セッションのレビュー・感想・評価
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原題だと「フォックスキャッチャー」と間違えるから「セッション」にしたのだろうか
いや、すまん。
期待した人はいないだろうが、さすがにあっち方面のネタに飽きてきた。というか。
「セッション」
ギターソロより、ドラムソロに憧れた青年。
とはオレのことだが、女にもてたいくせに、ドラムを選ぶという、しょぼいガキだったオレは、さんざんストイックに、「叩け、叩け、叩け」のモノを聞いてきた、観てきただけあって、演奏シーンに特に深い思いはない。ドラムソロはストイックな絵になり易いし。
そう、観るべきは、下の尊敬するレビュアーさんにあるように、ハゲとガキのエゴとエゴの「鞭の打ち合い」。
ハゲはチームのことなんざ、考えちゃいねえ。「オレの音」「オレのリズム」そこからの唯一無比のミュージシャンを生むことしかない。
チャーリー・パーカー出さずとも、世に言うトップ・ミュージシャンは少なからずそのように生まれたことも多かろう。
だが、その思いすら本当かどうか分からない。教え子が自殺した、という知らせに涙するする姿も、「オレの音を忠実に再現できるやつが死んだ」と悲しんだだけかもしれない。
でも音楽ファンからすると、その悲しみ方って実は間違いではないんだよね。
だから、このハゲのやっていることは、それでも「分からなくはないエゴ」なのだ。
ガキのほうは青いだけに、プライベートのバランスが取れなくなるが、つまるは、「悔しい」と「オレはトップになる」の「若さゆえの正しいエゴ」でそれに反発する。
また途中のキレ芸があったのが、大きいよね。あれもまたある意味「『正しい』もう一方の青臭いエゴ」。楽譜の件は言うに及ばず。
追記
ハゲがクライマックス、コロッと表情を変えるのだが、それも虚か実か、結局分からない。
分からないからこそ、キュン、とくるのである。
追記2
うおっ、こう書くとまたあっち方面になるじゃないか。今年はこの路線でレビューするのか。
ラストはなぜ「キャラバン」なのか?
いまさらネタバレでもないのですが、ラストの演奏シーンに絞って書いたので、ネタバレ投稿とします。
冒頭のシーン。主人公の部屋にジャズドラマーのレジェンド、バディリッチのポスターが貼ってあったので、ラストシーンでキャラバンの演奏が始まった時は、あのドラムのイントロから、これからバディリッチやるんだー!となってむちゃくちゃ興奮しました。
バディリッチといえばキャラバンのソロというくらいの代表的なパフォーマンスなので。
ジャズ演奏の知識としては、ジャズのドラムソロは、演奏する曲のテーマ(メロディ)にそって、テーマの小節数✖️何回、というのがルールなので、だからバックバンドも最後のジャーンとか合わせるとこもドンピシャでまとまるというカラクリがあります。
普通のジャズライブでもバックバンドの人も涼しい顔して真剣に拍数を数えてます😛
余談ですが、映画ではそこをごまかすためにスローモーションにしたりしてましたが、わかるーとなりました。(バディリッチのガチコピーは流石にムリだし、映画的にはあの描写のほうがいいと思ったので悪い意味ではありません)
バディリッチのキャラバンだからこそ、あの人数のメンバーがリハーサルなしでバッチリ最高の演奏ができてしまう、というのも映画的に説得力があるんですよね。
ちなみに主人公がコピーしたバディリッチのソロもよく聞くとドラムのタムの音の高低でテーマ(メロディ)を再現しており、上記カラクリを知って聴くとより楽しめます。
狂気と狂気のぶつかり合い
己の欲求と憎悪を燃料にして生きる狂気の指揮者と狂気のドラマーの物語。
彼らが音楽が好きなのはわかる。しかし、その「好き」が「純粋な好き」ではないと感じられるところが、この映画の捻くれたところであり、傑作と言われる所以だろう。
フレッチャーは、世界的な名プレイヤーを育てた教育者になりたい、完璧なテンポと音階のセッションを披露したいという強烈な欲望のために、常軌を逸したパワハラ指導を行う。相手の面前で大声で罵倒し、椅子を投げ、ドラムを蹴り飛ばす。
20代の1年間、同じような言動をするパワハラ上司に仕えたことを思い出し不快感が湧き上がる・・・。
ニーマンは、名プレイヤーになって周りから認められたい、自分の地位を確立したい。そのために邪魔になるもの(寝る時間や恋人)は捨てる。血を流してでもドラムを叩く・・・。
