女人哀愁
劇場公開日:1937年1月21日
劇場公開日:1937年1月21日
1937年。成瀬巳喜男監督。婚期を迎えた女性は誰もが相手だと認める幼馴染のイケメン従兄ではなく、見合い結婚で相手を決めてしまう。嫁ぎ先の人たちはは悪い人たちではないものの、義理の親にも義理の妹たちにもいいように使われ、夫は自分の都合に都合のいい妻の役割を期待して横柄にふるまっている。もやもやが蓄積されていくなか、恋愛の末に家を出た義理の妹の一人が帰ってきて、相手の男が追いかけてくる。必死の訴えを聞いているうちに主人公はある「決意」にいたる、という話。
これはすごい。女性映画ここに極まれり。見合いか恋愛かの対立は見せかけで、そもそも女性が恋だと愛だのの結果として妻となるときに置かれる非対称的、非人格的なあり方をこれでもかと描き出す。恋の対象ではない従兄といるときの主人公の、なんと晴れ晴れとした表情。
女性の立場を尊重するようで煮え切れない従兄の様子がまずすばらしい。この傍観者的でずるい従兄と主人公との関係が全体の支えとなっている。主人公はいわば、「本当の恋」の対象を奪われた状態なので、恋に逃げることができない。これが前提。そのうえで、決意にいたるまでのこれでもかというイビリと、最終的な決断にいたる入江たか子の表情がすばらしい。なんと気高い表情。このための恋の断念、このためのイビリ。
そして、その嫁ぎ先を出ていくときのテンポのいい切り返し、そして「足」のクローズアップ。こんなところにはいられないと判断したのは「足」であるかのようだ。すばらしい。
川本三郎の成瀬論に、貧乏臭さと金勘定のエピソードが多いとの評がある。
まさにこの作品は貧乏な家から裕福な家に嫁ぐ主人公と、その裕福な家の長女が駆け落ちの末、貧乏暮らしが嫌で戻ってくる話。
次女が小遣いや夕食に肉をねだる場面もしみったれた金の話である。
このような金の話が続いた揚げ句、長女の駆け落ちの相手が会社の金を横領したことが発覚する。
金の話を繋げて、現代的な恋愛観を入江たか子が熱弁する終局へ。