セッションのレビュー・感想・評価
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狂気と狂気のセッション
ラスト9分19秒は、何度見たことか。多分100回ではおさまらない。それだけ思い入れのある『セッション』が、デジタルリマスター&DollbyAtmosで再上映だから見逃すわけにはいかない。
パワハラの代名詞ともなったフレッチャー教授。『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹も恐いが、精神的なダメージの与え方で言えば、フレッチャーの方が上回る。全人種平等に悪態をつくその徹底ぶりに、奇妙な“公平さ”を感じてしまう。
教え子が、現場に満足することを恐れて常にプレッシャーを与え、意図的にライバルを作って競わせる。フレッチャーのしていることは、星一徹メソッドの究極バージョンとも言える。
星一徹メソッドの欠点は、勝ち残った人間はとてつもなく強靭な能力を得るが、数多くの落伍者は、悲惨な末路をたどる。
フレッチャー的な父親に育てられ、フレッチャー的な教師にどつかれながら教育を受けた身としては、強圧メソッドには嫌悪感を感じるし、肯定できない。結果的に打たれ強くなっただけで、真の強さとは程遠い。
……でも、あの狂気の先に何かがあるんじゃないかって思ってしまう。それを信じさせるのが、デミアン・チャゼル監督の巧さなんだよね。狂気と狂気がぶつかって、何かが生まれる。そう感じてしまう自分がいる。
それにしても、DolbyATMOSの効果はすごい。全方位からフレッチャーに罵倒されている気分になり、タマタマが縮む上がる。拳銃を突きつけられるよりも恐い。
見た人も見てない人も見逃す選択肢はございません。
やっぱ傑作!Don't think, feel!
最悪の褒め言葉は「Good job」
殺意を熱に、熱を音に。 ぶつけ合い奏でろ
人と人がでっかい思いをぶつけ合うと、それがどんな思いであれお互いを動かすし変える。
その思いは愛や信頼みたいな綺麗なものじゃなくてもいい。
嫉妬や憎しみ、怒りや殺意なんでもいい。とにかく大きく相手にぶつける。すると動く。もちろんどうやって動くかは予想できない。事故や自殺のような身を滅ぼす方へ相手が動く場合もあるし、別れや孤立させてしまうこともある。一方で、絶対に自然的には起こり得ない何かを生み出す場合もある。主人公の最後の演奏はまさにそれだった。
セッションとは、人と人が思いをぶつけ合った時に起こる現象のことなのだと思った。
狂気、一流を目指すなら踏み入れることになる領域
アカデミー賞3部門を受賞した映画。伝説の鬼教師のもとで究極の師弟関係が描かれていました。「完璧」を求めるからこその、圧倒的な練習量、0コンマ何秒の世界の細部にわたるこだわりなど、異常ともいえるほどの厳密さと真剣さが描かれているのを見て、こうした「狂気」ともいえる没頭・練習があるからこそ、とんでもない作品、プレー、サービスなどが生み出されるなと感じました。エンジニアに対して無理難題に近い超高レベルなものを要求し続けていたことが有名なAppleのスティーブ・ジョブズも「完璧」「画期的な」商品を開発・展開したいという想いがあったからこそ、この映画での鬼教師のようなあり方だったんだろうと思いました。
パワハラ、などともいわれやすくなった現代において、本編のような究極の師弟関係やバディシップを組むことは社会的にやりづらくなってきているなと思います。ただ、社会に革新的なインパクトを与える人たちは、このような狂気ともいえるレベルでのこだわりや下積みをもっている方々なのではないか。そう考えると、僕も自分の仕事において、このように狂気ともいえる没頭に身を投じて、社会・世界に貢献していきたいと思いました。楽ではないとおもいますが、こうした生き方のほうが充実はするのではないかと。
僕は至極当たり前の事を言っているつもりなのだが
もしサッカー映画で、スパルタ顧問の先生が、天才プレーヤー(キーパー)を生む為にスパルタ指導で才能ある主人公を締め上げる。それに付いて行けず先生に暴力をふるい退学になる。主人公の告発で先生も退職させられる。でもその先生がW杯の監督になり、その大舞台でキーパーだった主人公をダマし出場を要請するが復讐の為、突然フォワードで使う。その為、負けそうになるが、突然、主人公が勝手にキーパーになり神憑り的ファインセーブで勝つ。観客は大盛り上がり、鬼監督もまんざらでもないって話だったらどうだろう?
何じゃその話?って思わない?
