今作が無ければ、その後のアニメ映画やテレビアニメでの、ゴジラの出自の自由さには繋がらなかったはずだ。
それが出来たのは、特撮への類稀なる愛を持ちつつも、決してゴジラというキャラクターを愛したわけではない庵野秀明監督ならではのアプローチであったと思う。
❻物議を醸したラスト
ヤシオリ作戦後、ゴジラは東京駅地点で凍結され、人類は核の申し子たるゴジラとの共存を余儀なくされる。
※細かい話になるが、このヤシオリ作戦による凍結の瞬間、天に咆哮するゴジラの鳴き声が『ゴジラ(1984)』の物である事から、今作はもう一人の監督である樋口真嗣監督の雪辱戦の意味も込められていたのだろうと解釈した。庵野監督にとって『ナウシカ』の巨神兵がルーツであるように、樋口監督にとっては84ゴジが特技監督としてのルーツなのだから。
また、84ゴジで描かれたゴジラを巡る米ソとの核攻撃を巡る政治的駆け引きは、今作でアメリカが熱核兵器を使う・使わないを日本政府はヤシオリ作戦で駆け引きするという構図に受け継がれているので。
話を戻すが、シリーズお約束の海に帰るのではなく、東京のど真ん中に凍結される形になるゴジラ。カメラがその尻尾にズームしていくと、その先端には不気味な人と思しき異形の存在の姿が確認され、幕を閉じる。
私自身は、この尻尾の先端は、第二次世界大戦の戦死者や長崎・広島の原爆による死者と被爆者を示す彼らへの鎮魂と、忘れてはならない「痛み」の表現だと思っていた。
今作は、初代が製作された時代の「反核」ではなく、最早生活の一部になってしまった「核とどう共存していくか」という現代的なメッセージにアップデートされていた。しかし、「反戦」のメッセージだけは、どれだけ時が経とうと変わる事も忘れる事もあってはならない普遍的なメッセージであると、『ゴジラ』という作品で示すべきもう一つのメッセージを、最後にキチンと提示してみせたのだと思っていた。
しかし、監督にとってこの背鰭を持つ人型の何かは、単にヤシオリ作戦の失敗によるゴジラ第五形態の可能性を示すものに過ぎなかったようだ。
また、ゴジラが二足歩行を可能にしたのは、恐らく行方不明となっていた牧教授がゴジラになる前の水棲生物と融合を果たしたからで、今回の事態は、核を憎んだ牧教授によるテロ行為だったという可能性を示唆している。更に、作中では語られていないが、この先ゴジラは群体化し、やがては宇宙での活動を可能にし、果ては真に神と呼べる高次の存在へと至るのだそう。
もう、何から何まで解釈違いだった。ゴジラを巨神兵のみならず、エヴァとまで重ね合わせているのかと…。また、ゴジラ程の完全生命体が、単なる一老教授の復讐心によって誕生したのかと思うと残念でならなかった。
ハッキリ言いたい。
「ゴジラはゴジラである時点で、既に“神”なのだ!!」
❼まとめ
稀代のオタク監督が描き出した新時代のゴジラは、この先シリーズに関わる全ての作家を初代の呪縛から解き放ち、自由なゴジラ像を描けるようにした。
これだけ不満や欠点を漏らしつつも、5回も劇場に足を運んだりしたのは、間違いなく本作は「面白い」からだろう。
改めて、庵野秀明監督、お疲れ様でした!そして、ありがとうございました!!
私にはわからない
リアルを追求した作品のようだがうーん。
ゴジラは上陸できないと言う専門家達の意見に反対する主人公。そして主人公の思った通りゴジラは上陸を果たす。この流れが空想科学読本へのストレートなイヤミにしか見えず呆れてしまった。
実社会への批判のつもりでか何度も叫ばれる「この国は!」にウンザリする。君の望む動きができるのは独裁国家だけだ。しかも官僚である主人公が言うのだからもうどうしようもない。
その他の登場人物達もボソボソしゃべりやら不自然なセリフやらで好印象を抱けない。
そして最悪なのはゴジラ。マッドサイエンティストが作った生物兵器であり威厳はない。バイオハザード2のG生物と何が違うのか。倒し方も偶然都合のいい所で休んでいた所に冷却材を注入と言うゴジラが移動しないことを前提としたリアル感のない作戦。
政治的駆け引きはえらく単純だし培養できる細胞を資源とするのは無理だし事故ったら世界ほろびるだろ。ゴジラ細胞については過去作品のゴジラ対ビオランテの方が上手くやっている。
ゴジラ映画の中でも明らかに異端で出来が良いわけでもないこの作品を最高のゴジラ映画とする人の感性は私にはさっぱりわからなかった。
こんなゴジラ映画あったのか
何度も観返してしまう本作品。
ゴジラをこんな風に捉えて日本を表現するとは。。。。
説明チックなセリフが多いが、それが逆に心地よく、登場人物のキャラも濃い。
最後の最後、1秒ワンシーンは皮肉的でとてもよかった。
マイナスゴジラ
と比べても リアルシュミレーションでこういう災害が起こった時に日本政府はどうするってのが面白くて超好き😊 マイナスゴジラみたいに過剰セリフで大袈裟演技じゃないから ドラマ部分で異常なストレスがかからないので笑
怒りとともに脱力
ゴジラというタイトルを付けるな!
