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この物語はマルコが好んだハッピーエンドではない。正義が勝つ話でもない。結局差別がなくなる訳でもなく、どうしようもない世界は続いていく
ここで重要なのはマルコを殺したのは誰か?という話だ
この映画を観たら、「母親」だと答える人もいるだろうし、差別主義者の「判事」や「裁判に関わった人」だと答えるかも知れない。母親と司法取引をした男かも分からない
でも俺はマルコを殺したのは他でもなく、ルディとポールではないかと思った
月曜から夜ふかしで、独り身の女性が出演した時、誰かとご飯を食べたいと言ってスタッフが招かれて料理を作り振舞った。女性は誰かとご飯を食べれた事が嬉しく、美談のような形で終わった
けれどマツコは女性に「人とご飯を食べる喜び」を教えたのは本当に正しいことだったのか、と言った。スタッフの行動は本当に善だったのか、と。女性に笑顔を与えたのは確かだが、その女性の孤独をより濃くしたのもまた事実だ
マルコはルディとポールという暖かい存在を知らなければ、愛のない冷たい部屋で生きていけたかもしれない。それはただ息をするだけの「生きてるフリ」に他ならなかったかもしれないが、それでも死ぬことはなかっただろう。家庭丁の保護下にあるか、出所した母親のネグレクトに近い形でかろうじて生きていくことは出来たはずだ
最後マルコは「家に戻ろう」として死んだ。家とはまさに母親の家ではなく、ルディとポールの家だ
ルディとポールがマルコに愛を与えなければ、その存在を知られなければ、マルコは生きていけたかもしれない
愛を知ってその温かさを求め死ぬか、愛を知らずにただ息をするだけで長く生きるか。そのどちらがいいかは分からない。マルコはそのどちらがいいかを考える知能もなかっただろう
ルディとポールはただ善意と愛でマルコに愛を与えた。その結果がマルコの死だとして、その二人の行動が間違っていたとは言えない。差別がなければマルコは二人の元で笑顔で暮らす未来を掴めていたはずだ。だから悪いのは差別そのものなのかも知れない
けれどこれはポールの言葉の「解」になっている。ポールは理想を捨て現実に生きていた。そしてルディに触発され、正義と理想に立ち向かった
ポールはこれは差別ではなく事実だ、と言った。差別される世界を消すことはできないし、その「構造」の中でどう生きるかという問題でしかない。これはある種で諦念のように思えるかもしれないが、差別のある世界での生き方への解として結果的に正しかったものなのかもしれない
それが間違いだと思い、ポールは立ち向かった。その結果としてマルコを死なせたのだとしたら、やはりこの世界に正義はないのかもしれない
それでも、そのただの幻想に過ぎない理想の為に命を削ること。それを人は「生きる」と呼ぶのではないのだろうか