セッションのレビュー・感想・評価
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魂のセッション
「見せる」演出に疑問
もちろん、JKシモンズの怪演については、アカデミー賞をはじめさまざまな評価を得ているので、文句はないのですが、ジャズマンにとっての最高の演奏とはなんなのか、もっと分かりやすく提示して欲しかった。
フレッチャー教授が有望なジャズマンを指導するのに「怒り」を利用して潜在能力を引き出す技法は、劇中でも破綻をしてしまい、バンドは空中分解する。
音楽に大切なのは、演者と聴衆が一体となって音を楽しみ、感動を分かち合うこと。過去の名演を紐解いても、テクニックよりも、情念の爆発にこそ、人の胸を打ち、語り継がれる要素が詰まっていると確信しました。
「怒り」は、その場の緊張感や、努力を惜しまないというモチベーションには、良いカンフル剤になるでしょうが、ほとんどの場合は悲劇的な結末しか生み出さない。
主人公が、事故を起こしながらも演奏を続けようとしたその負けん気や、積み重ねてきた努力は認められても、そこに居た聴衆は感動を得られず。
演奏家としての最大の義務は果たされないまま、になってしまう。
それ以前に感じた疑問についてですが、彼らの「良い」「良くない」の基準がなんなのか、分かりやすく映像で見せてくれていたなら、もっと感情移入できていたのではないかと思います。
多くの場合は、ミクロな視点で、パートごとの出来不出来をいじる指導法ばかりの描写に終始していたので、もっとマクロな視点で、イマイチだった演奏が、フレッチャー教授の指導で一気に引き締まるような場面が、なかったことが残念です。
2016.2.29
強烈な毒にあてられて、悪酔いする。
JAZZは詳しくないが、好きだ。
『ケルンコンサート』でキース・ジャレット氏を知って、トリオの来日公演に行った。この世に、こんな演奏があるのかと、震えた。
コロナ前まで開催されていた、近所のフェスで、Sr.Edmar Castanedaのセッションや、もう解散しちゃったけれど、フライドプライドのセッションにも酔った。いつか、ブルーノート東京やコットンクラブにも行ってみたい。それまでは、『死刑台のエレベーター』『ハスラー』『ブリット』や、CDに酔いしれて、と、この程度だが。
他の方が指摘されているように、JAZZの映画としてこの映画を見てはいけないのだろう。
演奏は見事だが、酔えない。技巧は称賛に値するものなのだろうが。
描かれている物語のせい?
『死刑台のエレベーター』も登場人物は倫理にはずれる人々だったが、それでも、ジャンヌ・モローさんの演技もあって、切なく、揺さぶられるものがあった。
『ハスラー』のエディも人生のどん底に落ちて…。『ブリット』もしてやられてからの巻き返し。
そんな、物語をより際立たせてくれていたJAZZ。
この映画では、JAZZは劇伴として使われていない。映画で描きたいものを描くための道具だ。
コンクール前の練習・コンクール、スカウトに目を止めてもらうことを期待したフェスでの演奏がほとんど。だからか、”正確””テクニック”が重視された音楽として演出され、演奏されているように聞こえて、そこに”心”が感じられない。お店でのライブ演奏も、曲は良いものなのだが、浸れない。
演奏のせいか、そこに起こっている物語にあてられて、私がJAZZを楽しむゆとりがないからなのか。
ショービジネスの厳しさ。
コンクールに勝ち残るためには、相当の鍛錬が必要なのだろう。『シャイン』でも、かなり追い詰められていた。『ファーストポジション』での、少年少女たちに課されるもの。
演劇界でも、実際に蜷川氏は灰皿を投げたと聞くし、井上ひさし氏も、一時期はDVが問題になっていた。ワイラー監督のような、驚異的なテイクの多さが語り継がれる監督もいる。
最高のものを作り上げる。自分を、演者を追い込み、高みに飛翔する。産みの苦しみ。
ドラムのリズムがずれていたら、まずいだろう。特に、コンクールでは。
ここまで高みを目指すようなものでなくとも、技能を上げるためには、「頑張った、よくやった」とアンドリューの父が言うような適当なことを言われるよりは、はっきりと指摘してくれた方が、伸びる。