日本におけるゴジラは死にました。
その点では ハリウッド版ゴジラはゴジラをしっかり理解している。
製作費の問題ではない。
ゴジラ愛の問題。
シン・ゴジラ ,,,,こんなに観ていて 腹が立った映画は初めて!
元々が制作理念が無い人たちが 変な輩に 押し付けた結果がこの 気持ち悪い映画です。
思ってたよりちゃんとしてたけど、台詞多過ぎ早口過ぎ、ゴジラ登場シー...
思ってたよりちゃんとしてたけど、台詞多過ぎ早口過ぎ、ゴジラ登場シーン少な過ぎ。なんちゃってインデペンデンス・デイ的な演出もやめて欲しかった…。努力は感じられるけど、思ってたゴジラ映画では無かったです。
私はパニックムービー的な、ディザスタームービー的な、ハリウッドノリを期待して観に行ったから、妙に現実的(「ゴジラ」という存在以外はとても現実味があった)な造りに拍子抜けしてしまった。賛否あるのはみんなも同じなのかしら。
1回目観賞 2016/7/30 3.5
2回目観賞 2020/4/19 5.0
今だに観返すシリーズ終
ヤシオリ作戦から後は、あまり評価していません。最後のオチも安全なんだったら、原発東京に建てろみたいなのが透けていただけない。あと第一形態が違和感バリバリ、ギャオスみたいな光線もちょっと・・音楽まんまエヴァ。
自分の中では主役は松尾諭。
「先ずは君が落ち着け」
「出世は男の本懐だ」
「それは覇道です」
「幹事長は任せとけ」貴方は田崎潤令和バージョン?
う〜ん
とにかく政府関係のグダグダを見させられる前半は苦痛。
特になんら意味ないグダグダなので「はぁ日本らしいね」で早送りで問題ない。
エヴァだと苦もなく見れたけど、実写の役者となると少し演技が下手な人がちょいちょい割り込むので苦痛。
バイプレイヤーと謎に推されてきた俳優たちが滑舌悪いわテンポ悪いわで監督がこれでGO出したのが信じられない。
唐突に登場するバイリンガルな石原さとみも、なぜわざわざバイリンガルの設定にしたのか意味解らないし、石原の英語力と演技力では滑稽でしかない。
監督のお気に入りなのか、やたら重要な役どころにしてるけど、こちらもストーリーにはさほど関係のない自己満足な演技が続くので早送りしても問題なし。
逃げ惑うエキストラもちょいちょい下手な人が混じってて緊迫感が薄れる。
ゴジラが進化していくのと、戦闘シーンは流石で面白かったけど、終始「もしこんな状況だったら、なるべく1人になるように逃げようと」と思わせる、日本人のグダグダぶりにイライラさせられる映画
庵野はアニメを作っていればいいと思う
今さらのレビューですが。
基本的にアニメや漫画に嫌悪感を感じる2次元嫌いという大前提が私にはあるし、
そもそも庵野作品が好きなわけでもないが、
東宝特撮のゴジラ作品が好き故に観たものの、
やはり庵野の癖というか、あらゆる庵野演出に反吐が出るといったところだった。
まぁ、結局全般がCGなわけで、
全く作る意味のなかった作品だと思います。
生身の人間なんてほとんど棒立ちで大して動いちゃいないんで、
アニメで充分だと思います。
演技もさして大したものはないですし、むしろ実写でやる意味あります?
アニメの方がコスパ良いんじゃないですかね。
ヤシオリ作戦とか名称聞いただけで引きますね。
もう発想が嫌いです。
私には庵野ブランド全く合わないです笑
なんとも禍々しいゴジラ、素晴らしいです
高濃度エヴァヲタからすればシン・ゴジラなんてタイトルは不快でしかなかったし興味もありませんでした。しかし公開後の口コミなど異常な盛り上がりをみて劇場で鑑賞、大衝撃を受けて何度もリピすることになりました。
形態変化の表現や日本国政府の対応などとても面白く、そしてゴジラの禍々しさが素晴らしい。上陸してただただ歩くだけです派手に尻尾振り回してビルを壊すこともなく歩くだけ、それがなんとも怖い。エヴァ風味が強く入ってますがそれも味だと納得させてヤシマじゃなくヤシオリ作戦への展開はとても興奮しました。いややはり面白い!
