悼む人のレビュー・感想・評価
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とにかく泣きました!! 身近な誰かを亡くした経験をもつ方には是非観...
とにかく泣きました!!
身近な誰かを亡くした経験をもつ方には是非観て貰いたいです。
『あの時ああしていれば、もっとああしておけば良かった。』
大事な誰かを亡くしてから気付くこと、後悔。
私も静人と同じで悼み方を探していたのかもしれません。
やり場のなかったそうゆう気持ちをこの作品を観たことで少し軽くしてもらえた気がします。
本当に観て良かった作品です!
重い作品
原作を読んでからの観賞。
原作は文庫本で2巻なので、省略するのは致し方ないが、静人の悼みのポーズを由来の部分が欠けていたのには疑問が残る。
個人的には、雑誌記者の心の変化をもう少し描けていれば満点。
しかし、原作を読んでいなくても原作の重いテーマは十分に伝わるのではないかと思う。
この映画を、もっと若い人たちにも観てほしいが、私が観たときは残念ながら高齢の方が多かった。
いろんな想いの詰まった作品。
以前から気になってましたので、ムビチケを買って観てきました。
公開二日目ですが、あまりお客さん入ってなかったですけど。
素晴らしい作品でした。
多分、この映画はホントに観る人によってかなり左右される作品だと思います。
実際に、僕も「静人くん」のように大事な友達を失いました。
自分自身が「その死」を忘れてた事への気持ち。
多分・・原作ではもう少し丁寧に描かれてるのかもしれませんが
「心」にそういった抜けないトゲが刺さる時って、やはり
思いがけず・・いきなり刺さってしまいます。
その心の傷との対峙方法がわかればいいのですけど・・
耐えられない場合もあるので・・彼はきっと「悼む」ことで。。
「傷む」ことを続けてるんだと思いました。
この状況には・・実際に陥らないと「理解」は難しいのかもしれません。。
「感情的」な部分と、「論理的」な部分をうまくミックスしつつ
その背景には「スピリチュアル」な部分さえも垣間見えます。
なので・・「感情的」にだけ見ても理解できない部分は多々あると思いますし。。
「論理的思考」だけでは、「感情的思考」にかんして、論理が破綻してしまう。。
この映画は、その時の気持ち、状況などでくるくると見え方が変わる。。まさに「なまもの」のような映画だと思いました。
確かに、最初の方は「悼む人」の行為に懐疑的な感じで。。
「思ってた以上にヘンテコ」と思ったのですけど。。
僕は、見ていくうちに引き込まれていき。。中盤以降は涙が止まらなかったです。
役者さんが職人みたいな人が多いので、演技合戦も凄いです。
沢山の人が死んでしまう。。そんな事が、僕の人生の中で何度か経験させられました。。
その都度、人の死は「数字」に置き換えられてきました。
でも、確かに・・そこに生きてたという事を僕は忘れない。
その気持ちは、すごく「痛いほど」に刺さりました。
なので・・誰も「その死」を悼んでくれなくても。。
せめて、「悼む人」が代わりに悼んでくれると思うだけで、心が軽くなったりするのかもしれません。
僕は、そういった意味も含めて久しぶりに10年に1本の作品だなと感じました。
難しくて整理できない
どう解釈したらいいのか悩むー。
もっと深く相手を理解した上で悼んでいるのかと思いきやそんなことはなく。誰しも悼まれる価値のある人間って事を伝えたいのか?いや、悼むって事はそんなに深いことではなく、相手を想い覚えておくことなの?んー。整理できない。。
最後も母親のところに帰って、看取るなりするのかと思ったらそんなことも無く。
スッキリしないわー。
共感出来ない
原作は読んでいません。
作中の台詞にもあったが勝手な想像で故人を悼んでもそれは自己満足に過ぎないと感じる。
主人公の考えは矛盾だらけで、良くある自分探しとかいう逃げている人の訳のわからない言い訳と何ら変わらない。
そう感じる人が多々いるであろうことへの言い訳の様に、最後の最後で少し人間らしくはなったが、そこからの展開はなく、かえってわかり難く曖昧な仕上がりになっている様にも感じる。
現実に生きている人々や生きてるいる自分に向き合い今を大切に生きているとは感じられない主人公に共感は出来なかった。
消化が追い付かないほど過密な生死のドラマ
死んだ人間を “悼む” 為に全国を行脚する青年と
それを取り巻く人々の姿を描いたドラマ。
原作は直木賞受賞作だそうですが未読。
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人の生死を巡るドラマということで
会場ではあちこちですすり泣きが聞こえていたが、
残念ながら僕個人は涙を流すことはほとんどできなかった。
理由は、登場人物達にうまく感情移入できなかったから。
どの人物も、それぞれの価値観を論理として理解はできるが、
あまりに極端というか突き抜けているというか作劇的というか。
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まず主人公・静人の行動に、完全には納得がいかない。
死者の背景をよく調べもせず “悼む” ことについての解は
示されていないし、同行する奈儀との旅に喜びを感じてしまった後や、
自身の母親の死期が近いと知った後などには、
彼はもう少し混乱を見せて然るべきだったと思う。
そもそも彼は誰の為に“悼む”のか?