学校の”先生”ではなくて、”師”につく難しさ。”学校の先生”は、世間が求めるある最低ラインの技能・学力を身につけさせることがその責務だが、”師”は違う。”師”のイメージしている世界にいかに近づくか。自分の代わりなんでいくらでもいる。”師”とて他にもたくさんいるが、自分が求めたその”師”に認められるかは別問題。
オーディションの厳しさ。スカウトの目に留まるチャンス。
映画でも、イメージが違う他で交代する配役。『イヴの総て』等、そのことを題材にしてきた映画はあまたある。
努力なしにはつかめないが、努力したからと言って掴めるものではない。
遅刻は、社会人としてのマナーの問題。まだ19歳、でも、もう成人した19歳。交通機関の事故とは言え、報連相は当然必須。
演奏場所。ホームを持たない、渡り鳥なら、チャンスを求めて、やりくりしているのだろうな。どんなプロも。
と、考えれば、フレッチャーが、特に無理難題を押し付けているわけではないのだが…。
自己中な二人。似た者同士。
才能があると過信したい中二病的なニーマン。
己の理屈を押し付けるフレッチャー。
皆と”音楽”を作ろうという発想はない。
頭と心を占めるのは、己のことのみ。
その怪我で、登壇したって、演奏できないだろうと小学生だってわかりそうなものなのに、しがみつくニーマン。怪我したのは自分のせいなのに。トラックも巻き添いをくらい、他のバンドメンバーのチャンスをつぶす。それなのに、さらに…。
「天才を作る」という主張の元、メンバーの心をもてあそぶ、フレッチャー。あのトロンボーン奏者との会話はなんなんだ。ドラマーを3人。競わせるまではまだ許容範囲だが、そこでの鼓舞の仕方はなんなんだ。己が、この世界の神であることを自分自身が確かめるために、トロンボーン奏者をなぶり、ドラマーに圧をかける。そうすることによって、他のメンバーを支配する。反社会的勢力のリンチと同じ。俺に逆らえば、お前もこうなるぞと。だから、その演奏に伸びやかさがない。軽やかさがない。遊びがない。きっちりしているけれど。
「音楽をやる理由がある」ニーマン。だが、それは、自分を認めさせる手段。故郷で、一緒にディナーする家族の鼻を明かしたいから。それゆえ、ここから外されてしまってはとしがみつく。視野狭窄。他の可能性には目を閉ざす。そこに、JAZZへの愛は感じられない。
フレッチャーも同じ。フェスでの仕打ち。ニーマンへの腹いせまでは理解する。けれど、元々のこのバンドのドラマーや自分が指揮するバンドメンバー、お金を払って、すてきな音楽を聴きに来たフェスの観客のことは全く考えていない。己の欲が満たされれば、それでよい。そこにJAZZへの愛は感じられない。
そんな演奏を聞きたいと思う人がいるのだろうか。
作中、フレッチャーがJAZZが衰退した理由をもっともらしく語るけれど、私からしたら、そんなふうに、JAZZを手段としてしか考えないあなた方が衰退させたのだと言いたい。
ラスト。
映画が始まった当初は、猫背で上目使いでおどおどしていた少年が、終盤、真正面から相手を見据えて立ち向かっていく。
いつも逃げ場所を用意してくれるが、故郷のディナーでのように肝心なところでは庇ってくれない、肯定しているふりして否定してくる、成長を止める真綿のような父を振り切って。
そこを、ニーマンの成長譚と言えば、そうなのだろう。
けれど、
自己中×自己中、自己満と自己満のぶつかり合い。
そこは、全く変わっていない。自分たちの求めるものの為なら、他者なんて存在しない。
ニーマンとフレッチャーにとっては至福の世界なのだろうが…。
二人の毒がまき散らされて、悪酔いする。
そんな音楽なんて聴きたくない。楽しめない。
『ラ・ラ・ランド』の開設で「監督のJAZZへの愛が~」という文を読んだけれど、
監督は、本当にJAZZを愛しているのだろうか?その教育課程で愛憎まみえたものと化しているのか。
二人の男の絡み合い。
この先も業火に焼き続けられるのだろう。周りに毒を振りまきながら。
世間の片隅で。でも、本人たちは世の中を支配できるんだと思い続けるのだろう。
☆ ☆ ☆
映画自体は、私にとって不愉快なものだった。
でも、フレッチャーを演じられたシモンズ氏の怪演と、
ドラム演奏を披露してくれたテラー氏、ストウェル氏、ラング氏、
酔えなかったけれど、すてきな演奏を当ててくれたJAZZマンに、
☆2つ。
常人を超える試練
作中の演奏の緊張感とジャズの音楽がとても合っていてカッコいい。 夢...
