「AIに人権を認める感性があるかによって評価が分かれる。」トイ・ストーリー4 s kさんの映画レビュー(感想・評価)
AIに人権を認める感性があるかによって評価が分かれる。
手塚治虫の鉄腕アトムの中で「青騎士」の話があった。
それは、ロボットが人権を求めて、人間に抗議する話だったと思う。
今回のトイストーリー4。
多くの方が賛否分かれる感想となっているが、1番の分岐点は、ウッディや他のキャラクターを
「おもちゃ」と見るか「独立した個人」と見るかによると思った。
1〜3(ショートムービー含む)は、やはりおもちゃの話だった。
4は、おもちゃの枠を超えて、価値観や自主性の有意義を唱える内容となっている。
私個人としては、物語の結末、ウッディの選択には不満はない。
ただ、これが最良の描き方だったかと言われると疑問が残る。
疑問は、多くあるのだが、大きく二つ。
1・過去作からのキャラ達との別れのシーン
キャンピングカーと回転木馬の上で、10年付き添った仲間たちと別れるシーン。
バズは無言でウッディを送り出すのは分かる。ただ、ジェシーやレックス、ポテトやスリンキーなど、何故疑問を口にもせずに悟った上で送り出してくれるのだろうか(しかも、そこにたどり着く為には、おもちゃとしてギリギリアウトな事までしているのに…)
昔のレックスなら「どうして、ウッディ、早く帰って来なよ」とか「嫌いになっちゃったの」みたいな発言をしただろうし、ジェシーなら2の頃を踏まえて、子供と遊ぶ喜びを思い出させてくれた事に対する感情を吐き出していたと思う。
でも、彼らは何も言わない。物語の尺の都合なのか、おもちゃである事を強く意識させない。
そして淡白に別れる。せめて話を聞いていたバズが「迷子のおもちゃ」になろうとしているウッディの選択を肯定して、それを仲間に伝えるような描写が欲しかった。
2・自己肯定の為なら手段は選ばない
近年はデモを批判すると、それを糾弾される事が常らしい。でも、だからと言って何も悪い事をしていない人に被害を与えて良い事にはならない。
彼らは彼らのためになら、
・車をパンクさせる
・車のアクセルを勝手に操り、乗入れ禁止の箇所まで車を動かす
・射的の景品を勝手に解放して子供に渡す
※店員も拾ったバズを景品にしたとは言え、損害がデカすぎる。
と、やりたい放題だ。
そこには彼らの正義しかなく、損害を受けるものの都合はお構いなし。自主性を重んじる事と、自分勝手にして良い事は違うと思うのだが、それはおもちゃのやった事だからと済ませてしまうのか……と不安が残った。
作品としての大きな疑問は、その2点だが、やはり過去作との決別の問題も評価に関係してしまう。
2でウッディが博物館ではなくアンディを選んだのは、所詮ウッディがあくまでも「アンディのお気に入り」だったからであり、個人的には立場が変わって信念が変わった奴に成り下がっているようにも見える。いや、無理して生きるのは辛いし、だからおもちゃとして殉死しろって言いたい訳でもないのだが……結局2の選択と真逆に行ってしまっているのだ。
作品の主題が時代に合わせて行く事は仕方ないのだが、おもちゃである事の誇りに喜びと尊敬を感じ続けていた作品だったので、疑問が残った。
ましてや、トイストーリーの世界観は、フォーキーの存在によって、
おもちゃと認識をされると、自我が生まれる世界と定義されてしまった。それにより、なおさらおもちゃである事のウェイトが重くなってしまったと思う。
青騎士の問題のように、生み出された自我に対して、どこまで寛容になれるのかも、この作品には問われているような気がした。
p.s.前作の結末は、おもちゃとして受け継ぐ事だった。ある意味、遊ばなくなったおもちゃは、誰かに遊んでもらえるようにしようと言うメッセージもあっただろう。
今回の結末だけ見れば、遊ばなくなったおもちゃは、適当に捨てても自分で何とかするみたいな描写になり、ゴミ処理場に行くよりも、公園に不法投棄した方が、おもちゃにとっては幸せかもとも捉えられなくもないのですが……その辺の現実の価値観への影響は、メッセージ性を出すのに夢中で蔑ろになってしまったのでしょうか……。