凶悪のレビュー・感想・評価
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「凶悪」とはなんぞや?
本作の見どころは、ピエール、リリー、は表面的な凶悪を映画的にわかりやすくしているだけであって、本作のキモは、ジジイをリリーに託した家族、主人公の記者。
そして観客の反応。
絶対的安全圏で、ピエールのその恐ろしい証言の虜になる。そしてその背後に居る悪をのぞいてみたい、という「本能」のまま、その没頭性は、痴呆の母親と妻へのめんどくさい現実の対応から逃れたい、という彼自身の境遇による。
ハネケの「ファニーゲーム(特にUSA)」のわかりやすさをリリーは山田に指さすことで表現する。
何楽しんでんだ、てことだ。
それはつまり、君たちへの「ピエールの演技が、リリーの演技が」とか言って、彼らの本能的な凶暴性を理解することなく、すごかった<3、で称賛する。
そう、他人事なのは、山田も僕たち、君たちも一緒だね。
なぜ彼らがそうなったか、は一切説明がないが、しかし山田は、自身の生活の問題は決着として、母親を老人施設に「ブッ込む」までが描かれる。
その結論は、金の問題で活きている価値のないジジイを殺す依頼を出す家族と、依頼、すなわち仕事を楽しんで確実に実行するリリー、何がどう違うのか。
そう、本作「凶悪」の本質について答えを出してる映画ではないし、「全員悪人」って言ってもいい。
もっと言うと、観客だけが「凶悪」といういやらしい映画。
俺からすりゃあ、この映画を見て、「冷たい熱帯魚」と同じ、て言ってるヤツが一番「・・」。
こういう根からおかしい奴っている
構成が良かった。
最初に殺害シーンから始まりその状態に至るまで流れが、そうだったのかと理解できる構成がとても良かったです。ただ残念なのは山田孝之の家庭の話が事件とはとうからず気持ちはわかりますが必要性を感じず残念でした。
世の中には常軌を逸した人間達がいる事が分かる映画です
実在の事件を元にした映画ですが、他の人も触れているようにリリー・フランキーとピエール瀧の演技が秀逸すぎます。
この二人はプライベートでも仲が良かったようですが、それが独特の不気味さを増大させているのかもしれません。
「彼らが楽しんでいるようにしか見えない」といったレビューもあるようですが、それの何が悪いのか理解に苦しみます。
むしろ、真実味が出て映画としては良い事でしょう。
何にせよ、個人的にはこの二人をキャスティングしたのは大正解だと思います。
ただ、個人的に少し蛇足かなと思ったのは主人公のあれこれです。
視聴者に向けて「お前らもそうだろ?」と言葉を投げかけたかったのでしょうけど、気付く人は何も言われなくても気付きますし、気付かない人は何を言われても気付きませんしね。
何にせよ、この映画が世の中に出た事でこの事件を知った人やこの事件を再考する人が少なからずいたでしょうから、その功績は認めるべきでしょうし、気持ち悪い映画扱いする必要もないでしょう。
それにしても・・・実際の「先生」も相当なレベルの異常者のようですし、そういう人間は常に周囲の人間を利用して使い捨てにして自己愛を追求するので恐ろしいです。
須藤もかなりぶっ飛んだ人物ですし彼が行った事は決して許されない事ですが、先生の異常性の前ではそれこそ「憎めないやつ」と感じてしまいます。
時は戻せないのでif話は無意味ですが、もし須藤が先生ではなくもっとまともな人格の人間と出会っていれば今とは違う人生をおくれた可能性もあったのかもしれません。
高評価の人が多い印象だけど…
私の中では、イマイチだった作品。
同じ監督の、「死刑にいたる病」が個人的にとても気に入ったので、もう一度見返してみた。
ジメジメとした雰囲気は好き。
俳優陣も良く、飽きずに見れる。
でも、どうも自分の中での「好みのサイコパス」ではなく、ラストも印象が薄い。
最後のリリー・フランキーが演じる先生のセリフが、見ている人にも向けられているのだなと感じた点は面白かった。
逆に言うと、そこ以外はこれと言って好きなシーンもない。
残虐なだけといった印象。
好みが分かれそうではある。
好きな人はすごく好きそう。
しかし、これこそがリアルな事件なのかもしれない。
ピエール瀧とリリーフランキーの自然な演技が怖すぎる
10年前に1回だけ見たのに記憶に強く残ってる作品。冒頭の放火&レイプ、酒を無理やり飲ませて殺す、死体バラバラにして焼却炉など全てのシーンがトラウマ級。
とにかくピエール瀧とリリーフランキーの自然な演技が怖すぎる。笑いながら殺しを楽しむ演技が全く違和感なし。というか演技せず素なんじゃないか?と思わせるほど。この役は彼ら2人にしか出来ないだろうな。
だいぶ前に観たのに鮮明に覚えてる作品は今作が初かも。胸糞悪い映画なのにふと急に思い出して観たくなる。ピエール瀧とリリーフランキーに謎の中毒性があり定期的に会いたくなる作品。もしかして俺も凶悪なのか...?
