百円の恋のレビュー・感想・評価
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やられた、、、。
崇高で、尊くて、純な映画。 冒頭からはよもや想像だにできない「熱さ」。 鍛えることによって自分が変わっていく、高まっていく過程の素晴らしさ、楽しさを観ている側に喚起させてくれる。ボクシングしたくなる。ストイックに憧れる。 主演の安藤の演技には鳥肌がたった。 ボクシング姿がかっこよすぎる。最後の方のシャドーなんてプロの動き!経験者なのか? このGAPは本当に演じて表現できるものなのか? 冒頭の体掻きながらTVゲームしている人間とはまったくの別人でないか!(冒頭と終盤にTVゲームしているシーンが同じようにある。後姿の肉つきを比較するとおもしろい)短期間の撮影期間で本当にこれだけ変わったのなら、安藤は演技の化け物だ。 元気のない父親の台詞が今の自分の心にささる。 「(自分みたいに)齢くってから、自分に自信がないというのは惨めだからな。」 このヒロインのように何かに正面から挑んでみようと思う。 ※ところどころで最高の音響で入る音楽もよかった。
自信と挫折の繰り返しこそ人生の機微だと謳ってるはずなのになあ
「百円の恋」
果たしてこのタイトルが、この映画の着地点にふさわしいかはちょっと、という気もするが、登場人物は確かにみんな百円。
引きこもりの一子は家の中では堂々と引きこもっている、まさに暴君。でもとっても恐ろしい姉妹喧嘩の果て、家を出ることになるが、待ち受けるは、一子以上に頭がおかしい世界だった。
序盤の家族崩壊と、コンビニのキツイやつら、それに安藤のもう生理的に気持ち悪いルックスに吐き気をもよおすこと必至。しかも画面画面の情報量が、吉田恵輔監督作のように、みっちりとつまっているため、画面からの圧力がすごい。
安藤扮する一子のキモいルックスが、申し訳ないがこっちが本気でパンチ食らわせたくなるほどで、堕ちていく姿に「当たり前じゃ、ボケ」というのと、「ああ、もう見たくない」の両ばさみが結構キツイ。特に動物園デートとかがかなりやばい。
この前半は作り手の良心を疑う、というか、正直、あんまり露骨に描いてほしくないなあ、と思った。現実は夢も希望もない、という代表のコンビニババアの描き方とか、もうちょっとオブラートできなかったものか、とも思う。
この映画、ここからの奮起、となるわけだが、一子のボクシング技術の成長過程と、その性格の変化は確かに気持ちいいものがある。特に一子のダンスにも似た、美しいシャドーボクシングシーンや、初試合の入場までの「自信に満ちた」長回しスローモーションは、感動すら覚える。
しかし、だ。
相手の圧倒的な強さに、その美しさを持ち合わせた動きと満ち満ちた自信はもろくも崩れ去る。開始早々、足はバタバタになり、ガードは下がり、クリンチのみに終始する。
この「強者を目の当たりにしたときの、あっという間の人格の後退と自信の崩壊」こそがこの映画のキモ。
一子は勝ってはいけないのだ。
強者こそ人生、他ならないからだ。
もっと言うと、ワンパンチすら当てることすら出来ないのでいいのだ。
その頑張りは、ダメ元カレのほんのちょっとの前進を促す。それだけでいいのだ。
「悔しい」という一子の思い、「頑張るやつを応援するすることが出来た」彼氏の思い。それが二人にとっての「現時点での幸せ」をかみしめる瞬間だからだ。
ファイトシーンのスローモーションは、バカじゃねえか?と。映画の価値を一気に押し下げる愚行。
ぎりっぎり土壇場で評価は下げざるを得ないのは、うーん。
「悔しい」
追記
コンビニババアとか、神経を病んだ店長とか、32歳の処女への暴行とか、の凄惨なエピソードと、一方の、自分で髪を切るとかのなんだそれ?の演出や、全編にわたっての、しょうもない小ネタとかが、逆に作り手の「自信の表れ」と「自信のなさ」が表裏一体化している、とも見える。
そういう意味では、うーん、人生だなあ、ってちょっと思った。
気持イイくらいダメな娘〜(笑)c
皆さんのレビューの通り後半安藤さくらの身体の切れがとにかく凄い! なのに前半のダメダメ振りがもう気持イイくらいダメ! イラっとするくらいのダメさ。 自分では何も出来なくて何もしないのに強がってばかり。 世間に出ても不器用だし、人の言いなりだし〜。 そんな娘が一転、一気に身体を虐めて行く様子が気持良い。 もうロッキーです!