最後のセッションでのフレッチャーの陰湿な仕打ちに一度は折れそうになったニーマンが、踵を返して舞台に戻り、指揮者であるフレッチャーを差し置いてソロ演奏を続け、圧巻のプレイでバンドをリードする。
そしてその熱量の中で最後の刹那、2人が「純粋な好き」を見せる。このシーンがあってこその作品だと思った。
いい映画だと思うのですが・・・。自分の過去の経験が思い起こされてあまりいい印象が持てなかったのが残念。
セッション:インポッシブル
セッション
狂気
鬼才デイミアン・チャゼル監督が描く『セッション』は、音楽教育という枠を超えて、狂気すら帯びた師弟関係と「一流とは何か」という問いを突き付ける作品だ。音大教授フレッチャーの指導は、常軌を逸している。人格否定や家族の侮辱、さらにはイスが飛ぶほどの暴力的な言動――現代社会では到底許容されないであろうそのやり方に、観ている側も身構えずにはいられない。
一方で、そんなフレッチャーに認められたい一心で、血反吐を吐くまでドラムに打ち込むニーマンの姿は、執念を超え、もはや狂気に近い。交通事故で全身血だらけになってもステージに立とうとする場面は、人間の限界を超えた執念と自己破壊の表象であり、観る者に畏怖の感情すら抱かせる。
この作品の恐ろしさは、フレッチャーのやり方が「完全に間違い」とも言い切れない点にある。平凡な指導では突出した才能は生まれにくい――その信念には一理あり、私たちもまた「限界を超えるためには何が必要か」という不穏な問いを突き付けられる。『セッション』は、努力・狂気・信念が渾然一体となった、人間の極限を描いた衝撃のドラマである。
動悸が止まらない
個人的にはシビル・ウォーに並ぶかそれ以上か。
見終わった後、今もしばらく続く、何かに追われるような焦燥感、ぐったりした疲労はどうだ。
ポシェットを胸前でギュッと抱えながら、イーッと引きつった顔でスクリーンを見続けていた。
初めてだった阿佐ヶ谷のミニシアターで鑑賞。背もたれが小さい、音の迫力がいまいちと、予告編のときに湧いた小さな不満は、あっという間にどこかに消えた。そんなことも感じたと、今やっと思い出した。
血だらけで舞台に立つまで追い詰められた狂気、そんなこと経験ないから分からんが、この作品上は分かる。そこまで矛盾のない展開。
再起の舞台に上げて密告の復讐を遂げる狂気、クソだクソだクソだ。ああ、自分は絶望した息子を抱きしめてやれる父親にならないと…と本気で思った。そこから始まる9分19秒(とプロモーションに書いてあった時間はこのことなのだろう)。
このメンタル、なに!?
でも一度は狂気のレッスンをやり遂げ、血だらけで登壇した男なのだから、こうするのは当然だった。これを引き出すためのフレッチャーのプレッシャーだったか?いや、クソだ、狂ってる。
パワハラはいかん。見てて、部下の顔が何人か思い浮かんだ。いいところを見ないと。見えてる才能にクローズアップしないと。部下は自分の手駒じゃない。この映画を思い出そう。いいものを見た。
もう一回みたい。ニコルはかわいかった。昔の彼女の前でカッコつけたくなる幼稚さ。わかる。ずっこけフラレたのが最後の狂気へのアクセント。この演出もすごい。
もう二、三回は見たい。
無能な奴はロックをやれ
音楽と音学
ラストで感動。
パワハラ教師と性格に問題のある若いドラマーの話だが、リアリティーが凄かった。出演者は皆音楽の専門家に見えた。ドラムのこんなに長いソロを聴く機会は滅多にないが、(誰が叩いているにせよ)感動した。この邦題は素晴らしいと思う。作品を見た後で知ったが、この監督は製作当時20代とのこと、びっくりした。
令和の時代では通じないスパルタ
いや、平成でも無理か。
おそろしい詰め方のハイパーパワハラ上司。人格も親も否定して詰めに詰めていく。見ているこっちの胃がキリキリしてくるほど。
でも、もちろんここまで酷くはないけど、音楽学校て結構すごい練習をするらしい。
ちなみにDVDを借りると、特典映像に映画の原型である短編映画をみることができる。
15分弱だったかな。主人公のキャストは異なるものの、フレッチャーは同じキャスト。
内容というのが、主人公がフレッチャーに抜擢されて初めてバンド練習に入ったときの展開。
本編とほとんど変わらない。
トロンボーンの音ズレから始まり、主人公のテンポのくだり。
あの展開だけの映画。
あそこで終わる。
なんとまあ、救いの無い短編映画である・・・。
見ていて具合が悪くなった
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