バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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「バードマン」ってつけると、釣れるわw
ちょっとめんどくさいけど、本作は、役者(映画スターも舞台役者も)も、劇作家も、映画も舞台も、そして批評家も滑稽で、でも愛らしい。でもクソなのは、これをあんなCMで売り出すことの、そしてそんな「レッテル」を貼られた映画を「期待して見に行く」君たち(俺)なんだぜ?という観客への強烈なパンチを繰り出す。
アホみたいな長回しで、君たちはどうレッテル貼るのか?ほらほら、ぞろぞろ出てきたねえ!
「衝撃!斬新!奇跡!!」
監督はニヤニヤしながら作ったことだろう。
CMだって、派手なシーンばっかりの寄せ集めで、君たちは何を期待して見に行ったのか。
「ナニコレ、ちがーう、オモシロクナーイ」
配給会社はニヤニヤしながら作ったことだろう。
CMのアクションシーンやパンツシーンなど派手なシーンは、本編でも、強烈に観客を皮肉っている。
ヘリが撃墜されたら、ウヒョー!!、舞台でその場限りのハプニングに出会えたら、イッヒー!!
こんな観客に振り回されるショービズ界は大変である。
ショービズ界の哀れで滑稽なすべての関係者(舞台劇の批評家すら)を愛おしく描いた、まさしく内輪の映画。
アカデミー賞は内輪の賞である。故に本作が獲ることに何ら問題はない。
痛烈に皮肉るは、君たち(俺)観客。
やたらヒーロー映画から落ちぶれた、とかを意識しがちだけど、この映画、役者がヒーロー映画に出ること自体に否定もしていない。ただ役者って、現実と妄想を行き来し、いやいやオレ、もっとできるよ、って落としどころがおそらく普通の人種より難しい存在なのかもしれない。
本作は、作り手は「自分たちはそんな滑稽な人種なんだよ」というコメディ映画に徹している。
追記
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
「バードマン」・・・
「『バードマン』ってつけると、釣れるわw」
「あるいは」・・・
それでも作り手は期待する。
「釣られずに観て楽しんでくれる観客の存在を」
ストーリー以外は良い
俳優の演技力、ほとんどカットがないカメラワーク、BGMのドラマは素晴らしいです。
しかし肝心のストーリーが意味不明でした。
果たして主人公の超能力要素はいるのか。
それと映画紹介文と内容があまりにも違い過ぎてビックリしました。
アマプラのジャンル分類もコメディになってるし。。
内容はくらいに内容で笑うところはありません。
登場人物全員狂ってます。薬中、アル中
激情型、などどんだけ物に当たるの?ってくらいのめちゃくちゃに壊します。
『ここは演劇界よ』を『ここはハリウッドよ』って置き換える 傑作だ
ネタバレありあり。バラされたくなくば、読まないでね。
『芸術家になれぬ者が批評家になり、兵士になれぬ者が密告者になる』
『インポじゃなかったら、私に何したい』
『目玉をくり抜いて、俺の目にするよ。その若さに戻って通りを眺めて見たい。』
1幕目の終わりの台詞
『あなたや映画人が大嫌いなの。特権意識が強く、利己的で甘ったれ、ロクに芝居の勉強もせずに未熟なままで、真の芸術に挑戦する。アニメやポルノを作っては賞を譲り合い週末の興収で作品評価?』と言って、
『ここは演劇界よ』と閉める。
そして『貴方は役者じゃない。ただの有名人よ』
それで2幕目は終わる
一転して、三幕目はCGから
『娘は父親を求めていたのにそばにいたのは動画で世間を騒がせただけの情けない男だ。』
すると別れた元奥さんは
『もっと情けない物があるわよ』と言う『何?』
『このヒゲよ』
三幕目は短く終わり、過去へとフィルムは小刻みなカットが入る。
多分、ここから終幕なんだろう。
『無知がもたらす予期せぬ奇跡(副題)』と新聞記事。
『リーガンは無意識に新しい芸術様式を生み出した。スーパーリアリズムだ。本当の血だ。アメリカ演劇界が長い事失っていた血を』