人は変われるという底力を見た
自立してない抜け殻女が、家を出ていく羽目になり、仕事をして。恋に破れ、仕事の鬱憤と、でボクシングにのめり込んでいく。変わってく様が凄くて、自分も変われるのかなと頑張ってみようかなって思えるような映画。ボクシングしてる姿がかっこよくて真似してしまう、最高に格好悪いのに最高にかっこいい。狩野はあそこまで血だらけでボロボロになるまで戦いはしなかった。そんな姿を見てきっと、心動かされるものがあったんだと思う とにかく安藤サクラさんの演技が凄い。自堕落な演技から、目指すものができたときの変わりよう。
奮起
驚いた。
安藤さんがボクサーだった…。
鬱積とした前半を文字通りぶっ飛ばすかのような後半がとんでもなかった。なんつうか…一子が戦ってるものが前半に詰まってるようで…なのだが、その詰まってたものを凌駕する自我というか、結局は過去の自分をもぶっ飛ばしてるかのような熱を感じてた。
ボクシングに出会うまでの一子は、なんつうか負け犬を地でいくようなキャラで、何より自分を諦めてるかのような感じだった。なのだが、恋に出会ってこんな肥溜めのような生活でも充足感を得られるみたいな事かなと見てたのだけど、そうではなくて…一子は唐突に捨てられる。
その元彼?がボクサーで、ボクシング自体にも惹かれるものがあってジムに通いだしたようなのだけれど、のめり込んでゆく。
初めは憂さ晴らしのような印象だった。
ここまでの下準備がとにかく長いし、魅力的なキャラクターも出てはこない。
前半はとにかく不快なものに埋め尽くされていて、何度か諦めそうになる。
が、それをかろうじて引き留めてくれたのが、やはり安藤さくらさんなのだ。
初恋に直面する一子は健気というか、奥手というか…不器用ながらも、言葉では伝えきれない想いをなんとか伝えようとする空気感とかいじらしいなあと思ってしまう。まぁ、絵に描いたような不幸の只中にはいるのだけれど。
で、時間経過があってボクサーとなる一子に出会うわけなのだけど、別人なのだ。
成長というか、実感というか、目標というか、自信というか…そんなものを体感した人って、こんなに変われるものなかとびっくりする。
またボクシングが担うものも大きくて、戦いだったり、自分の体のみで相手に向かっていく事だったり、鍛錬だったり、人生の縮図を描いてるようにも思えてくる。
そして、シャドーをする安藤さんに恐れ慄く。
どれほどの修練を積んだのだろうか。
素人の俺には、肩から真っ直ぐ伸びるストレートも、角度を決めて繰り出すフックも、ましてやあんなに体に馴染んだアッパーまでやってのけるなんて…体の使い方とか肩の使い方とか流れるようなコンビネーションとか、ボクシングをみっちりやった人にしか見えんのだ。こりゃ主演女優賞に偽りなしだわと納得させられる。
なんせ、前半の一子と目が違ってた。
控室からリングに上がるまでのHSが結構長いのだけど、やはり見てしまえる。
緊張感やら闘志やら不安やら、なんか一杯詰まってたし、ちゃんと試合もしてた。
ダッキングからの左が入った時は、痺れた。
あまりに綺麗なリバーブローだったから、本人じゃないのかもと思った程だ。
勝ったと思ったのだけど、一子は負ける。
まぁそんなに甘くはないかと落胆もするのだけれど、腫れ上がった顔でジャージ姿で会場を跡にする一子は、なんだか憑き物が落ちたような素っ気なさがあって、色んなものを吐き出せたんだなと。そういう心境になれただけでも、リングに上がる価値はあったんだろうなと考えたりする。
でも一子は元彼に泣きながら言う。
「勝ちたかった」
そっかそりゃそうだよね。
本音を言やみんなそうだよね。