狂気の潰し合い
これほどまでに高エネルギーで興奮する愛憎劇を初めて観た。
ジャズドラマーとして一流になることを目指すニーマンと一流育成に手段を選ばない鬼スパルタ教師フレッチャーの強烈な絆を描いた本作。
若きジャズドラマーにマイルズテラー、信じられない程のスパルタぶりを発揮する伝説の鬼教師にJ.Kシモンズを据え、激しい魂のぶつかり合いが繰り広げられていた。
ストーリーが進むにつれ、フレッチャーの狂気がニーマンにも乗り移り、文字通り音楽に魂を売った2人のやり取りは目が離せなかった。
この映画最大の見せ場であるラストのセッションシーンでは2人だけにしか分からない激しい憎しみ、激しい愛が爆発的に行き交い他者を介在させない圧倒的な空気感を築き上げていた。この2人の壮絶な潰し合いは演奏と共にヒートアップしていく。血と汗が飛び交う魂の演奏が終わった時、信じられない程が心拍数が上がっていた。
導入部のジャズのリズムと街の煌めきが呼応する映像には魅せられたが、狂気的指導にリアリティ感じられず
デイミアン・チャゼル監督による2014年製作の米国映画。原題はWhiplash(むち打ち)。
導入部のジャズのリズムと街の煌めきが呼応する映像には、魅せられた。しかし第87回アカデミー助演男優賞 受賞も、J・Kシモンズによる狂気的指導にはあまりリアリティを感じず。ジャズ界には無知ながら、自由で独創的なアドリブを評価するジャズの精神に反しており、一流校教師にあれはありえないだろうと。
ただ、ジャズ/音楽の映画ではなく、主人公と自分を追い込んだ教師との対決の映画と見ると、米国映画の伝統を踏まえた、なかなか良くできた映画とは思えた。一回は教師の策略(自分だけ知らない曲目をふられた)打ちのめされていたが、気持ちを何とか立て直し強引に得意曲演奏に持ち込んで持っている全て、死力を尽くし、老練な教師を感心させ、若者が勝利を得る。
ただ、映画のつくりから致し方ないのだが、主人公のドラムソロ演奏シーンに全く感動出来なかった。このソロが素晴らしかったら感動出来たのだが。後、取り上げられたジャズ曲が、自分の好みのものではなかったということもマイナス要因。もしピアノが素晴らしい曲だったら、多分評価は変わったと思う。期待が大きかったこともあるが、かなりガッカリとした。
製作はジェイソン・ブラム、ヘレン・エスタブルック、ミシェル・リトバク、デビッド・ランカスター、製作総指揮はジェイソン・ライトマン、ゲイリー・マイケル・ウォルターズ、 クーパー・サミュエルソン、ジャネット・ブリル。
脚本はデイミアン・チャゼル、撮影はシャロン・メール、編集はトム・クロス、音楽はジャスティン・ハーウィッツ。
出演はマイルズ・テラー(トップガン マーヴェリック等)、J・K・シモンズ、メリッサ・ブノワ、ポール・ライザー、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング。
醜い人間性が見え隠れ。
この映画、賛否両論あるのは聞いてたのですが、
なるほどこれはなかなか…!