そしてRachmaninov: Symphony No. 2 - The Rock, Op. 7でバードマンになってドラムのソロで終わる。
バットマンはCGを多用して、役者の意義について、酷評された歴史がある。
『ここは演劇界よ』を『ここはハリウッドよ』って置き換えるとアジア系の映画に対する黄禍論にもきこえる。
長回しは小津安二郎監督をリスペクトしていると感じた。小津安二郎監督の出来なかった事をワンカットも入れずに表現している。そして、ブラック・スワンの鏡の間のマジックも最後に登場させたように感じる。
最初に映る映像の本当の時間は
13時15分なのに鏡の中の時間は1時間くらいずれていないかなぁ?づれていない!すみません。考えすぎ。
時間があれば一回の鑑賞では勿体無い。傑作だ。
原題 Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)
製作年 2014年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2015年4月10日
上映時間 120分
映倫区分 PG12
・Tchaikovsky: Sinfonía No. 5 en Mi Menor
・サン=サーンス: 交響曲第3番「オルガン付」
・Rachmaninov: Symphony No. 2 - The Rock, Op. 7
効果的にクラシックが使われている。
良いね♥
花にラベルを貼るだけで、美しさを視てない
ワンカット云々や長回しはさほど気にせずに観てた。
難解といえば難解だが、理解に踏み倒すとそれはソレで苦しい。
思い通りに進まず、障壁は次々に建てられ、何一つ取り除けないし乗り越えられない…それでも時間は容赦なく進んで行く。
培ってきたモノが逃避を許さない、過去の栄光の幻想さえも邪魔になる。
心境を辿るとなんとも重苦しい。
音楽はバードの冠らしく、しっとりとゴキゲンな雰囲気。
初見では、タイトルからそっちのバードマンかと思ってた。
音楽のキレと豪華キャストでかなり好感度上がったが…、いろんな葛藤に苛まれる作品だった。
内容は暗いし、難しかった
バットマンをしていた俳優さんが主役なので、バードマン(皮肉?)なのかな、気軽な内容かと思ってみたら、とんでもなかった。最後に窓から飛んでいってしまったのは、個人的には自殺としか受け取れなかったのだけど…内容は難しかったです。
当時、映画館で観たけどレビューしてなかったー。
あれ本物のジンよ
当時、映画館で観ました🎬
落ち目の俳優リーガンを演じたマイケル・キートン、癖のある俳優マイクを演じたエドワード・ノートン、リーガンの娘サマンサを演じたエマ・ストーン、皆良かったですね。
リーガンのシーンは、ところどころバードマンが出てきて現実なのか妄想なのかちょっと分かりにくかったですが、飛行してるシーンなどは妄想だったということですかね❓
「金を払え」と運転手に言われてたような。
マイクはリハーサル中に本物のジンを飲んだり、なかなかぶっ飛んでましたね。
リーガンとサマンサと口論っぽくなるシーンも、互いの表情がリアルで良かったです。
ラストのサマンサが空を見上げて笑顔になるシーンは、リーガンが復活をとげたということなのでしょうか❓
あえてリーガンの姿を映さないのも、監督の計らいなのですかね。
色々考えさせられる映画でしたが、最後は勇気をもらった気がします🙂
米版 「カメラを止めるな」
っていうくらい、自分にはよくわからなかった。
「よくわからなかった」という人への解説コメントとか、いらないよ。よくわからなかった=つまらない^_^
ってことだと思うよ大抵は。
解説見ても、そうか!深いな!面白い!とはならないよ。
カメラ長回しとかどうでもよいし、
ドラムがなんだかよく鳴るし、
急にセクシャルだったり、
病んでたり、
長台詞だったり、
自分にはよくわからなかったです。
でもこういう映画が好きな人もいるんだろうな。
舞台とか、演劇とか、ブロードウェイとか、下北沢とか、ラーメンズとか、
なんかごめん、自分には全くわからない
なんかそういった、ね、異世界のもの?