人生に殊勲賞はないもんな、と。
そして、ふと思う。
戦ったからこそ勝敗が生まれるのだと。
前半の一子は戦う事をしなかったんだと。
戦わずして負け犬だったのだと。
ちゃんと負けて、悔しいって思える程頑張れたんだなって。
で、まぁ、クズみたいな元彼がまだ一子は嫌いにはなれなようで…そんな彼に寄り添う彼女をどうしようもねえなと思ってみたり、可愛いなと思ってみたり。
彼も改心してくれねえかなあと望んでみたり。
とまぁ、ホントに見るのが辛い前半なのだけれど、後半のちゃんとボクサーだった安藤さんが、帳消しにしてくれた。
見事な役作りだった。
圧巻の演技、よくできた脚本、そして、うまいタイトル
安藤サクラの高い演技力を示す映画。冒頭のだらけきった生活をするところなど、みっともない姿を演じきって、リアルに「ひどい女だな」と思わせる。一方で後半のシャドーボクシングの素早い動きや相手をにらみつける表情なども見事に演じて、「なかなかやるな」と思わせつつ、その変化に違和感がない。1本の映画で幅の広い演技を見せる安藤サクラはさすが。 「恋」という言葉がタイトルに入っているけど、普通の恋愛とはまったく違う。相手を「すてきな人」と感じさせる場面はなく、むしろ突き放すような態度をされる。それでも「近くに居たいという気持ちがある」という関係。それを「こういうこともあるかも」と思わせる、よくできた脚本だと思う。 「百円の」という表現は、安っぽくて価値が低いということだろう。「すてきな人と出会って好きになる」という理想とは違うという意味で、うまいタイトルだと思った。 ずっと負けてばかりで、お金にも苦労し、バカにされることの多い人生だけど、「見返してやる」という反発心はあるというのは共感する。応援したくなるし、ボクシングシーンは力が入る。主人公の周りの人もひと癖ある人ばかりで、感じの悪い場面も描かれる。そういう庶民の出来事を「人生いろいろある。しょうがない」という感じが出ていて「落語のような味わい」も感じた。 「YOLO 百元の恋」という中国版のリメークが封切りされて、その映画評を読んで面白そうと思ったけど、上映している映画館が少なかった。というわけで、先ずは元ネタのこの映画をAmazonのレンタルで見た。
八円の愛はどこに
ずっと気になっていた作品。 Amazonで解禁されていたので視聴。 ◾️映画全体の感想 とんでもなく自堕落な一子が恋をきっかけに、男とボクシングを通じて、自分の「痛さ」と向き合い、決別し、少し大人になる映画。 ストーリー面は、難解な表現はなく、何も考えなくても内容が分かる映画でした。 しかし、一子のちょっとした台詞や涙の意味、100円の持つ意味など、繊細な心理描写があり、邦画っていいなぁて思いました。 一見、一子のサクセスストーリーなのかと思いきや、ボクシングは相手に圧倒されて負けるところが良いと思いました。 そりゃ、そんな簡単には勝てないよなぁ 百円なりの人生だもん、全部は上手くいかない。 恋も人生も諦めていたけど、本気で向き合ったから、「悔しい」、「勝ちたい」の気持ちが生まれて、少し前に進めたのだと思いました。 とりあえず、安藤さくらの体型の変化とボクシングの動きは、俳優としての本気を感じました。 この作品の安藤さくらが1番好きになりました。 ◾️印象的だったシーン 百円ショップで働きクビになり、百円のバナナを買う狩野に恋をして簡単に捨てられる。 取って付けたみたいに見つけた居場所は百円なりの場所ですぐに無くなってしまうように感じました。 一子の言う「百円程度の人生」だから、百円で恋をして、ボクシングに出会い、生き方が変わり、捨て身になって、過去の自分に打ち勝って、人生変えたいと思ったのかなと思いました。 