バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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手法の奇抜さが気にならなくなる
こんなに笑える映画だったとは!
ストーリーと芝居が面白く、噂のワンカットワンシーンとかCGとか、技法などがほとんど意識にのぼってこなかった。マイケルキートンが素晴らしい。
タイムズスクエアのシーンは涙が出るほど笑った。
これがバードマンか…
最初はイマイチよく分からなかったというのが本音です。
ゴチャゴチャしててカットも多いしゴタゴタしてて、舞台のシーンだってことは理解できたのですが…
バットマンだったんですよね。この人。
と分かると何となく分かってくる。
この映画は事前に下調べをしてから見た方が分かりやすいかもしれない。
何を伝えたいのか。
いろいろな人生があり、苦悩があるんだということを知る映画です。
だけどポジティブな最後だ。
だって再び空を飛べたのだから…
そう私は捉えました。
…だけど…アカデミーで評価されてたほど私は評価が出来なかったので、機会があれば是非また時間をあけて観てみようと思います。
ヘルプ〜心をつなぐ…のエマは雰囲気が違ったけど相変わらず好きだなぁと思いましたね。
二回目見てあらためてすごさがわかる
昔、人気コミック「バットマン」の映画主演をつとめたマイケル・キートン主演。一回目、半分くらいは本当の世界なのかなと思って見ていた。実際、自分はマイケル・キートンが、どんな役者なのか知らなかった。本作で、イメージががらりと変わり、ファンになっていた。バットマンというキャリアのおかげで多分いろいろひどい目にもあったのだろうと想像する。「バードマン あるいは、無知がもたらす予期せぬ奇跡」、このタイトルのインパクトは大したものだ。原題からそのままとった邦題も、ずっと頭に残る。
物語は、ブロードウェイのひとつの古いシアターの数日。脚本演出主演のひとりの男とその周辺を追う。舞台、舞台袖、観客席、楽屋と廊下と衣装部屋、屋上、劇場の外の街、玄関と楽屋裏口。日本で言えば下北沢あたりをノーライトで走り回るということか。手持ち風のカメラは縦横無尽に飛び回る。鳥男の真の意味はこれか。キャメラワークはとにかくとくにすごい。ほとんどカットなしに繋がっているようだが、もちろん、そんなわけはない。演出、脚本、めちゃくちゃ素晴らしい。すべてが完璧。まず、劇中劇にレイモンド・カーヴァーという実在する作家を使っているところが心憎い。そのおかげで、どこまでが本当でどこまでが嘘なのかわからなくなってくる。まあ、本物の街を含めてすべて脚本に書かれたものすごく精密に仕組まれた劇映画であることは確かだが。カーヴァーや、マーチン・スコセッシ、マイケル・ジャクソン、ブリキ人間笑などの固有名詞が散りばめられ、その瞬間だけ、こっちの世界と繋がってくる。若い女優二人に、「新人の」老男優と付き人の娘、そこへ純粋さと未知数を体現する新進気鋭の舞台役者マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)という男が途中から加わることで更に虚構性は増す。好き嫌いの分かれ目もここだろう。
リーガンの娘役のエマ・ストーンが上手い。マイケルが文字通り、裸の自分を晒す。とにかく編集時の後処理を含めた撮影技術がすごい。役者の演技とフレームの切り取り方がいい。商業演劇と役者、舞台製作と資金繰り、批評と批評家など、すこし一般うけはしづらい内容ではある。しかし非常に実験的で挑戦的な作品であることは間違いない。カーヴァーを、読み返したくなった。
21世紀最高の映画
実に楽しい。映画の力は体験だ。めまぐるしい奇跡を追体験した。「わからない」としか表現できない観客をどんどん創れ。どんどん置いていけ。監督は先を行くべきだ。一歩先を行くから崇敬する。
想像よりふわっとした
世間から忘れられたくない男の葛藤の話。
ワンカットで文字通り舞台の裏を生々しく見せてくれた。
序盤はストーリーよりもそこにワクワクします 笑
幻聴やサイコパワー云々は主人公の精神安定のための妄想だったのかな…?
って途中で思うんだけどラストシーンを見て
わからなくなった 笑
一体どっからどこまでが現実なの??
あのふわっとしたまとめは見る前の作品のイメージからは想像できないものでした。
相当の労力では
あの長回しは本当に大変だ…舞台をひとつ作り上げているぐらいの段取り、演出があったのであろうと思うと…予算と時間があっていいなぁ。笑
美しいカメラワークと、現実か妄想か曖昧な描き方は良かったのですが、内容にそこまで引き込まれたわけではなかったです。アメリカ特有の感情の爆発があり、わかりやすめな感情変化でした。
舞台裏をみてる様な
観客を観客席から舞台裏にいざなう様に撮影された長回しのカメラ。そして、カメラの旅は主人公の心の中にも私をいざなう。
演劇なのか?
演じているのか?
演じられるのか?
演じていたはずなのに、演じられなくなった。人生は、演じることの連続だけど、幕引きは必ず訪れる。
さて、最期の幕引きはどう演じる?
ダーレン・アロノフスキーの「レスラー」と幕引きを重ねてしまいました。
ある種のメタフィクション
擬似ワンカットの長回し、実は現実音楽なドラムソロなど技巧的な部分が突出しているが、映画、演劇といったアメリカの現代ショービズ界をある種メタ的に描いた作品としても秀逸。もう若くないと自覚した人の方がはまるかも。
人生は長回し
カット!してリフレッシュしたくても出来ない地続き長回しの主人公の人生。それは誰も同じ。栄光はいつかは呪縛に変わり、現在と未来をも影のように追いかけてくる。
そして、他己の評価と自己の追求の狭間の飲み込めない葛藤が狂気を生む。
テーマ性ならば、上記で充分だし、音楽や手法、構成を用いた表現が読み込めればいい意味で嫌というほど、伝わってくる。
特に鬱屈としてしまう前半と狂気を受け入れ始めた後半からの開き直りともとれる爽快さとは言わないまでもの快活さの構成の妙、ラスト付近の顔のディテールの妙。秀逸でしょう。
よく練られた脚本と、それを最大限、効果的に見せる手法、演出。音楽の心地良さ。脚本に沿わせた上で、説得力のある芝居。
これが素晴らしくなくて、なにが素晴らしいの?