楽しめる人もいるよね。
難解だけど無駄がない
エライもんを観た!
カルチャーショックに似たもの。
震えがきそうです。
と言いながらも、この映画は絶対メジャーに出るほどは売れないなとも思う。
まずカメラワークが独特(そこが超絶素晴らしい)
大筋は単純(そこから読み取るのが難しい)
妄想と現実の境目がないため混乱するかも(むしろそこにしびれる)
わかりやすいオチがついてない(考えさせてそこがいい)
上記のように、メジャーで受けないであろう理由が
逆にこの映画を傑作にさせてるポイントでもあるため、
この映画の評価はぱっきり別れるだろう。
音楽は全員高評価かも。
この映画では
落ちぶれた俳優の復活劇ってことに限定されておらず、
誰でも抱えてる寂しさやエゴとの折り合いってとこが重要。
セリフも必然、
自分でわかりきってるから聞きたくないような
耳の痛いことばかり。
そう、これ見るのしんどいのです。
そしてこのしんどさっていうのは
ある程度年をとってないと
実感を伴っての理解をするのは難しいと思う。
だからこの作品は凄いと思うしハマったけど、
周りにはなんとなく勧め難いものでもあります。
難しいなー!
未知のものに触れた時、人は毒と気付かない
技巧を凝らした映像や、トリッキーな演出、実力派揃いのキャスティングに見事に騙されたハリウッド。
アカデミー賞をはじめとして、素晴らしい評価を得た映画。それが、必ずしも傑作とは言えないという好例だといえる作品。
「くそつまんねえ」というのが正直な感想で、少なくとも、脚本が評価されたことには、まったく納得がいかない。
セリフの端々に、今日の映画界への皮肉や、演劇界への皮肉が散りばめられ、映像に至っては、「いつでも撮れるんですよ。大衆が悦ぶようなクソ映画なら。」とでも言わんばかりの、テクニックをぶら下げたような皮肉たっぷりの映像。
肝心の、お話がつまんなければ、映画はつまんないということだろう。
意味不明の、どうとでも取れるような解釈に、逃げるんじゃなく、ちゃんとまとめて欲しかった。
少なくとも、主人公に幻覚が見える理由なりとも、説明して欲しかったし、自殺未遂なのか、本懐を遂げたのか、見る人に委ねる演出は、卑怯極まりない。
私が、最も嫌いなタイプの映画だ。
それでも、星が2つなのは、役者の豪華さに敬意を表して。そして、We share a vaginaというセリフがどうしても気になって最後まで見てしまったことに敬意を表して。
2016.3.11
全編ワンカット(風)撮影
ずっと気にはなっていたが、きっかけがなく見ていなかった映画。
エドワード・ノートンにハマったのでやっと見た。
ノートンのイケイケ俳優ぶりがよかった。
全編ワンカット撮影が有名な印象だったが、普通にストーリーも見応えがあった。
むしろ違和感がなさすぎて、ワンカット(風)なのを忘れていた。
そういえば代役でジェレミーレナーの名前出てきて嬉しかった。
誰?って言われてたけど、、。
マイケル・キートンは統合失調症なのかな?