ボクシングに負けて、号泣するシーンは印象的でした。狩野に抱かれた時に流した涙とは違う涙なんだなと。 そしてそこから流れるクリープハイプの「百八円の恋」は最高に鳥肌ものでした。 ◾️ボクシング 一子は、試合中は憎しみあって殴り合いをしていても、試合が終わったらノーサイドで抱き合うところに惹かれ、ボクシングを始める。 序盤で姉と喧嘩する場面の一子のパンチと、終盤のボクシングでの一子のパンチは意味合いは大きく変わる。 映画を観ながら、そんな風に思いました。 ◾️八円の愛はどこに? 本作の主題歌のクリープハイプの「百八円の恋」は最高に良かったです。 こんなに映画を代弁する曲なかなかない笑 歌詞の「百円の恋に八円の愛」とありますが、一子はこれから八円の愛を見つけていくんでしょうか〜〜?
本質的には何も解決していないところが生々しい
一見ダメ人間が努力して真人間になる、という分かりやすい王道的サクセスストーリーだが、全編を通して言えるのは何も解決していないということ。厳密には成長しているし進化しているけど、最後クズ元彼についていってしまうあたり、本質的には何も変わっていない。
年齢的にももうジムは試合を組んでくれないし、後日談があるとすれば、ジム通いもロードワークもやめ、まただらしない体つきに戻った主人公がいそうだ。
そして一度は復縁した元彼にはまた裏切られる未来が想像できる。
主人公と家族の関係は良好になり、元彼は心を入れ替えて真人間になってずっと隣にいて、ストイックにボクシングを続けていつかは試合に勝てる……そんな後日談はおよそありえないだろうという雰囲気が漂っている映画だ。
登場人物も問題アリな人ばかりだし。
個人的には元彼(新井浩文)の人物像が嫌すぎた。根っからの嫌な奴という感じで人間味を感じない。
試合後の主人公の元に現れて、ほんのわずかな優しさを見せた男の腹にボディーブローを食らわすくらいのオチを期待していたが、「そういう映画じゃない」んだなと思った。
なので内容のシンプルさと分かりやすいサクセスストーリーなのに観た後のさわやかさというのはあまり感じられなかった。
撮影期間が分からないが、ブクブクの体型からスタートして贅肉が削げ落ちていく、という経過を見せつける安藤サクラの役者魂はすごいと思った。女性の方が筋肉が付きにくく脂肪が落ちづらいというし。
シュッとしたところから撮影開始して、ブクブク体重を増やして冒頭のシーンを撮るという方法もあるだろうが、それはそれでものすごいプロ根性だと思うし。
なので安藤サクラのすごさを楽しむ以外の見どころはあまりないなと感じた。
女優安藤サクラさんの燃える闘魂
やはり映画は事前情報なしで見るのが最高だ。 作品が伝えたいことが槍のように心に刺さってくるこの感覚は、余計な情報なしだからこそ味わえる。 「痛い」 これがこの作品のテーマだと思う。 何が痛いのか? それは、自分自身の「痛い」ところに向き合わないことだ。 主人公の一子しかり、妹のフミコしかり、狩野も、その他の登場人物たちも自分の「痛い」ところを隠し続けて生きている。 それが特にコンビニ「百円生活」でバイトする特徴ありすぎる人々によって群像化されている。 中でも特質して自分自身の何にも向き合ってこなかった一子だったが、その「痛い」ところをフミコが痛烈に指摘したことで家を出る。 この「痛さ」の裏返しが「怒り」になるのだろう。 しかしこの痛みは衝動的なもので長続きはしない。やる気のなさは変わらないものの、仕方がないのでコンビニのバイトを始める。 しかし このタイトルは少し変わっている。 