欲を言えば、謎も含めた余韻を残し過ぎのラストのせいでカタルシスがもう少し欲しかったところ。
とはいえ、見応え、余韻、ふくめて、最高峰でしょう!
『狂ってやるよ!』てくらい自分を追い込んだ事のある人なら、共感できる傑作。
さあて、ラストの意味を妄想しよーっと。
長回しとBGMが秀逸
なんといってもカメラの長回し風の撮影が秀逸だ
効果的に長回しが使われているため臨場感は半端ではない
それでいて演出も抜群、役者の演技も完璧
BGMのドラムも効果的、極めてハイクオリティな作品だ
ストーリーもとてつもなく魅力的
落ち目の役者が返り咲こうと四苦八苦、結果的に大成功を収めていく
苦労した末のサクセスストーリーは視聴後のカタルシスが大きい
主人公の独白が前半多くでてくるが、これによって主人公が妄想の中なのかまっとうな考えで動いているのか観客は判断できる
だが、後半に進むに連れ独白が少なくなり、観客は主人公の心の動きを行動から予測するしかなくなる、
この演出も効果的だ、だからこそ終盤の行動が衝撃的になる。
良い映画はやはり終幕も素晴らしい
想像の余白を残した幕切れは本作を傑作たらしめている
ヒーローは一度限りの劇薬
観たのが随分前なのでだいぶ忘れているところもあるが、解釈の分かれる難しい映画だなあと思った。私は、リーガン・トムソン(マイケル・キートン)の正体はマジでバードマンで、本当に超能力があるんだと思いながら観てた。そんなわけないだろうと鼻で笑われるかもしれないが、映画だから何があったっていいよね……。
誰だって、自分ではない誰かになりたい。できれば自分よりずっとイケてるやつ。
リーガンはバードマンのイメージを払拭して演技派俳優と認められたいし、彼にとって脅威となる年下の俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)だって、傍からは順調そうに見えても、実は今の自分に満足できてない。リーガンの娘サム(エマ・ストーン)がいけないお薬に手を出しちゃったのも、もしかしたらそういう気持ちがあったからかもしれない。
そこで「ヒーロー」について考えてみる。ヒーローは、最高にカッコよくて強い存在で、特に男性にとっては、変身願望の対象として最高位にあるものだと思う。(そしてハリウッド俳優にとって、ヒーロー映画に出ることは最も早い成功への近道だ。たとえばまだハリウッドに進出したてだったクリス・へムズワースはソーを演じて一躍世界的なスターになり、一度は落ち目になったロバート・ダウニー・Jr.も……まあ「シャーロック・ホームズ」もあったのかもだけど、アイアンマンで見事に返り咲いた。)
ただ、問題はその後だ。もうヒーローなのだから、別のヒーローにはもうなれない。ヒーローは一度限りの劇薬だ。リーガンは、ヒーローになってしまったがゆえに、ほかの何者にもなれなくなってしまった男なのだと思う。
そんなリーガンはブロードウェイで、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」によって称賛を得る(この奇跡によって実は彼は死んでいた、とみることもできると思う)が、それは束の間のことで、病院で手当てされた彼の姿はまるでバードマンそのものだ。つまりは元の木阿弥に戻ったのかもしれないけど、確かに奇跡を起こして去ったリーガンの表情は晴れやかで、救われたのかな、と私は思った。
映画と演劇
これさ、大型ハリウッド映画をバカにしてるようで、演劇やらのリアリティーこそバカにしてるよね(笑)
なんでもリアルにそのまますれば本格派と謳われる風潮よりかは、大味で大根な大作映画のがよっぽどマシっていうね。
ま、リアリティーの追求とか、本来は演技の概念からすれば邪道も良いとこだよね
劇場で観たい一本
2015年11月29日(日) 2回目
そりゃもちろんストーリー性がないとか何を言いたいのがわからないとかいうのはわかるけどこの映画はそう言った部分より俳優たちの演技を楽しむものだと思う。
まくし立てるセリフだったり表情や身振りの激しい演技が多かったり、見応えがあった。
前半はエドワードノートンの独壇場。ピンチヒッターの身ながらもどんどん自分の考えを舞台に取り入れ、支配していた。
終いには舞台上でやらかし、自分が考えた舞台だとメディアに調子のいいことを言う始末。腹を立てるなといいながら下半身が立ってたのには爆笑した。笑
後半はマイケルキートンがいよいよおかしくなり、超能力?的なもので暴れる始末。あれはホントに超能力?最初の役者が事故にあったときリーガンが上を凝視してたけど本物?
NYのど真ん中をパンイチで闊歩する姿は鳥肌もんだったなぁなぜか笑
もちろんこの映画の1番の特徴は長回しの撮影方法だろうし、劇伴がシンプルだけども複雑なテンポのドラムで構成されてたり、セリフの中で随所に実在の俳優の名前が上がったりと映画好きにはたまらない工夫がなされていたと思う。
なんと言って良いやら
期待はずれでした。
主人公が宙を浮いてる映像から始まったので超能力ものだとばかり思って観てたら、全然違う展開に…
随所にアメコミっぽい映像を入れてくるのが意味不明。
こういう中途半端な映画は好き嫌いがはっきり分かれると思う。
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