アリスのままで : 映画評論・批評
2015年6月23日更新
2015年6月27日より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほかにてロードショー
ジュリアン・ムーアが渾身の演技で語りかける、"自分らしさ"とは何なのか?
カメラは人物の心理や視線を代弁するもの。例えば、知っているはずの事実を誤認したり、教壇で突然言葉が抜け落ちてしまったのを、まだ、単なる物忘れだと感じている主人公のアリスが、ある日、 ジョギング中に走り慣れた大学のキャンパス内で迷う場面。カメラはアリスの恐怖で歪む顔と、彼女の視界が捉えたループする風景をカットバックで映して、若年性アルツハイマーのおぞましい症状を観客にも体験させるのだ。
また、映画は時間の経過を画面に描くもの。家族が集まってアリスの50歳の誕生日を祝う冒頭の食事シーンで、アリスが娘たちの話題を自分のことと勘違いするシーンが、言わば第一段階だとしたら、講義中の言語喪失とジョギング中の遭難が第二段階、病名の告知から大学からの退職通告に至る経緯が第三段階、とここまで比較的緩慢に推移していた時間が、最終段階で一気にスピードを上げる。それまで、スマホに「自分の名前は?」「家の番地は?」といった質問を書き込み、それに毎日答えることで消えて行く記憶に上書きを加える等、いかにもインテリらしい合理的方法で病と対処していたアリスが、その瞬間、まるで、急階段を転がり落ちるように変貌してしまう。
ここで、改めて言いたい。延々12年をまるごとカメラに収めた「6才のボクが、大人になるまで。」、1ショット1テイクと見紛う撮影と編集で観客を欺いた「バードマン」、難病を患った博士とその妻の歴史をラストで一気に巻き戻した「博士と彼女のセオリー」等、偶然か否か、映画に於ける様々な時間の表現がしのぎを削った今年のアカデミー賞で、若年性アルツハイマー患者の症状と心理を、101分の段階演技で表現し切ったジュリアン・ムーアも、今年のオスカーを象徴する勝者だったと。
そして、ムーアが渾身の演技で我々に届けてくれるのは、いかなる病や環境の変化に見舞われようとも、人は"自分らしさ"を失ってはいけないということ。だけど、そもそも、"自分らしさ"とは何なのか? 実はけっこうあやふやな個性と自我について、アリスはムーアを介して我々に語りかけているような気がする。
(清藤秀人)
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