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原発さえなければ、、、、残ったみなさんは原発に負けないで頑張ってください。」これが、菅野重清さんが、自分の首に縄をかける前に残した言葉だ。幼い二人の子供を残して逝ってしまった。酪農家は草を刈り、束ねて干して牛に食べさせる。そうして束ねた草を足場にして重清さんは首をつって逝ってしまった。どんなに無念だったことだろう。
酪農家にとって子供のころから育ててきた牛は宝だ。原発から30キロ離れた福島県飯館市は、事故翌日の風向きと雨に運ばれてきた放射能のせいで、原発直下よりも強い放射能をあびた。生活の糧である牛を処分して避難しなければならなかった酪農家達にとって、牛乳出荷停止と強制避難勧告は、何世代も重ねてきた故郷を捨て、収入減を失い、酪農家としての誇りを捨て、一家離散をさせることだった。断腸の思いだったろう。胸の痛みを絞り出すようにして書かれた言葉、「原発さえなければ、、、」原発さえなければ、原発さえなければ。
原発さえなければ自然災害で失われたものは再生される。しかし原発による被害は回復も再生も再興もない。
このドキュメンタリーフイルムは2011年3月12日に原発事故取材に訪れた二人の写真報道家が現場に腰を据え、2013年4月までの3年間を映した作品。原発から30キロ離れた福島県飯館村に住む方々の生活を写し取ったもの。飯館村は事故の翌日の風と雨によって最も強い放射能汚染を記録し、酪農家たちは出荷停止のよって生業を失い、計画避難地域指定によって故郷を捨て、急設された仮設住宅に移らなければなあらなくなった。一頭一頭名前のついた牛たちを屠殺場に見送る酪農家人々の姿に涙しない人はいないだろう。
村に住むたくさんの人々が出てくる。自給自足の生活を求めて近代的酪農を大学で学び、スイスに2年留学して技術を習得してきた日出代さんの牛舎を掃除する力強さ、たくましい腕に圧倒される。
10年前に放牧できる酪農をやりたくて、飯館村に移住してきた一正さんの淡々とした語り口と、それのそぐわない奥に秘めた熱い思いにたじろがされる。一番自殺しそうにない奴にやられちゃったなあ、、、と笑って言えるこの人の強さと慟哭に胸がきりきり痛む。
飯館村前田区長の長谷川さんの息子さんの義崇さんは、事故当時奥さんが二番目の赤ちゃんを妊娠したばかりだったので、赤ちゃんが生まれるまで心配だったという。この家族の何と、さわやかな笑顔を見せてくれることか。
仮設住宅に戻るのが嫌で、一時帰宅を許されたとき旧家で灯油を浴びて自殺された、はまこさん。亡くなる前の晩に布団の中で夫の手を握りしめていたという。
ひとりひとりの毎日が悲しくて、痛ましくて、本当にみているのがつらいフイルムだ。俳優の中村敦夫が、この映画は見る映画ではなくて、体験する映画だ、と言っていたというが、まさにこれらの家族の中に自分が入っていて一緒にいるような気がする。ドキュメンタリーフイルムの目線で見る人は映画を体験しているのだ。
3時間45分のドキュメンタリーフイルム。技術的に、ニュースをまとめるように、手際よくもっと短くすることもできただろう。でも口数少ない男たちの口から出てくる本当の肉声を聞くためには、じっくり収録しなければ本物をとらえることができない。カメラが口の重い男が涙を抑え、歎きや,愚痴や、怒号や、責任追及や、訴えやアジテーションしたくなるのをぐっと押さえて飲み込んで、マイクに向かってひとこと「、残念ですね」と言うロングショットのシーンは、正に迫力を超えた真実が映されている。
任キョンアさんのチェロが素晴らしい。チェロをバックに被災地が次々と映し出される。春の満開の桜、タンポポ、藁ぶき屋根の大きな農家、かなたの山々、どこまで行っても緑の平和な光景。つぶれるような胸の痛みが、チェロの透明な音に還元されて、共鳴していく。
病弱なオットはふだん2時間と腰かけていることができないが、この長時間のフイルムを身動きもせっずにずっと見入っていた。本当に良いフイルムを見たと感動してカンパをしていた。自分がかつて、2千頭の羊を飼うファーマーだったから、農民の気持ちに共感できたといっていた。
18年前に初めてオットと会ったころ、私は、日本には45機の原子力発電所がある。(当時)。小さな島国で大きな人口を持つ国が原発をもっては、必ず大きな事故に見舞われる。原発を使ってまで工業生産に頼るような国から、オーストラリアの農業に基盤を置いた国で、子供たちを育てたい。と言った。限りないウランを抱えながら、自国では医療用の放射物質を作る施設しか持たないオーストラリアに好感を持った。オーストラリアはアジアの一部ですと公言する当時の首相ポール キーテイングをなかなか悪くない奴だと思っていた。あれから18年など、あっという間に過ぎてしまった。
そして、事故が起きた。東日本大震災によって起きた福島原発事故は天災ではなく人災だ。刑事犯罪として責任が追及されて処罰と損害賠償が行われなければならない。と、誰もが考えるが、電力会社が刑事責任を負わないですんでいる国、3年半経って仮設住宅に住まざるを得ない人々、24万人の人々はまだ避難中という国、自殺者を日々生み出している国、何千何万トンという放射能汚染水を太平洋に垂れ流している国、除染した汚染土をビニールで囲って放置している国。 わたしたちは何のために長い間、黙々とこんな国に税金を払い続けてきたのか。
もっと怒るために、このフイルムを見たかった。怒りを日本に居て怒っている人々と共鳴するために、このフイルムを見たいと思っていた。怒りをオーストラリアのウラン採掘を止めさせるエネルギーに足したくてこのフイルムを見たかった。
このフイルムを、何度も何度も繰り返し見たいし、もっともっとたくさんの人たちと観ることによって、日本で見ている人たちと、つながりたい。
この素晴らしいフイルムを海外で初めて、シドニーで上映会を開催してくださった和田元宏さん、ありがとうございました。見る機会を作ってくださって、心から感謝しています。