凶悪
実在の事件を元にした小説が原作。記者が殺害事件を調べ過去が明らかになる話
リリー・フランキーが演じる不動産ブローカー(先生)の事件を記事して法廷に引きずりだし無期懲役となる。記者は先生との面会で先生に「私を一番殺したがってるのは…」と指差しEND
凶悪とは誰なのか。記者の妻は認知症の姑に暴力を振るうようになり、記者も元暴力団員や先生を死刑にするため異常にまでに事件を追う。
記者が最後に見つめる先に誰がいるのか…
役者の演技に引き込まれる。最初の場面での事件が背景が分かるにつれて分かっていき心地よい。
リリーフランキーの魅力
映画とは
ぶっこんじゃったノンフィクション
何年ぶりか忘れたが久しぶりに視聴。
最近は怖い映画も平氣になってきたので冷静に観れた。
藤井洋子に扮する池脇千鶴さんは『ジョゼと虎と魚たち』(邦画2004年)を観てファンになった。
先生こと木村に扮するリリー・フランキーさんも今は大好き。
今作は、雑誌の記者である藤井修一(山田孝之)が、過去の事実をどんどん知っていく。
須藤純次(ピエール瀧)が、舎弟の五十嵐( 小林且弥)をぶっこんじゃった理由が切ない。
木村を法廷に立たせたい氣持ち、完全に共感。
須藤純次の刑が軽くなったのは悔しい。
時系列入れ替えの演出が、物語を立体的にしていてノンフィクションらしさが出ている。
ノンフィクションをフィクション化して伝えたかったこと
随分前にTVで見た記憶があるものの、それを忘れて再度見た。
これは、ノンフィクションを作品化したことで何が本当の「凶悪」なのかを明確にしているのだろうと思った。
それは木村が藤井に向かって言うセリフ「私を殺したいと一番強く願っているのは、被害者でも須藤でもない」
それはつまり人に対する「断罪意識」そのものであり、それこそがこの作品が伝えたかった「凶悪」の正体であり根源なのだろう。
作品のこの主張を広角的視野で見れば、それはマスメディア全体について言えるのかもしれないが、作中のメディアが追いかけているのはゴシップばかりで、おおよそジャーナリズムというべき要素は見当たらない。
しかし、藤井記者一人に絞りこめばそれは、彼自身が持つ「脅迫的概念」であり、それこそが凶悪の根源だと思われる。
生活資金の問題のある牛場一家。彼らは借金の原因の父に保険金を掛け自然死を待ったものの、しつこく生きているので保険金を掛け続けられなくなったことで、「先生」に依頼した。
この構図と母を施設に入れる構図はそんなに違うのだろうか? この部分はオブラートに包みこむように作品が訴えていることのように感じた。母を施設に入れることができない藤井の考える「正しさ」の境界線のようなものがそこにあるのを感じる。
視聴者的俯瞰で見れば藤井の仕事、家庭、それぞれ天秤にかけているのが伺える。思っている以外のことはしたくないのだろう。それが正しい、自分は正しい、妻の限界を超えるまで手を付けない。記事が売れたのは良かったが、「まだ事件は何も終わってなんかない」とデスクに吠える始末だ。この彼の脅迫的使命感こそがこの作品が伝えたい「凶悪」の根源だ。
実在した事件、死刑囚が告白した未認知事件。その凶悪性と匹敵する「根源」があることを制作者は気づいたのかもしれない。
そこにある違いは単に「法律」だけだ。
法があるから法治国家だが、その法を根拠に人を「断罪」することができる。
木村は確かに高齢者を「油田」に見立て、金を産む道具にした。人を何人も殺した。殺させた。彼は自分のしたことを理解しているし、それがどれだけ「凶悪」なのかも理解している。
そして、それを暴き出し断罪しようと血ナマコになって追いかける藤井の執念を見て、それを自分と同じ「凶悪」だと言い当てた。言い当てたという言い方が正しいように思う。
木村にはない種類の「凶悪」さを藤井に見て取ったのだ。同時に法のあるなししか違いのないことも汲み取ったのだろう。
藤井には痴ほう症の母がいる。その面倒を四六時中見ているのは妻だ。
