ニンフォマニアック Vol.2のレビュー・感想・評価
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みんな、スッキリッ!!
前作VOL.1で書きそびれたが、テーマがテーマゆえ、内臓はそうではないが、排泄物はグロだ、ということで、そのチャプターはモノクロにした、という妙な気配りからも、前作は非常に万人に伝わりやすい作品だった。
だが、VOL.1だけでいうと、想像の範囲を超えない、尻軽女がたまたま居合わせた男に自分の性遍歴を語り、初めての男と再度結ばれた矢先、快感を得ることができなくなっていた、さてどうする、つづく、という形で終わった、という感じで、
「トリアー、バカじゃねえの?(一応ほめ言葉)」
という感想だった。
さてVOL.2。
結論から言うと、これまた非常に万人にわかりやすい、きれいなオチで落としてくれた、サービス精神を前作以上に感じさせる内容となった。
いや、このオチ、途中でスカルスガルドが実は、〇〇である、ということを告白し、それまでの彼の、主人公の経験に対する解釈が、なるほど、と納得させられる展開があるため、こういう終わり方が、らしい、というか、むしろ、そうなるべきラストである、ということも納得させられる。
そこには、そのオチが読めた、ということ以上に、トリアー、結構スッキリ直球を投げたじゃん、ということの、なんというか、全くの余計なお世話だが、散々内省的な映画ばっか撮ってきた男に対しての成長、というか、潔さというか、祝鬱脱却、を感じさせる爽快感がある。
各チャプターも直球ばかりで笑えるが、ちょっと残念なのは、主人公の役者が、ゲンズブールに代わるのが、開始30分弱なのだが、そこはストーリーに一応沿って、サディスティック・セクシャル・バイオレントなKに出会って、顔がボコボコになって、ステイシー・マーティンからゲンズブールに交代、という方がずっといいので、そこは残念。
その前の黒人2人のエピソードで言葉はわからないが、もめてる内容が手に取るように分かる(わかっちゃダメかも)演出も楽しい。
快感が得られない、からの、快感への欲求のエスカレート、および話の展開もよくある話で、途中、セックス依存症のセラピーを受けたり、それに挫折し、デフォー演じる事業主のもとで、取り立て屋をやることになったりと、とても「園子温」的展開が進む。
そう、経験を武器にとか、若き女後継者とのレズビアンな関係とか、とことん下世話な低俗的な展開が続く。
彼女の話は、これまでのセクシャル行為の集大成、というか、最も下劣て最低な行為を受けることで、オーガズムを迎え、VOL.1の初めに戻るのだ。
ラスト、助けてくれて、話を聞いてくれたスカルスガルドに対し、ゲンズブールは友情を感じる。
しかし、スカルスガルドは〇〇なのだ。
彼がもう一度部屋に戻ってきた時点で俺は思わずガッツポーズ。
読めた俺も最低だぜ。
しかしこの物語のラストは、こうでないといけない。最高に爽快感を与えてくれるラストに大爆笑必至。
いわゆる、「いいじゃないのぉ、だめよ、だめだめ」
これ、園子温の「愛のむきだし」の男のほうが、〇〇だったら、普通こうだろ、というアナザーストーリー、のよう。
まあ、4時間はさすがに長すぎで、まあ、Vol.2だけでもかなりのボリュームだし、VOL.1は見なくてもよいかもしれないが、我慢した分だけの爽快感はある。
追記1
やはりトリアーの映画なので、キリスト教なやり取りもあるのだが、このへんもこの映画では、園子温っぽくて面白い。