この百円が、一子の恋物語の道しるべのように設定されている。 コンビニ「百円生活」 お釣りの百円が足らないこと 狩野が買うバナナは一房百円 なぜか買ったバナナを忘れる狩野にそれを届けに行ったとき狩野が落とした百円 そして募金箱に入れる百円 募金には、たった一つできる社会貢献というニュアンスが、この二人にあったのだろう。 そうして、次第に狩野と百円と恋が一子の中で溶け合う。 「百円」に感じる安さ そもそもぶっきらぼうで昭和一桁の九州男児のような口調の狩野は、一子をデートに誘った理由は「断らないだろうと思った」からだそうだ。 狩野は自分の出る試合のチケットを一子に渡す。 このシーンも特徴的で、バナナを10房買うためレジまで持ってくるが、お金を忘れたと言ってチケットを渡し、バナナは持って帰らない。非常識なのか常識があるのかわからない。 このようなギャグを所どころに入れているのでシリアスになりすぎない。 一子は初めて見るボクシングの試合にくぎ付けになる。 「もう今日で終わった」試合に出られる年齢のリミット。虚脱感漂う狩野に見られるのは人生の敗北だろうか? 一緒にいたバイト仲間の野間に暴力を振るったのは、一子の彼氏だと思ったからだろうが、そもそもチケットを2枚用意している理由がわからないが、結果的にその晩一子はレイプされてしまう。 面白いのは、この出来事が彼女に与える影響はほとんどないところだ。そんなものは些細なことなのだろうか? それとも、一子はそこまで底辺にいたのだろうか? 馬鹿なのかギャグなのかシリアスなのかわからない。しかし、それがいい。 一子のトイレのシーンも不思議だ。 この2つのシーンが描いていたのは、一子が「女を捨てた」という言葉に掛かっているのだろうか? また、その後狩野がレジに嘔吐するシーンがあるが、この突拍子もない行為は、狩野の一子に対する思いの裏返しだと思われるが、あまりにも突拍子もない設定に驚くしかない。これもギャグに近い。 すべては狩野の計画だったのは間違いないが、昭和一桁にも勝る恐ろしい男だ。 それなのに、 豆腐屋の女性に簡単に鞍替えする狩野。 安さと儚さ 百円の恋 「どうして帰ってこないの?」 「だれ?」 「妹」 たったこれだけの会話で「百円」の価値が清算された。 そして一子はボクシングにのめりこむ。 「怒り」が彼女を変えてゆく。 この怒りは一子の心を初めて煮えたぎらせた「何か」だった。 狩野と一緒に暮らしているときはぼんやりとしたボクシングも、次第にキレが増し、プロテストに合格し、ついには試合までが組まれるのだ。 後半はまるでスポ根もの。ロッキーの女子バージョン ジムにも「ハングリー/アングリー」と書かれている。 さて、 一子は結果的にはダメだったが、彼女は、試合を見に来たフミコや狩野やその他の人々が自分自身の「痛い」ところと向き合わないことにメスを入れたのではないだろうか。 これこそがこの作品が最も伝えたいことなのだと思った。 担がれるようにリングを後にする一子を観客たちは拍手で送るが、フミコは顔を背けている。それは、一子が自分のすべてを出し切って戦っている姿に、フミコがこれまで思っていたことすべてがひっくり返されたからだろう。姉一子の雄姿を直視できないのだ。 ダウンして立てなかった狩野も、最後まで立った一子のプロ根性に、自分自身のふがいなさを感じ取ったのだろう。 そもそも練習の合間にタバコを吸っている選手などいない。彼自身の向き合い方が中途半端で甘いのだ。 「勝ちたかった。 一度でいいから勝ってみたかった」 嗚咽する一子 本気だから、本気で泣くのだ。本気じゃないから、中途半端に落ち込んでぐずぐずになる。 