バードマンみたいに空飛んで移動したシーンの後に、タクシーの運転手が「お金払え!」って言ってたから、超能力みたいなやつも全部妄想なのかと思った。
オチはどういうことだったのか気になる。
キートンがどうなったらエマ・ストーンがあの表情になるんだろう、、。
まぁ想像におまかせってことで、私はハッピーエンドを想像しておきます。
奇を衒った映画
観る人を選ぶ映画なのかなと思ったしそもそも面白くない。登場人物達の喧騒や俗っぽい台詞や激しい感情等々ガルシア・マルケスの小説っぽい雰囲気あるような。ストーリー自体は結構シンプルで良いとは思うが心の声が多いのが冷める。こんな隠喩的な表現があまり好きじゃなく、せめてもっと少ないほうが私的には印象に残ったかも。超能力的な妄想表現も同じく。ちょっと絞って欲しい。本作の長回しには映像としての魅力感じなかった。意義あるからやってるんだろうが観てて疲れる。長回しでカメラの移動がゲームみたいで若干酔った。全体的にくどい印象だが長回しで更にクドさ増してる。もっとささやかさにして欲しい。もっと簡明に普通に作ればいいのに。
以上のように不快な部分が多くて台詞もあんま頭に入ってこない。街中パンイチはキートンだと全然面白くないからノートンにやって欲しかった。ラストで主人公解き放たれた感じだが見事に感動しない。それまでが過剰だったせいで。
私の好みとは真逆の映画。独自感狙いすぎなのがいやらしいし、その事によって物語が面白くなってれば全然いいが面白くないのだ。だからいやらしさのみ目立つ。アカデミー賞は信用できない。米ショー・ビジネス業界人やその界隈に興味あれば楽しいのかもという皮肉や挑発が込められたような内輪的なつまらない台詞。あの主人公に自己投影したり共感する人生歩んできた人なら当然感動はするのかもだが、普通に面白さ見出すのは困難な気が若干するなんか特殊な映画。
奇を衒ってる感じがするのが嫌だ。万人受けしない独特な作品は割と好きだが、そこにあざとさ感じてしまうと無理。そのへん紙一重なんだろう。この映画もっと普通に作れば面白くなりそう。ストーリーの根幹はちょっと良いとは思えた。しかし映画のタイトル、エンドロール前半、ドラムのみの劇中音楽、こういう部分すらあざとく感じて鬱陶しい。要するにセンス合わない。アイデアや発想は良いかもだが表しすぎ詰めすぎだから観る気が失せる。足せば良くなるという訳ではないのを実感。とはいえ次は吹替版も一応観てみる予定。
2023/02 VOD
アーカイブの墓で眠れ
夢と現実の混淆と相即するように自意識が煮詰まっていくという構造から日本人の我々はまず『新世紀エヴァンゲリオン』を、あるいはウディ・アレンを、フェデリコ・フェリーニを、もう少しニッチな御仁ならチャーリー・カウフマンの『脳内ニューヨーク』を思い出す。あるいは時空をワンカットのうちに幾度も跨ぐテオ・アンゲロプロス。映画界の内幕モノという物語も同様だ。スタンリー・ドーネンの『雨に唄えば』に始まりビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』。フランソワ・トリュフォー『アメリカの夜』、そしてロバート・アルトマン『ザ・プレイヤー』。映像作品の歴史は思いのほか長い。参照点を探そうと思えばこのようにいくらでもタイトルが出てくる。
同じようなものを作ることそれ自体は悪いことではないし、むしろ反省を踏まえた跳躍こそが映画史に新たな文脈を生成する可能性を持つ。しかし本作がそうした無数の類似アーカイブからどのように跳躍、つまり差異を生み出そうとしたのか、その痕跡がどうにも見当たらない。映像は長回しや時空の歪曲といったとっつきやすいセンセーショナリズムに終始するばかりだし、物語はどこまでも狭隘で自己中心的な作家的自意識の範疇を出ない。全編擬似ワンカット!とか言われてもアレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』という本物の全編ワンカット映画があるしなあ。
