劇場公開日 2014年6月21日

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私の、息子 : 映画評論・批評

2014年6月17日更新

2014年6月21日よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショー

“歪んだ母性愛”の奥底に迫った壮絶な心理劇

本来“母もの”とは、母親の我が子に対する無償の愛を謳い上げる万人向けのメロドラマである。しかし強烈な母性愛なるものは、ひとたび何かの弾みで屈折すると常人の理解を超え、狂気さえみなぎらせることもある。韓国映画「母なる証明」「嘆きのピエタ」のような異形の母もの映画がその一例だ。

このルーマニア映画の裕福な主人公コルネリアは息子を溺愛しており、彼と暮らす恋人の存在が気に食わない。一方、息子はコルネリアの押しつけがましい愛情に辟易しているが、30歳になっても親のスネをかじり続けている。つまりこれは子離れできない母親と、親離れできない息子の物語だ。「私の、息子」とわざわざ読点を添えた題名が、母子の間に生じた深い溝をさりげなく表している。

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ある日、息子が車で子供をひき殺したと知った母親は、すぐさま警察に乗り込んで取調べに介入し、ワイロや利権をちらつかせて調書まで改ざんしようとする。さらに驚かされるのは、事故を目撃したずる賢い中年男が、不利な証言をしないようにと金銭交渉を持ちかけてきたコルネリアを逆に手玉に取るシーン。「4ヶ月、3週と2日」で闇の中絶手術を行う男に扮していたルーマニア人俳優ブラド・イバノフの怪演が圧巻だ。

息子を救うためなら違法行為も辞さない母親は、とうてい観客の共感を得られるキャラクターではない。ところが生々しいリアリズムに徹したカメラは、クライマックスで“歪んだ母性愛”のさらなる奥底を撮ることに成功する。万策尽きたコルネリアはついに被害者遺族と対面し、そこでも事実に反する言葉を並べて許しを請うのだが、その嘘にはすべての虚飾を捨てた母親の痛切な悔恨が入り混じっている。凄い、本当に凄い場面だ。人智を超えた奇跡のような感情のスペクタクルに舌を巻いた筆者は、この東欧の壮絶な心理劇によって“母もの”の奥深さを改めて思い知らされたのだった。

高橋諭治

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