GODZILLA ゴジラのレビュー・感想・評価
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”ZILLA”より千倍まとも。愛もある
世界63カ国で週末興行第1位!ハリウッド版ゴジラ初の大成功!
ケン・ワタナベ演じる芹沢猪四郎(本多猪四朗×芹沢博士)の名をはじめ、冒頭では日本が舞台だったりとオリジナルへの愛も感じます。既に次回作も決まり良い流れですが、、ベタ褒めできるかと言えばさに非ず。です
日本描写とか頑張ってはいますが、警察署で登場する不良とその両親の見せる演技をはじめ、なんか雑なんですよねー。ツッコミどころは多い。人間ドラマも正直いらないかなーと。
まー『ブレイキング・バッド』のウォルター・ホワイトとキック・アスが出演しているだけに、海外ドラマ的に人間ドラマも必要だったのかもしれません。でも尺が違うので、どうせならゴジラの大暴れの方をもっと濃くして欲しかったなーと。
ただ、ローランド・エメリッヒが撮ったハリウッド版の前作、通称“ZILLA”(1998年)に比べれば千倍、いや万倍マシ。頭にGODを付けても大丈夫な作品です。笑
畏敬の念を抱かせつつも、それでもどこか可愛く見えなければゴジラじゃないし、本作にはそれがありました。そこに尽きるかなーと
3D最高!
ストーリーが?
160億円の咆哮の虚しさ
最新のデジタル技術と無数のスタッフ、160億円もの大金をつぎ込んで2014年に蘇ったハリウッド産〈デジタル〉ゴジラ。その凄まじい「咆哮」に喜んでお金を払えるかどうかで、評価が二分する怪作。
興ざめな編集、冗長で薄っぺらい人間ドラマ、意味不明な軍隊の行動、ゴジラが産まれた過去の設定まであっさり否定する浅はかさ…と枚挙にいとまがない、いち娯楽大作として首をかしげざるを得ない未熟な脚本。
ゴジラ生誕の地・日本に対して多少気を遣っている描写はあっても渡辺謙が孤軍奮闘で空回りしている印象が目立ち、観ていて痛々しい。
こんな描かれ方で喜べるほど器用でない自分は、IMAX3Dで高い料金払って鑑賞したことを後悔している。この映画がゴジラでなければ、いや自分が日本人でなければそこそこに楽しめたのかもしれない、と自虐的に考えてしまうほど、非常に落胆させられた。それだけ、期待が大きかったのだ。
昨年の今頃は同じレジェンダリー・ピクチャーズ製作のパシフィック・リムに感動、興奮し幾度となく劇場鑑賞しただけに、後出しの本作に期待するなという方が無理である。
ギレルモ・デル・トロ監督ならゴジラをどう料理しただろうか。もしかすると彼の想像力の前にはゴジラの世界観は足かせでしかないかもしれない。
このギャレスゴジラを観た日本の特撮関係者らが奮起して起死回生の本場の〈アナログ〉ゴジラを再び世に送り出してくれることを夢見て、心の平穏を保ちたいと思う。
実はゴジラを映画館で観るのは初めてです。
過去のトラウマをゴジラが吹き飛ばしてくれる
ゴジラと言う黙示録
アメリカにできて日本にできないこと。
映像表現は言わずもがな、物語の骨子に及ぶまで、ゴジラの復活はこの国の文化の終焉を暗示しているようで、感慨にふける半分、何とも言えない微妙な気分にさせられた。
放射能汚染や情報操作。隠蔽工作など、日本に対する風刺性と見られるメッセージを物語に組み込む粋な演出は、この国の政治に対する、正にアンチテーゼと言っても過言ではない。
そして、とにかく街を破壊しまくるゴジラとムトーの映像表現への金のかけ方は、日本人とアメリカ人の文化への意識の高さの隔たりを改めて思い知らされた次第。
そんな様々なジレンマをまざまざと見せ付けられる格好となった、米国産のゴジラ。
ちょっと太ってはいても、あの鳴き声で思いっきり咆哮するゴジラの姿にはやっぱりシビれたし、文句なしにカッコ良かった。
しかし、いや、だからこそ、逆上陸と言う生ぬるい比喩でゴジラの里帰り迎えて良いのだろうか?
おかえりなどと戯言を吐いて、その帰還をお茶で濁して良いのか?
