このドキュメンタリー発見した時、飛び上がって喜んだ。デュアン・オールマン(Howard Duane Allman、1946年11月20日 − 1971年10月29日)をもっと知ることができると思った。私はデュアン・オールマンのアルバムに度肝を抜かれたのを今でも覚えている。その後、時あるごとにデュアン・オールマンを紐解いていたが、ロックに興味を失っていた時期が長かった。
でも、Song of the South: Duane Allman and the Birth of the Allman Brothers Band(原題)(2013年製作の映画)のドキュメンタリーを観てから、問題解決したいことがいくつかあった。この映画に答えがある。
1)どういう経緯で、ウィルソン・ピケットとヘイ・ジュードを演奏したのか?
2)なぜ、FAME レコードに長くいなかった?
このドキュメンタリーはアラバマ州のマッスル・ショールズというところにあるレコーディングスタジオ、スタジオ・バンド、リック・ホールの遺産を描いた映画だ。リック・ホールはフリーダム・ヒルズという山中のトイレもない、風呂もないようなところで野生的に育ち、弟(?)を亡くし、そのため親は離婚し、その後、結婚して奥さんを交通事故で亡くしたという悲劇の主人公のような人だ。彼はI want to be somebody.と言って平凡な人生を歩みたくなかったようだ。がれが フェイム・レコーディング・スタジオを創立したわけだ。
まず、ジミー・ヒューズ Jimmy Hughes - "Steal Away" (1964) で、マッスル・ショールズ・サウンドを構築した。その後、1966年にパーシー・スレッジPercy Sledge「男が女を愛する時」を。
興味のあったことは トム・ヘンドリックがおばあさんの話をしたところだ。アンドリュージャクソン大統領の時代から5つの先住民は自分達の土地を失ってマスコギーという領域に集められたと。
トムのおばあさんはネイティブ・アメリカンのユーチ人でマスコギーは歌も、ダンスも、行事もなく、そこを抜けて5年かけてアラバマに戻ってきたと。(トムとこのスタジオとの関係を忘れた!!)
Arther Alexandar," You Better Move on" ミックジャガーが歌った。
リックはアトランティックレコードのジェリー・ワックスラーとのコネができる。
アラバマ州知事のウォーレスが黒人はユニバーシティ オブ アラバマに入れないよと。白人と黒人の分離は永遠にと。
クレアレンス・カーターがこの時代には白人にはMr. Robert というが、このスタジオではロバートと名前だけで呼べて、南部でも音楽の世界は人種差別されないと。
ジェリーが ウイルソン・ピケットを連れて行っていいとリックに聞く。ウイルソンはアラバマのこの土地でまだ綿畑で黒人が綿を積んでいることに驚いているようだとリック。ジェリーとの仕事で、レコーディングバンドの緊張感はかなりだったようだ。ドラマーのロジャーはウイルソンにもジェリーにも才能をすぐ認められたようだ。ジェリーはドラマばかりでなく、このリズムセクションに驚嘆したようだった。
リックはジェリーの右腕になった。
W.C ハンディーWilliam Christopher Handy (November 16, 1873 – March 28, 1958) が初めて楽譜が読めて作曲ができ、音楽家でもあり、 Father of the Blues と言われたと。
ここからが知りたいこと:
デュアン・オールマンは ギクがしたくて自ずからマッスル・ショールズにきたと。アワーグラスとの契約もまだあったこともあるが、彼って、あちこちの音楽家とギグをするんだよ。オールマンブラザーズバンドのコンサートを休んでもね。だから、かなりのギグをYouTube で聞けるから嬉しいんだけど。当時アラバマでは黒人とギグするのにも気を使った時代だが、長髪でヒッピーのような格好はもっと抵抗があったと。
デュアン・オールマンは誰もが認めるトップクラスのキタリストだ。スライド・ギター。ジェシー・デイビスのスライドギターを聞いて、鎮静剤の瓶のラベルを剥がして、フィンガーボードをこの薬の瓶で抑えてスライド・ギターの真似をしたんだね。弟のグレッグはまだそれを持ってるって言ってたね。
ウイルソン・ピケットとヘイ・ジュードをやろうって言ったのはデュアン・オールマンだったんだね。この二人の組み合わせは黒人・長髪のヒッピーで当時はちょっと???そのため、後ろで控えていたとか言ってたね。
D: Why don' t you cut Hey Jude?
W+R: Are you crazy! We're gonna cover the Beatles!
D: Exactly!!
世界が変わったよ!
デュアン・オールマンの写真は(魚釣り、テネシー川で)マッスル・ショールズでの写真だったんだねえ。 そして、マッスル・ショールズのキャビンに住んでいて、ジェイモー(ドラマー)にあってでオールマンブラザーズの基本(ジェイモー、ベーリー、)が誕生したんだね。
リック曰く、デュアン・オールマンたちはレコーディング・スタジオに寝泊まりし、ゴロゴロしてたと。リックの完全主義の性格から考えても、クリエイティブでスポンテニアスなデュアン・オールマンはマッチしないよね。だから、フィル・ウィルデン(キャプリーコーンレコード)に移り、 大ヒットをだしたんだよ。信じてなかったって言ってたね。
リックの逃した魚は大きかったねえ。
このドキュメンタリーは稀な秀作である。その理由は Clarence Carter - Patchesの歌う歌でもわかるような生活をリックはしたわけだ。
それが、アラバマのリックの貧困よく描写している。そして、美しい大自然、沼地(Swamp)、沼に聳える林、平地に流れるテネシー、でも、川の流れが止まっているように見えて、どっちに流れていくかわからない。これが、現状維持しかできないマッスル・ショールズ。でも、リック、ロジャー、ジミー、デイビットたちはマッスル・ショールズの音楽の根源になっていった。リックの家庭生活環境だけでなく、貧しさから起こる学校での差別。父親から学んだベストを尽くすことが完全主義的に移行し、人と相容れにくい性格。だから、去っていく人々、ジェリー、スワンパーズ(ロジャー、デビット、ジミー)。最後の和解でリックは救われらだろうと思う。 ドキュメンタリーを歴史としてだけでなく、アラバマの大自然を満喫させながら、感情的にも鼓舞を与える作品。
I was born and raised down in Alabama
On a farm way back up in the woods
I was so ragged that folks used to call me Patches
Papa used to tease me about it
'Cause deep down inside he was hurt
'Cause he'd done all he could
Rick Hall & the Swampers:
Roger Hawkins, ドラマー
Jimmy Johnson, ギタリスト
David Hood ベース