この映画は一見、音楽映画に思えますが恐らくそこに期待して観てしまうと評価は下がる一方でしょう。
たしかに、ドラムや他の楽器の演奏は素晴らしかったですが、伝えたいのはそこではなく、他の方のレビューでも書いてありましたが、主人公と講師の強烈な承認欲求ですね。
現実世界であんなにオレオレな生き方してたら周りから孤立しちゃうから、みんな空気を読みながら上手く自我を抑えて生きているけれど、
そんなこと気にせず己の考え、価値観を貫いたら…ある意味純粋にそんな生き方をする人間の衝突と人間性を浮き彫りにしたストーリーだったなと思いました。
自信なさげな主人公が鬼教官から声をかけられた途端に自信がついたのか、映画館の受付の子をデートに誘い、
それなのにちょっと上手くいかなくなったら、その子もきっと自分に迷惑をかけてドラムの練習の邪魔をしてくるだろうと、勝手な考え方で相手を侮辱して一方的な別れ話。
そんで、色々あってドラム辞めて、被害者側になった途端にその彼女に連絡するとか、その自分勝手さは鬼教官とおんなじ。
結局、もう新しい彼氏がいたからフラれるし…
鬼教官のキャラクターが強烈過ぎるから、主人公が可哀想に見えがちだけど、人間性はもともと良くない気がします。
鬼教官も最後の最後にやはり、思った通りの人間性だったわけで、結局は似たもの同士だったてことですねー
音楽のことはよく分からないけれど、音楽もスポーツも他の何でも、やっぱり楽しんでやることが大切だなと思えた映画でした。笑
狂気を纏った者同士のセッション
4年ほど前に1度動画配信サービスで視聴しましたが、久しぶりに再度視聴しました。
最初見た時も鬼気迫るシーンで圧倒されましたが、再度見てもやはり圧巻ですね。時間は107分と少し短い感もありますが、それにしても鑑賞中はずっと映画に引き込まれるため、いつの間にか映画が終わった、という感覚です。ほとんど息をつく瞬間がないですね、素晴らしいです。
主人公の心折れなさというか、絶対に認められてやるという気持ちは、純粋な気持ちというより、鬱屈した意地とでも言えるもので、自分で自分の視野を狭めていき、どんどんと追い込まれていく。
追い込んでいる張本人の教授は、あくまで彼なりの音楽への真摯さがあるわけですが、指導方法は現代ではどう考えてもハラスメント。指導では人格を否定するような発言をし、その他の場面では甘い言葉を使う、というあのコミュニケーションの取り方はDV男の手口そのものですね笑。
フェスを主人公に復讐するための場として利用する教授の意地の悪さも異常ですが、その場で反逆する主人公も異常ですね。教授の思い描く育成像とは違ったのでしょうが、主人公をそう成長させたのも教授そのものです。また主人公があの場でステージに戻れたのは、チャーリー・パーカーの話もあったからだと思いますが、2人とも似たもの同士なんですよね。
ジャズに魅せられた2人の狂気がセッションする様は、ジャズという音楽そのものが持つ心や魂をセッションさせるという行為に見えました。
主人公は次のチャーリー・パーカーになれたのでしょうか。
狂気の鬼指導と音楽にかける執念、その中にあるものは…
ジャズといえば心地よい音楽のはず。なのですが、その対極にあるような狂気のスパルタ教師。そのギャップにひかれてしまいます。映像も美しいです。でもそこに飛び込んでくるのは、ちょっとテンポが違うだけで怒号や罵詈雑言を浴びせ、椅子を投げるわ、平手打ちするわでめちゃくちゃな鬼指導者、フレッチャーです。その怪演をする俳優のJ・K・シモンズに引き込まれます。
鬼指導に答えるべく、血のにじむ努力をするのが主人公の音楽院に通うアンドリューです。アンドリューと指導者のフレッチャーは対立する関係になりますが、二人とも狂気の執念でジャズ音楽を追及していて、上を目指すには「厳しさ」は必要なのだなと考えたりもしました。ただ、映画の内容を現実でやったら問題にはなるので、執念、厳しさだけを見てます。
物語の中に入った視点で見ると、鬼指導に戦慄を覚え、途中いい気分はしません。自分なら、音楽に限らずあんな厳しいのムリ!って思ってしまいます。
しかし最後のほうで、二人ともジャズ音楽を究極までに愛しているのだなと感じ、その展開に「いい終わり方だな」と引き込まれました。
狂気
見てて怖かったです。
認められたくて、めっちゃ練習して、事故っても舞台へ向かって…。
事故で亡くなったって言ってた教え子は、実は自殺でって。指導者の追い詰め方も凄くて、しんどくなりました。それでも食らいつこうとする人が大きくなるんだろうな。
すごいもの観た
なんの前知識もなく観始め、止まらなくなった。
すごいわ〜
よくわからないが、サンダンス賞からのアカデミー賞って多いのかな。CODAみたいに。サンダンスで絶賛されるって。
まさに血が滲む…どころか流れる努力。
ここまでやらないといけないものなのか?
楽しければいいじゃん的な考えは邪道ですかね。
演奏できたらカッコいい。楽しいそう。そんな呑気な思いで音楽やっちゃダメなの?
他のバンドメンバーも、ドン引きせずに食らいついていく。音楽ってそんな世界なのか?
フレッチャー鬼軍曹はめちゃくちゃだけど、緩急の演技が絶妙に上手い。
ころっと騙されるのも無理はない。
街の?ジャズセッションで見せた顔も偽物なんだろうか。
最後の10分くらいは何度でも観たくなるかも。
カメラワークもすごくて。
フレッチャーとアンドリューを行ったり来たりするカメラワークが最高である。
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