また、顔がボコボコのゲンズブールとスカルスガルドのやり取りは、まるで「エクソシスト」のメリン神父とリーガンのやり取りのよう。
スカルスガルドはメリンを演じたことがある点や、話している内容もスカルスガルドからすると、それは悪魔的な行為であり、神父と悪魔の対決って、現実問題、結末はこうだよね、というパロディにも見えるが、結構意図的なのかもしれない。
また、主人公は、ようやく探し求めていた魂の木を見つける、というシーンがあるが、それはいびつで禍々しいのだが、その絵がこれ、メリンとパズズの像とのご対面シーンそっくりなのは、ワザとだろう。
追記2
パロディ、といえば、「アンチクライスト」のパロディもあるよ。
これも爆笑レベル。
【”この作品は、R40+で良いんじゃない?”それにしても、ラース・フォン・トリアー監督が構築した極北の世界感とシャルロット・ゲンズブールを始めとした俳優陣の頑張りには驚嘆する作品である。】
ー Vol.1のレビューには書かなかったが、今作シリーズの主演であるシャルロット・ゲンズブールは、小学生の時に彼女が15歳だった時に世に出した「魅少女 シャルロット」を聴いて以来ずっと気になっていた歌手であり、その後女優業も始めてから幾つか作品を見て来た。
てなわけで、何でシャルロット・ゲンズブールが、ラース・フォン・トリアー監督の極北の三作品に主演したのか、よく分からないのである。Vol.1では、ジョーをステイシー・マーティンが演じていたが、Vol.2は彼女が様々なセックスシーンに正に体当たりで出演するので、劇場では鑑賞しなかった。(と言うか、興味が無かった。)
”ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ”のジェーン・バーキンとセルジュ・ゲーンズブールの娘だからかなあ。
だが、オジサンになったからではないが、耐性が付いただろうという事で鑑賞した訳である。(言い訳がましいな。)
◆感想<Caution!内容に触れています。&ちょっとおちゃらけています。>
・Vol2も章立てで進むが、
第Ⅵ章の「東方教会と西方教会」は、ジョーが何故にニンフォマニアックになったかが、キリスト教を引き合いに出しながら描かれる所が、ナカナカである。
ジョーが幼かった時に、身体が浮揚する夢を見て、東と西に”女神像”のような人が立っていたという夢を聞いたセリグマン(ステラン・スカルスガルド)は、即座に”それは、ローマ皇帝クラウディウスの妃であるウァレリア・メッサリア(言い伝えで、売春宿で名を変えて、多数の男を相手にしていたとの事)と、大淫婦バビロンである。”と宣うのである。
ラース・フォン・トリアー監督の意図的に可なり屈折したキリスト教感が伺える。
又、嗤えるシーンではジョーが通訳に頼んで、黒人兄弟とセックスするシーンである。二人はセックスしながら喧嘩を始めるのである。この辺りは映画を観ると可笑しい。序に言えばセックスって、客観的に見ると”変な体操みたいだな”とも思う。
あとは、ジョーが子を産んだ後に、欲求不満が募って若きK(ジェイミー・ベル:君はダンサーになったのではないのか!何でそんなにロープ結びが絶妙に上手いんだ!)が中年のご婦人たちにSMプレイをするシーンである。皆、廊下の椅子に殊勝な顔をして座っていて、Kに呼ばれるとイソイソとついて行くのである。ジョーもソファに縛られるが、散々焦らされるのである。ウーム。そして、ジョーはジェロームと離婚するのである。当たり前だ!