死者を忘れる自分に我慢がならない故の行動であれば、
その行動は結局のところ自己満足に過ぎないのではないか?
純粋に死者を想っての行為だと感じられれば良かったが、
僕が本作を観て最終的に抱いた印象は前者の方が強かった。
“悼む”という日常で聞き慣れない表現を見ず知らずの
人間にも貫く部分や儀式めいた所作もその一因だ。
人間の行動は不合理で、静人自身もまだ道を定めきれて
いないのだろうとは思うが、他者に対する情感が彼からは
あまり感じられず、非常に共感しづらかった。
記者・蒔野も、あのバーで何故怒りを見せなかったのか?
母を不憫に思う彼が、身勝手な父親の生き方に賛同する
者達があれだけいる空間に耐えられた心境が解せない。
その後の「覚えられるような生き方をするんだ」という
叫びには心を動かされたが、
序盤でも売春をしていた少女が蒔野の予想に反して
恋人と友人に囲まれていた=人の記憶に残っていた事で、
上記の発言との繋がりは今ひとつになってしまう。
ただ、孤独の内に死んだ母親と彼との関係を軸に考えれば
そこもなんとなく理解できなくもないが……
(静人の母を再訪するシーンは良かった)
今はかなりぼんやりとした理解にとどまっている。
また、相変わらず圧巻の演技を見せる大竹しのぶの、
最後に見せる穏やかな表情にはじぃんと来たものの、
・死んだ者達とそれに想いを寄せる者達を描いてきた物語が最後、
新しく生まれる命と死に行く命をどう対比させようとしているのか?
・祖父が死んだ海と自分の家とが交互に彼女の頭の中を巡った理由は?
・最後に現れた静人は彼女が最期に見た幻だったのか?
などの疑問がいちどきに頭を巡ってしまって過負荷状態。
考えが纏まり切らない内に終幕となってしまった。
(奈儀とその夫についても書こうと思ったが
もっと考えるのが面倒そうなのでやめておく。
少なくとも結論は同じく「共感しづらかった」である)
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「話の整理が甘い」とかそういう批判を述べてはいない。
それを判断出来るほど僕は内容を噛み砕けていない。
登場人物一人一人の抱えるバックグラウンドが複雑過ぎて、
しかも彼らの心情も劇中で変化していく訳なので、
物語を追いながら彼らの感情を自分の中で消化していくのは、
僕の脳ミソにはかなり高難易度の思考作業だった。
良く言えば濃密だし、悪く言えば詰め込み過ぎ。
二度三度と観ればまだ理解出来る余地がありそうだが……
繰り返し観たいと思うほどには本作に惹かれてもいない自分。
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それでもこの映画には考えさせられる部分も多い。
他者の中に記憶として刻まれることが生なのか、
ならば忘れ去られることこそが死なのか。いや、
他者を愛していれば、例え己が記憶されなくとも
生きていると言えるのか。記憶されたいという想いは
自分が生き続けたいが故のエゴなのか。
ぐるぐるぐるぐる。
まあもっとシンプルに共感できる部分があるとすれば、
それはやはり静人の行為自体の中にあるだろうか。
僕は今のところ死んだ事が無いので
死後の世界があるかどうかは知らないが――
もしも僕が死人なら、見ず知らずの人間でも「あなたの
事を覚えておく」と言ってもらえることはたぶん嬉しい。
多くの人間の事を一生記憶できるとは到底思えないし、
僕がどんな事情で死ぬかも今のところ分からないので
「分かったような口利きやがって」とは言うかもだが、
それでも労いの茶のひとつぐらいは出したい気分になると思う 。たぶん。
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以上。
未だに解せない部分は多々あるものの、描こうとしている
テーマは大きいし、作り手の気合いは伝わる。
