2つ目の窓 : 映画評論・批評
2014年7月22日更新
2014年7月26日よりロードショー
河瀬直美監督が奄美大島を舞台に力強く描いた、死から生へと続く物語
カンヌ国際映画祭常連の河瀬直美監督による最新作は、舞台が奄美大島。映画の冒頭を飾るのは、島の老人による山羊の屠畜場面だ。国際映画祭の審査で不利に働きかねない描写だが、あえて最初に盛り込んだのは作品の方向性を示す重要なシーンだからだろう。その方向性とは、死から生に向かうベクトルだ。死は終わりではなくすべての始まりだというメッセージが、この映画ではあちこちから聞こえる。
山羊は死んで肉となり、人間に食べられることで新しい生を得る。これと同じ「死から始まる命の連続性」を、16歳のヒロイン、杏子(吉永淳)は自分の中に見出す。母が余命宣告を受けたことをきっかけに死と向き合った彼女は、死にゆく母の存在が自分に受け継がれ、それがまた次の世代につながって永遠に生きることに気づいていく。
一方、杏子と同じ16歳の主人公、界人(村上虹郎)の場合は、夜の海で母と関係のあった男の死体をみつけたことをきっかけに、大人への通過儀礼を受けることになる。彼の通過儀礼の最大の試練は、母親の女性の部分を認めること。さらに東京生まれの彼は、島の男として生きる覚悟も問われることになる。
そんな杏子と界人が、死を意識したことで性にめざめ、少女と少年から卒業していく姿を、河瀬監督は奄美大島の大自然と呼吸を合わせるようにして描き出す。とくに印象的なのは海の映像。死の影を宿す夜の凶暴な海と、生の輝きに満ちた昼の透明な海を、界人と杏子それぞれの心象風景と重ねあわせた演出が力強い。
死を入口にした構成に「殯の森」との共通点が感じられたり、自転車の2人乗りシーンと青春映画のテイストが「沙羅双樹」を思わせたりと、作品には河瀬監督の集大成的な趣も。母を失う運命にある杏子と、東京にいる父の不在に孤独を覚える界人。主人公2人が家族に関する欠落感を抱えた人物である点にも、河瀬監督の印が見える。
(矢崎由紀子)