映画「セッション」を見た。
ホントに何が言いたいのかわからないヘンテコなストーリーだった。
たかだか3億円の製作費でアカデミー賞3部門を取り、評価も異常に高い。
こりゃあ見なきゃ!と意気込んで見たが、上記の話の音楽バージョンの映画である。
主演の鬼教官が自分の輝かしいキャリアを捨ててしまう様な、カーネギーホールの大舞台で主人公に突然、別の曲を与え復讐する。でも主人公の即興の酷い演奏は直接、指揮者である自分(鬼教官)の評価につながるはずである。つまり鬼教官の復讐行為は、自身が二度とJAZZの世界に戻る事は出来なくなると言う意味である。復讐のはずなのに、ただ常軌を逸した自分の評価を下げる(JAZZの世界から抹殺される)だけの理解できない事をする。
僕にはかなり違和感がある。
スポーツに比べ、音楽(奏者)は評価されない事を、この作品を通して訴えていたが、でも一番音楽を馬鹿にしているのは 作者に思えてならない。
僕の見方がおかしいのか?何か見落としているのか?
ネットでは絶賛で、そこに引っ掛かっている人がいないのも不思議である。僕は至極当たり前の事を言っているつもりなのだが、
子供の頃、友達と西部警察を見ていて、犯人が他人に殺人現場を見られてしまって、その目撃者を殺そうと狙う。西部警察も、その目撃者(証人)を守ろうとするが、最後には、犯人とお決まりの銃撃戦になる。なのに、この期に及んで犯人はまだ目撃者を、警察の銃弾を かわして殺そうとする。僕は「もう こうなったら目撃者とかの問題じゃないんじゃないの?」と言うと友達は「そんな屁理屈言わんと、純粋に楽しまれへんか?」とたしなめられた。
セッションを見て西部警察を思い出した。
でも、「ノーカントリー」の殺し屋は、目的を失った殺人依頼の執行が、異様な不気味さを醸し出していた。
凄かった!フレッチャー先生のニーマンへの指導
CSで録画視聴。
結構、評価が高い作品だったので、気になって観てみた。
なるほど、名門音楽学校でドラムを担当したニーマンに対して
フレッチャー監督の熱血指導は確かに凄かった。
ニーマン役はあのトップガンマーベリック役のマイルズ・テラー。
彼がブレイクした作品なのも頷ける。
ただ、作品全体を観る限りありきたり。平凡な作品に思えた。
音楽モノ映画として観てはイケない、スポ根作品
自分が詳しい分野を題材にした映画やドラマは、知識がバイアスになって素直に観られないというのはあるにしても、その分野への最低限のリスペクトがあるかどうかは、その作品の評価に影響して当然だと思う
音楽を扱う作品において、作品全体のこの音表現はあまりに粗雑で、楽器奏法についてのアプローチも誤解を生みかねない表現が多すぎる
血豆の上に血豆ができたり、長い練習時間が上達として成果に返ってくるという、個人の努力のプロセスが存在すること自体は共感できるが、それはこの作品のような筋トレ的な見え方にはならないはず
チャゼル監督の高校時代の実体験がベースになっているとのことだが、あまり幸福な音楽教育体験を得られなかったとしか思えず、ビッグバンドだとしても著しく一般性を欠く経験に基づいていると感じ、共感が持てない
ラストのドラムソロについても、「好演で見返した」大団円の扱いで描いているのだと思うが、演奏がぜんぜん好演になっておらず、ジャズにおいては古くてダサいドラムソロの部類で、ちっとも見返せてない
時代設定とかジャンルとかの問題ではなく、である
演奏は音声で被せられるので、ラストシーンをこの演奏で締めたのは監督の意思に他ならない
つまりおそらくこの作品は、専門家による考証や介入の不足により、題材に対する深堀りに失敗したのだと思う
周囲の興行関係者はチャゼルの実体験を信じたが、観る人が観ればその音楽知識と音楽愛は浅いものでしかなかった、ということだと思う
ちなみに、邦題の「セッション」についても、ビッグバンドジャズとコンボジャズの区別もついてない日本の配給担当に買われた不幸を物語っていて、残念でならない
例えば『THE FIRST SLAM DUNK』を観たバスケット経験者で、ここまでの違和感を感じる人がいるかどうか
他の分野の作品と比較してみると興味深い意見が得られるかもしれない
凡人よ、黙れ!