・第Ⅶ章「鏡」
地味な章だが、ジョーが殊勝にSEX依存症の会に出席するのだが、最後は切れて”私は、SEX依存症ではない!ニンフォマニアックなんだよ!”と出席している女性達を罵倒して、場を後にするシーンは、絶対にシャルロット・ゲンズブールはスカッとしただろうなあ、と勝手に思うのである。
・第Ⅷ章「銃」
何と、ジョーはL(ウィレム・デフォー)に雇われて、借金取り立てを始めるのだが、ここでの取り立て方が凄い。椅子に縛り付けて男に色んな話をするだが、真面目そうな男が小児性愛者である事をジョーは見抜いて、男に対しイロイロと囁いて、男の股間が反応してしまうシーンも可笑しい。男の性だなあ。
更には少女P(ナント、ミア・ゴスである。ビックリ!)を後継者として育てろと言われて、”仲良くなってしまう”のである。ミア・ゴスは幾つだったのかな。大丈夫だったのか、ヒジョーに気になってしまったぞ。
<そして、Pの所にやって来た年取ったジェロームは、ジョーの処女を奪った時と同じ方法で彼女とセックスし、彼を撃とうとした(けれども、弾は出ず。)ジョーを激しく殴りつけるのである。(で、Vol1の冒頭に戻る。)
最後に、全てのジョーの半生の話を聞いた”童貞”のセリグマンは、”ゆっくり寝なさい”と言いながら部屋を出るのだが、コッソリと戻って来てジョーを犯そうとして、自ら銃の扱いを教えたジョーに撃たれる音が響くのである。
シニカルだなあ。
今作シリーズは、色々な解釈があると思うが、夫々好きに解釈すれば良いんじゃない?と思った壮大なニンフォマニアックの女性の半生を描いた極北の作品なのである。>
今作も余りにも残酷
物語は前作の続きで、冒頭から飛ばしてました。
前作もでしたが、随所にセンスのあるユーモアがありますね。
彼女のエロスの旅は今作から危険を孕んできて、まるで破滅していくかのよう。
その真なる主演ゲンズブールですが、その芝居が凄いです。
流石にミアゴスと並ぶと歳は感じるものの、それでもゲンズブールは相変わらず美しいですね。
そんな彼女の後継者となるミアゴス。彼女とのベッドシーンはとても美しかったです。
また、今までも個性的な人物が多かったのですが、一番キテるのが今作のジェイミーベルでしょう。かなりのサイコな芝居でした
そうして巡り巡ってまた襲ってくる屈辱的な数字3:5。
この「色情狂としての誕生」に絡めてくるのはうまかったです。
そんな旅の最後。
少しそんな感じもしていましたが、今作も余りにも残酷でした。
終わり方がまさしくあれですね。
長くても、vol.1を見たら見なくてはならないvol.2・・・でも、前の見てダメだったら見なければいいし、前ので興奮したならばこれでもイケます。
性器とか性的な事柄が惜しげもなく出てくるので、そのつもりで鑑賞を─。当然エロだと見なす人はいると思いますし、まさにエロ丸出しなのですが、これは決してポルノではないと思います、個人的には─。
映像とか展開や色んな組み合わせといった点では、個人的にはvol.1のほうが面白かったなぁという印象ですが、シャルロット・ゲンスブールの凄さとか、物語の終わらせ方とか、やっぱvol.2も非常に素晴らしいと思いました、色々とぶっ壊されますが─。でも、これこそまさにラース・フォン・トリアーの真骨頂と言えるのでは─。
そして次は待ちに待ったキングダムの帰結です。これまでにないくらいLVTへの期待感。とはいえ、裏切ることも辞さないラース・フォン・トリアー・・・頼むから最も娯楽色の強いこの病院ものだけはと─、ただただ祈るばかりです。
まぁそんな期待や不安も含め、さすがラース・フォン・トリアーといったところなのでしょう。
残りの95%
二作品通して壮大なポルノグラフィティと思うなかれ
エロスの色情のまえに抱く、キリストの色欲の罪
個人評価:3.7
抑えきれない色欲を、4時間半もの時間をかけて紐解いていく。人間の強い感情の一つを、毎作品カタチを変えて描くラース・トリアー。今回は色情狂というテーマを存分に味わう事が出来た。
エロスになぞらえた主人公と、そのエピソードを聞く老紳士。まるでエロスとキリストが話している構図のように見え、最後のエロスの色情の前に、色欲の罪を見せたキリストのメタファーが、本作をさらに邪悪な作品に仕上げている。
自分の樹を見つける事で、強く生きる事ができるという父の教えが、ラストの救いの無い展開の伏線にもなっており、この世は辛く厳しい真冬の中で、あの樹の様に強く立ち続けなければならないと格言めいた印象を与えてくる。
でも好き
舞台は至ってシンプルで、倒れた女が老人に拾われて身の上話をするだけ。いわゆるストーリーで揺さぶる映画ではなく、会話や情景、描写や関係性、皮肉やメタファーで揺さぶるタイプの映画と感じます。
部屋の中のものをヒントに話を進める部分や、時折混ざる老人のキリスト的観点が、大雑把な表現ながら性というテーマを皮肉に彩っていると感じます。
ただ合わせて4時間はレビューするには長すぎますね…
性を扱う映画でこうも不快感のないものは、数少ないと思います。アクション映画さながらの爽快感さえある。映画の色が章ごとに変化していくのは、一貫性がないと捉えられることもあるかもしれませんが、テーマは一貫しているし、その混沌がそれはそれでニンフォらしくて私は好きでした。
いい意味で予想できる鬱展開が続き、ラストも予想できる方は多いでしょう。ですが、予想できた方はそうあって欲しいと考えている方が多くラストとしては相応しいと感じられると思います。
メッセージ性がとか、結局こういう映画だとか、そんなのはどうでもいいと思える作品でした。そういう視点でこの映画を見ると、なんか馬鹿馬鹿しくなります。
でも、私は好きです。
探求の先に待っていたものは?
