「ゴジラのテーマ曲」ホーリー・モーターズ odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラのテーマ曲
ゴジラのテーマ曲が使われている映画と聞いて興味を持ち鑑賞、ところがこれは観客を翻弄する難解な芸術映画、いわばレオス・カラックス監督の映画エッセーでした。
大まかに10編の寸劇を主人公がそれぞれの役に扮装して演じる話なのですが撮影隊は見えません、着替えやメークは移動中のリムジンの中、これはある種ビジネスのようで雇い主は「ホーリーモーターズ」。看板を掲げたビルには同様の数十台のリムジンがありますので手広くやっているプロダクションのようです。
レオス・カラックス監督が映画雑誌のインタビューで語っているところでは、「この映画は死者の映画、それをたまたま現世の観客が同時に観ているのです」と訳の分からないことを言っていた、勝手に解釈しなさいとのことなのでこじつけると、ホーリーモーターズは、あの世に逝った人々が観る地獄テレビのワイドショーの再現ドラマを請け負っている会社と思えます。したがってSF調のブラック・コメディの部類という理解でどうでしょう。
マーカーのついたボディスーツを着てモーションキャプチャーの撮影をするシーンはSF映画作りでは欠かせない舞台裏の作業ですがあえて表にだしてみたかったのでしょう。
お目当てのゴジラのテーマは凶暴でキモい浮浪者が墓場に登場するシーンでかかります、若い女性の指を噛み切ったりモデルを誘拐、髪の毛をむしって食べたりとゴジラが知ったら怒りますね。
物乞いの老婦人に成り済ますシーンは監督がパリでよく目にする光景で心を痛め、一時、社会派のドキュメントを撮りたいと思っていたらしい。自殺する女性は本作の2年前に自殺した内縁の妻カテリーナ・ゴルベバへのオマージュらしい、解らないのは家に戻ると家族はなんとチンパンジーだったこと、なんの暗喩なのでしょう。監督の頭の中ではそれなりのレゾンデートルがあるのでしょうが、凡人の私にはさっぱりでした。巷間言われる芸術性の高い映画もどきは疲れます。