「極めて理性的なキ〇〇イ」渇き。 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
極めて理性的なキ〇〇イ
「渇き。」
「。」があるのは、パク・チャヌク監督の同名傑作へのリスペクトかどうか、は知らないが
この映画、何が渇くって、〇〇〇でしょ?
まあ、それはふつう「乾き」って書くか
役所広司演じる父親が執拗に娘の行方を追う。
何のために?
決まってんじゃん、〇〇〇の渇き、を潤すためだ。
ワザとらしく「あのクソガキっ!」とかなんとか言っちゃって(笑)。
この映画、この一番タブーな部分を、それ以外のバイオレンスでオブラートしている。
これ見て、普通にセックス・ドラッグ・バイオレント映画、って小学生か。
「不思議の国のアリス」の本がところどころに散見する。
「ボク」のストーリーと主人公のストーリーが、3年前とずれているのに平行している。
両者の、加奈子を追い求める動機は一緒。青臭かろうが、加齢臭かろうが、一緒なのだ。
グロやバイオレンスや、タランティーノなんぼのもんじゃい、な昭和映画ラブな映像表現で、客を喜ばせ、引かせる。
だが本当の部分はチラっチラっと見せる、超変態映画。
中島映画によく見られる、気持ち悪い中学生描写は嫌いだが、気持ち悪い厨房は喜ぶことだろう。
園子温が底の浅いバイオレンスしか描けないのとは違って、中島哲也はひたすらバイオレンスたっぷりな画面づくりすらカモフラージュにしている。
そのことに気付き、グヘヘと喜ぶ君は変態かい?理性あるキ〇〇イかい?
追記
ラストの急展開って、原作読んでないんでわからないんだが、なぜああしたのか、考えてみた。
明らかにテンションをぶった切っている。
でもね、加奈子のストーリーは実はどうでもいい、って考えると、主人公が
「くっそ、俺の〇〇〇の渇きを潤したかったのに」
ってこれしか考えてないんであれば、ラスト15分だけで事足りるっちゃ足りちゃうんだな。
R15がどうのこうの、て表面的ないかがわしさは、「告白」と変わらないとは思うが、その先にある部分はやっぱり上映禁止レベルとは思うけどね。