人の生き死にについて少し考える、そのきっかけにはなる映画。
<2015.02.14鑑賞>
深く重い作品
予告編を見た感じ重い映画かなと思い気になり観に行きました。
死、悼む、愛
そういった言葉で説明しきれないことをテーマにしてる作品で私には全て理解しきれてませんが、
人間だからこそ亡くなった方に悼むことができる
その"悼む"ことは人それぞれ形や思いは違うかもしれない
でも亡くなった方を忘れずに大切に思うことは共通してると思います。
悼むためには故人を知らなければならない
高良健吾が演じる坂築静人は不慮の死を遂げた見知らぬ人々を悼みながら旅をする不思議な人物である。見知らぬ人の死を悼むとはどのようなことなのだろうか?見知らぬ人から自分の、或いは身内の死を悼まれたらどう思うだろうか?そのようなことを言葉少ないながらも問いかけてくる。
故人が亡くなった場所へ赴き、どのような人であったかを知り、そしてその人のことを心に刻んでいく。一般的には理解しがたい行動であるが、孤独死や無縁死といった言葉を耳にする昨今、このような奇特な人物を描くことは必要なのかもしれない。
ただ、残念なことに彼が悼んでいる人がどのような人物であったのかが見えづらい。いじめによる死、事故による死、歪んだ愛情故に起こった死…、掘り下げられるエピソードもあるが、それは彼が悼んだ中のほんの一握りにすぎない。良く捉えればそれだけこの世に不慮の死が多いということを暗示しているが、掘り下げない人の死については彼の自己満足のためにいたずらに扱ってしまっているとも捉えかねない。
あえて多義的に捉えられる描き方をしたのかもしれないが、悼むという行為は故人がどのような人物であったのかを知り得てこそ行えるものではないだろうか。彼の悼むという行為が故人や遺族の心の支えとなり、癒しとなり、時には感情を逆撫でながらも静人自身の生き方と向き合うこととして描かれていれば、より生死感を考えさせる深い作品に仕上がっただろう。
観客に委ねすぎ
『悼む人』を鑑賞。
天童荒太の直木賞受賞作である同名小説の映画化。監督は堤幸彦。
何らかの事情でこの世を去った人を悼む旅を続ける坂築静人(高良健吾)は、故人が誰に愛され愛したかを訪ねながら悼んでゆく。
さて、鑑賞しての第一印象は観る者に委ねているなという点。
生死とはどういう事か、悼むとはどういう事なのか。この作品のテーマには明確な答えがあるわけではない。
作品の中では様々な事情を抱えた登場人物達によるそれぞれの生死に関わるエピソードが描かれているが、明確に「悼む」という事に対する理解や理念が語られる事はない。
静人が行う悼みの所作は常に同じだし、死者を差別することもない。その行いには一切の感情が込められておらず、その故人が生きていたという事実を胸に刻み込むのだという。
要は非常にわかりにくいのだ。
深読みすれば非常に奥深く感じる事も出来るし、見方によっては静人の行いは最後まで理解できず滑稽にさえ映る。
観客への投げかけと言えば聞こえは良いが、少し委ねすぎではないか。
テーマが非常に深いだけにもう少しこの作品からの解に近いものを提示し観客に問題提起すれば、観終わった後により深く考えさせられたのではないだろうか。
また、共感しにくい登場人物が多い事も全体的にわかりにくくさせる要因となっている。
雰囲気や役者の演技が良かっただけに実に惜しいと感じる作品であった。
追悼は不滅である。
おざなりに思える脇の人物が多すぎて坂築静人(演:高良健吾)&奈儀倖世(演:石田ゆり子)の悲哀が際立っていない側面はあるものの、愛を求め、上辺の欲望に走り、商売を優先してゆく人間の様々な姿を通して執着の濃度で人生は成り立っているのだなと気付く生と死のドラマは淡い光となって心に降り注ぐ。
その余韻をただ噛みしめる映画。
静謐で感情豊かな空気感が味わい深い。
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