タイトルなし(ネタバレ)
常に重苦しいピリピリとした緊張感が続く映画。教鞭を取る鬼教員が明らかにイライラしている授業というのは日本人全員が履修済みだと思われるが、その時間が延々と続く。その中で希望と落胆が交互に訪れる。最後のセッションは素晴らしく、ドラム一本でここまで魅せることが出来るのかと感動した。
他の批評で行き過ぎた指導が不快などという的外れな感想が散見されるが、この映画のテーマは芸術への狂気なのだと思う。音楽程ではないが僕もある程度芸術的要素が求められる仕事だ。経験則として、やはり良いと感じられるモノを作り上げるのは狂気的な人間なのだ。この映画は狂人が一人の狂人を練り上げる映画と言っても差し支えない。それ以外の人間は道を外れていく。フレッチャーの影に隠れているが主人公も最初からある程度狂っている。
僕は間違いなく凡人なので狂人が作り上げる世界観を一般に伝えられたらと思う。こんな風には生きられない。映画中でこそだなぁ。
グッジョブ
世界的ジャズドラマーを目指して名門音楽学校に入学したニーマンは、伝説の教師と言われるフレッチャーの指導を受けることに。
しかし、常に完璧を求めるフレッチャーは容赦ない罵声を浴びせ、レッスンは次第に狂気に満ちていく。
(解説より)
才能溢れるニーマンと、明らかに度を超えた教育方針のフレッチャーの様子が描かれる。
フレッチャーの指導に耐えきれず一度は離れる2人だが、ある出来事がきっかけで再会。
再びフレッチャーに誘われたニーマンがジャズフェスティバルで演奏するが…というストーリー
狂気としか言いようがない。
最初はフレッチャーのみがそうだが、その教育に影響されニーマンも次第に狂人化していく。
ややフレッチャーという人物の心理描写が不足する(どこまでが本心か)が、素晴らしい音楽家を育てたいという意思だけは本物だったのだろう。
この映画について「教育方針が不快で駄作」といったレビューがいくつか散見されるが、評価は個人の自由であると前置きしつつ、論点がズレていると思う。
本作はそのような教育方針云々の話ではない、あくまで「狂気に囚われた2人の音楽家」の話であり、過激な表現が嫌いな方はこの作品は鑑賞しない方がよい。
2人の微妙な表情の変化、仕草、全ての演技が素晴らしい。
ラストの「セッション」は圧巻。
まさに「グッジョブ」
狂気のぶつけ合いバトル
指揮者のフレッチャー、ジャズドラマーのニーマンが互いの追い求める芸術と狂気で殴り合うシーンがメインのストーリー。
この世界にコンプラは存在しない。しかし純度100%の剥き出しの魂のぶつかり合い・互いを食い殺さんとする情熱がある。
最後の10分の為だけに苦痛を延々積み上げていくような映画だが、最後の10分にはそれだけ苦しむ価値がある。
一緒に演奏している筈の奏者たちも、聴いている観客すらもどうでもいいと言わんばかりの一曲に人生の全てを賭けた二人だけのセッション、演奏がただ美しい映画。
最終的に指揮者もドラマーもどっちもヤバい奴なので一方的な暴力でないのも良い(二人の周囲は狂人に巻き込まれて可哀想だが、二人にとってはそれすらどうでもいいというのがこの映画の味だと思う)。
フレッチャー(J・K・シモンズ)の鬼指導が怖くて緊張感ある
フレッチャー(J・K・シモンズ)の鬼指導が怖くて緊張感あった。怒涛の精神攻撃はもはやパワハラ。自分だったら絶対ソッコーで挫折してる。
鬼指導に耐え続けたニーマン(マイルズ・テラー)も凄い。
何となく生きてるニコル(メリッサ・ブノワ)と、明確な夢を持ってるニーマンとの対比が良い。
ニコルを振る時の台詞がリアル。自分も同じ立場だったら同じ台詞言うだろうなぁ。夢に恋愛は邪魔だしね。終盤ニコルに電話するシーン、彼氏居ることが判明した時のニーマンの表情が切ないけど、下手にヨリ戻して恋愛要素入れないでくれて良かった。
最後の演奏シーンは爽快。ニーマンが吹っ切れてドラム叩きまくるの気持ちい。
自分はどちらかと言うとニコル寄りなので、ニーマンのように好きなことを何か見つけて、とことん打ち込んでみたいと思える映画だった。
芸術家たちの”タガが外れた感じ”に目が離せない
詰めの甘さがあるうちは本気じゃない
というのも、主人公がだんだんと狂気のような妄執に取り込まれていく「本気」の話なのだが。
最初の練習に寝坊したり、事故でトラブルが発生して演奏会に間に合わなくなったり、器具備品を忘れてしまったり…「詰めの甘さ」がどこにある
もどかしい。指導者側が「本気ならその抜けはない」と言いたくなる気持ちがわかった
本気なら、本気になろう。死ぬ気で行動しよう。と感じました
一般的な評価は高いのですが
一般的な評価が高いので期待したのですが、それほど心に響きませんでした。特に最後の演奏の前に、教授が彼に密告したのは君だろうと言ったのが引っかかりました。結局教授は彼を貶めるためにライブに呼んだの?
「巨人の星」ドラム版。
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