これはゴジラの形をしたアメリカからの警鐘ではないのか。
ハッキリ言ってゴジラが日本で作れない事は大いなる恥だ。
ミニチュアを駆使した特殊撮影が、スケールで今回のゴジラを上回るとは到底思いにくいし、かと言って同じ土俵のCG技術では全く勝ち目がない。
今回のアメリカ版ゴジラの続編が制作される事も決まり、仮にそれが往年の昭和ゴジラや平成ゴジラの様に連綿とシリーズ化される事になるならば、それを眼にする世界中の子供達は、ゴジラが日本生まれの怪獣であると言う歴史を認識しないまま、アメリカの新たなヒーローとして潜在意識にとどめる恐れがある。
これは危惧を超えた文化的侵略ではないだろうか。
身勝手な人間という存在
面白かった!
人間なんていう存在はたまたま地球上に巣食っているちっぽけで無力な生き物なんだということを嫌というほど感じさせる映画だ。
ゴジラとムートーは人類の思惑を完全に無視して,彼らなりの理由で地上に存在している。その圧倒的な存在感といったらもう・・・!
それに引き換え,人間という存在の何と醜いことよ!
「放射線を食う」というムートーの習性を自分たちの都合のいいように利用したはいいが,制御できなくなると殺して捨てようとする。
そうすることすらできなくなると,ムートーは単に地球上で生きようとしているだけなのに,その存在を一方的に脅威とみなして抹殺しようと戦いを挑む。
ムートーを滅ぼして生態系のバランスを取ろうとしていたゴジラをすら,敵とみなして攻撃する。
ゴジラがムートーを滅ぼすと,今度はゴジラを「救世主」とあがめ始める。
人類の節操のなさと身勝手さが際立つばかり。
ところで,ハリウッド版ゴジラを見ていてつくづく思ったことがもう1つ。
「パシフィック・リム2」がもし制作されるなら,何とかしてゴジラとコラボレーションできないものか。
実に見ごたえのある映画になると思うんだけどなあ。
何とも…
アメリカ人による日本侮蔑。
映画『ゴジラ』に、アメリカの日本への侮蔑を見る。
アメリカ映画『ゴジラ』(2014年)が話題である。無理やりつくられた話題のような気もするが、たっぷりと前宣伝で、100円の物を500円、1000円の価値があるかのように欺くのは、いつものアメリカ映画商法である。
さて、その『ゴジラ』だが、アメリカ人の日本人への憎しみと侮蔑と恐れとが、これほど強いものかとあきれ果てた。
この映画は、次のようなメッセージにあふれている。
「日本人は、すべて醜く、冷酷で、自分勝手で、アメリカから受けた恩など省みず、その反面、アメリカ人は、すべて正直で真面目で礼儀正しく、日本人やその他の人種へ親切かつ愛情を持って接し、庇護している」というメッセージである。
主人公ブロディが父親とともに、禁止区域(日本の東北らしい、ジャンジラ市にある原子力発電の研究所)に入って日本の警備隊に逮捕される場面では、日本人はまさに戦時中の憲兵隊の悪いイメージで描かれている。研究所本部に戻って、怪獣が研究所を破壊する場面では、ブロディを手錠で自動車にしばりつけたまま、警備隊員は割れがちに逃げ出す始末。そんなことは、ありえないだろう。
にもかかわらず、ブロディは、ハワイのモノレールの場面では、ご親切にも、見ず知らずの日本人の少年(これがなんとも愚鈍に描かれているのだが)を、助けて、無事両親の元へ返してやる。両親は礼などもいわず、少年を連れてさっさと退場。ブロディは人知れず、にっこり安堵する。こんなことは、ありえないだろう。
自己満足の自分大好きのアメリカ人映画だから、我慢するという見方もあるが、アメリカ人の自己欺瞞性と自分勝手な自己正当化と自己満足による傲慢さには、ほとほと愛想がつきる。
渡辺健演じる芹沢博士は、右往左往する能無し人物として、描かれており、毅然とした日本人らしさなど微塵もない。単なる、寄生虫のような怪しい人物である。一方、アメリカの提督(『市民の命が第一だ』を何度言えば気が済むのだろう)は、判断ミスで多くの犠牲を出したにも関わらず、軍人らしい誇りと責任とにあふれた偉人として描かれている。
こんな白人至上主義のハリウッド映画を見るにつけ、アメリカ人イギリス人などの白人たちが、「日本はまともな国ではない。日本人をまともな民族だと考えてはいけない」という、強いメッセージを、世界中の人々に向けて、強く発信し、そのために、実に注意深く映画を作っていることがわかる。
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今の時代のゴジラ映画
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