藤井は妻に言う「この記事で犯人が逮捕され刑を受ければ、亡くなった方々の魂が報われる」 しかし妻は言い返す「私は生きているの!」
妻は言う「ずっと前からお母さんを殴っているの。もう罪悪感を感じない。自分だけはそんな人間じゃないと思っていたけど」
仕事という正義 誰もが家族に対していい訳に使う言葉「仕事だから」 記事を読んだ妻が「こんな取材が面白くて仕方なかったんでしょ」
妻の言葉に大声で怒鳴る藤井。
藤井家族の中に法に抵触することはないが、それらをすべて誰かに押し付け棚に上げ、家族・知人にまったく関係のない出来事を発掘するようにあぶりだし、法を武器にその誰かを断罪するという行為は、もしかしたら「凶悪」なのかもしれない。
あの木村の最後のセリフに込めらたことこそがこの作品のテーマであるならば、凶悪は昨今頻繁に取り上げられる「視聴者動画」の中にこびりついているような気がしてならない。
ハードボイルドなテイストかと思いきや、、その裏切りがリアリティを加速
てっきりもっとハードボイルドな作品かと思ったら、トントン…と心に突き刺してくる、ドラマ的な作品。 白石和彌の出世作にして色褪せない魅力を持っている。
『日本で一番悪い奴ら』で白石監督に出会ったものの、今まで通って来なかったこの作品。実話をベースに、人間のおぞましさを炙り出す。それが意外にも静かに蝕んで行く感じが印象的で、こう描くのかと。ただ、ミイラ取りがミイラになる様に、何かに駆られながら周りも見えなくなっていく姿を他人事として見られない。なぜならその好奇心で観ているのは否定できないからだ。
なんとも恐ろしい話だが、これもまた実話なのが恐ろしい。枠に縛られず期待に答えていく白石監督だが、エロスもグロテスクも時折入れつつ、作品のトーンを変えない辺りが上手い。2部に編成された作品の軸がことの重みを引き出しており、なんとも言えない痛みを与えてくる。須藤の傾倒もゾクッとしたし。
主演は山田孝之さん。あえてジャーナリストにしている部分もまた共感性を感じさせる。正義を振りかざす快感には叶わない。例えそれが周りの犠牲となっても。深刻に描きすぎず、一定の距離感で描いている辺りがまたなんとも切ない。
完全な蛇足だが、ピエール瀧さんは薬のシーンをどう受け止めて演技していたのだろうか。もちろんダメな事ではあるが、覚悟がとにかく凄かった。迫力は圧巻。観られ続けるのも納得の作品だった。
色々怖い
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保険金目当てで人を殺しまくってたヤクザと「先生」なる人物。
ヤクザは先生を信じていたが、うまく踊らされていただけだった。
先生の嘘で舎弟が裏切ったと勘違いして殺害してしまったうえ、
自分は死刑なのに先生はシャバでのうのうと生きている。
そこで獄中から新聞記者を通じて、先生の事件を暴かせる。
新聞記者の動きで先生は逮捕、無期懲役となる。
ヤクザはキリスト教に入信して素直になっていた。
そして新聞記者を唆したのは、死刑の先延ばしのためと告白。
新聞記者は法廷でヤクザに切れまくる。
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実話をもとに構成された話。
しかし怖い事件やが、最も怖いのは新聞記者の執念かも知れん。
事件を暴き、先生を無期懲役にしたのに全く満足せず。
何とか死刑にしようと奔走している。怖いわあ。
しかも死体を埋めたと思われる場所を自分で堀りに行ったり、
離婚危機になっても家庭を顧みず帰宅しなかったり。
しまいには嫁がボケた親に殴られまくり、逆襲して殴ってるのに。
映画は主人公がクズ夫・・・
原作、読んだような、読まなかったような(笑) この手のジャンルは大...
目を背けたいのに
重みがすごすぎる。
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