身をかわして
解説
2013年「アデル、ブルーは熱い色」でカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得したアブデラティフ・ケシシュ監督が03年に手がけた青春ドラマ。パリ郊外の低所得者向け団地で暮らす15歳の内気な少年クリモ。仲間たちと一緒に退屈な毎日を送っていた彼は、同級生の活発な少女リディアに恋をする。リディアは文化祭で上演されるマリボーの戯曲「愛と偶然の戯れ」に出演することになっており、その練習に励んでいた。そんな彼女に近づくため、クリモはアルルカン役に立候補するが……。セザール賞で作品賞・監督賞など主要4部門を受賞。日本ではアスティチュ・フランセ東京の「地中海映画祭2013」第2部(2013年10月20日・26日・27日)で上映された。
2003年製作/117分/フランス
原題:L'esquive
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2014年9月4日
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鑑賞方法:映画館
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言葉というものは、コミュニケーションの手段の一つなのだけれど、この映画は、特に話し言葉に明確な属性を与えている。
郊外のアパートにたむろっている若者たちは、どこまで本気ともつかない、威勢のいい暴力的な言葉を互いに確認し合っている。そうした言葉遣い、タームの選択こそが、彼らのコミュニティの一員であることの証なのだと言わんばかりに、何度も繰り返されるのだ。
今から20年ほど前のマチュー・カソビッツの「La haine」を思い出した。あの作品では、同じような威勢のいい言葉のキャッチボールの末に、憎しみは増幅され、ついには殺人事件を起こしてしまうのだった。
「身をかわして」で登場人物たちは、そうした言葉を日常使用しているにもかかわらず、古典的な戯曲の芝居の稽古をしている。彼らにとっては、古い言葉であるという以上に、非日常的な異世界の言葉として面白いのかも知れない。
しかし、その言葉は芝居の中でだけ使用されるもので、それ以外はちょっとしたことでも、非常に激しい口調が応酬される。執拗に長い口論のシーンは、「アデル~」のベッドシーンと同様に、観る者に忍耐を要求する。アブデラティフ・ケシシュ監督は、これこそが人間のコミュニケーションの核心であり、伝えたいのはこれだとでも言いたげだ。
そして、警官に職務質問の受けるときの、彼らに向けられる警官たちの使用する言葉は、相手を惨めな思いにさせて屈服させようという、権力者の言葉だ。この言葉には、悪言の限りを尽くしてきたような彼らも、なすすべがない。言葉のヒエラルキーがいかに強い力を持つのかが、ここには描かれている。
そして、言葉数の少ない主人公は、やはりこの世界では、自分の居場所を見つけることが難しい。失恋以上に、そのことに気付いたことが、彼にとっての人生の試練となるのではないかというラストだった。