現代の映画界、あるいは客層に対する皮肉としても微妙で、Twitterとかマーベル映画の市場支配とか演劇界との対比とか、現代的表象でラッピングされただけのよくある批判意識が節操なく繰り返されるばかりでいまいち面白味に欠ける。あるある〜わかる〜以上の感慨がない。というかきょうび誰もがネットやら学校やら会社やらでアイデンティティ・クライシスなるものに直面している時代だというのに、それをさもクリエイター固有の痛みであるかのようにやたら事細かく神経症的に描き出すというのはやはり少し安易なんじゃないかと思う。それに自意識を語る映画の中で自意識に関係するワードを直接出すのは流石によくない。マジで言わなくていい。たった一言の発話でも意味だけは正確に伝わるようなところをギリギリまで口を閉ざして迂回して、逆に相手のほうから歩み寄るのを待つ、そうすることで「理解」の範疇を超えた感動が生まれる。それが視覚芸術たる映画の魅力なんじゃないのか。
仮に、この何とも手ぬるい出来栄えそのものが、つまりはこの映画そのものが一つの巨大な皮肉なのだ、などと言い張るのなら、私はもうお手上げだ。私は映画を見に来たのであって、その外側に漂うコノテーションの靄を集めに来たのではない。映画として世に出す以上は映画の中で面白いことをしてほしかった。というかスクリーンというフレームの外側に主戦場を移した時点で映画としては負けだと思う。ただ、あのラストシーン、娘のエマ・ストーンが如何とも形容しがたい表情で窓外の上方を見上げるあのシーンだけはよかった。
とりあえずレイモンド・カーヴァーでも読むか〜。
もう一度輝くために
初めはワンカットの必要があるかと感じたが、独特な空気感や間は長回しならでは
過去のヒット作から年月が経ち、落ち目になった役者は脚本家としてもう一度日の目を浴びるために舞台を作る
しかし批評家には見る前から批判を受け、助演は言うことを聞かない
現実と妄想の境がなくなる
バードマンは自分の過去であり理想
全てを見据えて死と向き合ったとき心から愛について語り合う
彼はバードマンに別れを告げ窓から飛び出す
理想との決別か、無知ゆえの奇跡との出会いか
シニカルなバッドエンドかファンタジーなハッピーエンドか
一言「よくわからなかった」
かつての人気俳優が、再起をかけて古い短編を戯曲化&上演。
いつまでも、第一線で活躍できるわけじゃない。
生き延びるためには、お金を稼ぐには。
隣で囁く「バードマン」とも別れを告げるのか。
印象的シーンは、楽屋から不注意で締め出されて。
パンイチで劇場に戻るところ。
劇場の外では「あ、バードマン!」と人だかりになるけど。
今の自分は、それじゃない。
そんな感じかな。アートすぎてついていけなかったです。
人生なんて思い通りいかないもんで、ほとんど苦しいだけですよ(笑)
とにかく"風刺と皮肉がきいた台詞が満載な映画です。外国だと劇場内で大笑いするところでしょうが、日本は静かに鑑賞するのがマナーとすり込まれているので"クックッ"と咬み殺すだけ。
マイケル・キートンはかつて映画バットマンで名を馳せた売れっ子だったが、今では売れない舞台俳優。薬物更生施設から帰った娘エマ・ストーンが付き人だがBlog・TwitterやFacebookをやらない父親をバカにしており喧嘩ばかり。怪我した相手役に代って雇った男優エドワード・ノートンは、セリフ覚えがいいことを鼻にかけた、いけ好かない野郎なのに、娘にチョッカイを出す。妊娠したと言い寄る女優が居るかと思えば、喧嘩別れした妻ナオミ・ワッツはしばしば現れてはツネツネして行く。もう気にくわないことばかりで、荒れること荒れること。
人生なんて思い通りいかないもんで、ほとんど苦しいだけですよ。ただ"あの頃は良かった君"マイケル・キートンは、物は壊す、人はブン殴る、能動的落込み様はアメリカンですね。
舞台も観てないのに、勝手にこき下ろす女性記者が、映画俳優を蔑視した記事を書きなぐるエピソードなどありそうで面白い。
娘役エマ・ストーン のヘンテコリンな、異常に大きい瞳の吸引力はどーだ!
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
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