自分自身に本気で向き合うこと。それが一子の場合ボクシングだった。 一子の心を怒りに変えた「何か」は、一子の恋の本気度だったのだろう。 百円の恋が一度清算され、その価値に対する本気度がボクシングに火をつけた。 「勝ちたかった。 一度でいいから勝ってみたかった」 恋を掴んでみたかった。 一子の闘士と、自分に何が足らなかったのかを理解した狩野。 以前は蔑むように一子を見ていたフミコもまた、自分自身の「痛い」部分に向き合わなければならないと思っただろう。 しかし、さすが大女優の安藤サクラさん。 ボクシング技術も、ダイエットも凄すぎます。 アイドル的女優を捨て本気度マックス女優を採用し始めている邦画がなぜ面白いのか? そんな理由まで見せてくれたような気がした。 最高に面白かった。
人間がしっかり描かれているいい映画
映画の冒頭からラストまでの安藤サクラの変化に驚いた。並大抵の努力じゃない。 でも、安藤サクラだけがいいというわけではなく、ほかの登場人物にも味があり、みんな癖が強いのに、どこかであったことがありそうな人たちだった。 笑えるシーンがたくさんあった。ストーリーも無理がなくて、無理やり良い話にしようとしたりしないのがいい。 見終わったあとも、登場人物たちのことを思い浮かべて、あれからどうなったんだろうと考えてしまう。
格好良い瞬間
一流のカメラワーク、演技、雰囲気。 何においても悔しいと思うことは大事だなと感じた。 安い店に集まる人々が極端だったけど、わかりやすい描写で楽しめた。 類は友を呼ぶ。 主人公(安藤サクラ)が、どんどんカッコ良くなる様子が見ていて楽しい。 ボクシングの魅力は言葉で説明できないということが、とても伝わってくる。 いざとなったら相手を倒せるほどの力は持っていたい。 煙草よりアルコールのほうがどれだけ怖いか見せてくれている。 トイレシーンやレイプシーンなど生々しい印象。 安藤サクラの体を張った迫真の演技に魅せられる。 負けて悔しいと思ったら、格好良い自分になる始まりだ。
中国でリメイクされて記録的なヒットをしている というこの映画を見てみたかった。 中国でのタイトルは「热辣滚烫」(やけどしそう)
動画配信で映画「百円の恋」を見た。 2014年製作/113分/R15+/日本 配給:SPOTTED PRODUCTIONS 劇場公開日:2014年12月20日 安藤サクラ 新井浩文 稲川実代子 早織 宇野祥平 坂田聡 沖田裕樹 吉村界人 伊藤洋三郎 重松収 根岸季衣 中国でリメイクされて記録的なヒットをしている というこの映画を見てみたかった。 中国でのタイトルは「热辣滚烫」(やけどしそう) 一子(安藤サクラ)は弁当屋の娘。 店の手伝いもせずに怠惰な生活をしている。 ちょっと太っている。 妹の名前は二三子。 名前のつけ方のセンスが面白いなと思った。 出戻りの妹と折り合いが悪くなった一子は家を出て一人暮らしを始める。 無職では生きて行けないのでコンビニで働き始めた。 コンビニは百円商品をそろえた店なので 映画タイトルは100円の恋となったと思われる。 この店の店員は皆癖のある人ばかりだった。 毎日ボクシングジムの前を通る一子はボクシングに興味を持った。 ジムに入門し、ぎこちなかったのもだんだんと上手くなっていく。 太っていた一子はすっきりとスマートになった。 試合をやってみたいと思った。 会長に申し出る。 やめておけと鼻で笑われる。 女子ボクシングは32才が年齢の上限らしい。 一子はちょうど32才だった。 プロテストにも一発で合格した 一子に根負けした会長は試合を承諾した。 初戦の相手はメチャメチャ強かった。 一子はこの相手に勝てるのか? ボクシングだけでなく男(新井浩文)とのロマンスもある。 この映画は安藤サクラの代表作と言っても間違いないと思う。 R15+となっているのは安藤サクラの濡れ場があるからです。 満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
