セッションのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
原題の『Whiplash』は鞭打ち、衝撃、苦痛という意味。
楽譜に従ったガチガチの演奏を強要されるのだが、果たしてこれはジャズと言えるのであろうか。ブラスバンドのカテゴリーに分類されるのではと思うのだが。
感想を一言で表現すると『見ていて気分が悪くなる程のパワハラ映画』。
最後に生徒が鬼教官に見事に返り討ちを果たすが、爽快感を感じることはできなかった。せめてテロップでもよいので、「その生徒はプロドラマーとして成功を収めた」とか入れるだけでも印象が変わるだろうにと残念に思う。
主人公は彼女に捨てられてしまうが(捨てて大正解です)、彼女役の女優(メリッサ・ブノワ)を発見できたことが唯一の収穫であった。
フレッチャーは来ていたか ネタバレ(妄想込み)
2015年1月6日のラジオ『たまむすび』にて、映画評論家町山智浩さんはこの映画「セッション」を熱を込めて紹介している。
「…で、『あしたの朝6時に練習始まるから来いよ』って言われるわけですね。で、朝6時に学校に行くと誰もいないんですよ、その部屋には。で、9時になってやっとみんな来るんですね」「もう、最初っから“いじめ”なんですよ!」「ウソの時間を教えたんですよ、3時間早く」「そこからもう延々と、フレッチャー先生のいじめが始まるんですよ」
この部分が私にはどうしても納得できなくて、何度も映画を見返した。そして、見返す程に確信に変わった。
フレッチャーは、朝6時に教室に来ている。
以下にその根拠を書いていく。
① カギとほこり
主人公アンドリュー・ニーマンが1年生の授業に出席する。教室のドアを開けて、中に入り、ドアを閉める。0:06:49。ドアノブのカギ穴が大きく映る。
シェイファー音楽学院のドアノブがアップになるのはこの1回きりだが、しかし、ちゃんと映っている。
普段、放課後の教室にはカギを掛けているのだ。1年生の教室がそうなら、上級生の選抜クラスならなおのことそうだ。
つまり、ニーマンのために、フレッチャーが教室のカギを開けていた、ということだ。そこまで準備していた、ということだ。
0:15:47で床に落ちたホコリが映る。掃除をしていないことを表している。フレッチャーが、しなくていいと言ったのだ。職員に「今日はこのまま帰っていい。明日早くから使うから、カギもかけなくていい」と。フレッチャーはニーマンを迎え入れるために、段取りを整えていたのだ。
② 8:57
選抜クラスの生徒たちは8:57に教室に入ってくる。
何故なんだろう。
授業になったら全員が人種も含めて耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言をフレッチャーから浴びるかもしれないのに、なぜもっと早く来て練習しないんだろう。楽器の調整も含めて万全の状態を作り出すために、やることはいろいろあるはずだ。実際、1年生のクラスは、先生が来る前に音を鳴らしたり、おしゃべりしたり、彼女とキスしたりする余裕があった。
答えは簡単。フレッチャーにそうしつけられているのだ。最低限の時間で準備を整える。フレッチャーが登場する10秒前にバンドマスターが「音合わせ!」の号令を掛ける。早くに行っても教室にはカギが掛かっているし、仮に入れたとしても、勝手に長々と教室を使うことを、フレッチャーは許さない。
つまり、ニーマンを6時に呼びつけたのは、特別なことだったのだ。
③ イヤホン
9;00ピッタリにフレッチャーが入ってくる。
譜面台に楽譜を置き、帽子を取ってハンガーに掛け、イヤホンを耳から外してコートの内ポケットにしまい、コートをハンガーに掛ける。
これが証拠である。
フレッチャーは朝6時に来ていた。
フレッチャーは、プレイヤーを止めていない。すなわち、彼はイヤホンをしているだけで、聴いているフリをしているのだ。本当は朝6時ピッタリに来たのだが、誰もいないので3時間、ただ待っていたのだ。そしていかにも今自宅から音楽を聴きながらやってきた、というフリをしていたのだ。
④ 控室
では3時間、フレッチャーはどこにいたのか。教室に繋がっている教員控室にいたのだ。6時にニーマンが来ていないことにこれ以上ないほどに腹を立てたが、とりあえず控室に入った。ニーマンに手ほどきするために昨日から準備してきたのだ。それを、よくも…。しばらくして走ってくるニーマンの足音が聞こえた。急ぎ過ぎて階段でコケた音も。
フレッチャーは思わずにんまりする。まあいい。仕返しはゆっくりしてやろう。
と、いうところだろうか。
⑤ whiplash
この映画は真っ暗な中、ドラムの音から始まる。
ポツン、ポツン、ポツン。
ゆっくりこぼれ落ちる音が、段々、段々速くなる。
その音を背に文字が白く浮き上がる。
Whiplash
これは、この映画のクライマックスのシーンでもある。フレッチャーの指揮も無視して名曲「Caravan」のドラムソロを続けるニーマン。ドラムは激しさを増し、フレッチャーはハッキリと理解する。
ゆっくり。ゆっくりだ。
フレッチャーの仕草にニーマンが応える。ブレーキをゆっくり踏むかのように、音はゆっくりと静まってゆく。
ポツン。ポツン。ポツン。
速く。少しずつ、速くだ。
ドラムは再びうなりをあげてゆく。そして、フレッチャーが「もう、いってしまえ」とばかりに片手を振ると、豪雨のような音の乱れ打ちになる。
出会いのシーンで、フレッチャーはすでにこの音を聴いていたのだ。だから映画のタイトルが「whiplash(むち打ち)」なのだ。フレッチャーは初めから打ちのめされていたのだ。
この映画は生徒と鬼教官の話なんかではない。
音を愛するものたちの、嫉妬と狂気の物語なのである。
重く、暗い
刺激や新しい自分を見つけたいときに!
