ユンボギの日記
劇場公開日:1965年12月11日
解説
一人の貧しい韓国人少年の日常をスチール写真によって構成し、彼の詩をナレーションで綴った短編映画。監督は「悦楽」の大島渚。語りは「刺青一代」の小松方正。大島監督がTVの仕事で韓国に渡った際撮影した写真を元としている。新宿文化にて8日間一般公開された。
1965年製作/25分/日本
劇場公開日:1965年12月11日
ストーリー
※イメージ映像のためストーリーは割愛します。
劇場公開日:1965年12月11日
一人の貧しい韓国人少年の日常をスチール写真によって構成し、彼の詩をナレーションで綴った短編映画。監督は「悦楽」の大島渚。語りは「刺青一代」の小松方正。大島監督がTVの仕事で韓国に渡った際撮影した写真を元としている。新宿文化にて8日間一般公開された。
1965年製作/25分/日本
劇場公開日:1965年12月11日
※イメージ映像のためストーリーは割愛します。
■母が家出し、父が病気で働けない中、兄弟の面倒をみながら物乞い同然の生活を送る韓国人少年による手記「ユンボギの日記」。
韓国の少年少女の日常を捉えたスチールにその朗読を乗せ、社会の不公平さとその犠牲になった弱き者たちの慟哭を伝えていく作品。
◆感想
・若き大島渚監督の、静なる世の不公平への怒りを示したドキュメンタリータッチの作品。
・ユンボギが、貧しさ故に自らを捨てた母に対し、呼びかける言葉が哀切に響く作品。
<大島渚監督と言えば、後年のある意味問題作を世に問い続けた監督であるが、その原点はこの作品にあると思った作品。>
お涙頂戴の感動物語風な語り口は受け付けないけれど,それでもやはり考えさせられるものがある.戦争で既存の制度や福祉が破綻した後に起こることは何かという事.混乱の中で福祉がひろいきれない悲劇たちと,そこから湧き出る有り余るエネルギーと大衆運動の関係性について.若者が政治に興味がないのは日本が平和だからというのは的を得ていて,生活保護制度や年金制度といった制度の解体もしくは破綻と共に平和でなくなっていくこともまた事実なのだろう.
大島渚監督による韓国で撮影した少年のスチール写真に小松法正によるナレーションを重ねた25分のドキュメンタリー。
写真だけで退屈すると思っていたが、予想外に惹きつけられた。
母親に捨てられ父親が病気で極貧の中、長男としてガム売り、靴磨き、新聞売りと職を転々としながら弟妹たちのことを思い何とか生きる韓国の少年の姿。きっと、大島渚は、日本の少年像や自分自身を投影し、結果としての大いなる共感が表に出ているからか。
また、静止映像とナレーションと音楽だけで、見るものを惹きつけるのは、方法論としても目新しくて面白いと思った。
全篇スチール写真をもとに感化院に入れられたイ・ユンボギの詩をナレーションとともに語られる。25分という短さもあって、アマプラで見ました。
朝鮮戦争後に孤児が5万人もいた。ユンボギの家庭は病気の父親のために母親が家を出て行った。家賃が払えなくなり、テグ近くの闇小屋へと引っ越すこととなった。10歳のユンボギには8歳の妹スンナ、6歳の弟ユンシギ、5歳の妹テスギがいるが、家計を助けるためにガム売りをしてしのいでいたが、やがてヤギ飼い、靴みがき、新聞売りと職を変える。やがて妹スンナも「稼いで戻ってくる」と言い残し家を出たため、ユンボギはさらに孤独を感じ、母を探したいと思うようになる。
戦後日本の混乱期も似たような孤児がいっぱいいただろうけど、あまり知られていない軍事政権下の実情を伝えてくれる作品。先日見た『ラ・ジュテ』も同じようなスライドショーだったが、クレジットにモンタージュとしっかり書かれていた。この大島作品も自身のモンタージュ理論のきっかけになったとのことだが、モンタージュそのものよりも子役の声優(不明)が素晴らしかったため感情移入もできたと思う。
戦争による負の遺産についても訴えてくるものがあったし、罪のない子供たちが最も悲惨な経験をする虚しさが伝わってくる。さらに8月15日は日本では終戦記念日であるが、韓国では光復節(独立記念日)。日本が韓国を植民地支配していたことをも思い出させてくれる。