期待して見た最新作ゴジラ−1がどうにも残念というか自分と合わない内容だったのでBD再鑑賞の上レビューしてみました
まだ未見の方は最新作との比較も面白いかもしれませんのでぜひ見てほしいゴジラ映画です
さすが脚本/ 庵野秀明
さすが 庵野秀明さん。特撮に憧れた若い頃の気持ちを「シン」シリーズにぶつけて、今やりたいことを表現したんだと思った。
このシン・ゴジラはストーリーとその持って行き方が明快だ。映画館の席で、時間の経つのを忘れて没頭できる。単純に面白い。
役者とその演技のさせ方もうまい。こういうところが監督と脚本と演技指導の賜物だと感じた。個人的には、平泉成の臨時首相の立ち振る舞い、その後のシン・ウルトラマンに通じる戦車長斎藤工の役処、自衛隊員の無線言葉の「オクレ」の多用など、そこかしこに登場する 庵野秀明さん的オタク感に包まれた名作だ(笑)
シン・シリーズの最初にふさわしエンタメ作品と云える。今、振り返ると特撮含めてゴジラ -1.0よりこちらの方が映画史に燦然と輝く「特撮怪獣」物の原点に通じるアカデミックさを兼ね備えていると感じる。
何度も観たくなる映画、実際3回も劇場に通った。
ゴジラを何に例えるか?
ゴジラ−1.0の影響から観ていなかったシン・ゴジラを視聴。
ゴジラハマりますね、、!!
ゴジラ−1.0が戦後の日本が舞台であるのに対し、シン・ゴジラは現代日本の、しかも日本政府に注目した作品となっています。
ゴジラが登場するまで早い!!蒲田で出現した生物が後にゴジラの形に変化するとは、、!!
ゴジラ−1.0を先に観たせいで変な比較になってしまいますが、シン・ゴジラのゴジラは顔が怖い!!
破壊光線出す時、口がメキメキと裂けていくところ、、😭
ゴジラ出現から日本政府が慌ただしく動き始めます。
まず部署の名前が長い!関係各所って本当幅広く、緊急事態にも関わらずなかなか進めていくのが難しい!
シン・ゴジラにはあまり笑顔が出てきません。
みんな少し下を向いて話していたり、早口であったり、できる限りの無理をして無駄を最小限にしているイメージでした。
結構な現代日本の風刺のようになっていると感じ、公開から8年経った今でも意味がわかるということは、そのまま変わらない日本の体制があるんだろうなと思いました。
まず思ったのが、これアメリカの方が観たらどう思うだろうでした。アメリカに頼りっきりになっている日本を表し(安保理でどうにかしてもらおうという発言があったり)、アメリカならこれくらいやるだろう(東京に核爆弾を使用しようとしたり)など、日本に対する寄りかかりの姿勢を指摘しながらも、アメリカに対して全肯定というわけではないと思いました。
政治家の責任の取り方は自らの進退だ、という言葉から0か100の潔さ(良く良く言えば武士道)を感じましたが、結局問題の解決にはなっていないと、考えさせられました。
謎の生命体を「ゴジラ」と呼ぼう、など名前だって何でもいいじゃないかと思う緊急事態でも、一つ一つ確認と承認が必要であり、日本人ぽさを感じました。
ゴジラはひどく怒っているように見えました。
人間を多く殺戮したい、世界を終わらせたいのような攻撃性は私には感じられませんでした。
突如現れて、日常が非日常になっていく様子は、戦争に対して、核兵器に対して、いつ起こるかわからない大災害に対して、突如世界で蔓延したコロナウイルスに対して、共通するものを感じました。
ゴジラは作中でも『神』とも表されています。
エンドロールで野村萬斎さんが出てきた時に、どこでかな〜と思ったら、ゴジラの移動の時の動きの元になったそうです。
ゴジラを絶対的な「悪者」とするのではなく、あくまでも人間からしたら害を及ぼすものとして対処されています。
私は人側なので何とも言えませんが、それを人間の私利私欲と言われれば返す言葉がないです、、。
最後のゴジラの尻尾!!
怖かったーー。めちゃくちゃ人じゃん!背骨あるじゃん!
あのシーン、私は人間に降りかかった不幸への苦しみが形になっていると思いました。(人間が生み出した戦争であり、核兵器などによるものです)
人間が作り出した不幸に対して、ゴジラは怒っているように見えました。
これからまだまだ作中秘話見ていきたいです!!
長谷川博己さんかっこよすぎる!
石原さとみさんクールビューティー!素敵!!
高橋一生さんシリアスな時でも変わらず個性があって素敵です!
竹野内豊さん、シブい、、!
市川実日子さんかっこいいです!!
さまざまなな不幸や困難がのしかかり、現実的には絶望的な映画でしたが、
「スクラップビルドでこの国はのしあがってきた。今度も立ち直れる」その言葉が、どんな時にも通じる希望の光と強さに思いました。
擬似オルソ
Amazon primeを自宅で観る際に、カラーを消して、擬似オルソにして観てみました。
カラーで見た時に鳥肌が立った第二形態の不気味さが軽減されました。
名作ですが、個人的に作中の爆発音がどうしても好きじゃないので0.5マイナスです。
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