"ニンフォマニアック" 二部作第2部。
Blu-rayで鑑賞(字幕)。
ニンフォマニアックを自称するひとりの女性の、セクシャリティーを巡る探求と彷徨がついに終着の時を迎えました。
ジョーは常に自分自身の存在とあり方を追求し、セリグマンとのやり取りを通して悟りとも言える境地に達しました。
しかし、彼女の悪夢じみた宿命的な人生は、まだまだ続きそうな感じ。彼女に安らぎの瞬間は訪れるのでしょうか?
ラストはそうなるのではないかなと思っていたので驚きませんでしたが、セリグマンだけは穏やかでいて欲しかった。
ジョーが潜在的に兼ね備えていた、もしくは数々の経験から育て上げ磨き上げて来た魔性が彼にそうさせたのかもなぁ…
[余談]
女性器が瞳に変わる演出、上手いと思いました。
※修正(2023/07/18)
これは彼女の場合
セクシャリティ
見終わった後ひどく考えが揺さぶられた。
彼女はセクシャリティの対象としてしか他人に受け入れられない。初めは彼女自身がそれを望んだとしても、周りも彼女自身ももうセクシャリティを通してしか彼女を見ることができないこれからの彼女の生活を想像すると残酷に感じる。
そもそも彼女に限らず、人はセクシャリティを押し付けられていて、規範から外れた性的嗜好は抑圧を受ける。途中に登場した小児愛者が、自身の性的嗜好を知ることができて苦しむ姿が印象的だった。愛というのは本来祝福される対象であるのに、その矛先が人と違うと非難される。愛することを人生の中心に捉える人が、愛することを許されなければそれはとてもかなしいと感じた。
私が男らしいおか女らしいという表現を嫌いな理由がわかった気がした。
全般に規範というのは社会のためにあるのであって私のためにあるのではない。規範を逸脱することで失うものと、それによって得られるものを秤にかけて行動しようと思う。
ラストのオチが最高
まーフォントリア
まさかの男の悲しい性を見せ付けるラストに爆笑!
色情狂=セックス依存症のジョー(シャルロット・ゲンズブール)が血まみれで倒れているのを救ったセリグマン(ステラン・スカルスガルド)。引き続き、ジョーが話す半生を聞きつつ、トリビア的な雑学、哲学、宗教観など織り交ぜ冷静に分析を始めます。
Vol1で愛を知って不感症になったジョーは、更なる刺激を求めてM女の道に進みます。かなりハード・コアなM女の険しい道です。
話を最後まで聞いたセリグマンは、ジョーは性差別の被害者であって、その抑圧された反抗心で生きて来た。悪くないという。
男性がしたら批判されないことを、"女性だから"批判されたと、フェミニストな発言までする。
けど、私は知っている。
例え自称「無垢な童貞である」初老のセリグマンであっても、男は根っこは同じです。
案の定、本作は男の悲しい性を見せつけるラストになっていて、大爆笑です。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とか「メランコリア」とか「ドッグビル」等を観た後には、思いもしませんでした。まさかトリアーで大爆笑するとは!
男性の根っこは同じだけど、女性は不思議な生き物なんです。
最後のセリグマンの台詞は、観ていた男性全てが思うことかも。
暗転で、気配だけってラストも好みです。
むっちゃ面白かったんですよね-。
やっぱ映画館で観ればよかった!
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