自分に価値を感じるために
みんな自分の「ものさし」を持っている。お金を持ってるとか、見た目が良いとか、お年寄りに優しくできるとか、箸の持ち方がキレイとか。 いろんな「ものさし」は、世界と自分をつなぐ架け橋であり、自分の価値を高めるツールでもある。 主人公・一子は、自分の価値を感じられる「ものさし」を持たない女だった。一般的な「女のものさし」はことごとく一子に低評価だ。「可愛く」ない。「若く」ない。「愛されて」ない。 かといって「働いて」ないし、当然「自立して」ないし、まさに「時価百円」くらいの自己評価なのが切ない。 そんな「ものさし」要らねーよ、とばかりに「女捨ててっから」とのたまう一子だが、とうとう「無償の愛」という「ものさし」すら失うことになる。 そんな一子が深夜勤務のアルバイトに就けたのは、当時の店長の「募金をしてくれる人は良い人」という「ものさし」だ。人生はわからない。 ボクシングに打ち込む狩野が気になったのは、はたして一子の中のどの「ものさし」だったのか。 狩野の「ものさし」はわりと明白に「誘っても断らなそう」という身も蓋もないヤツである。 遅すぎた恋に、人生は残酷だ。「若さ」と「可愛さ」で圧倒的に上回る女が現れれば簡単に愛は裏切られる。 愛した男が愛したボクシング。勝敗をかけて殴りあった相手と、互いの価値を認め合う行為。同じ「ものさし」を持つもの同士だけが、認め合える最高の瞬間。その煌めきを追いかけただけなのに。同じ「ものさし」を持ちたいと思っただけなのに。 一子の中で少しずつ「ものさし」が構成されていって、それが一子自身をも変化させる大きな力になっていく。その描写を一人で体現仕切っている安藤サクラは凄い。 誰かから自分を否定的に見られても揺るがない、むしろ前のめりにボクシングに打ち込んでいく様は「私の価値はこれだ!」という叫びにも思える。 一子以外の人物も様々な「ものさし」で劇中に登場するが、本来一番一般的でマトモな「ものさし」を持っているはずの新店長が「嫌なヤツ」に見えてしまうから不思議だ。 私も一子の熱に浮かされていたのかもしれない。 自分の価値を賭けた大勝負は、さながら女版「ロッキー」とも言える。「ロッキー」が証明したかったのはエイドリアンに相応しいかどうかだったのに対して、「百円の恋」は恋よりも彼女自身に重きを置いてるのが、タイトルと違っていて面白い。 自分の設定した「ものさし」で、自分の価値が低いのはカッコ悪いかもしれない。でも「ものさし」すら持てないのはもっとカッコ悪い。 百円が百十円になったくらいでも良いじゃない。 そこに自分への自信があれば。
女に出来ないことはない
武正晴監督の作品で一番好きな映画だ。主演の安藤サクラが時系列通りに太ってから身体を絞っていったそうで、役にかける気概が違う。
ラブシーンで、イチコがユウジの要求に応えるシーンがなんとも鈍臭くていい。日常生活でのソレは、キラキラした映画やドラマのようには上手くいかないものだと思う。両方が納得?満足?のいく性行為なんて、意外と少ないのかもしれないと思った。
ボクシングシーンが本気でスカッとする。音楽がいいタイミングでかかるから更に高揚感が溢れてくる。
何もかも忘れたい時には、この映画がおすすめです。