狂気の二人が織り成すミュージック
原題はWhiplashで作中に出てくる有名なジャズの曲でもある。スパルタ教師のフレッチャーとジャズドラマーを目指すニーマンの話。ニーマンはジャズメンバーに選ばれるが事故でコンテストをミス退学になる。フレッチャーは行き過ぎたスパルタでニーマンに密告され辞めさせられニーマンに復讐する。
いい映画であるが、面白いとか泣ける映画ではないのである程度知識を持ってみたほうがいい。無駄なシーンがなく、ラストまでの流れとラストのセリフが無いシーンのクライマックス感が心地よい。
ラスト10分
俺とお前(ハゲ)のタイマンだ!
アメリカ海兵隊入隊の映画を彷彿させるスポコン的映画
狂気! ラストの数分間の高揚感は異常
圧倒的な成果を作りたい人にオススメの映画
仕事を頑張りたい人や、突き抜けた成果を作り出したい人にオススメの映画です。
この映画を初めて見た時、こんなにも繊細で迫力のある描写ができるのかと驚きました。もっと仕事がしたくなりました。
主人公がドラムを通して突き抜けていく様子が凄まじくて、これを描いた監督の仕事観に感動しました。
突き抜けた成果を作る人にしか見えない境地がそこにはありました。起業や経営したり、プロのスポーツ選手や音楽家など、1つのことにとことん集中して周りを感動させるほどの作品を生み出す人は感動する映画だと思います。
人生をかけて挑戦しているすべての方にオススメの映画
高みを目指し、人生をかけて挑戦しているすべての方に是非観ていただきたい!という映画です。何度も観ている映画の一つです。
夢を追う情熱、狂気、圧倒的努力。
同時に、それに伴う身勝手さと弱さという人間の本質が表現されているように感じました。
天性の才能や能力に加えて、圧倒的に異次元のストイックさで限界に挑戦し続ける主人公の姿を通じて、自分ももっと努力できるし挑戦できるなと思わせてくれる映画です。
特にクライマックスシーンが圧巻です!
友人にもお薦めしている映画です。
シンバルを直した時
Amazon Prime Videoで鑑賞
うーーーーーん…
JKシモンズの演技力がすごいのか何なのか、終始非常に胸糞悪いのは否めない
観終わって彼をすっごい嫌いになりましたもん笑
パワハラセクハラの雨嵐、メインの席を巡って敵対心を過剰に抱かせる、間もなく性格も悪くなりますね…
なぜこの映画が評価高いのか?と考えつつ観ておりましたが、終わった瞬間にこれかな?と。
たしかに「おおおぉぉぉうぅぅ~!」となりました
シンバルを平らに直したあの時に、シンバルのように2人の関係も同じ高さになったんだとイメージが伝わってきました
んんんんーーーでももう観たくないな
でも家人はJKシモンズかっこいー!と言ってて一抹の不安を感じました(笑)
ニーマン
フレッチャーヤバすぎ
2回目の鑑賞 傑作‼︎
ラストのジャズシーンに今までのドラマが全部詰まってた
フレッチャーがここで復讐するのはビックリした
でもニーマンが演奏のトップになり、フレッチャーを超えた時は、超スカッとした‼︎
その後の、狂気と狂気が混ざり合っての最高の音楽には心の底から震える
終わり方も超気持ちいい‼︎
主演の2人の演奏シーンと、ブチ切れるシーンの演技が迫力ありすぎて作品にさらに引き込まれました‼︎
JAZZのゴールとは?
確かに現代、誰かに叱責されたり、罵倒されたりすることは少なくなったのだろう。一人一人の個性や人権が尊重される。上手くいかなったら、すぐに諦め向いていないといって別なことに逃げることも多い。新たなJAZZの天才も生まれづらくなっているのだろう。(詳しくは知らないが)過去の黒人の天才たちは、ひどい貧乏や差別という境遇下にあっただろうし。それを大学という場で、作り上げるためには、フレッチャーのような指導が必要になるのか?彼が、どこまで意図的にやっているかは判断が難しい。生徒の状況を最大限に利用して、追い込んでいるようにも見える。生い立ちやら確執やらを利用して、ご無体なというような叱責を容赦なく浴びせる。
映画を通して、ニーマンがひたすら追い込んで練習する様、ドラム中心に流れる時間は、その情熱に触れているかのようで、惹きこまれた。家族にたてついたり、彼女との別れを決意したりする部分も、若い頃には徹底的にやり抜く時間も必要だと思った。ただ、この音楽映画が、フレッチャーとニーマンの対立に終始してしまうことが本当に良いのか?には疑問が残る。
「生きるか死ぬか」まで追い込まれて、初めて、彼らの信奉するJAZZが生まれると言っているかのようだった。承認欲求を満たすためにという解釈もわかるが、ゴールがそれでいいのかということ。それを突き抜けないと本物ではない。音楽する動機が、純粋に音楽を極めたい、楽しみたいとなった時に、本物になるっていうことだろうと思うのだが。フレッチャーの指導では、承認欲求を満たすことがゴールになってしまう。最後、ニーマンのドラムは、そこにまで到達したような描き方だっただけに、中途半端な達成感を感じた。
指導者と演奏者の火花散る対立という構図を主題にしたのだろうが、もう少し人間的、音楽的な深みが欲しかった。あまり聴かないほうだが、JAZZって、もっと即興性、瞬発力、情熱やロマンが必要なものだと思う。このストーリーだと、激しい感情をただぶつけているだけになっていた。そこが惜しい。
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