作品に関係ないのだけれど、安藤サクラのお姉さん安藤桃子監督が作った映画館【キネマミュージアム】が、高知市の映画館の中に入ってないから早く入れてほしいです。よろしくお願い致します。
どんどん鍛えられていく安藤サクラがすごい
社会的地位の低い女性のパートが、あまりにも貧乏のそれで辛い。取り巻く人間もクズ。新井浩文がモテるヒモ男を演じているのが生々しい。
ボクシングを通じてだらしないからだがどんどん引き締まっていく過程がかっこいい。
最後大泣きする安藤サクラを連れて歩く新井浩文の画が映り、なんとなくかわいらしさを感じて終わるのもとても良かった。
これが痛みってやつか
思っていた以上に嫌悪感の強いシーンが多い。(いい意味で) グータラ女が生半可にボクシングを始める映画ではなかった。ちゃんとしてる。 意地汚い、生きづらそうないい大人がたくさん登場するから 見るに堪えないシーンが結構ある(マジでいい意味で) 共感性羞恥がある人は結構キツイかもしれない。 よく自傷行為をする人が”生きてる感じがする”と言うけど、 痛みって現実に引き戻してくれる感覚の一つだから ”ボクシング”と言う競技は人生の節目にふさわしいなと思った。 安藤サクラ、新井浩文の無機質そうで鋭い目つきのおかげで 沈黙の多いシーンもまるで会話を交わしているようで目が離せなかった。
感想
女性不利的な弱い立場の人間が、怒りや葛藤を超えてリベンジをするストーリーに熱くなった。 個人的にハラハラしたのは、レイプされるシーンとされる前のあたり。 私的にはかなりベストに近いもの。 私がやりたいものに近いのかもしれない。 ドラゴンタトゥーなどもそうだが、女性差別の男性有利の社会の中で反骨的に、強い女性になっていくキャラクターにかなり共感を覚える。 原作者がすごいのか、脚本家がすごいのか。どちらもすごいのだろうが。 この胸に残るモヤモヤはなんなのだろう。 切ないような、気持ちがいいような、人間模様。 私が思う、本質的な人間の本性、自分の中の悪との戦いは、この映画の主人公にはあまり含まれていない。 だからこそ、このモヤモヤの正体がきになる。 ただ、彼女が絶対にずっと葛藤していたのかと言われると違う。葛藤する場面が所々に点在しているだけで、彼女の性格的にただのんびり暮らしている。 葛藤を描くべきだが、葛藤を全体に散りばめる必要はないのか? 悪、ではないが、本性、ではあるのか?強くなりたい。負けたくない。女だからって、男だからって、搾取される側にいたくないというのは本性?でも隠して生きてきたわけじゃない。しかし、外に出なかった感情。 そうか、今まで隠しているわけでもなく、気づいているわけでもないけど、外に出てこなかった、あるいは出さなかった「生の感情」の発生が僕の頭の中のモヤモヤの正体なのかもしれない。 それは、怒りなのか、愛なのか、喜びなのか、悲しみなのか、どんな感情であれ、その人物に眠っているまだ見ぬ感情がどこかにある。 ソーシャルネットワークで言えば、マークの「ビジネスで成功したいという自己承認欲求」が、会社を膨らませることになったが、ただ1人の親友を失うことになる。 Zガンダムでいえば、カミーユの「父親と母親に認められたい」という気持ちが、ガンダムに乗って戦争に参加するきっかけになった。 ドラゴンタトゥーで言えば、女の「ダニエルクレイグに対する恋心」が、最後のシーンにつながる。 しかしまだ断定はできない。 これからも映画を見続け、私がどんな映画が好きで、どんな映画を作りたいのか研究していくことにする。
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